「酸素」から「酸化」へ…広がる傷口

 ところで、先述のとおり「酸素」なる呼称はラボアジェがこの元素こそが物質を「酸」たらしめていると誤解したためにつけられた呼称であるが、その後この「酸」なる漢字が「酸素」の意味に用いられ、多くの熟語や略語が作られているのである。

 この「酸」を「酸素」の意味に用いた熟語の代表が言うまでもなく「酸化」である。本来この「酸化」なる語の意味は「”酸”素と”化”合する」という意味であったが、その後この用語の意味が広げられて「物質が陰性元素と結合する」という意味に用いられている。この語はさらに意味を広げて「原子が電子を放出する」なる意味に用いられているのである。なお、言うまでもなく「酸化」なる語は「oxidize」の訳語であり、「酸化」の意味が拡張されたのはもちろんこの「oxidize」なる語の意味が広げられたためである。

 このように「酸化」なる語が「原子が電子を放出する」なる意味に用いられるようになった理由は、言うまでもなく酸素がかなり顕著な陰性元素だからである。ここで先述のとおり「陰性元素」とは他の原子から電子を奪う力の強い元素のことである。ところで、あたりまえのことであるが電子を得る原子があれば必ず電子を失う原子が存在する。したがって、元素がそれよりも陰性の元素と結合することはすなわちその原子が電子を失うことを意味するのである。したがって、科学者はこの事実を逆に考えて原子が電子を失うことを陰性元素の代表である酸素と結合することに喩え、この現象を「酸化」と名づけたのであった。

 ところで、この「酸化」なる用語は2重に欠陥を持った用語である。なぜなら、「酸化」は読んで字のごとく「”酸”素と”化”合する」の略称であるが、この「化合」なる語自体が「”化”学的に結”合”する」の略称だからである。しかも、この文において「化学的に」よりも「結合する」の部分のほうがはるかに重要である。なぜなら、この語は原子が他の原子と結合することを表現したものであり、したがって「化学的」なる語句は「結合」なる語の修飾語であってどうでもよい語句だからである。

 したがって、「化合」なる語を略すのであればもちろん意味的にはるかに重要な「合」の部分を抜き出すべきであった。それにもかかわらず、この用語を考え出した科学者(「化学者」もその一員)は「化合」なる語において「化」のほうが先に来ることをその口実に「化」の部分を抜き出し、酸素と化合することを誤って「酸化」と呼んだのであった。この事実と先述のとおりこの「酸化」なる語の語源である「酸素」なる語自体が欠陥用語であることを併せ、「酸化」なる用語は2重に欠陥を持っている用語となるのである。

 また、当然のことながら「〜化」なる語は「酸化」以外にも「塩化」、「硫化」、「炭化」など数多くつくり出されており、いずれも「〜素と結合する」という意味である。この中でも特に「炭化」なる語は本来「木が熱などで分解して炭となる」なる意味に用いられており、したがって「炭素と結合する」ことを「炭化」と表現するとこの語のオリジナルな用法である「炭となる」と大変まぎらわしくなるのである。以上のことから「〜と結合する」ことを「〜化」と呼ぶのは甚だ不適切な呼称であることがわかる。それにもかかわらず、たくさんの学者のミスが幾重にも重なって「酸化」などの欠陥科学用語が生じたのである。

「還元」…陰性元素軽視の象徴

 ところで、御存知のとおり現在では「還元」なる語は「原子が電子を受け取る」なる意味に用いられているが(したがって、「還元」は「酸化」の対義語である)、この語は本来その名が示すとおり「化合物を分解して単体にする」なる意味に用いられていた。なぜなら、「還元」なる語の本来の意味は「ものを元の状態にする」という意味だからである。したがって、化学では物質は結合する前の状態が本来の状態であると考えるのでこの「還元」を「物質を分解して単体にする」という意味に用いたのである。

 なお、現在ではこの意味には「単離」なる語が用いられているが、この語自体が後に「還元」なる語が本来の意味に用いられなくなってから新たにつくられた用語である。つまり、この「単離」なる語はその名が示すとおり「化合物を分”離”して”単”体にする」という意味であり、この語は「単体」なる語がなければ生じ得なかったことがわかる。また、ついでに言うと、、この「単離」の対象となる元素が金属元素であり、かつそれを工業的に行うときには「精錬」なる語が用いられている。

 ところで、本来「化合物を分解する」ことを指していた「還元」なる語が「原子が電子を受け取る」という意味に用いられるようになったのはなぜなのか。実はこの問いを解くヒントは「酸化」なる語の生い立ちに隠されているのである。つまり、先述のとおり「酸化」なる語の本来の意味は「酸素と結合する」という意味であったが、この現象をよく見ると「酸化」が「結合」の一種であることが直ちにわかる。つまり、電子を失うことを他の元素と結合することに喩えたことはすなわちこれらの現象を陽性元素側からみていることに他ならぬのである。したがって、逆に考えて電子を受け取ることは他の元素から離れるということ、すなわち単体になることに喩えられたのであった。ここに本来「単離」と同意語である「還元」なる語が「電子を受け取ること」にまでその意味を広げたのであった。

 上の文を読むと、電子を失うことが他の原子との結合に喩えられ、逆に電子を得ることが他の原子から離れることに喩えられていることが直ちにわかる。すなわち、「酸化」も「還元」も陽性元素に視点を置いた用語なのである。

 このように、「酸化」、「還元」に限らず実在するほとんどの化学用語は陽性元素のみの立場から考えてつくられた用語である。例えば、御存知のとおり「水素」は読んで字のごとく「水のもと」であり、その名のとおり水にはちゃんと水素がふくまれているが、一方水には酸素もふくまれていることを忘れてはならない。つまり、「水素」は言うまでもなく「hydrogen」の訳語であり、その「hydrogen」の語源は「hydro」(水)と「gen」(つくる)である。

 しかし、酸素は水のみならず岩石などわれわれの身のまわりのあらゆる物質にふくまれているので化学者は酸素をふくんでいる化合物として水を特に意識しなかったのである。なお、水素に限らず一般に陽性元素の名称はその元素の酸化物の名称からつけられたものが多い。たとえば、「magnesium」(マグネシウム)の語源は「magnesia」(苦土)であるが、もちろんこの「苦土」はすなわち酸化マグネシウムのことである。

 また、化合物は英語では「〜(陽性元素名)(陰性元素名)ide」なる名称がつけられ、日本語ではこれが「(陰性元素名)化〜(陽性元素名)」というふうに訳されている。この名称をよく見ると陰性元素が修飾語、陽性元素が被修飾語になっていることに気付くであろう。なお、英語と日本語で陽性元素と陰性元素の順番が逆になっているのは言うまでもなく英語と日本語で修飾語と被修飾語の語順が逆になるからである(このことについては2編で詳しく述べる)。つまり、化合物名において本来陽性元素と陰性元素は対等であるべきはずなのに実際の化合物名では陽性元素のほうにより高い地位が与えられているのである。

 それどころか、イオン性化合物において特に陰性元素が酸素である場合には「〜(陽性元素名)+a」なる名称がつけられいる(「alumina」(酸化アルミニウム)などがその例である)。つまり、酸化物の名称では「oxide」なる語が省略されているのである。この理由は、先述のとおり酸素は水、岩石など地球上のほとんどの物質にふくまれているからである。

 しかし、だからといって化合物名において陰性元素を省略していいというわけではない。なぜなら、科学(もちろん「化学」も「科学」の一部である)ではその化合物が酸素をふくんでいるのがあたりまえのことだからといって「酸化」なる語を省略していいはずがないからである。また、化合物名において系統名(「正式名」ともいう)と慣用名なる2種類の名称が生じる理由もこのことで説明できる。つまり、慣用名(「酸化カルシウム」(系統名)に対する「生石灰」がその例である)とはすなわちその化合物を主成分とし、かつわれわれにとって身近な物質の名称のことなのである。このように考えると、化合物が酸化物である場合には「酸化」なる語が省略されていることは多くの元素名が酸化物の名称からつけられたものである以上むしろ当然のことなのである(「マグネシウム」のところを思い出してもらいたい)。

「燃料」は「エネルギー源」にあらず

 ところで、物質が燃えるときにエネルギーを出しているのは俗に「燃料」と呼ばれている物質(そのほとんどは炭素と水素の化合物である)ではなくむしろ「酸素」(本当は「火素」と呼ぶべき元素なのであるが慣例に従って)のほうなのである。

 なぜなら、御存知のとおり陽性元素と陰性元素が結合するとそのうちの陽性元素は陽イオンとなり、陰性元素は陰イオンとなるが、このとき原子が陽イオンになるときにはそのまわりからエネルギーを吸収し、逆に陰イオンになるときにはエネルギーを放出するからである。なお、現在ではほとんどの科学結合は共有結合(金属結合も一種の共有結合である)であることがわかっているが、同じ元素同士の結合以外ではそれらの原子のうちより陽性なほうは正に、陰性なほうは負に帯電している。

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