P E E R ( )

PEER(ぴあ)は「仲間」という意味です。
仕 事:教員。高校で15年、養護学校で15年、その後また高校で勤務。
2001〜02年度は休職して大学院で学びました。
修了後に心理士資格取得。専門分野は特別支援教育。
科 目: 社会科。
趣 味: 歌、ヨーガ、観劇。
年 齢: 50代。

大学院生活: 2001年4月〜2003年3月(修士課程)
  専攻は教育臨床心理学、主に発達障害臨床を勉強しました。
  修士論文のテーマは難聴者・中途失聴者の心理的諸問題 です。
聴 力: 突発性難聴の後遺症で左耳が軽度難聴。
 普通の4分法では33.8dBですが、高音域は左右差が大きいため測定できません。 低音部で45dB程度です。
 右耳は健聴ですので日常会話はほぼ聞こえますが、実際には困った症状がいろいろあります。 詳しくは私と突発性難聴をご覧下さい。 


・大学院生活を振り返って

 入試には合格したものの、「40代後半で大学院で勉強できるか」という 不安は入学前から修了まで続きました。難聴になってからの数年間体調不良が続いていましたし、 心理学の基礎学力も全く足りませんでした。2年間休職すれば収入は0になり、経済的にもたいへん厳しいです。 しかも寮の部屋はとても狭くて、キッチン・トイレなども若い学生と共同です。
 それでもどの友人からも「是非このチャンスを生かして」と励まされ、思い切って新生活に飛び込 みました。長年の教員生活から一変して次々に新しいことを学ぶ毎日でした。勉強は猛烈に忙しくて 0時過ぎまでゼミが続くこともありましたし、ケーススタディでは実際に障害を持つこどもさんを 指導するので、指導者としての責任があります。修士論文の研究デザインもなかなか決まりません。 想像していたのよりはるかに厳しい毎日でした。

 けれども今振り返ると、本当に大学院に行って良かったと思います。ずっと学校現場に居れば、 これほど最新知識を身につけることはまずできません。しかも学生は自分のことを中心に考えることが 許されるので、久しぶりに身軽になれました。教師・学校を外から見直すこともできました。 そしてたくさんの素晴らしい人との出会いがあり、多くの人に助けられて論文も書けました。 大学院を修了できたことで、私にもまだこんなに大きな可能性があったのだと、ずいぶん自信も つきました。

振り返ると私にとって2年間の大学院生活は、思いがけない運命のプレゼントのような時間でした。



・発達障害臨床心理学を専攻したこと

 本格的に心理学の勉強を始めたのは大学院に入ってからでした。その二年半ほど前から放送 大学で少しずつ勉強していましたが、仕事が忙しくて勉強時間が確保できず、卒業に必要な単位数の2/3を修得したのみでした。大学院の受験を決心すると、その年の夏休みは英国に行き、昼間は英語学校に通いながら、早朝と夜に心理学・教育学関係の参考書や問題集をかなり読みました。これで8月 末の受験までに心理学の初歩はかなり理解できました。けれどもその程度の知識では大学院生として は足りません。大学院入学時には自分が何をするのかもまだはっきりせず、講義を聞くたびに「心理 学がカバーする分野はこんなに広いのか」「何を聞いても分からないことばかり」とため息をついていました。

  大学院で私の所属したコースはスクール・カウンセラーの養成が大きな目的になっていますの で、臨床心理学やカウンセリング全般について広く学びましたが、実際の専攻分野はどのゼミを 選ぶかで決まります。私は養護学校教員という自分の立場から考えて、心理学の視点で障害児教育 を研究する発達障害臨床のゼミに入ることにしました。なんといってもこの分野は学校現場で 学んできたことがたくさんありますから。大学院では行動分析学・動作法・障害児心理学・発達 心理学などを学び、現場での経験的な知識と比較しながら、たくさんの新しい知識を得ることが できました。


・聴覚障害についての勉強

  私自身が難聴ですし、養護学校には重複障害として聴覚障害のある生徒も多いのですが、 それまでは専門的な知識はありませんでした。修士論文のテーマを難聴者の心理的支援に しようと決めてから入門書を読み漁りました。幸い私の大学は障害児教育専攻のコースも 充実していますので、聴覚障害についても勉強しやすい環境でした。とはいえ、実際の知識の 多くは難聴の人たちと話し合う中で身につけたものです。快く研究に協力して下さった皆さん に感謝しています。


・コンピュータとホームページについて

 大学院に入るまでは電子メールとインターネットしか使ったことがなく、ワードやエクセルも殆ど 知りませんでした。ところが大学院では日常のレポート作成や資料検索でもパソコンは必需品 で、ある程度使えることが前提になっていました。初心者の私は普通の講義にはついて いけませんので、自分でお金を出してパソコンスクールに通いながら、とにかく実際に使って 覚えるしかありません。パソコンスクールで「ワード基礎」が終わる頃に大学院ではhtmlを使って ホームページを作る講義を聴き、「エクセル基礎」が終わる頃に大学院では分析ツールを使って T検定をする宿題が出るという具合で、いつも綱渡りでした。分からないときは友達に次々と尋ねて まわって急場をしのいでいました。

 ところがそんな私が大学の先生や友人のお勧めで、研究のためにホームページを作ることになっ たのです。私達のゼミはお盆前後に少し夏休みを取るだけですが、その期間に大汗をかきながら htmlの参考書とにらめっこして、なんとかこのホームページをつくりました。ホームページ作成の ソフトの使い方は知らないので、初めはメモ帳とhtmlだけで作りました。現在は一部スタイルシート (css)を使っていますが、やはり手作りです。ホームページの作成・管理については、コンピュータ に詳しい知人に何度も助けてもらいました。

  ホームページを維持するのは作るよりもっと大変ですが、これなくして私の研究は成立 しなかったと思います。ここを通じて多くの人と知り合い、それが論文に結びついたのです。 今は私にとってこのホームページはとても大切な大学院生活の記念と言えます。

養護学校教員として

 大学院を修了後は元の勤務校である養護学校の教員に戻りましたが、次の年に別の養護学校 (知的障害)に転勤し、高等部担当となりました。
 私が大学院にいた間に学校は完全に週5日制になり、現場は一段と多忙化していました。 朝7時前に家を出て、帰宅は7時〜8時。高等部の生徒は身体が大きく、介助するにも、遊ぶにも 体力が必要ですから、家に帰るともう動けないほど疲れている時がよくあります。年齢的にも50歳 前後は更年期障害がもっとも重くなる時期です。専門的な心理学の勉強をすることは非常に難しく なりました。

 大学院を修了した時点で私が取得したのは養護学校教員1種免許状だけでした。せっかく教育 臨床心理学を学んだのですから、心理士資格も取りたいと思いました。また、多くの難聴・中途 失聴の皆さんの協力で論文が書けたのですから、論文を再構成して学会の専門誌に投稿して専門家 に認められたいと思いました。週末には大学院まで車をとばして障害のあるこどもさん達の指導を続け、 祝日や夏休みは論文執筆と心理士の受験勉強をするという生活が3年続きました。受験勉強も苦し かったですが、それ以上に論文執筆に苦労しました。厳しい審査をパスできず、3年間で五回も 文を書き直しました。これは本当にうんざりするぐらい辛い勉強でした。

 2003年度に学校心理士と臨床発達心理士の資格を取得しました。
 2005年度に臨床心理士に合格しました。資格の発効は2006年です。
 2006年3月に論文が専門誌に掲載されました。
 2006年から特別支援教育コーディネーターとなり、県全体の会合や研修に参加したり、 地域の小中学校からの相談に応じたりする仕事が爆発的に増えました。従来の「特殊教育・ 養護教育」が「特別支援教育」へと大きく転換する、歴史的な事業に深く関わりました。
 

教員生活の仕上げは高校で

 特別支援教育コーディネーターの仕事はとてもやりがいがありましたが、多忙を極めました。 50代の半ばを迎え、体力的に生徒を介護することが困難になってきましたし、家庭では 老親もそろそろ気がかりになっており、最後の転勤先をどこにするか悩みました。
 ちょうど近くの高校が統廃合されて、新設校が立ち上がったと聞きました。通勤も 今までより短縮できるので、この学校への転勤を希望したら実現しました。 15年間の特別支援学校での経験はここでは直接には生かされませんし、この15年間に高校も すっかり様変わりしていますので、私は新任とさして変わりません。戸惑いもありますが、 この学校を教員生活の仕上げにするつもりで、一日一日を大切に過ごしています。


2003年3月
大学院学位授与式













トップにもどる 私と突発性難聴 補聴器体験記 難聴切り抜き帳
あんな本こんな本 リンク 私の研究 自己紹介
寄り道雑記帳