京古本や往来インタビュー

 中西印刷 中西秀彦さんに聞く

オンデマンド印刷 見学記


 「十年後には、印刷機がすべてオンデマンドに移行するだろうと思います」

 これが取材後半、中西さんの口から出た言葉である。ショックであった。

 「プリント・オン・デマンド」、直訳すれば「欲しいときに刷る」である。印刷業界の人や一部の出版業界の人以外、あまり知られていなかったこの言葉は、昨年、一気に新聞・TVで有名になった。
 というのも、本の取次業者である日販がブッキングという名の子会社を起こして、本の重版をオンデマンド印刷で管理・販売しようとしたからである。

 一月のある晴れた日、竹岡さんと、萩書房の井上さん、それからこの日の取材を聞きつけた編集子の知人で新刊屋さん二名、計五人で京都府庁の西隣にある中西印刷さんへ今話題の印刷機を見学に行きました。

 最初に会議室に通され、オンデマンド印刷で刷られた本を手にしながら中西さんの話を聞く。

 「導入したのは九八年のことです。私達のところでは、学術書や紀要が仕事のメーンなので、少部数のものが多いんです。以前から学術関係書は、実際売れているのはいいところ百部程度で、印刷の都合で五百部とか六百部とか刷っていたにすぎません。残りの四百部は出版社が在庫として持って二、三十年で売っていくような本です。それが、オンデマンド印刷で、五十部でも二百部でも印刷できるようになったわけです」

 ん?、ちょっとブッキングとは違う感じの話だ。オンデマンド印刷の本質は何なんだ?

 「日本での普及の比率がアメリカに比べて悪いので、アメリカのプリントショップが名古屋にアンテナ店舗を開いて、その原因を探っているんです。ビジネスコンビニ、という形でオンデマンド印刷機を利用する店舗を展開しています」

 ここで、元自動車メーカー勤務の竹岡さん、気がつく。

 「工場機械のマニュアルが、必要なときに印刷できるんであれば、すべて在庫しておく必要がなくなるんや」

 アメリカでオンデマンド印刷が盛んなのは「マニュアル」がキーになっているのであった。機械なんてものは、何千台も同時に出荷するものは少ないし、機械が売れたときにだけ印刷できればそれが一番効率がいい。省スペースにもなる。マニュアル印刷機、これがオンデマンド印刷のオリジンだったのである。

 ところが、中西さんが続けて言うには、

 「スウェーデンでは、再販制度(定価維持制度)がなくなった途端に、たくさんの出版社と書店が、価格競争の末、なくなってしまい、ますます出版部数を減らさざるをえなくなってきて、そんな状況の中でオンデマンド印刷が注目されています」

 ん?、また話が食い違ってるぞ。アメリカンな効率主義の機械がなぜ文化的なものに巻き込まれるんだ? じゃ、効率ついでにコストの話。

 「いま、お見せしているのが自費出版で印刷したものですが、五十部印刷してだいたい十五万円ほどかかってます。データでもらってますから、版組みの値段はかかってません」

 巷にあるワープロ印刷の自費出版よりずっとよくできている本なのだが(写真の精度は不十分だが、本文は通常の本と区別がつかない。製本はソフトカバーの無線綴じ)、これなら退職金を投じなくとも、自伝が出版できようというものだ。しかしながら、五十部販売して一部あたり二千円の利益を上乗せしても十万円にしかならないから、商売としたら失格だ。

 「オンデマンドと従来の印刷との損益分岐点はだいたい二百部から三百部で、百部くらいがいちばん効率的ですね。それ以下だとコピーの方が手軽な場合があります」

 たしかに初刷部数として百部でも、いずれ数部づつ重版するのであればオンデマンドの方が有利だ。

 会議室を出て、階下の印刷機を検分に。途中、直接に刷版を出力する機械(これもオンデマンドと同様にフルデジタルな世界の代物)を紹介してもらい、お目当てのオンデマンド印刷機へ。ゼロックスのホームページにある写真そのままのものがそこにあった(当り前だ)。そのときちょうど印刷されていたものは、ロシア語で書かれた西夏文字文献のカタログであった。さすが中西印刷である。印刷機は、まさにゼロックスを一枚一枚、順次吐き出していく(インキでなくてトナーで印字している!)。全ページ出力されたら、製本のところへ、紙をそろえて入れる(本来はここも自動)と、ものの十数秒でゴトン、と排出。背ノリは白いプラスチックで、安定するのにわずか数分、出来たてでも十分堅牢である。

 「製本は何十年も持つか、と言われたら、保証はできません。トナーの方はまあ吹き飛んだりはしないでしょう」

 やはり、マニュアルが発祥である。機械より先に崩壊しなければよいのだから。いや、崩壊してもまた印刷すればいいだけのことである。面白かったのは、カタログを印刷していたかと思うと、前触れなく、判型の違う別のものを吐き出してきたことだ。操作は階上のパソコンからされているのだけれど、いきなり別の印刷が始まっていたのだ。
 吐き出される「ゼロックスコピー」のスピードは、一秒間に何枚も、とはいかないようで、印刷効率じたいは、すこぶる悪い。隣の印刷機が、三十二頁分を一気にガシャンガシャン刷り出しているのとは大違いであるが、それでこそのオンデマンド印刷なのだ。

 ビジネスコンビニの話を聞いた時には、もう一つイメージがわかなかったのだが、現物を見て、この機械は街中にある「即日仕上げのDPE機」であることに気が付いた。値段は、現在ゼロックスのもので三千万円弱、DPE機なみのビジネスチャンスがあれば商店街に一台の時代が来るような感じである。問題はそのビジネスチャンスは何であるか、である。

 「いま、この機械の使い方は世界中で模索されてます。日本では、科目内でも細分化されている予備校の教科書や、売れるとわかったら通常印刷で大量に刷るためのマーケティング用印刷、コピーですませてきた会社内の内部資料印刷などにも用いられています。しかし、まだ発想が従来のものを引きずってます。まだ誰も気づいていない新たな発想がオンデマンド印刷を一気に普及させていくでしょう」

 日販の少部数重版のオンデマンドも、今逃しているビジネスをもう一度汲み戻しているにすぎない。目的は在庫ゼロ、ロスもゼロ。しかし、在庫ゼロのものにデマンドは生じるだろうか。また、オンデマンドは足し算の商売だ。これを将来、掛け算に変える布石としての先行投資だと考えているのであろうが…。
 スウェーデンのような初刷から少部数を前提とする取り組みは、世界で爆発的に機械が普及したとき、すごい恩恵を受けるだろうけれど、オンデマンド印刷を推進する力自体は持つとは思えない。

 さて、そうとは言え、古本はどう変えられてしまうのか。現状で販売されているオンデマンドの本(本とコンピュータ叢書など)は、その値段に耐えるとは思えない。逆に言うと、初刷数百部しか刷らないのに二千円しか値付けできない本に、はたして古書の価値があるのか。また、一度オンデマンドに登録されているわけだから、いつでも手に入るので古書の需要はほぼない筈である。
 学術書、論文集、紀要等々、そのようなものは印税と版権、入力の経費分担の問題をクリアできれば、オンデマンドに移行される。移行されたタイトルは古書の流通市場から間違いなく消える。タイトルすべてが移行するには時間がかかるだろうが、古書流通が縮小し、市場が成立しなくなる日のほうがそれより遥か手前に到来してしまう。
 生き残りを賭けるために古書業界としての現時点で思いつく最良の策は、いままでの本に対するノウハウを活かして「DPE屋」になること、である。共同で印刷機を導入し、版権を利用できる基金を作ることが望まれる。また、自費出版(今やインディーズと呼ぶのが相応しい)のプロデュースも必要。だが、業界の足並みは揃うだろうか。

 最後に、中西さんにこの急激な変化は印刷とコンピュータの親和性によるものなのかどうかについて問うた。

 「いえ、そうではなくて印刷はグーテンベルグ以来五百年間同じ技術と職人芸できたわけです。活版技術はホンの十年前まで現役でした。印刷業界は一番遅れてコンピュータ化されて、一気に変革してしまったわけです」

 予想を遥かに超えた変化を知る中西さんだからこそ、冒頭の予言になったのだろう。また中西さんによれば、この変化に対して印刷機メーカーが一番危機感をもって取り組んでいる一方、出版社が一番危機感が薄いらしい。古本屋が彼らより危機感を感じているという逆説が、まだ我々の救いでもある。出版社が消え去ったとしても、まだ古本はあるのだから。

文責・三浦了三


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