私と突発性難聴
1年が終わるまで:一進一退

5月末〜6月…少し耳が慣れた頃
連休明けからやっと平常の勤務ができるようになった。
以後、2週間に1度のA病院への通院日を除けば、休むことはなかった。これは不眠症が
幾らか軽減したために体力が回復したことが大きかった。
朝3時〜4時頃には目が覚めて、それ以後は断続的に浅い睡眠しか取れないが、それでも
なんとか7時間睡眠を確保した。一応この時点で睡眠薬(リスミー)の服用は中止した。やはり
長期間向精神薬を服用することに抵抗があったためだが、後から振り返るとこれは失敗だったと
思う。
この頃には耳が少し慣れて、静かな所では日常会話の大部分が聞き取れるようになった。
ただし職員室・体育館・ホールなど多くの人の声があってざわざわするところや、音の反響が非常に
強い場所では、あいかわらず聞き取れない。その場所に入ったとたんに耳が塞がった感じ
(耳閉塞感)がして、急に聞こえなくなり、キーンという高音の耳鳴りが強くなる。
何の音がどう聞こえるかという再学習が進んだようで、すべての音におびえていた時期の強い
不安感はなくなった。しかし、楽器の音や校内放送・再生音は耐えられないほどの騒音に
しか感じられず、チームティーチングを行う音楽の時間はヘッドホンをつけて耳を守っていたし、
芸術鑑賞会やビデオ鑑賞の時間は生徒たちを会場に連れて行った後は同僚に託して、私は静かな
部屋で事務仕事をしていた。
6月頃にはステロイドの副作用による吹き出物の跡もきれいに治った。ステロイドの
点滴終了後2ヶ月が経過していた。点滴終了後も1ヶ月錠剤を服用していたので、錠剤服用が
終わって1か月だった。
少し体力が戻ったのでスイミング・スクールにも復帰した。難聴になって以来心身
ともに強い緊張状態にあったので、プールの中でのリラックスは心身の回復に大いに役立ったと
思う。けれども、それまでは1時間に1500m程度泳ぐ体力があったのに、500m泳ぐのがやっとという
状態だった。ブレスのたびにキーンという耳鳴りがおこり、クイックターンではなかなかまっすぐ
に回れなくなっていた。結局泳力は完全には復活しなかった。

8月…北海道旅行と治療の終結
《旅行に挑戦》
夏休みと言っても7月中は登校日や宿泊研修などでほとんど休みはなく、8月に入ってからが
本当の夏休みである。私は暑さには弱いのだが、夏ばてになる前に体重がほぼ元に戻った。
9月には修学旅行がひかえている。夏休みには体力をつけると共に、長時間乗り物に乗る練習が
必要だった。
まず中国語の先生のお宅を訪問した。電車を乗り継いで2時間弱。5月の連休に一度電車には
乗っているが、その後もやはり外出は避けていたので、難聴になってから一番長い距離の移動である。トンネルの中、駅員の笛など苦痛な騒音は多いが、
それでも5月と比べると随分響きが柔らかく感じた。ほとんど聞き取れないであろうと
思っていた中国語も、先生のすぐ左隣(右耳で聞くことができる)の席ならなんとか聞き取れた。
そしていよいよ飛行機に乗って北海道へ。もともと私は飛行機が好きだ。引力の
制約から逃れるのと共に日常生活のしがらみからも離れ、広い空に浮かんでいることが好き
なのだ。しかし予想通り機内の騒音はかなりひどく、機内放送はほとんど聞き取れない。
通路から2番目の席だが、パーサーとの普通の会話も聞き取りにくかった。離着陸時には強い
耳閉塞感が起きて、耳に痛みを感じた。健聴者でも飛行機の離着陸時には耳閉感が起きるが、
これは中耳と外耳の空気圧の差によって起きる。感音難聴の場合は空気圧の差がなくても耳閉塞感
が起きるが、その原因は明らかでない。今回は空気圧の差による耳閉塞感と難聴による耳閉塞感が
一度に起きたようだ。しかし頭痛・めまいといった症状は起きず、飛行機の旅も十分可能だと
分かった。
北海道内の移動はレンタカーを使った。道内の道路は広くてまっすぐでたいへん走りやすい。
とは言え、慣れない車で地図やカーナビを頼りに走るので、常に安全運転を心がけた。ここで
困ったのはカーナビの声が聞き取れないことだった。左前方から来る声は音としては
聞こえるが、言葉にはなっていない。やむをえず、助手席に座っている人に大声で復唱してもらった。
前を見て運転している状態では、左側の助手席との会話は難しい。カーナビの声を何度も
復唱してもらう必要があった。
多少困難はあったが、全体としては飛行機もレンタカーの運転も大きな支障はなく、とても
良い旅だった。もちろん美しい風景・さわやかな気候・おいしい食べ物も満喫した。旅行と
いう私の趣味の一つは十分可能だということが嬉しかった。

《治療の終結》
2週間に1度のA病院への通院は夏休みも続いていた。聴力を測るのは2,3回に1回だが、
もうずっと誤差程度の変動しかない。診察も「変わりないですか?」「ありません」と3分も
かからない。この頃でも通院した日は異常に疲れ、偏頭痛がおきていた。
8月末の診察で主治医から「症状が固定したと考えられます。もう薬は
必要ないでしょう。」と宣告された。その他にも二言三言話はあったと思うが、あまり
記憶に残っていない。嫌なことの記憶は薄れるようだ。今後の経過観察・定期検診についても話を
聞いた覚えがなく、A病院に行くことは二度となかった。発病からほぼ5ヶ月後のことである。
私の場合、予後を考えるのに、治療開始が発病直後という良い条件もあったが、めまいを伴う、
高音障害型であるなど治りにくいタイプの特徴も持っていた。突発性難聴の約3分の1が治らない
と言われるが、私はその中に入ったのである。家庭医学書などに出ているのは治った症例ばかり。
治らない人もかなりいるのだが、その後の経過については何も書かれていない。家庭医学書は
そういうものだと分かっていても、何か割り切れないものを感じた。
結局発病当時と比べて若干回復したのは中音域だけだった。1000Hzを中心としたこの部分が
初めから症状が軽く、5dB程度回復して25dBとなった。言葉の聞き取りに最も必要な1000Hz前後
が軽い障害であったのはたいへん幸運だった。しかし音の歪みや激しい耳鳴りのために、
純音聴力検査から推定される聞き取りの能力と、実際の聞き取りの能力とは大きく違っている。
私が感じる実際の聞こえの悪さと主治医の「日常生活には支障ないでしょう」
との言葉との隔たりにただ当惑していた。本当に「慣れたら聞き取れる」ようになる
のだろうか?音への過敏性や耳鳴りも「慣れたら無くなる」のだろうか?
治療の終結は少なからぬショックだったが、十分予想していた事態だったし、ある意味では
通院しなくてもよくなったのが嬉しかった。これで偏頭痛の発作も起こらないだろう。

9月…再び体調の悪化
9月には修学旅行という大きな行事がある。私が担任をしている3年生は生徒が4名しか
いないが、緊急事態に備えて引率教員は5名必要である。重度重複障害を持つ生徒達が2泊
3日の修学旅行に行くためには、事前準備も旅行中も細心の注意を怠ってはならない。
しかし私は毎年この時期に夏バテが最もひどくなる。修学旅行準備期間
の過労と夏ばてで、再び不眠症がひどくなり、胃の痛み、神経過敏、異常な疲労感
などが出てきた。難聴そのものの症状というより心身症の性格が
強い症状だった。
修学旅行に出かける前に内科のO医師に相談した。今の過敏な状態で修学旅行の付き添い
をすればおそらくほとんど眠れず、最悪の場合過労で倒れそうだった。しかし作用の強い睡眠薬
を服用して熟睡すると、夜中の災害や生徒の急病に気づかない可能性がある。そこで比較的作用
の穏やかな精神安定剤(抗不安薬)コンスタン・セレナールを就寝前
に服用するように、処方していただいた。
修学旅行初日には台風の影響で新幹線が大幅に遅れるというハプニングがあったが、全体的
には順調で、生徒にとっても教師にとっても思い出深い旅行となった。私は夏休みに電車や飛行機
に乗る経験をしていたので、車中の騒音もそれほど気にはならなかった。また精神安定剤の効果で、
浅い睡眠ではあるが6〜7時間眠ることができた。
結局、私の場合体調が悪くなる最大の原因は不眠症だと分かって
きた。睡眠が不十分だと翌日は耳鳴りがひどい。その結果神経が過敏になり疲れ易くなる。
そして疲れがひどいとよけいに眠れない。この悪循環を断つためには、とりあえず眠ることが必要
だった。突発性難聴になった日から突然始まった不眠症は難聴の結果と思われるが、同時に
次々に心身症が起きる悪循環の原因ともなっていた。発病直後と比べれば不眠の症状は全体的には
軽減しているものの、発病後熟睡できた日は一日もない。またどんなに疲れがたまっていても昼寝
がまったくできなくなった。
修学旅行をきっかけに、それまで一時止めていた精神安定剤を再び長期的に服用する決心
をした。今度は十分眠れるようになるまで、無期限でつきあうつもりだった。

11月…精神科での治療開始
秋の学校は行事が続く。修学旅行から帰るとすぐに体育大会そして文化祭。修学旅行
は終わったが、次々と続く大きな行事の準備で疲労感はずっと続いていた。
ここで大きなハプニングが二つ起きた。一つは台風で家が一部壊れたこと。建築後
25年もたった我が家はすでにあちこち壊れていたが、この年の台風で本格的な改築が必要になった。
業者との相談、そして荷物の整理と移動など仕事から帰っても家で別の仕事が待っていた。
もう一つのハプニングは膝の手術のため母が入院したこと。身体の丈夫な母だが、
夏以後膝の痛みが激しくなり手術に踏み切った。病院は自宅から近かったので毎日見舞ったが、
これも意外に大きな負担となった。
精神安定剤を服用しているのにも拘わらず、疲労感は徐々に強まり、
不眠症も一進一退。いらいらしたり、
強い不安感が現れたりした。仕事中は緊張しているので大きな変化は
ないが、帰宅してからの精神状態に波があり、簡単な家事を失敗したり、
将来に悲観的な展望しか持てない日が出てきた。
なぜこんな状態が続く。これはおかしい。
もともと過敏で心身症はたくさんあるが、こんなに長期間精神的に苦しくなったことはない。
すでに精神安定剤を長期的に服用する決心をしていたので、できれば専門の精神科の医師の治療
を受けたいと思った。内科のO先生に相談すると、すぐに近くの精神科・
心療内科のクリニックに電話をかけて、紹介状を書いてくださった。
私は近くに精神科のクリニックがあることは知らなかった。比較的新しく開院したそうだ。
精神科のR先生は私と同年代の女性である。初めはとても緊張したが、同性であり、また
R先生の穏やかな雰囲気のおかげで、突発性難聴になって以来の経過を落ち着いてお話しすること
ができた。難聴・耳鳴り・聴覚過敏といった見えない症状が精神的・心理的に
大きな負担になっていることを十分理解して頂いた。
「この先生とならうまくやっていける」と初診で確信した。内科と違って精神科の医師と
は長いつきあいになるし、転院も容易ではない。すぐ近くで優れた精神科医とめぐり合えたのは、
きわめて幸運だったと思う。
その時の私の精神状態が抑うつ症状であることは、自分でも察していた。R先生の処方は
抗うつ剤、抗不安剤(精神安定剤)と漢方薬で、その薬の特徴をよく説明した上で最終的
には患者である私の価値観を尊重して下さった。初めは2週間に1回の通院だったが、すぐに
いくらか改善し、1ヶ月に1回になった。薬は通院のたびに効果や副作用をチェックして細かく
調整して頂いた。抗うつ剤はドグマチール→ルボックス→デジレル、抗不安剤はメイラックス→
デパス→リーゼ→ソラナックス・リーゼと変わっていった。
振り返ってみると、抑うつ症状の原因は難聴だけではなかったと思う。元々過敏でストレスに
弱く、それが十二指腸潰瘍や偏頭痛といった心身症として現れていた。またそろそろ更年期で体力
・気力共に弱っていく時期だったのだと思う。しかし直接の原因は突発性難聴であり、発病した日
からずっと不眠や過剰な緊張は続いていたのである。聴力は回復の見込みはないし、耳鳴り・
聴覚過敏などに完全に慣れるまでには最低でも数年かかるだろう。抑うつ症状の原因が除去でき
ない以上、症状が完全になくなる見込みも少ない。いかにうまくつきあうかが課題になっている。
