湯川潮音 『逆上がりの国』

ドロドロとおぼろげな光景が染み出す国。 湯川潮音の唄声はものすごく透き通ってる。 ”天使の声”と言われているのだけど、形容するとすれば確かにそんな趣で、声が響くだけで場の空気が澄んでいくさりげない力がある。 でも、この限りなく透明なソプラノは、こっそりと歪みも隠し持っていて。
それは、「っていうか、”天使の声”ってどんなのか分からないでしょ?」とでも言われそうな、キレイな風景をグニャリと絵具で塗り潰すサイケデリックな質感。 そして、この人の書く詞曲は変わっている。 合唱団が音楽的なルーツだからか、曲は巷に溢れるメロディとは距離があって、耳馴染みはよいけど掴みどころがない。 さらに、詞は童話っぽいのだけど、その世界観も一般的なそれとは違う。 グリム童話に代表されるように、こういった物語の世間的なイメージとそのものの核は、表層的にはメルヘンちっくでホノボノしているのに、実は裏が恐ろしくグロいといったものだと思うのです。 しかし、湯川潮音の作り出す童話はあらかじめ何処か怖く、不穏さが漂ってる。 なのに、最終的には優しい心地に包まれる。 つまり、表面はグロいが裏は穏やかという、従来の童話の世界観と真逆なのである。 このアルバムは基本的なバンド編成からチェロやなどの弦楽器まで多用な音が加えられていて、今までの作品の中で一番”唄声”そのものの占める割合は低い感がある割に、そういった独特の雰囲気は以前よりも格段に色濃く、この唄声のストレートな魅力だけじゃなくて二面性も多分に聴こえてくる。 一音一音を大切にしたアレンジは突飛な味付けはほとんどないのに、”透明なのにサイケ”な持ち味で退屈な感じは全然しない。 むしろ音自体が奇をてらっていないので何度も聴けて、妙な余韻もしっかりと残るっていう。 終盤のアカペラと合唱のみで構成される賛美歌みたいな「レクイエム」は、正に”透明でありながらサイケ”! 不思議な迷子状態にぐるぐるしながら、この国を散歩してみる?
@ 3:15  A シルエット  B ネムネムの森  C うしろ姿の人  D インディアン・スミレ  E 逆上がりの国  F レクイエム  G ピアノ