2005年1月16日(日)。

レモンジェリーの新譜『'64-'95』を聴いてます。

前作が大好きだったので今作も当然大好き!
かと思ったら、ちょっと肩透かしをくらった気分。
言い意味でも悪い意味でも、曲も音もすごくメジャーな感じになってる。
前作は精密に作られているのに、踊れるようで踊れないような、浮遊しているようで歩行しているような、そんな愛すべきどっちつかずな不思議さが個人的にツボだったんですけど、今作は全体的に洗練され過ぎたような。
クオリティという点では高くなったんだろうけど・・・。
前半とか「ケミカルブラザーズ?」かと思った。
いや、出来はいいんですけど、自分がレモンジェリーに期待していた音はこういうのじゃない気がして。 もっと、緩さと緻密な粗さ(変な言い回し)がほしいなー。
にわかファンの戯言です・・・。


2005年1月6日(木)。

ombを試聴したのだ。

生活音と生楽器と電子音を上手く重ねたエレクトロニカ。
ということだったので、気になっていたのだけど、その台詞通りの良い具合の音。
徹底して急速に盛り上がらすのを抑えたような淡々とした展開で、一見ダラけそうになるけど、よく聴いたら色んな音が緻密に鳴らされていて、実はおもしろいトコがたくさん。 時々何食わぬ顔でその弛緩を切り取るようなテンションもあって、おもしろかった。
こういう系の音を出す人っていっぱいいるけど、ささやかに個性的。
求心的な音楽に疲れた時に聴くといいかも。


CINEMA dub MONKSを聴きたい。
んですけど、ウェブ試聴とか探しても探しても、「ない!」
音源以上にライブを観てみたいんですけど、当分地元の沖縄でしかやってないみたいで。

”フルート、ウッドベース、パーカッション、サンプラーなど様々な楽器を巧みに操り、ジャズ、ヒップホップ、ブラジリアンなどの要素を織り交ぜたオリジナリティー溢れるボ−ダレス・サウンド”
って言われてますが、こういうのって分かるようで、聴いてみないと全然どんなのか分からない・・・。
何となく想像してみたりはしても、憶測が思い切り外れることも多いし。


2004年12月15日(水)。

灯りを少し落として、黙々と作業し続けている中。
dj klockの『human essence』というアルバムを流してみる。

日が沈むのを眺めながら、ボーッとその音に巻かれてみる。
硬質なビートが部屋の壁々にぶつかっては緩く弾んで、地面や自分の体内に浸透してくるみたいで、トロトロに。
dj klockが作るのは至ってシンプルに刻まれるビートを機軸にしたミニマルな音像で、鳴りつづけるリズムは時間を刻んでいるような聴こえ方がしたりする。
んで、時折曖昧で掴みにくいのに、どこか懐かしくって優しいメロディがとろける。
「あー、時間の感覚狂ってくるなぁ。くふふ。」
ガチガチになってた思考がふにゃふにゃになってく。

スピーカーから音が生まれ続けて、どこかで沈んでく。
「あー、この部屋だけ?」
「それとも、それ以上の空間に?」
どっちでもいいけど、時計の針が歪んだような時間が訪れて、何だか楽しかった。

無でも有でもない、その中間にある感触。


2004年12月14日(火)。

ザマギが気になる今日この頃。

”ザ・マインド・ギフト”を略して”ザマギ”って名前の由来からしてニャハハって引っかかってたんだけど、曲がかなりヘンテコで。
いや、”テクノ寄りの雑多なヒップホップ”でという説明がされれば、簡単に落ち着くのだけど、日本語のライムなのに翻訳が付いていたりして、
「この人達、ホントは何がいいたいんだろ?」
ということを考え出すと、途端におもしろくなってしまうん。 マジカルDEATH。


イルリメの新作がよいなぁ。

正直、今までのイルリメの音は個人的にはハマれなかったのです。
でも、新作はメルトバナナとかラブクライとかをサンプリングした(ラブクライに至っては思い切り)曲を筆頭に、すごく聴きやすくなった感じ。
あと、モユニジュモくんのラップって、絶対的に”疎”な質感なので、これまでは全体の聴き心地も”疎”で、楽しげなカオス具合が楽しかったんだけど、今回は
「あっ、しんみりもさせてくれるんだな。」
と思いました。”疎”なラップで切ないってのは発見かもしれんです。


2004年12月8日(水)。

声を発するタイミングに生まれる声。
というか、声を発する直前に生じる呼吸音のようなものに、ひどくゾクゾクしてしまうのです。 それが唄声であれば、尚更で。  息継ぎをして一旦絶えてしまった(かのように感じられる)唄をいう生命体が、次の発声によってまた息を吹き返す。 一瞬に生ずる音。
「ドキドキせずにはいられねー!」
その音は、しゅるりと耳に紛れ込み。 頭の中は未知と既存が入り混じったものへと向かう不安と嬉しさと好奇心でグルグルしてしまう。

今日聴いた、AFRAというビートボクサーの「DEGITAL BREATH」というアルバムのタイトル曲は、そんなブレスを主体に構成されていた。

人の呼吸と柔らかい電子音のメロディが絡み合う。
タワーレコードの試聴機の前で、感触というテープが巻き戻しと早送りを繰り返し、鮮明なものは何一つ分からなかったけど、何だかおもしろかった。

人の唄に少なからず感情が入り、人の唄が完璧に無機質でいられないのは、その基礎に呼吸があるからかもしれない。 人々は時間を消費していく過程で、呼吸に敏感でなくなるから、今も昔も人は唄を歌い唄を求めるのかもしれない。

息を潜めて、息の声を聴け?

呼吸はやっぱ生きてるんだよ。


2004年7月23日(金)。

「濱田マリって音楽やってたんですぜ!」

ということで、濱田マリ『フツーの人』。
この人と言えば、モダンチョキチョキズ。
それを知らなければ、「あしたま」のナレーションの人という認識しかないんじゃ? でも、音楽家としてちゃんとソロアルバムも出してて、これは1st(廃盤)。 「このアルバム、一昔前のベタベタなJ-POP一辺倒!」
かと言えば、決してそうじゃない。
かの香織作曲・菊地成孔アレンジ(!)のアコギと飛び音が涼しげな王道ポップ。 ヒックスヴィル全面参加のコーラスがノスタルジックな奥田民生のカバー。 ゴスペラーズをバックに従えた”NHKみんなのうた”ちっくで素朴な自作のアカペラ。 ECDプロデュースのオールドスクールなサンプリングトラックの上に、脱力とエゴが不思議な身近さで交じり合ったラップ(語り?)が転がる異色曲。 と、よく考えてみれば実はかなり豪華でちとヘンテコな内容。
特に、森岡賢と藤井麻輝(って、ソフトバレエやん!)による、透き通る音像にウィスパーな歌が溶け合う「透き夜」では、その名の通りシンとした夜の空気感を丁寧に作り上げていて雰囲気たっぷり。
さすがに時代を感じる音使いも多数あるけど、”頂けない”古臭さはない。
それは、全体的な音の多様性と、濱田マリの” 声を張り歌い上げるディーヴァ的な上手さはなく軽いが、馴染みやすく音程は外さない歌唱 ” にあるのかも。 キャラのタイプは全然違うけど、野宮真貴系統のヴォーカリストだと思う。
そして、何より最後のビッケ作詞の「天国を仰ぐ島」が名曲なのです。 ゆったりとした音数を絞ったバンド演奏で、そっと歌われる ”ずっとずっと思いはせてた永遠に 午後の島で繋ぐ手をはなさないで”という一節。 トゲトゲを洗い流すような解放感に清々しい安堵。
日本でしか生まれ得なかったであろうポップミュージックという意味合いでも、中古屋で捨て値で売られてたら、手にとってみて損はない1枚。


2004年6月17日(木)。

「夕飯を作るみたいに楽器を弾いて歌う感じ。」
 OWENの『the ep』。
OWENというのは、Joan Of Arcで有名なキンセラ兄弟の弟さんのソロ名義で、
最近新しいEPがこっそり出てました。
印象的なギターのアルペジオはエモやポストロックの面影を感じさせるけど、
基本は丁寧に紡がれたのが伝わるキレイなメロディと歌を大切にした素朴な音。
でも、リズムがさりげなく変拍子でめちゃくちゃ凝っていたり、
そっと様々な楽器の音が表れ、混ざりこんできて、
パッと聴きはさっぱりとシンプルなのに、とても豊かな質感。
また、”人が奏でている”という息遣いみたいなものも残っている。
そこにOWENの肩を張らない、誰かと会話をするよーな、
淡い歌声がザラザラ溶けて、スーっと音に包みこまれるような空間が鳴り出す。
聴いてると、何だか柔らかくて優しいのに、ちょっとだけ悲しかったりもして。
OWENという人によって音楽ってのはとてもいい距離感で、
生活の中にあってしかるものなんだろうなぁ、と思う。


2004年6月7日(月)。

「茶の味」という映画が初夏に公開されるらしい。
正直、現在の情報だけではストーリー自体には興味が沸かない。
でも、音楽が良さそう。 全編、LITTLE TEMPOが担当していて、
HPでリトルテンポwith藤田陽子の主題歌が聴けるのだけど、
この曲だけのためでも、サントラ買ってもいいくらいの勢い。
藤田陽子、前作でもリトテンプロデュースで歌っていたのだけど、

このアルバムはやたらとドスが効いてました。 色で言うと透明な灰色。
風景で言うと薄暗い竹やぶ。 状態で言うとその竹やぶで迷子。
ややへなちょこな歌とは反比例するダビーな音が墨汁みたいに滲み出てくる感じ。
だって、曲名からして「イカレポンチのブルース」、「狂言」、「まどろみ」。
でも、今回はやたらとのーんびりと柔らか。
適度な湿度が逆に気持ちいい聴き心地。


2004年5月31日(月)。

ココ数日遠い遠い場所に想いをはせているんです。
理由も原因もないんですけど、何処か遠くの場所に意識が行っちゃってる。

juana molina の 『SEGUNDO』
を聴いてみたら、
余計にその気持ちが強くなってしまいました。
「フアナモリーナの音は民族音楽とエレクトロニカが合体したような。」
なんて言うと胡散臭いやん!
と怒りたくなる位に、素朴で手作り感の残っている電子音と
ぐにゃぐにゃとした歪みを含んだ生楽器の音色が浮遊する優しい音。
焦点があるのかないのか曖昧なフアナの話しかけるような歌い方も相まって、
はまってくると、今何時なのか、ココが何処なのか分からなくなります。
宅録が基本な音楽だとは思うんですけど、
その宅録具合が日本のそれとは明らかに違う雰囲気。
まるで高山の一角でフィールドレコーディングしたような、
ちんまりとした宅録感はあるのに、密室感はほとんどなくて、
おもしろいほどするすると空気が抜けていく自由な空気がある。
ちなみに、オフィシャルHPも絵本の世界のようでとてもカワイイです。
(ただ言葉がさっぱり分からんが、、、。)


2004年5月21日(金)。

harcoの新譜『Ethology』が良い。

harcoと言えば、一昔前は宅録の王様って感じのイメージがあるのに、
聴こえ方は決して宅録臭くないという何処か掴めない音を鳴らしていた。
そして、カリンバ、マリンバから、環境音まで、異常に音数が多いのに、
それらが喧嘩しないように配置されたアレンジに一番の魅力があったと思うのだ。
でも、今回のミニアルバムは少し違う。
ヘタウマ気味な味のある歌その物の表現力がさりげなくとても上がった。
harcoの描く世界は、”よく分からないようですごくよく分かる”。
言ってることがめちゃくちゃだけど、そんな気がするのだ。
現実が複雑にどんどん入り組んでいくのに対して、
harcoの歌う光景は、どんどんシンプルになっているような気もする。
しかし、忘れてしまいそうな微々たる今日の変化は見事に切り取ってくれる。
中には忘れてしまいたい倦怠に巻かれるような嫌な感覚もそっと切り抜く。
なのに、全然重くならない。
むしろ何処か摩訶不思議に軽く聴かせてくれて、何だかホッとしてしまう。
ジャケの川内倫子の写真と共に、ふと手にとって再生ボタンを押してしまう1枚。

あと、この中の「お引越し」という曲のPVが楽しい。
あがた森魚が喫茶店の店長をやっていたり、
Quinka, with a Yawnがその店の客として座っていたり。
ショートムービーのような構成もステキです。


2004年5月19日(水)。

「100万枚売れてもいいよ、きっと。」

Brownieの『B for BROWNIE #1』

全体的な音は、チボマットとかNIRGILISとか好きな人なら多分気に入るよーな、
多彩なアイデアを絶妙に組み上げたストレンジさが癖になる感じなんだけど、
このバンドが破壊力抜群なのは、何処かトボケタ女の子の声で歌われる世界観。

” 目が覚めて考えた  今日も手足動かさなきゃ  かったりーな
  クビでも吊ろう  やっぱヤメタ  遅刻する前に起きよう ”

ね、キテるでしょ?
「でも、これが現実なのかもしれないよ。」
なんてこともちょっと思うから、くふふって笑ってしまいます。
それは、カラッカラに乾いてて悲しい笑いなんだけど。
でもね、NewsのCDがバカ売れするなら、これもバカ売れしていい気もしたり。
小学生はちゃんと知ってるぜ。この世の中がヤバイってこと。


2004年5月18日(火)。

「いきなり「helpless」って曲から始まるから。」

American Rock 『Promised Land』

アメリカンロックというのは、松田尚吾という男の人の1人ユニットなんだけど、
もうこの名義での活動は終了しちゃったみたいです。
女の人かと聴き間違えるような、今にも消え入りそうな歌声が、
打ち込みと生音が緻密に編み込まれた音に絡む様子は、
すごいキレイで、一見無菌室のような雰囲気。
ただ、そんな外観に反して、この世界の内部はやたらと生々しい。
だからか、聴いてると、治癒されてるよーで実は刃物で刺されてるよーな、
何とも言えない変な気分になってくる。
「繊細なのに過激、もしくは、静かに攻撃的。」
アメリカンロックなんて名前は、とても皮肉めいていると思うのだけど、
ある意味、嫌なほど的確なネーミングのような気もする、そんな音。


2004年5月13日(木)。

BGMは、SPANOVAの『Fictional World Lullaby』

テレビで青色とか緑色の発光する液体が入った注射器を見た。
ナゼかとても懐かしい気持ちになった。
自分の頭の中にあるノスタルジアの1つとして、
研究所みたいな施設の中の、薄暗い階段というのがある。
これは幼い頃から不思議と絶対的であって、
それが注射器に入ったケミカルな液体への郷愁に繋がったのかも。
”近未来”っていう言葉や表現は、実は一種の”ノスタルジー”で、
そのノスタルジーはきっと叶わなかった光景への憧れなんだよ。


2004年5月11日(火)。


NRGILIS
の『テニス』というアルバムをレンタルしたのですが、
2曲目の「アカリ」が、冒頭から最後まで続くミニマルなフレーズに、
スティーブ・ライヒの「Six Marimbas」の影響をビシビシと感じさせる出来で、
知らん間にリピートボタン押しちゃってます。
(そう言えば、音色もマリンバっぽいなぁ。)
他の曲にも随所にミニマルっぽい要素が見え隠れ(聴こえ隠れ?)。
と言っても、NIRGILISは歌物で曲の展開もはっきりしてるんだけど。
歌声はちょっと粘り気があって、Charaっぽい。

と、オフィシャルHPを見たら、好きなアーティストにLaB LIFeの名前が!
七尾旅人と並んで我的高校時代の双璧を成す音として、
懐かしくなったので、LaB LIFeの『PLANET HEADPHONE』を聴き返してみる。

「あー、やっぱりいいー。」
音に耳をくすぐられてるよーな感触がする。
昔の光景が車窓から見える感覚がする。
電子音と生音がニコニコと握手しているような音が満載。
そして、オオヤさん(現Polaris)の歌はやっぱり淡々と切ないなぁ。


2004年5月3日(月)。

高木正勝の『opus pia』というCDを探しているのだけど、なかなか見つからない。

carparkっていう海外のレーベルから出てるんだけど、
レコード屋のこういう音に詳しい店員さんに聞いたら、
「carparkのタイトルは結構すぐに廃盤になりますからねぇ、、、。」
なんで、それほどこの音源がほしいかというと、
日常の雑音が音楽になりうるのを、すごくポップに提示してくれてるから。
ほらほら、音楽を消しても音楽は流れ続けてるんだぜ。


2004年5月1日(土)。

「ポカポカ陽気の中、散歩する心地な音。」

Sondra Lercheの1st、『Faces down』

この音は何というか、もう全てがポップな気がするのです。
ポップ・ミュージックっていうカテゴリーを規定するのは、
とても商業的で陳腐な気がするのだけど、
このアルバムは、大声で「ポップ・ミュージック!」と言いたい。
耳障り抜群の丸みを帯びた、開放されるような曲展開にワクワク。
ちょっと頼りない、良い意味で強度がない、優しい歌声にワクワク。
音的には直球ながら、意外と色んな小技が効いてるんだけど、
メロディは「これでもかっ!」ってくらいに真っ向から聴き易くキレイ。
歌が主体でこんなにさりげなくツボを刺激してくれる音は、実は希有だと思う。
ヘッドフォンして自転車で駆け出したくなります。


2004年4月3日(土)。

「無人島に行ったら、優しいオバケがいました。」

シガーロスと並ぶアイスランドの有名バンド、MUMのニューアルバム『SUMMER MAKE GOOD』。 アイスランドの東北部にある人里離れた灯台の中でレコーディングされたという今作。
前作までの、柔らかく淡い夢でも見ているかのような幻想的な暖かい音から一歩足を踏み出して、陰陽の強い、灰色と黄色の絵の具を空いっぱいに搾り出したかのような世界感。 どこか非現実的でありつつも、ゾクゾクしてしまうほどのリアリティと確固たる輪郭を持った音達。
デジタル処理をほとんどせず、自然のノイズを刻銘に取り入れた融合感は、
本来雑音であるはずの音が命を吹き込まれたかのように、瑞々しい感触で聴こえてきます。
その音に溶け込む、か細くポッと浮かんではすぐに消えていくような歌声も、何だかとっても儚い。 なのに、閉鎖的や終末感は全くなく、弱々しいのにとても力強い活きている空気がたゆたっている。
どこかにある遠い場所と、自分の居る現在地を繋いでくれるような一枚。


2004年3月26日(金)。

新興住宅街がどうも苦手だ。
あの隙間や余分なスペースのない、味気や柔らかな質感のない、合理的や利便性という点にだけ重点を置かれたシステム。 外見は確かにとてもキレイなんだけど、同時にとても不気味。人が住んでいるはずなのに、人が活きている気配が感じられない。
「ここはゴーストタウン?」
と言いたくなる雰囲気に陥っている地域も少なくない気がします。 かくいう、自分の住んでいる近くにも、思い切りそんなベッドタウンが。 今日は、終電がちょいと遅かったから、京都南部から奈良にある我が家まで、その一帯を通過する、約3時間の帰り道を実行しなくてはいけませんでした。
「あー、あの辺りを通るのやだなぁ、、、。」
と、ヘッドフォンを着け、足取りも軽く歩き始めた時に、早くもちょい憂鬱に。 しかし、丁度その辺りに辿りついた時に聴き始めた1枚のCDによって、”人工的な構造物の中を黙々と歩く”はずだった行為が、”チープなゲーム感覚に溢れた、妙に楽しい散歩”へと変貌したんです。
その音楽とは、Cha pari という人の『UTA』というアルバム。

かわいいサンプリングポップにエレクトロニカをてんこ盛りにしたようなこの音。 女の人の完全1人ユニットで、録音やミックスはもちろん、サンプリングの元ネタも自身で作曲した物というこだわりよう。 インベーターゲームやファミコンのスーパーマリオの世界、または巨大な雑貨屋の中に紛れ込んでしまったような感覚になるこの音達は、すっごくカワイイのに、奇妙に歪んでて、でもやっぱカワイイ。 特にテンポのいい曲では、その無邪気な狂気が炸裂する空気に、ついつい突然走ったり、くるくる回ってみたり、音に合わせてはしゃぎまくり。 客観視すれば、怪しいであろう状態も、この人気のないベッドタウンでは、平気平気。 いや、むしろその人間味のない殺伐としたシチュレーションが逆に効果的。 途中の山道でもその勢いは止まらず、前を歩いていたB-BOYな兄ちゃんを横目で追い越し、ペンギンウォーク(自分で命名)をたっぷりと披露。
「昨日さー、夜中帰ってたら、ちょいラリってる奴が通ってさー。」
なんて、こうやってたまに羽目を外してみるのもいいもんで。 普通に考えたら苦痛な3時間の徒歩での帰宅も、楽しくなったわけだし。 これくらいの迷惑にならないはっちゃけは、余地のない作為的な空間に、飲み込まれないための手段の1つとして、有効ではないかと。
「ケミカルなもんにはケミカルな気持ちで対抗せよ!」
最後で聴こえだした、キレイな多重コーラスが織り成す曲に、ふと落ち着くと、「まだまだ、現在の病を軽くするコツは幾らでも転がってるんじゃねーの?」なんて、少しだけすがすがしい心地になったのでした。 無論、”足が棒”になったのは言うまでもないけど、、、。
「日々に溢れる音にステップ踏んで、リズムとろーぜ!」


2004年3月24日(水)。

Ilmari(RIP SLYME) × Salyu(リリィシュシュ)

の異色(?)コラボレーション曲、「VALON」を聴きました。
てっきり、イルマリが ”歌っている” んだと思っていたんだけど、控えめなラップで。 Salyuの独特な歌を中心にした曲の全体像からすれば、このくらいが馴染みやすく、妥当なラインなんだけど、もっと冒険してほしかった感も否めなく、ちょっと期待外れでした。
つまり、 「別に他の誰かでもよかったんじゃない?」
なんて言わせてしまう弱さが、このコラボの負のポイントではないかと。
とは言え、Salyuの歌の質感は不思議なものがあります。 ”和製ビョーク” と言われそうな雰囲気は、もちろん非常にしますが、この人の声には、それとは違った物も内包しているんじゃないでしょうか。
「リリィシュシュのすべて」 は、なるべくしてカルト的な極地的人気を得たような映画で、そのイコンであるリリィを担っていたSalyuの歌には、映画同様、”救われないが、とても綺麗。” な世界が形成されていると思ったり。 架空の1stアルバムという位置付けで出された 『呼吸』 は、その空気で満たされたものであり、音楽に ”引きこもり系” や ”殺伐としたモラトリアム系” というものがあれば、正しくそうだった気がします。
しかし、久々に表立った活動をした今回のSalyuは少し違う。
この人自体の歌の世界観は、さほど変わっていないけど、イルマリという ”ある種のメインストリーム” なキャラと場を同じくすることによって、以前の ”残酷で綺麗な閉鎖感” は、ぐっと後退した印象がするのです。
映画では、田園風景が広がる中に住む思春期の少年の絶対的なリリィシュシュ、という、土台が(出来過ぎた)イノセントな架空であったのに対し、この曲には、そういった背景が全くない。 というか、イルマリという現実の人物とコラボすることによって、Salyuは、公において、リリィという対象から実在の人物になれたような気すらする。 特に、曲の後半で、イルマリが歌い出しデュエットになる時、歌いなれていないイルマリの素朴な声が、Salyuの世界観に押され気味ながらも、その空気を外へ開放していく。 2人の声質の混ざりは、音的には違和感があるのだけど、その違和感が、幻像を現実にゆっくりと戻していくような感じで、新鮮だった。
「夢から醒めて、引きこもるのも終わった。」
とでも言わんばかりの、この失敗作は、実は異型な成功例でもある気もするので、この延長でアルバムでも作ってくれれば、おもしろいかもしれません。


2004年3月13日(土)。

中学の時に、嶺川貴子の

『roomic cube 〜a tiny room exhibition』
というアルバムを聴いたのが、
似非・音楽ジャンキーになったキッカケの1つだったりして。
当時、全く音楽に興味のない奴だった自分が初めて、
「あっ、音楽って音の1粒1粒がおもしろいものなんだー。」
などと、意味不明なことを思い、ドキドキしたのが、この音達。
そっから、現在まで続く、よー分からん音楽鑑賞歴が形成されるわけで。
今でも、このアルバムを聴くと、すごく懐かしく、同時に未だ新鮮。
「あー、今日は天気いいなー。」
って、無性に自転車でもこいでどっかに出かけたくなる。
太陽の光ん中で、こっそり記憶が再生していくよーな気分になる。
と、嶺川さん、音楽活動は相当ご無沙汰。 新しい音源出してほしい。


2004年3月12日(金)。

「パソコンの中に人が入って演奏してるよーな音。」

Collections of Colonies of Beesの「EYEBLOWS.」

大好きだったインストバンドpeleが解散して、
ほぼ同じメンバー(ベース以外)で結成された、このバンド。
”蜂の巣の収集”という趣味の悪い名前とは裏腹に、音はすごく魅力的。
もちろん、peleの流れるような疾走感の分かりやすい根源であった、
ギターの奏でるアルペジオは 「気持ちいい!」 の一言。
ベースという低音と流れるようなダイレクトな心地よさを失った代わりに、
より自由により実験的に分裂気味になったリズム。
(なのに、以前として聴きやすいのは見事。)
”実験的でフリーキーでアヴァンギャルド。”
というと、何とも胡散臭いのだけど、ココで鳴らされている音は、
「夜中にこっそりと音で遊んでいたら新種の生き物ができていた。」
とでも言いたくなるような、不思議なぬくもりと、生活感が感じらるのだ。
ラップトップを基調にした音響に系統しそうな、
本来密室感が漂いそうな音なのに、実際は複雑ながらもとても開放感に溢れてる。
何より、この音をバンドという形体で鳴らしてることに興味を覚えずにはいられない。
んで、「無理をせず、メンバーが楽しんで演奏した結果の音。」
の1つの結晶が、この「EYEBLOWS.」なのかも。
あー、ライブしに、来日してほしいもんです。
METROアンデパンダンfireflyなどで、深夜に観たいなぁ。


2004年3月11日(木)。

アルファのニューアルバム「SUSHI BOMBER」。

「このジャケはなしだろ、、、。」
と思い、買うのを敬遠し続け、やっと友達からCDRで貰って聴きました。
音は前作よりもチープに、しかし複雑に聴こえる。
ラップは前作よりも密度が上昇、しかしシンプルに聴こえる。
という、何だか煙に巻かれたっぽい聴き心地。
んで、アルファはヒップホップでもテクノでもないよーな気が強烈にした。
(テクノを基盤にしたヒップホップだとは思うんだけど。)
というか、この音はいい意味で変態。
「どこまでが本気で、どこまでがギャグなのか分からない。」
そんな限界ギリギリの、直球なふざけ方。
「けど、歌詞カードの表記が全部ローマ字なのはなしだろ、、、。」
そう、このアルバムの歌詞カード、全てローマ字で書かれているのです。
しかも、ラップなので言葉の量は膨大。 ゆえに、
「日本語なのに、解読できない、、、。」


2004年3月2日(火)。

先月末の給料日に思い切った買い物をしました。 amazon.comで。

スティーブ・ライヒのBOXセット

以前から「ほしかった。」、このブツが本日家に届き、
我が部屋に大ミニマル旋風が到来していることは、言うまでもありません。
徐々に異世界に染み込んでいくような浸透感と、
それに伴う酩酊感とでも言いたくなる、微量の高揚感。
いつの間にか目の瞬きとミニマルなフレーズがシンクロしてきたりして、
何とも、摩訶不思議でおもしろく、変に心地いいんです。
「あー、じわじわ。」


2004年2月25日(水)。

RAYMOND TEAM の新曲 (←オフシャルHPで試聴可!)。
ここ数日、深夜バイトの帰り道に、こればっかりを聴いている。
「なんで?」
って、この曲を聴きながら歩いていると、
移り変わっていく視界がカットアップされバラバラになって、
また、元に戻ったり離れたりするよーに感じられて、おもしろいから。
つまり、自分の中の視覚のポイントが変化していくってことで。
目の前の景色が、映画の一場面や、
脈略のないコンピューターグラッフィックになる錯覚がして、ワクワクなのである。

ラップトップで作られているエレクトロニカっぽい密室で静謐な音で始まる曲は、
いつの間にかバンドの音が混ざり、歌が入り、機械と人力を行き来してる感じ。

去年のアルバム(↑)で、RAYMOND TEAM は、
長く長くひたすらミニマルな音を軸にして、ゆっくりと大きな波を作り。
夢見心地でありながらも、身近で愛着の沸くキラキラした世界を体感させてくれた。
けど、今回の新曲はちょっと違うものに進化してると思う。
それは、”非現実”だと見えていた空間が、
現実の中に、こっそりと流れ込みだしたとでも言いたくなるもの。
例えば、ドラえもん的なロボットが実際に誕生して、歩き出したというか。
平穏な空想が、次第に輪郭をなしていった過程というか。
このどこでも鳴らされているようでいて、新鮮で瑞々しい音は、
不思議な耳触りで、生活に無理なく溶け込んでくれるもんだと思う。
それって、 「何か、嬉しくなる音。」


2004年2月23日(月)。

RIP SLYMEの新曲「DANDELION」が好き。

思い切り反則な気がするけど。
すでに、この音はヒップホップじゃない気がするけど。
いや、これはもうヒップホップ的構築のされ方のポップな気がするけど。
いいのもはイイのです。
んで、リップは今まで(特に売れてからは)、乾いた笑いと冷静な分析みたいな、
高度な技を使いまくって、ある種、人を食ってた感じがしてたんだけど、
この曲は、ふざけながらも死ぬほどマジで、直球。剛速球。
だって、 ”Everybody is the sunshine.” ですぜ。
「ONE」のサビ ”それぞれ1つのlife。” でも、引いて見てた感があったのに、
これは続く言葉が、
”誰もがみんなflower。 Everybody needs my sunrise. 風の中に。” だもん。
楽しい曲調なのに、何かしんみり来るし。
不協和音な要素もちゃんと入れてるし。
感動でも何でもなく、ただジーンと来る感覚が流れてくみたいな曲。
(極論を言うなら)たくさん売るための曲が、人に寄り添おうとする状態は、変。
「でも、怖いくらい好き。 泣く!」


2004年2月11日(水)。

「人の気配がしない音。」

Yabemilkの「Sweet Flavor」
というアルバムを聴いていて感じたこと。
無機質な電子音が奇妙に重なり合って、戯れている様子は、
何だか全く人の雰囲気がしない。
Yabemilkという人が作っているはずなのに、その過程を想像させない。
あたかも、 「音が勝手に遊びだして、ひとりでに組み合わさってできちゃった。」
というような、突拍子の連続なねじれた空間。
CDの帯に”人工着色料100%サウンド”って書いているのだけど、
この人工感は、むしろ無人工であって、
人によって作られたものが人の手を離れたいったもののよーな。
部屋の電気を消して、真っ暗にして聴くと、
6畳くらいの広さでも迷子になりそう。密室迷子。


2004年2月9日(月)。

ASA−CHANG & 巡礼 featuring 小泉今日子 の 「背中」。

今まで聴いた小泉今日子の唄で一番好き、ダントツに。
「ってか、これほどこの人の声質を活かした音は以前にはなかったんじゃない?」
と、思ってしまうほど。

パッと聴こえは、ねじくれてて曲がりくねってる妙な感じ。
毎回恒例であるように、斬新なアイデアを鳴らしてて、
今回のリズムと言葉がシリトリしながら繋がっていくよーな展開は、
一瞬迷宮にでも迷い込んだかのよーな感覚になりそう。
でも、聴けば聴くほど、じわじわ効いてくるのだ。
んで、「背中」はヘンテコで、悲しさとか切なさを通しこした感じすら漂ってる。
と言ったら、まっさらな真空状態なのかというと、そうではなく。
何かが行儀よく自分の体の中に入ってくるよーな感覚。
その何かはまるで生き物みたいで、体内で増殖してく。
だから、聴き終えた後に何とも煙に巻かれたようでいて、
いい湯船につかっているみたいな肩の力の抜けた確かな余韻が残る。
「意味もなく涙が出る。」 とかいうのがあるとするなら、これはそういう状態になる音。
そうそう、日常に降っている音。


2004年1月29日(木)。

RIP SLYMEの「白日」という曲が好きなのです。
「癒しブームの次は脱力ブームが来る!」
と、去年から細々言い続けていたりします(結構マジ)。 脱力 to 脱力 from 脱力。
脱力ってのは日常にころがっとる
”おもしろいはずなのに忘れ去られてる感覚” を拾うために有効だと思ったり。
あと、「癒し癒し癒されまくって疲れた貴方に脱力を!」
って感じで、次世代ムーブメントは脱力だと思ったんですが、やっぱ錯覚。
かもしれねぇーですね、、、。
しかし、癒されるために頑張るという行為はいかがなもんなんでしょうか?
リラックスした状態になろうとした結果、興奮状態になってるんですよ。
何かおかしくない?

立花ハジメとLOW PAWERSというバンドが1枚だけアルバムを出してるんだけど、
これが、もう強力な脱力感でいっぱいの音。 さらに、
「ハイハイし始めた赤ちゃんが哺乳ビンで、悪の怪人をぶったおしてくれる。」
といったよーな、ありえなく妙な空気が強烈に漂ってます。

ヴォーカルの女の子は、はっきり言って歌が下手くそなんだけど、
何とも、不思議な説得力がある。
他のバンドメンバーは、立花ハジメや大野由美子(バッファロードーター)。
って、当然上手いし、オイシイツボをつく演奏。
のはずが、ヴォーカルの女の子の雰囲気が強くて、ヘロヘロに聴こえたりも。
「この真剣な脱力感は、やっぱ!」
流行らないのかもしれない、、、。
だって、このアルバム、97年に出てるんだもんな、、、。


2004年1月13日(火)。

三太さんに勧めてもらって聴き始めた、Nick Drakeの『Pink Moon』

「すっげー病んでるのに、なんでこんなに穏やかなんだろか?」
そんな歌が波のような反復感で浸透してくる感じ。
こんだけ独特の空気が充満した弾き語りのCDってあんまりないと思う。
あたかもすぐそこで歌われてる雰囲気すらして、ゾクゾク。
「あー、頭ん中が知らぬ間にラリっちゃいそだ、、、。」
狂気スレスレの徹底した穏やかさ。冷たいあったかい。

と、近頃、何だか改めて
「人の声って凄いなぁ。」
って、当たり前のことを思う。
” ポケットはビスケの粉だらけ〜 ” って歌う時の七尾旅人の声とか、
 
湯川潮音
の「かたち」って曲の最後のハーモニーだとか。
歌って人の呼吸の延長上にあるような気がするから、
シンプルでいて豊かな歌を聴いてると、ふと自分の呼吸を思い出して、
「うわっ。」 って、ドキドキしたりする。
普段忘れてる重要なことに気付くような感じがするから。


2004年1月12日(月)。

「白日だったぜぃ!」
と、小人(誰だか分からん)が自身満々に言っておった。 なので
「電車はちゃんと大人料金払えよー。中学生過ぎてんだからー。」
と言っておきました。
そんな具合で1日体調悪くベッドの中でぐってー。
更に、部屋にFOEを流してみると、

重いギターの音で意識がより曖昧になって、何だか気持ちよかった。
けど、何か懐かしくて悲しかった。


2004年1月9日(金)。

久々に少年ナイフを爆音で聴いてみた。

「ギターのジャカジャカ最高!」
と、非常に単純で直球な感覚に陥っておもしろくなった。
「うわっ、バンドっていいなぁ。」
少年ナイフを聴くと、いつもふとそう思う。
もう20年以上も続いているこのバンド、メンバーは大阪のおばちゃん2人。
なのに、この新鮮で可愛らしい初期衝動はなんだろ?
” ギターを持って最初にジャーンって鳴らした時のワクワク感 ”みたいなものが、
この下手ウマな演奏と歌からは、鳴りまくってる気がする。
それは、何だかちっちゃくて生命力に溢れた生き物が宿ってるみたい。

PAVEMENTと少年ナイフを足して割ったよーな、
ヘロヘロかつ、ギターの凶暴なザラザラ感のあるバンドがやりたいなぁ。
んで、ヴォーカルの子がこう歌うのだ。
「俺は方向音痴!」
何となく何となく、具体的になっていくような空気の中でさ。


2003年12月12日(金)。

先日、milky-chuという人のアルバムをレンタル。
ぱっと聴きの印象は、” 異常に目まぐるしくて、ひたすら楽しいカーニバル ”
とでも言いたくなる電子音が、CDコンポから連射されるような感じ。

なのだけど、この遊園地のエレクトリカルパレードっぽい世界観の音は、どっかとてもシニカル。というか、毒々しい何かが渦巻いてる気もする。
それは、遊園地その物の陰陽とでも言えるような。 めちゃ楽しくて一見ドリーミーな世界なんだけど、実は極めて人工的で寂しい現実みたいな。 電飾が降り切った後の誰も来なくなった遊園地で、機械だけ陽気に動きつづけてる、そんな光景。
人影のない無機的なものから漂う、” 寂しい ”って感覚。

同時に、HONZIという人のアルバム「Two」もレンタル。
語りかけるような歌と少ない音数で構成された世界は、何とも懐かしく、そしてどっか” 寂しい ”感じ。

けど、この” 寂しい ”がmilky-chuのそれと同じかというと、全然違う質感。
全然違う肌触り。全然違う世界感。 隙間と人が弾いた感触がしっかりとあるバックの音に乗って、ひたすらキレイなメロディが浮かび上がると、何だかちょい泣きそう。 それは、懐かしくもあるんだけど、 そういう懐かしい風景を喪失してしまった” 寂しさ ”が鳴ってる気がする。
人の温度と人のいる生活から漂う、” 寂しい ”って感覚。
(そんで、ひっそりと優しい優しい。)

この2枚を続けて聴いていると、あたり前な話、” 寂しい ”っていう感覚1つでも、色んな” 寂しい ”があるんだな、って。 このことは、”楽しい ”や” おもろい ”など様々な感覚で同じことが言えそう。 んで、言葉というものはたくさんあるけど、世の中には言葉という形になってない物もたくさんあるとも思うんです。 そういう物や感覚を表すには、例えば何万字も必要かもしれないし、大量の単語を用いなくてはならないかもしれない。 でも、果たして、そうして生まれたものが、自分の意志と全くそぐわなく、そのものをちゃんと言いえてるかというと、、、。
「結局は、近似値で何とか表してるんじゃないんかな?」
って、感覚と言葉が終わりのない追いかけっこをしてるみたいじゃね?
追いかけ続けても、堂々巡りで、ぐるぐるしそうだ。
ただ、そういう言葉になっていない何かに、嬉しくなったりすることや、助けられたりすることがたくさんある気も、確かにするわけで。


2003年12月6日(土)。

最近、soraの「re.sort」というアルバムにはまり気味。
世間的にはエレクトロニカと言われるような音で、
京都の男の人の1人ユニット(?)らしい。

soraによって発されるのは、安定感があるのに、飽きさせない。
突然、音も構成も急展開したりするのに、すんなり耳に馴染む聴きやすい音楽。
それは、人懐っこくて、知らぬ間にふわふわと空気に溶ろける、
「機械を使って作った日常の音(素晴らしき雑音含む)。」のよーな質感。
個人的な感想なんだけど、これって、とってもおもしろい。
機械という電子音という、意図的で人工的なものを使って作ってる音が、
無自覚である日常で鳴っている音であるように聴こえるってことが。

逆に言えば、それだけ自分の耳ってもんの機能が退化してるのかもしれなく、、、。
「いつもいる部屋で、テープを2時間回して録音してみた。」
多分、聞こえてない(聞こえてるけど気付いてない)音がたくさんあるんだろうなー。
かといって、日常茶飯事、電子音が鳴っているなんて感じねーけど(当たり前)。
けどね、「気付いてない音を、容易に気付く形に変換してくれた。」 ものが、
こんな音楽なんだろうなって。

壮大な誰も体験したことのない世界観を作り上げる音楽は無論素敵だけど、
なんでもない日常が自然とにじみ出て漂う音楽も大切。
というか、そういう手作り感のある、
作り手(演奏者と置き換えても可)の体温が伝わるような音が好きです。
熱い音っていうのとは、またちょい違うあったかい音っていうかね。そういうやつ。
んで、「実はその辺の公園は、遥か彼方の宇宙と繋がってるかも。」 とか。


2003年11月5日(水)。

限りなく現実的で、限りなく夢見心地。
大好きなPolarisの今日リリースされたアルバム『Family』を聴いて、思ったこと。

ポラリスのCDは音がくぐもって始まったりする曲がある。
一瞬。「あれ?音圧弱い?」と思ったりする。
でも、それが音に大きな奥行きがあるから、と気付く瞬間にドキドキ。
曲々によって音圧に差があるように一見思えるも、
盛り上がる部分では全て同じラインにまで到達している。
「耳に新しく響くCD。」 なんて気がする。
「耳の中で音が構築されていくCD。」 というか。

めまぐるしく色んなタイプの音が入ってくるけど、時間の流れは常に緩やか。
しっかり歩いてる。いや、しっかり漂ってるのかもしれない。
んで、時に踊り狂いたくなるもなるリズムで満ちてる。
ポラリスの音楽は分かりやすく劇的ではないし、強烈な風景も描かない。
ただ、何も変わっていないように見える日常の景色がちょっと違って見える。
はっきりと見えてるのに、少し忘れていたような何かがボンヤリ浮かぶ感じ。
そんな穏やかさがどんどん広がっていって、、、。
つまりは最高だって言いたいわけなんだって!


2003年8月22日(金)。

個人的にずっと特別であり続けるであろうアルバムって、
多くないと思うんですよ。むしろほとんどないと思う。
今日聴いたRAYMOND TEAMの1st album『RAYMOND TEAM』は、
正に自分にとってそんな存在でした。

メンバー自身と身近な友達がmixやmasteringをしてるらしく、
音質は手作りのいびつさとか至らなさが多く残っている気がする。

けど、素朴な音の1つ1つから溢れる暖かさはなんでしょ?
このアルバムは決してメジャーなもんではないと思う。
とってもアマチュアちっく、でも、最高の素人なのだと思う。
音が演奏してる人の鳴ってほしい形で鳴っているというか。
作り手の気持ちの中から、ちゃんと音が鳴らされてるよーな。
つまりは、すごく大切に音が扱われてるんじゃないかってことで。

この近所の兄ちゃん達が鳴らしていそうな音々は、
変にかしこまって生気を失うことなく、
しゅわしゅわふわふわ広がって、静かにぱちぱち弾ける感じ。
そんで、何だか少し安心して嬉しくなるのだ。
あー、いいものを聴きました。

※ 補足
  あえて言うならポストロック+多少轟音って趣の音です。
  全体的に歌が中心ではないけど、歌声最高。