Reder's Column 私にとっての古本まつり

蓮田 攻

 まずは古本まつりの意義について。本屋は普通歩いてこない。古本屋は古本市へやってくる。本を担いでやってくる。

 古本まつりの効能について。本をもとめて人が集まってくる。知り合いも本を買うのか買わないのか、とにかく集まってくる。本を袋にぶら下げて、行ったり来たりしてると、向こうからも同じような格好をした奴に会う。もしくは「あいつなら昨日きてたよ」とうわさ話が聞かれる。いずれにしろ、日頃ご無沙汰の連中の近況がまとめて聞ける。

 古本まつりの効用について。不覚にも最近知った。本には羽根が生えている。本屋から、その飛び去ること/消え去ることの、速いこと、速いこと。聞けば求めるその本は、どこかよそを飛んでいて、一度たりともこの書棚に降りてこなかったというではないか。さらば、○○書店よ。私は知恩寺(あるいは下鴨神社)へ行く。行ってテントの下に並んだ本箱の中を確かめる。

 古本まつりの実際について。求める本はマイナージャンルで発行部数も読みそうな人間も同時に少ない。またもや、一足遅かった。だが、本当にマイナージャンル、買い求めたのはどうせ、知り合いか、知り合いの知り合いか、知り合いの知り合いの知り合いぐらいだろう。ほら、となりの店のテントからニヤニヤしたのが、袋に何かぶらさげて出てきた。

 古本まつりの副作用について。おかげで、目についた本は、読もうが読むまいが、とにかく買い置く習慣がついた。まったく不相応もはだはだしい。おかげで財布の底ならいつでも見える。部屋の床がどこにも見えない。本棚(スチール製)がひしゃげる。畳が沈む。床がきしむ。背表紙達が笑ったと思ったら、崩れ落ちてくる。またいくつも山ができる。今度は窓に手がとどかない。外の気温も分からない。

 古本まつりの思い出について。最初に親に連れてこられたのは、まだ小学校の頃。新興地にやっと図書館ができて、結局それでは間に合わなくなった。本を買いすぎる子を、親は知恩寺へ連れていった。元々はおこづかいを有効に使う手段だったのだ。ああ、それなのに、それなのに。

 その思い出について、その2。最初は、金がないまでも、単なるお客だった。いつからか、バイトとして、店のテントの中に坐っていた。

 思い出について、その3。それも引退して、本当に単なるお客さんとしてやってきた古本市だったのに、いつのまにか、やっぱり店のテントの中に坐っていた。

 思い出について、その4。バイト代を全部、古本に使った。

 三度、古本まつりの意義について。本屋は普通歩いてこない。古本屋は古本市へやってくる。本を担いでやってくる。韋駄天でもなければ、市中の古書店を半日で回ることなど不可能だ。重い本を担いで回ることなど理不尽だ。古本市には古本屋が一堂に会する。荷物が重くなったら送ってもらえる。どんどん本が増える。

 ふたたび副作用について。今度はカーテンに手がとどかない。外の天気も分からない。

(はすだ おさむ・地方公務員)

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