新米セドリ師奮闘記

小山弘明


 【せどり】同業者の中間に立ち、注文品などを尋ね出し、売買の取次をして口銭を取ること。また、その人(岩波書店『広辞苑』)。

 つげ義春の「無能の人」に、山井二郎なる元セドリ師が登場する。この山井、なかなか味のある、重要な脇役なのだが、どうにも胡散臭い。何しろ、セドリに訪れた古書店の未亡人とデキてしまい、元々の表札の「山井一郎」に横棒一本足して「山井二郎」と名乗り、店主におさまってしまうのだ。筆者は、「セドリ」というと、どうしてもこの山井の胡散臭さを連想してしまうため、セドリは一切やったことがなかった。もっとも、セドリができるだけの知識や人脈も持ち合わせていなかったのだが。

 話は変わるが、今年始めに秋桜社より、「巨星 高村光太郎」という書籍を上梓したのだが、そのための参考文献の収集のため、一昨年あたりから、かなり手広く古書目録を取り寄せるようになり、加えてインターネットも始めたため、自然と網に掛かる探求書の数も増えてきた。十年来探し求めていた書籍が見つかるなど、良いことも多々あったが、悩みの種は、網に掛かりすぎることである。

 当方、しがない公務員。昨今の不況の影響はほとんど受けずに済んでいるものの、さりとていくら仕事に励んでも、目に見えて収入が増える職業ではない。財布はしっかりと妻に握られているし、ギャンブルで一発当てる才覚もない。かくて、せっせと他の支出を切りつめ、月々の小遣いの範囲で古書収集を行ってきた。しかし、目録に載っていながら、資金不足で買えない状態が重なるにつけ、何とかしなくては、と考えるようになった。

 そこで思いついたのが「セドリ」である。もはや胡散臭いなどと言っている場合ではない。背に腹は代えられないのだ。

 少ない資本でできるセドリというと、文庫本が手っ取り早い。手元にある絶版文庫系の目録をめくってみると、一冊数千円するものも珍しくない。確か、生活圏内の古書店二軒に、古い文庫本が百円前後のゴミ同然の値でたくさん並んでいたはずだ。

 早速、買い出しに行った。さすがに文庫の王様・山本文庫は見つからなかったが、昭和二十四年から一年間だけ発行された大判の角川文庫を始め、布装の改造文庫、発刊された年(昭和二年)の岩波文庫、元バラ帯付の春陽堂文庫、珍しい世界古典文庫、青磁社文庫などが手に入った。買った金額は、三十七冊でしめて四千二百五十円。筆者の生活圏は千葉のど田舎であるため、このような相場なのである。いつもはひやかしの筆者が、突然大量の買い物をしたので、二軒とも主人は不審そうな目で見ていたが、気にしてはいられない。

 さて、仕入れは済んだものの、それからが大変だった。絶版文庫系の古書店数軒に、リストを送って査定してもらったのだが、社会科学系は不要と言うところが多かったし、目録の売値は数千円付けているくせに、査定金額はどこもシブい。もっとも、かつて何度か持ち込みで蔵書を買い取ってもらった際も、金額に満足したことはなかったので、その点は妥協した。結局、二軒に分けて売った金額は、しめて一万一千四百円。とりあえず儲けになった(それもあっという間に筆者の探求書の代金に消えたが)。まあ、チリも積もれば山となる、とりあえず確実に収入になることがわかっただけでも良しとしよう。一連のセドリ作業中、ふと考えた。確かに一見胡散臭いセドリだが、よくよく考えてみれば、皆を喜ばせる結果になるのである。

 まず、筆者が買った古書店は、ゴミ同然と思っていた本が売れて嬉しい。筆者が売った古書店は、品揃えが充実して嬉しい。さらにそれが売れればもっと嬉しい。さらに、話が複雑になるが、筆者が売った古書店から買うお客さんも、欲しい本が手にはいるから嬉しい。そして、本自体も、有るべき所におさまるのだから嬉しいはずだ。儲けは少ないものの、世のため人のため本のため(そして少しは自分のため)、今後もセドリを続けていく所存である。

(こやま ひろあき)


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