和本とむし
例年、大阪古典会の特別市の案内が届く頃、五月の末頃から店内に小さな黒い虫が飛び交う。「シバンムシ」の成虫である。本の上に落ちてウロウロしているのもいるが、だいたいが明かり目がけて飛んで行くので、窓ガラスの近くで息絶えている。横田順彌氏の小説集『古書狩り』(ジャストシステム刊)の中に「紙魚」に変身してしまう古書マニアの話があるように、本を喰う虫では「紙魚」ばかりが有名である。がしかし、被害の大きさでは「シバンムシ」の比ではない(注)。
和本を喰うのは「シバンムシ」の幼虫である。長さ3ミリほどの蛆で、ちょうど「コクゾウムシ」を一回り小さくした大きさ。色は白い。成虫も一回り小さく2ミリほどだが、生命力の点では「コクゾウムシ」に遠く及ばない。何せ、本から飛び出たはいいが、たかだか数メートル先の窓ガラスにへばりつき、そのまま死ぬだけであるのだから。(そうそう、ゴキブリの糞と時々間違える)
幼虫が成虫に羽化するのは梅雨前の五月末から六月の時期、ほぼ一斉である。今年は早くから暑かったせいで、早いものは四月の末から羽化が始まった。羽化は日照ではなく、気温の変化で決まるようだ。
小店では、数年前大量の羽化があった。それは窓のカーテン地を少し陽を通すような薄いものに張り替えた年であった。そのために室内の気温が上昇し、羽化を手伝った模様である。「九州の本は虫が多い」とはよく言われることで、高温、しかも多湿を好む虫なのである。
さて、高温多湿でないところに保管しておけば、たしかに活動は不活発になり虫の被害も最小限に食い止められるが、高温多湿な場所に移動すればまた繁殖が進んでしまう。「シバンムシ」の駆除に妙案はないものか。
駆除にはふつうの殺虫剤は効かない(注)。なぜなら和本の奥深くのわずかな空間で生きているのであるから、殺虫剤が入り込むことはない。卵や蛹(繭をはる)だと薬さえ効かぬかも知れぬ。電子レンジで焼く、というのはもっともらしいが、どうもデマであるようだ。
と、さる和本屋さんに貴重な話をうかがうことができた。
「シバンムシを増やさないためには、羽化後に交尾させなければいい。つまりその間に手を打てばいい。具体的には羽化する少し前、四月頃に幼虫のいる本をビニール袋に詰め、中に防虫剤を入れておく。蛹から羽化したての成虫が本の外へ出てきたら防虫剤にやられて、交尾・産卵ができなくなるようだ。だからそれ以上の増殖が起こらない。結果的に虫を減らすことができる。ただし、幼虫がすべて一年で羽化するわけではないので三年くらい同じ事を繰り返さないと、また次の年から増えてしまう」
うーん、さすがにフィルムケースの中に幼虫と和紙をいれて、その生態をつぶさに観察した上でのこと、説得力がある。実際にも駆除に成功されているらしい。
それを横で聞いていた別の和本屋さんが、
「そんなん、防虫剤くらいでやられる虫やない」
とも言っていたが、どちらが正しいか、来年は是非とも実験してみたい。広辞苑を引いてみた。「死番虫」と書くそうである。あな恐ろしや。 (三浦)
注・すでに本誌第二号掲載の「紙魚の冤罪」において、西村宰爾先生がこの点について指摘されておられる。・臭化メチル等による燻蒸で死滅するらしいが、毒性・用法からいって個人での利用はむずかしいようだ。
補注・「電子レンジで焼く」のは「デマ」と書いてしまいましたが、実は九州大学教授の中野三敏氏の説かれるところであることがわかりました。が、その文献にまだあたることができていません。もしご存じの方がおられましたら、こちらまでお教えくださいませ。(98.8.25)
その後、書店で中公新書『江戸文化評判記』中野三敏著を入手しました。
その182頁に「ラップして電子レンヂで五十秒以内のチンをやること」とありました。一分半やった場合の失敗談もあり(加熱されすぎて、酸素に触れるだけで燃えだすのである)、五十秒という説になるようだ。古書研会員の大書堂氏の話だと、五十秒ていどのチンでも表紙が水分でボトボト、中は水分が飛んでカラカラになってしまい、本は使い物にならなかったということである。ラップしなければどうなるか? あっと言う間に水分が飛んで発火点に到達し、レンジを開けると同じに燃え上がること必定である。
「デマ」というのはお詫びの上、ここに訂正いたしますが、用法・要領には厳重な注意が必要、ということです。(98.9.10)