2004年6月25日(金)。
韻シスト
@心斎橋クラブクアトロ


「夕方になっても夢中で遊んでいた頃の感覚。」
さて、今年2回目の韻シストのワンマンライブ。
「今日は感想書かないかなぁ。」
なんて思っていたのだけど、書かずにはいられない!
だって、(私的な話だけど)この日の正直乗り気ではなかった憂鬱な気分を2時間の間すっかりと何処かへ吹き飛ばしてくれたのだから。

今回、韻シストはとてもレベルアップしていた。
まず、演奏のグルーヴが驚くほどに迫力のあるものへと豹変していた。 それは、最初に3MC以外のメンバーが出てきて、軽くジャムった時点で明らかで、演奏が始まったと同時にすっかり流れるような緩さと、目が覚めるようなタイトさが巧妙に織り重なった空気にはまり込んでしまった。 (特に心地よすぎる流れるような低音を奏でるベースといったら!) 無性にワクワクしてきて早くも踊ってしまう自分。 会場のクアトロは9割以上の入りで熱気で溢れていて、地元のせいもあってかお客さんも最初から盛り上がりまくり。
そこに、登場、BASHI、サッコン、FUNKY MCの3MC。 いっそう大きくなる歓声。
3MCによるマイクリレーも今まで以上に息がぴったりで、余裕すらも感じられた。さらに、3MC三者三様の観ている人を楽しませようとする気持ちもしっかりと伝わってきて、勝手にニコニコしてきてしまう、楽しくなって手を上げてしまう、一緒に歌ってしまう。 周りの人達もホントに楽しそうで、何だかメンバーを含めてみんなでパーティをしているみたいなハッピーな雰囲気で満ち溢れていた。

つまり、韻シストは突然異変を起こしたかのように、急速にプロフェッショナルなライブを観せてくれるようになったのだ。 しかし、演奏とライムの技量が着実に上昇していっているのに、独特の緩さと無邪気さも健在であり。
演奏の途中でドラムのクーマをMCのBASHIがヨシヨシしたり。
前日から寝れなかったというBASHIの緊張を他の2MCであるFUNKY MCとサッコンがモノマネでほぐしたり。 (FUNKYは松井秀樹を熱演、サッコンは周りのメンバーに振られてかなり照れながら掛布のモノマネを披露。)
楽器隊の個々の個性を活かしたソロパートを存分に聴かしてくれたり。
と、遊び心もまた広がって行っているのである。
特に、中盤でFUNKY MCがまだ加入していない頃の2枚のミニアルバムの曲達を、FUNKY MCがまるでヘッドフォンで実際にCDを聴いているかのように、演奏する工夫を凝らした演出は相当おもしろかった。
FUNKYが
「再生!ピッ!」
と言うと、演奏が始まり、
「ストップ!」
というとピタリと止まる。
そしてまた
「再生!って、できるんかなぁ? このコンポ何か壊れ気味やし・笑。」
と言うと、ドラムのクーマが
「ちょっと待って、、、。」
と言いながらも、またその途中の部分から曲が始まる。
また、BASHIがライムの入りをすっかり忘れてしまって、
「やり直し!やり直し!」
なんて一面も・笑。

そんなサービス精神旺盛な場面の他は、畳み掛けるような、もう体が反応して仕方がない最高のグルーヴでガンガン攻めていく。 本来緩〜い緩〜いホンワカ曲であるはずの「Localスピーカー」が途中から、激ロックに展開。 「夜の盗賊団」や「真夜中のカーニバル」、「ROCK ON!」、「レッツ☆ダンス!」、「Hereee we go」などの元々盛り上がる曲は、以前とは比較にならないほど躍動感に飛んでいた。
これは、やっぱりジャズを基調とした演奏が円熟し勢いが増してきたということに他ならないと思う。 んで、そこに乗る3MCのライブ中のメンバーとのコミュニケーションの充実化。
”きっちりとお客さんを楽しませ、自分達も楽しむ!”
という、できそうでなかなか難しいことを、軽いフットワークでこなすようになった韻シスト。 今後、ますますライブがよくなっていっていく気がする。

でも、それでいて、韻シストはただの”完成度の高いライブ”をするだけの状態に陥いるという、バンドが成長すればするほどに直面しそうな可能性がないのも確かな気がする。 それがナゼだかはちゃんとは分からないけど、韻シストは”自分達が毎日暮らしている生活の中で自然と音を鳴らしライムをしている”からではないだろうか。 だから、演奏だけでも聴き入ってしまうくらいにきっちりストイックになっているのに、鳴らされる空気は逆にどんどん自由に無邪気に子供のように遊びまわっていっている。
どこにでもありそうなノスタルジックな大切な光景を大切に描いた「Yeah stop!」というラストチューンの前にBASHIがボソッと言ったこと、
「俺が高校生の時さー、団地のベランダを見たらさ、各々に洗濯物とか布団とか干してるの! あ〜、みんなちゃんと今日も活きてるやん! って、そういうの見て思うわけよ。」
そう、これなのである。
ヒップホップは確かに社会への反抗や反体制のために元は生まれたのかもしれない。 でも、それはアメリカと言う多国籍多人種の土壌と文化があってこそ、必然で生活に根付いたものになったはず。 日本でヒップホップをするなら、もちろんその精神も大切だとは思うけど、その前にこの日常の生活に息づいたものでなくてはリアリティがないと思う。
「あ〜、みんなちゃんと今日も活きてるやん!」
という曖昧でいて、しかししっかりと自分が活きているやん!ということを嬉しく気付かせてくれる韻シストは、だからこそ、無理をすることなく楽しい時間を作れるんじゃないか。

とにかくめちゃくちゃ楽しかったデス。ありがとー。