紀行文

ベトナム最高峰登頂の旅

                            

   
 カンボジア・ラオス方面の山                              中国南部の山
 
  ファンシーパン山頂                                少数民族の棚田
  
   刺繍をする枯葉剤被害者の子どもたち                 ハロン湾洞窟の鍾乳洞

 参加者の最高年齢78歳のツアー

 2011年12月下旬、ベトナム最高峰ファンシーパンに登るツアーに参加した。12月17日10時30分
関空から出発。東京・名古屋・大阪の3つの空港から参加者がハノイの空港に14時台に集合。メンバーは添乗
員を含めて11名。北海道から東京・千葉・群馬・新潟・愛知・大阪と各地から参加している。最高年齢は78
歳で、76歳の老人は70歳を超えて8153m峰のチョー・オユーに登ったという強者(つわもの)だった
(ちなみに、後でこの老人はスキー・ノルディックのワールドカップ三連覇を成し遂げた荻原健司氏の父親だと
わかった)。マッターホルンに登った女性も。もちろん、こんな猛者(もさ)ばかりではなかったがーーー。現
地ガイドはワイさんといって、ハノイ大学の日本語科を卒業しており、全日程つきあってくれた。

 空港到着後、専用車でハノイ市内へ移動し、夕食。夜は寝台列車に乗り込み、約8時間の列車の旅。21時1
0分に出発。客車は戦前製を思わせる造りだ。揺れが尋常ではない。まるで飛びはねるように上下する。とても
寝られるような状態ではない。聞くところによると、線路のつなぎとつなぎの間が短いことが影響しているらし
い。そして、時にガタンと大きな音がして停車する。こうして睡眠も十分にとれないまま中国との国境の街・ラ
オカイへ。

 

 少数民族モン族の暮らす街・サパ

約300キロの列車の旅を終え、ラオカイに着いたのは朝の5時30分。ここから専用車で標高約1600メ
ートルのサパに向かう。約1時間でサパに着いたが、一面深い霧に覆われている。これではめざす山頂がガスに
覆われて何も見えないかと心配になってくる。

この日の午前中は体を慣らす意味もあって、少数民族黒モン族の暮らす村へのハイキング。村を見下ろす所か
らは見事な棚田が見える。村の入り口から歩き出すとモン族の女性20人ほどがやってきて、われわれといっし
ょに歩きながら小物を売りつけてきた。そのしつこいこと! ずーとついてくる。根負けしたように少女から携帯
入れを買うと、この人は買ってくれそうだと見たのかまた群がってくる。買う気がなければ無視して進むしかな
い。家や田んぼではアヒルや鶏、それに牛が水浴びしたり餌を食べたりしていた。見渡す限りの水田が広がって
いる。放棄地などは絶無なのだろう、きっと。ベトナムは世界有数の米生産国なのだ。途中、立派な学校があっ
た。壁に日の丸とベトナム国旗が並んで張られていて、日本の人々からの援助で建てられたとある。この日は日
曜日で学校の授業がなかったため、どのような団体が寄付して建てられたのかは、聞くことはできなかった。

 午後は赤モン族の村を見学。ちなみに、頭に赤いターバンのようなものを被っているので赤モン族といわれる。
黒の場合、黒モン族というわけだ。この村では家の中を見学。土間には調理場や食卓などがあり、2階が寝室に
なっている。隙間だらけの建物で、寒さ対策はどうしているのか気になった。この村も観光対象となっているよ
うで、行き帰りけっこう外人の観光客を見かけた。土産物売りも相変わらずである。

 

 標高2800mの第2キャンプへ

 12月19日、いよいよ登山に向かう。8時30分に専用車でホテルを出発し、9時30分に登山口のチャム
トン峠(約1950m)に着く。ここで登山ガイドと10名ほどのポーター兼炊事係と合流。荷物も最低必要な
ものだけは自分で担ぎ、あとの荷物や食事の材料、テントやマットなどは彼等が運んでくれる。まさに「大名旅
行」である。

いくつかの浅い沢の渡渉を繰り返しながら、ゆるやかな樹林帯を登っていく。常緑樹が中心で、竹もよく見ら
れる。12時20分頃に第一キャンプに着く。ここから第二キャンプまでのアップダウンはなかなかきつい。

途中、焼けて枯れたような木を見つけたので、ガイドに雷で焼けたのかと聞くと、山火事だという。2002
年に大規模な山火事があり、数か月燃え続けたという。乾季の夏には気温が40度以上になり、自然発火したと
いう。よくみるとあちこちに立ち枯れしたような木が見られる。そうすると、小さい木はこの山火事の後に生え
てきた木ということになる。竹林のある第二キャンプに着いたのは16時過ぎ。この夜、一面の星空を眺める。
これほどくっきりと輝く星を眺めたのも久しぶりだ。人口衛星を見ることもできた。

 

 眺め抜群の最高峰

 12月20日、登頂の日。天気は快晴。朝7時20分にキャンプを出発。竹林をぬうようにして急な登りが続く。
途中見渡せば雲海の中にまるで島が浮かんでいるように見える。登山開始から1時間後、一つのピークの横を下降。
梯子もあり、人によっては確保が必要な個所もある。

きつい登りが続いて、10時過ぎ山頂に到着。標高3143mのベトナム最高峰のファンシーパンだ。この山の
名前はモン族がつけたもので、「大きな岩」という意味だと聞いた。頂上からの眺めはまさに絶景。遠くラオスや
中国・雲南省の山並みが広がっている。雲海の中に山々がまるで墨絵のように広がっている。これまで、マレーシ
アのキナバル、台湾の玉山、タイの最高峰などに登ったが、このファンシーパンが最も眺めがすばらしいと感じた。

ここから同じ道を引き返したが、最高齢のTさんが遅れ、また高山病のせいかKさんが調子をくずした。第二サ
イトには13時頃着く。昼食はやきそば。炊事係が作ってくれた食事はどれもおいしかった。手元の温度計では3
2度。日中はかなり暑い。夜は思ったほど寒くはなかったが、朝晩の寒暖差はかなりあった。

14時、ゆっくりと第一キャンプに向かい、2時間半かけて到着。この日の夜はけっこう強い風が吹いた。テン
トの上に張られたシートがテントに当たって、強風の度にバタバタと音がしてなかなか寝られなかった。

 

 全身マッサージが800円!

 21日、この日も快晴。8時50分に第一キャンプをたち、登山入り口をめざす。途中、タラオという赤い木の実や、
カルダモンの群生地を見たりしながらのんびり下山。登山口のチャムトン峠には11時30分に着く。ここでポータ
ーたちとお別れしてサパに向かう。ホテルに着いて、シャワーを浴びる。

午後、サパの街を見渡す展望台・ハムロン丘の見学が予定に入っていたがガスっていたこともあり、市場の見学を
することにした。通りにでると、少数民族の女性が売りにくる。今回、テーブルクロスを買うつもりだったので買っ
たが、40万ドン、日本円で2000円程か。これは相当安い買い物のはずだ。自分が買うと数人の女性が寄ってき
ていろいろ売りつけようとする。それを警備員らしい男性があっちへいけと注意している。どうも、通行を妨げてい
るということらしい。

市場を見てまわった後、ホテルで同室になったTさんと全身マッサージをやってもらう。約1時間で17万ドン、
日本円で800円程になる。ベトナムの物価がいかに安いかを改めて実感した。

 

車窓からのどかな田園風景が

 12月22日、この日は列車による一日移動日。8時前にサパを出発し、8時30分に中国国境の街に立ち寄る。
川を隔てて向かい側は中国の川口市。1970年代、50万人を超える中国軍が突如鉄橋を渡りベトナムに侵攻して、
一帯を占領した。サパのあたりも占領されたという。その後、国交が回復し、ベトナムと中国の国境の交易促進を歓
迎するスローガンが掲げられていた。

9時10分にラオカイ駅から貸切車両の寝台列車に乗り込む。今度は来た時よりも3時間遅い約11時間の列車の
旅。列車は川沿いをゆっくり走る。車窓からはのどかな田園風景が広がる。ずーと見ていても飽きない。山手には焼
畑が広がっていて、主にキャッサバ(イモ)が作られている。ある駅では、線路と線路の間に野菜が植えられていて、
思わず笑ってしまった。どの家もきっちり野菜が栽培されている。畑の作り方を見ていると、ベトナム人の几帳面さ
がよく窺える。列車の旅も飽きて、ビールを飲みながら横になる。

途中の駅で添乗員の中川さんがトウモロコシを買う。ものすごく安い。粒のそろったいかにもおいしそうであった
が、食べてみると甘味がまるでなく、少しかじっただけで食べるのをやめてしまった。他の人は最後まで食べていた
ので味覚の違いかもしれないが、自分で育てて採りたてを食べてきた者としては、おいしくないものを無理にたべよ
うとは思わなかった
もしかしたら、ベトナムでも化学肥料が大量に使われているのかもしれない。ハノイ駅に着い
たのは20時過ぎ。

 

 親が枯葉剤を浴びた子どもたち

 翌23日はハロン湾のクルーズが予定されていた。ハロン湾まで180キロ、約3時間半、往復で7時間という行
程で、別にそれだけの時間をかけていくほどのこともないかなと思ったが、これはこれでなかなか充実した観光であ
った。

途中、キャノンやホンダの大きな工場が見える。安いベトナムの労働力によって生産される多国籍企業による「日
本製品」。現地ベトナムでは、車は普通の市民では買えないような値段がするという。普通車で300万円。バイク
がすごく普及しているが、これにしても12万円はする。平均の月収が2~3万円というから月収の半年分に当たる。
ちなみに、ハノイの道路はバイクであふれている。というより、バイクが車道の王様である。ものすごい数のバイク
にただただ圧倒される。このバイクも、石油が自給できているベトナムでは、1リットル90円というから日本と比
べればはるかに安い。

 休憩で立ち寄った店では、手工芸品がたくさん売られていた。すぐ目についたのは、百人を超えると思われる少女
等が刺繍をしている光景である。聞くところによれば、アメリカがベトナム戦争中に投下した枯葉剤を浴びた親から
生まれた子どもたちだという。障害を持って生まれた子ども
たちの授産施設でもあるということだろう。ここで、刺
繍と竹で作られた2種類のランチョンマットを買った。

 

 ハロン湾クルーズにて

ハロン湾のクルーズは、大小2000以上の石灰岩の奇岩が海面から聳え立つダイナミックな景観で、船中での海
鮮料理を味わいながら十分楽しませてくれた。料理といえば、水上生活者の所で注文して料理してもらったが、紋甲
いかのさしみとなんと兜蟹を食べることができた。兜蟹といえば、日本では岡山県の笠岡にしか生息せず天然記念物
になっているはずだが、ここでは普通に食べられるということになる。ただし、味はといえば何かようわからんとい
う代物だった。クルーズ中、ある島に上陸して鍾乳洞を見学したが、これが又スケールが大きくて見事な景観が見ら
れて、ここまで来ただけのことはあったと思った。

 

 ベトナム料理と水上劇

こうして、約3時間のクルーズをたっぷり楽しんで夕刻ハノイに戻る。この日の夕食には、生春巻きやあっさりし
たサラダ風のベトナム料理がでて、おいしかった。ベトナム料理といえば、ほぼ毎回ホーという日本でいえばニュー
メンのようなものが出て、あっさりしておいしかった。味付けは全体として薄味で、これに魚醤をかけて自分なりの
味にして食べるととてもおいしかった。

夜はベトナムの伝統芸能である水上人形劇を観劇。水上の人形を幕の後ろで操るもので、ダイナミックな動きを演
出し、なかなか見応えがあった。操る演者はずっと水に入っての操作ということで、これはなかなか厳しい芸だと思
った。

 

 この後、ハノイの空港に向かい、夜中の0時過ぎ、それぞれの空港に向かって日本に飛び立った。関空に着いたの
は朝の7時前だった。日本は寒波襲来で、ひときわ寒さを感じながら自宅に向かった。

 

 


ワイルド イズ ビューティフル

―ケニヤの大自然を満喫する旅印象記―

 山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』。その主人公のモデル故小倉寛太郎さんがこよなく愛したケニヤの大自然を旅する
10日間のツアーに参加した。

 9月16日、関空から深夜出発の飛行機でアラブ首長国連邦のドバイまで11時間。そこから乗り継いでケニヤの
ナイロビの空港に17日の午後3時前に到着。
空港から降りて、マイクロバスに乗って移動する車からケニヤ人の
歩く姿が目に入る。すらっとしてなんと姿勢のよい歩き方か! 日本人のやや猫背気味の姿勢とは大違い。  

 翌18日はアンボセリ国立公園に着く。この公園からキリマンジャロが見える。翌朝には山がくっきり見えた。キ
リマンジャロを背景に象が悠然と歩いている光景は映像でしか見ることがなかったケニヤの大自然のど真ん中に立っ
ているという印象を強くした。

 マサイ村の一つを訪問。村の男女が歓迎の踊りをして迎えてくれた。マサイの男の跳躍はよく知られているが、膝
を屈伸することなくよくあれほど飛び上れるなと感心する。
家は象や牛の糞で壁が造られている。家の見学の後、子
どもたちが歌をうたってくれた。村のリーダーによれば学校がなく自分たちが教えているとのことだった。どこから
も支援はないという。教具も教材もない状態で、教育のためにカンパを求められたので、参加者一同で少しカンパし
た。

 19日午後はナイバシャ湖でボートサファリ。20日はいよいよマサイマラ国立公園に向かう。大阪府と同じくら
いの面積を持つ広大な公園である。約6時間のドライブだったが、がたがた道の連続でへこんだ部分が補修されてい
ない。
ちなみに、ケニヤ滞在中、サファリ車がパンクした。近くで道路工事をしていた青年二人が車を持ち上げるの
を手伝ってくれた。こんな行為はごく普通にあるのだろう、きっと。

 午後に公園到着後から3日間、たっぷりとサファリを楽しむ。この公園の動物数、個体数は世界有数というからす
ごい。タンザニアの国立公園と隣接しているというから、まさに野生の楽園だ。牛科のヌーは集団を成してどこにで
もいる。シマウマも多い。ガゼルやインパラもよく目につく。象・ライオン・キリンも珍しくない。しかもまぢかで
見られる。ライオンや象など他の動物に襲われる危険のない動物はサファリ―カーが数メートルの距離まで近づいて
も全く無視している。ここは野生動物の世界であり、人間はそこに踏み込んだ「お客さん」(排気ガスをまき散らか
し、平然と生活の場に踏み込んでくるやっかいもの!)なのである。別の公園では、サイが車の数メートル先を悠然
と通り過ぎていった。

 ライオンが斃した動物をくわえていく場面、白骨化した動物の骨、交尾しようとメスの傍にいるライオン等々、野
生動物の世界が肉眼で見られる。写真をとりながら、双眼鏡で眺めていると、動物たちの容姿のすばらしさに引き込
まれていく。

 何故野生の動物はこれほど魅力的なのだろう。これは肉眼で見たものにしかわからないことかもしれない。毎日餌
を与えられ、世話されている動物園の動物にはこの“野生の輝き”はない。野生の動物は大自然の中で懸命に生きて
いる。百獣の王といわれるライオンさえふんだんにいる獲物を簡単に斃すことができるわけではない。妊娠したチー
ターを見たが、母親は子どもを守るために必死になる。彼等はまさしく“生きている”のだ。こうした感動を文章で
表すのは難しい。「百聞は一見に如かず」で、動物園で見るのとどう違うのと聞かれても、現地へ行って実際に見て
きてくださいとしかいいようがない。
実は、サファリに出かけなくても、ロッジのすぐ近くの川には5頭ものカバが
一日中じっとしている。猿もロッジによく出没する。鹿の一種はロッジの床下にじっとしている。縞マングースがい
る。ロッジそのものが野生動物のテリトリーの中に建てられているのだ。

 人生の中で、一番見たかったものを見た、これでいつこの世におさらばしても悔いはない、こう言い切れるほどの
体験だった。「ワイルド イズ ビューティフル」=野生は美しい、感想を一言で表せばこの言葉に尽きる。
しかし、
考えてみれば野生動物の大量絶滅時代の今、このようなサファリが楽しめた最後の機会に遭遇したのかもしれない。
キリマンジャロの雪は頂上付近にわずかしか残っていない。近代社会が本格的に展開する150年ほど前に描かれた
絵には山のかなりの部分を万年雪が覆っていた。雪が融けてしまうことが野生動物にどのような影響を与えるかはわ
からないが、もしかしたらこの「野生の王国」が消滅するようなことはないと誰が保証してくれるのだろうか。

 人間は罪深い動物だとつくづく思う。自然が人間の思い通りになると、したい放題に「文明」を築いてきた結果、
人間の生存基盤そのものを危機に追いやってきたように思う。「野生の王国」で、もう一度人間と自然の関係を考え
てみる、これもサファリの意味ではないだろうか。人間は自然の一部だという当たり前のことを現代人はほとんど忘
れ去っている。帰国して、どんどん薄れていくサファリの印象の中で、強まってきた思いはそのことだった。

                                           (2011.9.30)

追記

 10月20日夜、NHKの「クローズアップ現代」を観ていたら、9月25日に亡くなったケニヤの環境保護・人権活
動家のマータイさん(ノーベル平和賞受賞者)のことをとりあげていました。ケニヤから帰国した日に亡くなられたこ
とに何か運命的なものを感じていましたが、今さらながらその偉大さを実感しました。彼女の始めた植樹運動は大きな
成果をもたらしています。

しかし、現実は過酷です。東アフリカでは猛烈な勢いで森林が失われ、現実にケニヤの隣国ソマリアでは60年来の
大旱魃により、数十万人が餓死寸前だといいます。内乱状態でもあり、援助物資が届かないという事情もあるとのこと
ですが、「大名ツアー」から帰っても、何もできないもどかしさにとらわれています。現実を知れば知るほど無力感に
とらわれますが、まず一歩ふみだすこと、これがマータイさんの遺言のような気がします。

                                 (2011.10.21)