名古屋市東山植物園 名古屋市千種区 訪問/2002年4月21日 |
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春の雨。 折り畳みの傘では役不足。背中のバックパックを濡らしながら植物園の門をくぐる。 視界に飛び込むのは一面の新緑。 新緑と一言で片付けられない様々な緑色が私を出迎えてくれた。 そんな空気を支配しているのは、どこまでも続く雨の音。 休むことなく降り続ける雨が無数の葉をたたきつけている。 天からの恵みを受けて新しい息吹が命の歌を合唱しているようだ。 |
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土砂降りの雨、そのおかげで私はこの空気を独り占めしている。 何という贅沢だろうか。 そんな植物園の片隅にそのバラ園はある。 まるで息を潜めて来るべきその日の為に力を蓄えているかのようだ。 その空間は愛すべき蕾で埋め尽くされている。 |
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上品なバラも、 お喋りなバラも、 冗談が好きなバラも、 派手好きのバラも、 今は一言も喋らない。 「シィー、まだだよ」 天使像の囁きだけが私の耳に届いた。 目に入るすべての蕾が大きく膨らんでいる。 バラ達が大騒ぎする一年に一度のお祭りはもうすぐそこまで来ている。 バラの姿を見ればベテランの手によって手入れされていることは明白だ。 このバラ園の住人はなんて幸せなのだろうか。 私の庭のバラ達が羨ましがるに違いない。 モダンローズが行儀よく整列した花壇。 「バラを愛する人」と題された女性像の周りにはイングリッシュローズ達がまるでドレスのように蕾を鮮やかな色で染めている。 アーチをくぐればほんの少しのオールドローズが先輩顔で並んでいる。 しかし、この日の主役はそんなバラ達ではない。 それらを見下ろす斜面に満開のモッコウバラがまるでびっくり箱を開けたかのように咲き乱れている。 たった一人の主役、 だがこれ以上の役者はいない。 観客は私一人だがきっとこの舞台を忘れることはないだろう。 |
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自由奔放に枝を伸ばしたモッコウバラ、坂を駆け下りるように房咲きの花が連続して咲いている。 原種バラだけが持つことを許されたこの存在感。 モッコウバラの周りだけが別世界、私の心を鷲掴みにした。 |
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雨が降っているのも、 傘を差しているのも、 バックパックがずぶ濡れなのも、 そんなことは忘れて、モッコウバラの空気の中で私は掛け替えのない時間を過ごしたのだ。 モッコウバラが一番輝いている時間にこの場所を訪れることが出来て私は幸せだ。 |
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止みそうにもない雨も、 目に染み入る新緑も、 満開のモッコウバラの引き立て役に過ぎない。 気が付けばどれほど長い時間このモッコウバラの前に立っていただろうか。 バラ園の年に一度のお祭りが始まる前に打ち上げられた大きな花火。 その残り火は今も私の心の中で燃えている。 |
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