百萬遍大念珠くりと古本法要

長谷雄 良祐


 「天高く馬肥ゆる秋」「読書の秋」。京都の秋の名物となった京都古書研究会主催の「百萬遍の古本まつり」が近づいてきた。

 洛北の浄土宗大本山百萬遍知恩寺境内で初めて開催されたのが昭和五十三年、以来二十年、門の前には多くの若人の憧れの京都大学があり、学生の街百萬遍で行われるこの「古本まつり」は誠に当を得た場所の選択であったと今ながら感心する。

 会員諸氏の熱心な努力によって今では、「古本まつり」前になると本山寺務所の電話のベルの鳴る回数が増える。全国と云って過言ではない程、各地より日程等の問い合せの電話がかかってくるのである。時には仕事が手につかない事もある程に「百萬遍の古本まつり」も有名になった。

 会場の百萬遍知恩寺は平安末期凡そ八百年前にお念佛の宗旨を開かれた法然上人を開山と仰ぐ浄土宗の大本山である。境内は約九千五百坪もあり、東山通り・今出川通りの角に位置するが、通りに面して商店が並ぶため、この寺の存在すら知らない人が多いのが本当に残念である。

 しかし今出川通から山門を入ると正面にひときわ目を引く建物大殿(御影堂=開山法然上人を安置する堂)があり、その前が「古本まつり」の会場となる。

 期間中はまるで新京極がそっくり移動してきたようなにぎわいを見せる。毎日これ程の参詣者があるといいなと思う。

 「古本まつり」初日の店開きの前に大殿で「古本法要」が行われる。研究会会員と境内にある幼稚園・保育園の子供達が参加して営まれる。長い間書架に眠っていて忘れられた本に今までの労を感謝し、又もう一度日の目を見てもらい改めて必要とする人々に活用してもらいたいと願いを込めて行われる法要である。

 この法要の中で「百萬遍大念珠くり」が行われる。「大念珠」すなわち大きな数珠である。この大念珠は間口十五間奥行十三間の堂の中を一廻りする。そして野球のボール大の桜の木を用いた一〇八〇の珠で出来た大数珠は、独特の節で念佛を唱えながら参詣者によって廻される。実に壮観である。

 そもそも今全国で行われている「百萬遍数珠くり」発祥の寺がこの知恩寺である。

 この由来は、約六百五十年前、後醍醐天皇の御代、京都の町に大地震があり、併せて伝染病が流行し大勢の人が亡くなり、鴨川の河原に死人の山ができる程の災害があった。後醍醐天皇は大変ご心痛になられて方々の神社・佛閣に病気平癒祈願をされたがその功なく、当山第八代住職善阿空円上人のもとにその勅命あり、空円上人は宮中に参内して七昼夜の「別時念佛」(七日間の不断念佛)で百萬回の念佛が唱えられ、この念佛の功徳により京の病気が癒ったと云う。その功績により当知恩寺に「百萬遍」と云う称号が下賜され以後百萬遍知恩寺と称するようになったのである。

 又その時品物で二種の褒美を拝領した。大念珠と弘法大師ご真筆と伝承される利剣名号である。以降佛様に種々祈願する時には利剣名号軸を掛け念佛を唱えながら数珠をくる習慣が出来たと伝う。

 故にこの法要の中での念珠くりは、常日頃の書籍の大きな恩沢を感謝し学徳成就を祈願する意義深い行事であると思う。

 冀くは、多くの人々が忘れられた書籍にもう一度活躍の機会を与え、乏しくなった資源を有効に利用するよう心がけて頂きたいと切に念願する次第である。

(はせお りょうゆう・知恩寺執事長)


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