私と突発性難聴
1ヶ月後:難聴が固定しそうだと気づいた頃

不安…一か月を過ぎても聴力に変化なし
発病から一か月が過ぎた。この頃には、何冊かの本を買ったり、図書館に
通ったりして、突発性難聴について少し知識が増えた。買ったばかりのパソコンで最初にしたことも、
インターネットにアクセスして突発性難聴について調べることだった。
この結果分かったのは突発性難聴の治療は一か月が目安になるということだった。
突発性難聴は発病後一か月以上たって治療を始めた場合、回復する可能性は非常に低い。また
発病後すぐに治療を開始しても、一か月たって回復が見られない場合は回復する見込みが低くなる。
A病院での聴力検査では、毎回誤差程度の変動はあっても、はっきりした回復は見られなかった。
一時的な病気ではなく、聴覚障害として固定しそうだとだんだん分かってきた。しかし
回復する見込みが少ないことを知りながら、やはり一方では「治るのではないか」という期待も
捨てきれない。「せめてこの耳鳴りや騒音だけでもよくならないのか」 私の場合は聴力の損失
は少ないので、聞こえにくいことよりも休みない騒音の方が辛かった。永遠にこの騒音から逃れられ
ないと思うと、どうしようもない絶望感に襲われた。
この1ヶ月間、音に対する過敏性はずっと続いていた。テレビ・ラジオ・CD等は全く
聞くことはなかった。生活上でも洗濯機・掃除機などが使えず、キッチンの換気扇の音や炒め物を
作る音さえ耳に響き、時に頭痛が起きた。ピアノをそっと弾いて実験すると、ラ(A)音は右耳だけ
ならラに聞こえるが、左耳ではシより高い音になっている。両耳ではいつも不協和音を聞いて
いる状態だった。

ストレスによる体調の悪化
発病以来の心身のストレスはこの頃がピークだった。
睡眠薬を飲んでも、平均睡眠時間は4時間。早くから目は覚めているのに、疲労が蓄積
していて起き上がれない。出勤するのがひどくおっくうで「教師の登校拒否」に近い状態だった。
睡眠薬の作用で急激に深い眠りに入るので、目覚めると首や手首の捻挫をおこしていたこともあった。
肩こりがひどく腕が水平以上には上がらないし、首をひねって後ろを見ることもできなく
なった。偏頭痛も頻発した。特にA病院に通院した日は頭痛がひどく、治療成果が上がって
いないことと、医師との意思疎通がうまくできないことが頭痛の誘因になっていると思われた。
発病後まもなくから胃の痛みが続いていたが、それを耳鼻科の医師に訴えても
ガスター(H2ブロッカー)を出していますから、潰瘍の心配はいりません」と言われていた。けれども
この頃には空腹時によく胃痛がおき、夜中も痛みで目が覚めるようになっていた。今までの経験から
言えば、これは十二指腸潰瘍の痛みだ。しばらく迷ったが、かかりつけの内科医であるO医師に診て
もらうことにした。
X線写真を見ると十二指腸潰瘍の再発は明らかだった。それも
いつもより荒れている範囲が広くて深い。O医師は「かなり我慢してたでしょう。いつも早くに
自分で気付いて、診察を受けに来るのに。」と言った。私はこの一か月間のA病院でのやりとりを
話した。愚痴でしかない話を長時間聞いてもらって、精神的にずいぶん楽になった。近所のかかり
つけ医院の有り難さが身にしみた。
薬は強力に胃酸を押さえるプロトポンプ阻害剤、偏頭痛対策の鎮痛剤、そして精神安定剤を
処方された。今まで精神安定剤(抗不安薬 マイナートランキライザー)を服用したことはない。
10回以上潰瘍になりながら、胃に働く薬のみで治癒していた。長期的に向精神薬を飲むこと
には、薬に依存するようで抵抗感があった。しかし今は精神安定剤が必要なのだと割り
切った。こうして内科的な治療も平行して行われるようになったが、胃の痛みや偏頭痛は
その後も長い間続いた。
鍼灸の治療を受け始めたのもこの頃である。ずっと以前にひどい肩こり・頭痛に
苦しんだときお世話になったM鍼灸院を訪れた。M先生は明るい雰囲気の女性鍼灸師である。
1時間ぐらいかけて丁寧に頭から腰まで鍼を打ち、お灸をすえていく。その間、ゆっくり話も
聞いて頂けたので、精神的にもリラックスできた。鍼灸によって血行がよくなるためか、ここに
耳があるという意識はよけいに強まる。人によっては突発性難聴に鍼灸が大きな治療効果が
あるが、それはこういう作用の結果かもしれない。私の場合は難聴そのものには治療効果は
なく、むしろ耳への意識が強まって耳鳴りが気になったが、それでも首・肩・背中のひどいこり
はずいぶん軽減した。
難聴の症状が固定しても、不眠・肩こりなどの不快な症状はずっと続いたので、毎月3〜4回
の鍼灸の治療は,大学院に入学するまで続けて受けていた。費用は1回4500円で、これは県の鍼灸師
協会の標準的な料金である。私たち養護学校の教員は頻繁に生徒を抱き上げるので、過半数が慢性の
腰痛を持ち、肘や肩の痛みもよく起きる。M先生は健康保険が適用できることを教えて
下さった。私は以前から頸肩腕症候群と言われていたので、O先生にお願いして鍼灸治療が必要で
あるとの承諾書を書いて頂き、健康保険の適用で半年間は料金が半額になった。

突発性難聴の先輩からのアドバイス
連休に入る頃から新しい聞こえ方に少し耳が慣れて、静かな所での会話が可能になって
きた。家ではボリュームを下げて、テレビのニュースを聞くようになった。何の音がどう聞こえるか
が分ってきたので、わずかの音に驚くことも減ってきた。それでも校内放送が入るたびに飛び上がる
ほど驚き、楽器の音がするたびにヘッドフォンをつけて耳を守らなければならなかった。
この時期、同じ学校に勤める先輩二人が「私も突発性難聴の後遺症が
あります」と声をかけて下さった。
K先生は中学3年生で発病。高校・大学時代を通じて聞こえにくいことと耳鳴りなどの不快な
症状に悩まされたそうだ。難聴である自分に慣れたのは就職後のことで、発病から10年近くたって
いた。「焦ってもなかなか慣れませんが、長い時間が自然に解決してくれます。」
青年期の発病は精神的な衝撃という点では中年期より大きいと思われるが、適応性では若い時期
の方がすぐれているとも言えよう。いずれにしてもたくさんの時間が必要だと分った。
S先生は発病後5〜6年。「難聴というと聞こえにくい不便さに注目されるけど、ぼくは耳鳴り
や不眠症が辛いね。調子が悪い時は今でも精神安定剤が必要だからね。
精神症状も含めて突発性難聴だと思ったほうがいいよ。」私はこの時期は精神症状は急に難聴になったためのショックで
一時的に生じたものと考えていたし、主治医からも近いうちに耳が慣れて精神症状も消えると言われ
ていた。S先生の言葉にかなり衝撃を受けたが、同時に精神症状が続くのは私だけではないと知って、
安心もした。私は、不眠症、身体のだるさ、気分の落ち込みといった精神症状を、いつのまにか自分
のせいだと思い込み、自分のふがいなさをを責めていた。
またS先生は時々聞こえていないのに生返事をしてしまうこと、そのことを後悔して気分が沈む
ことも率直に話してくださった。
こうした先輩たちの実感を伴った、そして思いやりのこもったアドバイスは、とても嬉しかった。
私の想像以上に症状が厳しいことが判ったが、長い間苦しんだり、落ち込んだりするのが当然だと
知って、それなら覚悟を決めて少しだけ頑張ってみようと思った。また長期戦なので無理な頑張りは
禁物だと自分に言い聞かせた。二人の先輩は外見上は健聴者と変わりないが、それぞれに難聴の症状
を持っている。そして、どちらも人並み以上に熱心に仕事をされる人達である。突発性難聴の後遺症
があっても十分仕事はできるのだという、良いお手本にもなった。
私の勤務校は教員と事務職・技術職等と合わせて全職員数が200人ほどの大規模校だが、
その中に突発性難聴の後遺症を持つ人が私を含めて3人もいる。また同じ病気にかかったが完治した
という人も3人判明した。このことは突発性難聴という病気が本当にありふれたものだということを
再認識させた。
初めて電車に乗る
連休中にどうしても達成したい課題があった。それは電車に乗ることだった。車は通院や通勤
にも使っていて、窓を開ければ騒音もそれほど気にならないことが判っていたが、発病後、電車に
は乗ったことがなかった。駅の人混み、放送、車中の騒音など自動車より多くの耳障りな音
が予想できるからだ。けれどもいつかは電車には乗らなくてはならない。そのための練習期間は
連休中が最適だった。
偶然、友人がO市内の病院に入院していた。彼女に会うことを目的にすれば、電車に乗る必要
性も高まる。思い切って駅に向かった。想像通り、駅も車内も耳に響く騒音だらけの世界だった。
特に駅員の笛、トンネルや地下に入った時の列車の音は、かなり苦痛だった。片道20分
ほどがとても長く感じられ、友人を見舞った帰り道には偏頭痛が起きた。
これから先もしばらくは電車での遠出はできなかったが、連休中に電車に乗れたことで、日常
的な騒音には耐えられるという自信がついた。これならいつか飛行機で海外旅行も行けるかもしれ
ない。幾らか気分が明るくなった。

