新刊屋と古本屋

―その距離感の変遷―

宍 戸 立 夫

 いま思えば石油ショックの前ごろまでは、新刊屋と古本屋の距離が、現在よりももう少し近かったような気がする。近いと感じた理由は、新刊屋の本が短期間に、古本屋に移動して行く大きな流れが存在していたからである。日本中がまだまだ貧しくて、お客様方の本代も乏しく、新刊を買っても読み終えるとすぐに古本屋に売って、そのお金でまた新刊を買うということを繰り返す人も少なくなかった。そして、その当時の古本屋さんの買い取り金額は、今では信じられない位の高率だった。そのおかげで、換金目的のプロやアマの万引きが横行し、新刊屋は莫大な被害を被っていた。しかし被害ばかりではなくて、新刊屋も売れ残りのショタレを、古本屋さんに売り払うとけっこうな金額になった。また、古本屋さんの方も新刊屋の棚から、熱心に所謂セドリをして行かれたものである。セドリといっても堀り出し物を探すまでもなく、当時の猛烈なインフレーションは、重版すると定価が五割十割と上ることが珍しくないくらいだったから、旧定価の本を見付けるだけで、現行定価との差で確実に儲けられたのである。何年前の定価であろうと、そのままの値段で売るしかない新刊屋としては、少し損した気分になったものである。筑摩書房の「定本柳田國男集」や中央公論社の「折口信夫全集」の定価が、短期間に二倍以上になったときには、あわてて買い集められるお客さんたちの中に、古本屋さんたちも混じっておられた。また、当時はそこそこまともな出版社でも、在庫品をゾッキ本ルートに流すことがよくあった。新本を割引き特価で販売されたのでは、定価で売っている新刊屋はたまったものではないから、こちらも足繁く古本屋さんを見て回り、ゾッキ本を見付けたら、自分の店の在庫を返品したり、出版社に苦情を言ったりした。

 かくのごとくに、あのころは、読者が売り、万引きが売り、新刊屋が売り、出版社が売り、おそらく取次屋も売り、そして古本屋さんがわざわざ買いに来られるという具合に、新刊屋の本は滔々と古本屋に流れ込んでいたのである。だから、おおげさに言えば、古本屋さんの店頭は月遅れ年遅れの新刊屋のような具合であった。これは当然のことながら、同じ買うなら少しでも安く買いたいという、お客の側の強い要求があったからである。当時のお客様方は、買いたい本を満足に買える人はまれで、本が高いとの嘆きの声ばかり多く、たまに高い本を無理して買われると、たちまち支払いが滞られることも珍しくなかった。それに当時はいまと比べれば出版点数が少なく、またお客様方の読書傾向も現在のように拡散していなかったから、その意味でも古本屋さんは売りやすく、また買いやすい状況だったようである。もちろんその当時でも、書画古典籍明治大正の古書などを専門とされる、〈高級な〉古書店も存在していたのだが、新刊屋から見ると普通の古本屋さんのようには親近感が持てなくて、どちらかといえば古美術商か骨董屋さんの類いと感じていた。

 そうこうするうちに、二度の石油ショックをやり過ごしたあたりから、お客様方の様子が急速に変化し始めて、ふと気がつくと、本が高いとこぼされる方はほとんどおられなくなり、聞かされるのは、これ以上買ったらもう置く場所がないとの嘆きばかりとなっていた。お得意様宅へ配達に行くと、居間応接間廊下はいうまでもなく、下駄箱の上にまで本が溢れているのを見せられたり、本の重みで家が傾いたとか、床が抜けたとかの話を聞かされたりした。そしてそのころから、古本屋さんに売り払ったらばかに安かったとか、いつもの古本屋さんが引き取ってくれなくなった、とか言われることが多くなった。古本屋さんがもっと積極的に買い取ってくれれば、うちの店の新刊書ももっと売れるのにと恨んではみたものの、古本屋さんも売れる見込みがないから買い取れないわけで、このころを境にして、新刊屋から古本屋への本の流れは一挙に細ってしまったようである。

 その後の新刊業界と古書業界の見かけの距離は次第に遠ざかる一方である。古書業界では、主として教科書や学参や真新しい本を、新刊屋より安く買えるというタイプの古本屋さんが衰退して、専門分野を持った古書店だけが繁盛されるようになった。その主な取り扱い分野は戦前までの古書古典籍のほかは、生原稿、自筆書簡、絵葉書、ポスター、チラシ、めんこ、すごろくなど、僻みかもしれないが、新刊屋とは無縁なものほど人気があるのだな、という状況になってしまった。余談ながら、このように古本屋さんの新刊書離れがあまりにも顕著だった反動から、近年急速に増えつつあるのが、リサイクル本屋とか新古本屋とかいわれる業態である。彼らは単に古本屋の新種というだけではなくて、ここ十年位の間に急速に市民権を得た、中古CD店やファミコンショップのノウハウをも、色濃く受け継いでおり、そこが従来の古書店を敬遠していた女性や若者に受けているようだ。

 それはさておき、一方の新刊業界では、本の価格上昇率が諸物価に比べるとかなり低かったために、総売上を増やす必要もあり、また読者の側の価値観の多様化もあって、刊行点数が増加の一途をたどり、それに応じて新刊屋もどんどん大型化した。大型化する力がなかった街の新刊屋は、児童数の減少、商店街の衰弱、モータリゼーションの発達による郊外型書店の増加、在宅率の低下や人件費の高騰による外商の不採算化、チェーンストアの集中豪雨的な出店、さらにはコンビニエンスストアに売れ筋商品である雑誌、コミックス、文庫を奪われてしまい、ついには廃業続出という状況に追い込まれている。

 ところで、わが三月書房は創業四十八年、あいもかわらず十坪の小店のままだが、今のところは何とか生き延びているようである。これは、開店当初から近隣が書店過剰気味だったから、他の書店との差異を出すために、意識的に世間一般の売れ筋を避けてきたことが、結果的に幸いしているようである。うちは別に何が専門というわけではないし、また新刊屋の分際では、古書店のような専門書店化が不可能であることも承知している。うちの場合は、大型書店に量では絶対に勝てなくても、質の勝負ならば、百に一つや二つは勝てる分野もあるだろうし、そういう棚がいくつかあれば、それを目指して遠方からも来てもらえるだろうという戦略でやってきた。そのためには、うちが力を入れる分野の棚には、流通経路に載っていない自主刊行物も、雑誌のバックナンバーも、大型店ですら厭がる返品の不可能な旧刊本も並べなくてはならない。その結果として、うちの店の雰囲気は、近ごろのリニューアルされた新刊書店よりも、古書店の方に近いようで、通行人に毎日のように間違えられていますが、一向に悪い気はしません。それどころか、もはやいまでは同業者とも言いづらい大型書店や、コンビニのようなチェーン書店や、マルチメディア商品とか言うものとの複合化書店などよりは、古書店の方によっぽど親近感を持っていますから、間違えてもらって、むしろ光栄だといつも思っています。現在、新刊書業界では再販制度の継続が微妙な情勢にあり、万が一、適用除外処置が廃止になれば、販売価格が自由化され、再び古書店と新刊書店の距離が近くなる可能性も考えられます。もしそうなっても、うちのように古書店に近いスタンスを持っていれば、少しは有利かもしれません。

 最後に、この機会をお借りして、京都の古書業界にお願いをしたいのは、難波や梅田にあるような古書店の集合施設、神田の古書会館のような古書展を開催出来るビル、そしてとにかく量だけは大量にある大型古書店、以上の3件をぜひとも京都に、それも、願わくは三月書房の近辺に建設していただけないだろうかということです。どうぞよろしく。

(ししど たつお・三月書房)

編集部注 三月書房さんは寺町二条上るにあります

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