Editor's Eye

駸々堂、破産する


 第34回スーパーボウルに興奮して他のTVを見なかったら、その翌朝、朝刊でそのことを知りました。愕然としました。

 京都を代表する新刊書店といえば「駸々堂」といって誰も反論する京都人はいないでしょう。特に大規模店の先駆けであった京宝店ができて、専門書の品揃えも京都一を誇り続けた時代に京都に住んでいた人にとって、駸々堂で過ごした時間は、記憶の中に必ずあるはずです。それが、2000年の1月31日午後5時、お客様を外へ出し、シャッターを下ろしました。もう開くことはありません。その時の社員の心中は察するにあまりあります。

 これより前の昨年の暮れ、大阪の小さなの新刊取次店である柳原書店が自主廃業をし、多数の出版社に損害が出ました。出版不況はもう先延べで隠し通せなくなって、序曲(中央公論社のように破綻させずに何とか経営を続けさせる方針)は終わり、幕は切って落とされたという印象を持ちました。その第一幕冒頭、いきなり関西の老舗・駸々堂の登場でした。
 聞くところでは、すでに20年近く前から債務超過で、6年前に取次もトーハンから日販に変えるなど経営に苦労されていたらしい。昨年には大阪心斎橋にある店まで売却したのに、結局は立ち直れませんでした。
 今号で紹介している『本の世界のホントの話』の中で、80年代から現在までは大型店・郊外店の出店により、小規模店の廃業が進んできたが、すでに郊外店の経営は難しくなっている、という指摘がなされています。また、これを読んで知ったのですが、新刊書店の新規出店の場合、最初の書籍の在庫の支払いは、なんと、4年後から、しかも30回払い、というから驚きです。この商慣習とバブル崩壊後のテナント料の下落、大規模小売店舗法の改正・廃止、の三つが相俟って、超大型店が日本各地に登場し続けてはいますが、郊外店の、そして駸々堂との本質的な違いはどこにあるんでしょうか。
 この慣習も原因の一つになっている、取次の実質的な債務超過(それも千億円以上!)問題は昨年『出版社と書店はいかにして消えていくか』(小田光雄著・ぱる出版)において指摘され、この指摘が真とか偽とかを論じるレベルでなくて、いつどこで顕在化するかを議論する方が重要である、というレベルであることは、悲しいかな現実だと認めざるをえません。
 駸々堂の破産も柳原書店の廃業もそれらを顕在化させる場となるでしょう。どこまで持ちこたえる力が出版業界に残っているのか、第二幕の幕があがるのが怖い限りです。

 巷では、流行ってるのになんでつぶれるの?、と思われているようですが、あれだけ流行っていても赤字、ということは、もう打つ手がない、ということでもあります。大型店は、経営向上の手だてとして増床・多店展開といった拡大指向しかないことが、最大の利点であったのだけど、今や最大の欠点でもあるということ、これが明確になったわけです。
 これからはふたたび堅実経営の駅前中規模店の時代に戻るのかもしれません。
 ウチの奥さんと母は、駸々堂のあとに紀伊国屋が引っ越してくれるといいのにな、それで、ゼストの紀伊国屋のあとに安くて新鮮なものを売る食料品スーパーが来てくれるとうれしいな、などと勝手なことを言ってますが、京都の活気のことを考えるとあながち的外れではないようです。紀伊国屋の店長さんと新市長に進言してみよう。

(三浦)


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