初参加の大分国際 初めての「大分国際車椅子マラソン」のゴール直前。
この後抜かれます(笑)
沿道の応援の人々の数。。。声援。。。すべてが感動でした。
大分国際でのレース中。橋の上は風が強くて辛いです。。。
そして、橋の前後は勾配になっていて たくさんの人々が。。。
いつも声援に後押しされて、勾配を登っていきます。
橋の上
レース中 ここ最近は、競技中のヘルメット装着が義務づけられました。
このヘルメットは、大好きな「アイルトン・セナ」のヘルメットを
モデルに自分でカラーリングしました。
大阪シティハーフマラソンのゴール前。
「大阪国際女子マラソン」と同じコースを走ります。
しかし、景色を見る余裕なんて。。。(笑)
大阪シティハーフマラソン


車椅子マラソンについて。

車椅子マラソンとの出会いは。。。
10年ほど前の身障国体の短距離選手として
僕は、北海道の「はまなす大会」に参加しました。
僕の競技は100メートルダッシュとソフトボール投げだったのですが
100メートルは自信があったので、ろくに練習もせずにいざ本番となりました。
結果は見事に大敗。。。
自信があっただけにとてもショックで。。。
自惚れていたのでしょうね。
僕の心を見透かしたかのように、競技の指導をしてくれていたH先生が言いました。
「お前、自分が一番速いと思ってたやろ?」
ホントに的を得た意見でした。
泣きたくなる気持ちでスタンドから他の競技を見ていると
その大会で「公開競技」であった 車椅子マラソンが始まりました。
「みんな一生懸命に走っている。キラキラ輝いている」と僕は思いました。
そして同時に、H先生に認められたい!と思いました。
もし、万が一100メートル競技にあの状態で勝っていたら
ますます天狗になっていたろうし、ましてやしんどいマラソンなんてやろうとは思わなかったでしょう。
次の年に同じく北海道で「はまなす車椅子マラソン」があったので
友達と2人で参加しました。
ハーフマラソンでした。
思った以上にしんどくて、途中何度やめようと思ったか。。。(笑)
でも、「ここでやめたら、格好悪い!」と思ってなんとか完走しました。
1時間19分でした。
「はまなす大会」で知り合った、コンパニオンさんが応援に来てくれて
とても嬉しかったなぁ。。。(笑)
「はまなす車椅子マラソン」を選んだのは、コンパニオンさんに会えるから!
それが最も大きな理由でした。(笑)
不純な動機で(?)始めたマラソンですが、完走した喜びは格別なものがあり
その後、大分のマラソン大会にも参加するようになりました。
記録の方はなかなか伸びませんが、年に3〜4回のマラソンに参加しています。
ハーフで1時間を切ってフルマラソン!
それが僕の最大の目標です。
そして、きつい一言をくれたH先生には
当時は正直言って、見事に心を見透かされたので悔しかったのですが
今では感謝しています。
先生のあの一言がなければ、僕はマラソンを始めていなかったから。。。

HNの”
アンビシャス”ってのはですね〜、「はまなすマラソン」に行ったときに
遊びに行った「羊ヶ丘」で、”クラーク博士”の銅像を見てね、
”ボーイズ・ピー・アンビシャス!”って有名な言葉があるでしょ?
これだなぁって思って。。。
僕の好きな言葉の1つです。