2003年12月23日(火)。
” Polaris presents ”continuty” #4 ”
Polaris / 高木正勝 / 湯川潮音
@新宿リキッドルーム

湯川潮音
「歌舞伎町が浄化されてくようなー。」(Polarisオオヤ氏談)
ひょっこりと現れて、唄を歌った女の子。アカペラだったり、サポートに鍵盤を迎えたり。音数は少なく、至ってシンプルな構成。
声質的には大貫妙子とかコシミハルと同系統になりそうなボーイソプラノ。第一声を発した瞬間に、みるみる周りの雰囲気が澄み渡る。
「うわっ!」
って、そんな驚きを含んだキレイな声がどこまでも伸びていく。
ディズニーなどのカバー曲も、もちろん素晴らしかったんだけど、簡素な言葉が並ぶオリジナル曲は、ホントに周りの空気が変わるような独特さ。こういう歌の世界観って、声自体が圧倒的にキレイなせいか、どっか儚くて壊れやすい夢みたいな感じばかりが想像されやすくないですか?
でも、湯川潮音の歌にはそーいうのと共に、相反するような予測できないドロっとした生々しさというか、ポテポテと道端を歩いているみたいな日々の生活感がちゃっかりと息づいている気がする。
それは、最後の自作曲の弾き語りで大量に放出されていて。ポロンポロンと弦を爪弾きながら、童謡のようなメロディを歌ったかと思ったら、一気に変な展開に突入し、ギターをジャカジャカ弾きなぐる。そして、形をどんどん変えながら1つの話のような曲は進んでいった。
「弾き語りでローファイで、声がボーイソプラノ?」
みたいな、何とも不思議な音の融合感と化学変化。
だから、この歌は辺りの空気を浄化していくんだけど、ただの浄化機じゃなくて、その後に
「なんじゃこれ!?」
っていう、得体が知れないもんを、こっそりと残してく感じ。
で、それが何だか、すごく切なかったり、優しかったりする。うーん、未知数。とりあえず、この人の声を最初に聴いた時は鳥肌必死。特にポラリスのオオヤさんが曲を提供した「かたち」の暖かくゆっくりと広がっていく体温のような空間にはぐっときた。


高木正勝
「夢の断片と断片がおもしろいほど気持ちよく繋がってく。」
エレクロトニカのアーティストとして現代音楽家として、最近、かなり知名度が上がっているような印象があるこの方。こういう系統の音の人のライブってラップトップのみを使ったものが多くて、どうしても単調になりがちな気がする中(「家でCDを聴く状態と同じなんじゃ、、、?」と思ったりすることもしばしば)、高木さんはいつも瑞々しくてライブ感のある時間を観せてくれる。
特に今回は冒頭2曲に驚かされた。完全に1人でピアノを弾きまくる、打ち込み一切なしの生演奏だったのだ。ピアノソロなので、
「クラシックのような雰囲気?」
かというと、それは違って。当たり前のように生演奏でミニマルで変化の豊かな心地よい音が紡がれてく。これはもうエレクトロニカ云々という範疇を超えた素晴らしさ。んで、
「ホントに鍵盤という楽器が好きなんだー。」
という雰囲気が伝わってくるのもよかった。
と、高木正勝のライブで忘れてはならないのが、映像。懐かしさが全面から漂うような柔らかい空気感のものから、機械的なものが縦横無尽に駆け巡るスリリングなものまで、とにかく多種多彩な映像を見せてくれる。
曲の質感も同じくバリエーション豊かで、女性ゲストヴォーカルを迎えての弾ける電子音とリズムがパンキッシュな「rehome」、ミニマルで透き通るような荘厳さの「J.F.P」、アジアっぽい国の路上で親子2人が自転車をこいでどこかへ向かう一部始終の雑音に、見事にメロディとリズムをはめこませた曲、などなど聴きどころ満載。なにより、高木さんが生音を弾くと、周りで鳴らされている至極機械的な打ち込みの電子音が何だかひょこひょこと活き活きしてきて、あたかも誰かが演奏している音のように飛びまわって鳴るのは、不思議で仕方ない。
そして、その映像と音はしっかりとシンクロし、感覚を気持ちよく、くすぐられる。だから、一向に飽きない。むしろ、徹底して穏やかなのに、めちゃくちゃ気持ちが高なる高なる。それは、おぼろげで懐かしかったり、覚えてはいないけど何か楽しかったりする夢の光景の断片がおもしろいほど次々に繋がっていくような感じ。
「あー、ずっとこの瞬間が続いてほしいっ!」
って、何回も思った、時間軸で変化していく展覧会を観ているような”聴く展覧会”といった趣きのライブ。視覚も聴覚も大満足。


Polaris
「今まで観たポラリスのライブで一番ピースフルで、一番よかった。」
と、思わせてくれた、充実の2時間弱。
ツアーを経た成果ががっつりと発揮されていて、音のバランスは絶妙。サポートの郁子ちゃん(クラムボン)の鍵盤の音が、以前とは比較にならないくらい効果的に聴こえるようになってた。さらに、譲氏のベースの低音。
「こんなに大らかな低音があるの?」
ってほど。大きなソファに包まれているような気持ちよさをベースに、丁寧な音色のギターが乗り、スネアの音が高いタイトなドラムが乗り、安心感を与えてくれるような歌が乗る。
「何でこんなに心地いいんだろか?」
と、最初の「星と願うなら」から、いつもより急速に辺りの空間の時間はどんどんズレて行って、ポラリスが作り出す違った時間が流れ出した感じ。続く「季節」の景色が少しづつ変わっていくような繊細でいて、めちゃ力強い流れも最高。何だかあまりの心地よさに、脳味噌の中のトゲトゲしたストレスやら、心のつっかえやらが、溶けていって丸くなってく。
「安心。安心。」
って、鉄筋コンクリートのシロじゃないけど、そういう風に誰かと手を繋いでいるような安心感で満たされていく。「光と影」では、そんな感触が一気に加速して、意識がボーっとするほど。とにかく音が優しくて、ちょっと泣きそうになった。

そして、後半。
ポラリス史上一番BGMが速いであろう「瞬間」、無理なくただただ楽しく踊れる大曲にアレンジされた「天気図」、アンコール1発目のカワイイ電子音が鳴り狂う坂田さんのドラムソロ(毎回すごい!)。この流れはめちゃくちゃスリリングでテンションが上がりっぱなし!
それは、
「ポラリスが鳴らしているのは、ふわふわと浮遊するような異次元じゃなくて、日常の中の見逃している”ワクワクすること”や”大切なこと”に気付かせてくれるヒントみたいな音で、普段見ている風景が違って見えるような疑似体験をさせてくれるんじゃないか?」
という今まで感じていたことを、以前にも増して、しっかりと体感させてくれた気がする。
というのは、今まで流れていた違う時間をポラリス自らがぶっ壊して、現実の時間の中に戻ってきたのに、それでも依然
「何で、こんなに心地いいんだろ?」
という感触は、ちゃんと持続していたから。んで、ラストの「流星」。湯川潮音ちゃんをゲストに迎えて、お客さんと一緒になったコーラスが響きわたる。優しくて嬉しい、で、ちょっと切ない。

「地に足をつけて歩いていても浮遊することはできし、つまらないよーに映っている日常には、実はまだまだ未知の風景とか感覚とか瞬間がたくさん落ちている。」
そんな日常を確かに活きている音に心震えて、お腹いっぱい。