木島庵便り

長野県の最北端、新潟県との県境に飯山市柄山集落がある。戸数10軒ほどの
小集落である。この集落にある築200年はたっているという古民家を借りて、奈
良の自宅から月1回程度通ってきた。
思う所があって、2011年11月末、木島平村に古民家を購入し、改めて奈良と
木島平村の二地域居住をスタートさせた。


木島庵便り(4) 2012.4.6〜10

 
 別宅の周辺の景色             樹氷?!   
     
 
  別宅に薄っすら積もった雪       北信五岳の山々
 
   妙高山                     福寿草
 
   別宅裏側からの風景            飯山駅

 4月6日、飯山駅に着くと雪空模様。やがて雪吹雪に変わる。デマンド
タクシーに乗り、15時に上千石に着く。バイクでAコープに買い物に行くが、
激しい横殴りの雪。雨具に雪が付く。眼鏡にも雪が付く。払ってもすぐ付く。
 4月7日は時々雪。4月になっても雪とは。飯山市のD2で上敷き・マット・
回転いすなど買う。
 4月8日、飯山市土倉のOさん来宅。家の修繕について相談し、やって
もらうことになる。屋根の上部に穴があいたり、庇が壊れたりした部分や
雪が落ちやすいように、母屋の周りを壊したりの修繕になる。
 4月9日朝、ユリと福寿草の群生地のある原大沢まで散歩。福寿草が
ちらほら咲いている。フキノトウやノカンゾウも雪が融けた後に生えている。
春は確実に訪れようとしている。しかし、桜はまだ蕾堅しの状態。
 4月10日、家の裏の畑の所を歩く。残雪がまだあるが、よくしまっていて
歩きやすい。都合でこの日奈良に帰る。




木島庵便り(4) 2012.3.8〜11

 
  デマンドタクシー(飯山駅前)               融けた屋根の雪     
 
 家の裏側はまだ雪が積もったまま            蔵の雪もかなり落ちた   

 
 雪が降り、一面銀世界に                  屋根にも雪がーーー

 

  高井富士                              妙高山


  飯山駅

3月8日、13時32分発の越後川口行きは除雪作業のため、栄村の森宮野原駅まで。
ふるさとの歌が生まれた替佐駅あたりから雪景色。14時30分、飯山駅前から木島
平村のデマンドタクシーで上千石へ。屋根の雪はしばらく暖かい日が続いたためか
かなり融けていた。が、家の裏側はしっかり残っていた。家の前の雪を取り除き、バ
イクを出して馬曲温泉へ。
3月9日は家の横と裏の屋根の除雪。屋根のひさしの部分の硬く凍った部分を切り
落とすとどさっと雪が落ちる。落ちた雪の塊で家の裏の戸のガラスが割れた。この
日もバイクで馬曲温泉へ。
3月10日、雪が10センチほど積もっている。表の屋根に少し積もっていた雪を除雪。
飯山の古民家から持ってきたものなどをかたずけてから、近くをスノーシューで雪中
ハイク。何もない銀世界を行くのは何とも気持がいい。眼下には千曲川沿いの広大
な景観が広がる。北信五岳と信越トレイルの眺めもすばらしい。
除雪もだいたい終えたので、3月11に帰る。
そうそう、今回は愛犬ユリもお供してくれた。この新しい家もけっこう気にいってくれ
た様子。いよいよ春が駆け足でやってくる。しかし、北信州の春は遅い。



木島庵便り(3) 2012.2.1〜5

 
 除雪前の家(2月1日)         屋根の上から撮った風景             
 
 家のまわりの風景            家の蔵に1M以上の積雪
 
  除雪中の家(2月2日)            妙高山
 
  除雪終了(2月5日)          飯山駅(2月5日)

 ひと月ぶりの木島平村。数日前からの寒波襲来で、飯山は雪景色昼間の2便は
除雪のため、飯山線は運休。木島平村のデマンドタクシーで上千石へ。
 家はすっぽり雪に覆われている。今年は例年の二倍以上の雪が降っているとは
近所の人の話。2日から3日間、ずーと除雪作業に専念。滞在中も少し雪が積もった
が、結局今回の除雪作業では玄関側の屋根の除雪をほぼ終えた。滞在中も降雪が
あった。
 今年は各地で除雪作業中の死亡事故が報道されているが、屋根の雪降ろしは危
険が伴う。滑落ちたり、雪の中に埋まったりすることもある。慎重に雪を固めて、屋
根の一番上の部分から除雪していくが、庇の部分が空洞になっていたりするとズボ
ッといって埋まってしまう可能性がある。一度そういう状態になってひやっとしたこと
がある。新雪の場合、雪はさらっとして軽く簡単に除雪できて快適だが、トタンと接
する部分は凍っていてアルミのスコップでは落とせない。
 こんな作業は単純に見えて疲労感だけが残りそうだが、すこし少しずつ「成果」が
見えるのでやりがいがある。足腰を鍛えるのにもいい。登山をやっているので、
トレーニングのつもりでやっていると、それほどしんどいとは思わない。
作業の後は、雪景色東日本1にランクされている馬曲温泉望郷の湯でゆっくりと
体を休める。極楽、極楽。


木島庵便り(2)

 

 

 

2012年1月5日、木島平村に行く。飯山線は森宮野原駅から十日

まで大雪の為不通とのアナウンスがあった。午後3時、木島平村が運営するデマンド
タクシー(400円)で上千石に着く。
 家は雪ですっぽり覆われている。2日前に大雪警報が出て、例年の2倍積もっている
とのことだった。スコップで雪を掻いて家に入る。さっそく100分ほど除雪作業。入り口
の部分を隣家のYさんが除雪機で除雪してくれた。
翌日から3日間は除雪作業に専念。新雪の部分の除雪は簡単だが、屋根と接する部
分は凍っていてすこしやっかいな作業になった。7日は屋根の部分の除雪をしたが、
転落しないために、慎重に足場を固めての作業。思ったよりもスムーズに出来た。この
日、アルミと鉄製のスノーダンプを買った。この威力は抜群。
 この集落から車で5分ほどの所に馬曲温泉がある。車に乗らないし、道路の凍結も
心配なので、歩いて行きかけたら、向いのYさんが車で送ってくれた。翌日午前中で
除雪作業を終え、午後に馬曲温泉に歩いていく。約40分ほどかかった。集落から標
高差300メートル上に温泉がある。作業の後の温泉は気持がいい。露天風呂からは
高社山が眺められる。
 夜のこと。何やらゴトゴト音がする。屋根から雪が落ちているのかと思ったが、どうも
違うようだ。屋根裏に住むハクビシンらしい。この家の先住民(?)らしい。
 9日朝、中村というバス停まで歩いてバスに乗り、飯山駅に着く。


木島庵便り(1)
 柄山は何といっても豪雪地域で、一晩で1メートル積もることもある。

除雪もままならない状態で、頼んで除雪してもらったが、今年は20数
万円を支払った。とてもこれではやっていけないと、家を探した所、木
島平村で古民家を見つけたという次第である。ここなら雪は柄山ほど
でもないと聞いて即決した。北信五岳の妙高が真正面に見え、眺望
は満点である。近くには馬曲温泉もある。
11月下旬、大町の知人M氏に来てもらい、屋根の修理や家周りの草
や泥の撤去を行った。これから、木島平村での新しい生活が始まる。



柄山庵雑記
 (12)秋の深まり

 



 

写真
 上段左 実りの秋  右すすきと鍋倉山
 中段   そばの花と高社山
 下段左 枯れが目立つアスパラ畑  右自分地のアスパラ

 10月1日から7日まで滞在した。今回も愛犬ユリを連れていく。
 8月下旬に収穫したじゃがいもは特に大きいのがかなり腐っていた。カボチャは腐っていたのも
あったが、10個以上収穫。家に宅急便で送る。今回は、畑に蓮華と四葉のクローバー(しろつめぐさ)
の種をまく作業をする。
 10月5日、戸隠山に登る。実は4日に登る予定にしていたが、バイクの調子が悪く、点検して
もらったので、この日は乗れずじまい。おかげで、5日は雨となり、山はガスってせっかくの景色が
楽しめなかった。もっとも屹立した山で、ガスっている分、恐怖感は少し薄らいだかもしれないがーーー。
蟻の戸渡りの所は幅が数十センチしかなく、落ちたら確実に死ぬような所で、相当緊張しながら
登った。
 結局、バイクは別の中古と取り替えることになったが、これも夜戸隠山から帰る途中でエンジンが
かからなくなった。翌日届いて薪牧峠まで行ってみたが、調子はよかった。
 アスパラの枯れは猛烈だ。自分が育てている10本のうち5本は茎枯れ病の影響が出て、枯れた
部分を刈り取った。同じ時期に植えられたアスパラは写真のように全面的に枯れている。来春、
自分地のアスパラは初めて収穫を迎えることになるが、果たしてどうなることやら。


柄山庵雑記 (11)秋の気配

 

 



 

 

写真上から
  月見草・芙蓉
  ヤナギラン・タムラソウ
  トリカブト
  元気に育つアスパラ・ 周辺の畑で枯れが目立つアスパラ
  たくさん採れたじゃがいも・とうもろこしも上出来

 8月23日から9月1日まで長野に滞在。今回も飼い犬のユリを連れていく。
 いつものコースを散歩していると、すでに秋の風情を感じさせる風が吹いている。月見草やツリフネソウ
は秋の花である。山に登ると、ヤナギランやトリカブト、リンドウなどが咲いている。
 畑では、じゃがいもがいっぱい収穫できた。とうもろこしを作るのは初めてだが、良く育った。食べてみると
甘味がある。それでも一番おいしい時期は少し過ぎていたようだ。家にも宅急便で送る。すいかは2個生ったが、
1個はぐちゃとつぶれたようになっていた。もう1個はおいしく食べられた。かぼちゃは6個ほど生っているのを
確認した。1個だけ採って食べたが、まずまずの味だった。
 アスパラはたくましく育っている。来春の収穫が楽しみだ。それにしても飯山のアスパラの枯れはひどい状態だ。
軒並み枯れている。昨年同じ時期に植えられたアスパラはどんどん枯れている。堆肥にするために、下の集落
の精米所の糠をもらいにいったついでに、途中でアスパラを育てているおじいさんと話をする。割合良く育ってい
るように見えたので、状況を聞くと、「奥に入ってみてくれ」という。実際見てみると結構枯れている。今枯れてなく
てもこれからどんどん枯れていくという。やはりここ2、3年で急速に枯れてきたという。胞子が土から茎をあがっ
ていって枯れていくといのが農業試験所の説明だという。農薬は枯れの進行を止める程度で、やらないよりまし
ぐらいの効果しかないようだ。自分は土の上に草を敷いているが、これが意外と効果がありそうだ。無農薬・有
機栽培でやれることを実証してみようと思っている。あまりの豪雪に撤退も考えているが、ここ柄山で「一粒の種
」を残してみたいとも思う。せっかく乗りかけた舟ではあるしーーー。

柄山庵雑記 (10)夏本番

 

     

  

 

 7月下旬、ユリを連れて1週間滞在。滞在中、新潟・群馬で記録的豪雨。飯山でも大雨警報がでる。
 作物は順調に育っている。草刈りと堆肥造りに専念する。獣害から守るためのネット張作業も行う。
 この時期いろんな夏花が咲くが、山百合が一挙に開花するのには驚いた。
 2段落目の右の写真はじゃがいいもも花だが、なかなか可憐な花だ。南米からヨーロッパに伝えられた
時は食料になるとは考えられず、観賞用であったというのもうなずける。ちなみに初期は悪魔の食べ物と
受け取られていたとか。
 集落で植えられているアスパラはかなり枯れている。我が家のはたくましく育っている。農薬・化学肥料
を一切使わない有機栽培だ。いくつか食べてみたが、甘味があっておいしかった。


    柄山庵雑記 (9)春の訪れ

  
  
 

 


一段目 谷ウツギ  たくましく伸びるアスパラ
二段目 ウドの新芽  芽を出したジャガイモ
三段目 ほおの花  ヤマボウシ


 6月初旬、10日間ほど愛犬ユリを連れて飯山へ。残雪は5月中旬に融けたという。田植えが始まっていた。
 連日、畑仕事に精を出す。ジャガイモ、とうもろこし、かぼちゃ、スイカ、里芋を植える。ジャガイモは、数日で
芽を出したのがあるが、これは昨年植えて収穫してなかったのが耕していると出てきたので、一つだけだが植えて
みることにした。インカの目覚めという品種だが、昨年ほとんど収穫できなかった。ジャガイモの植え付け時期よりも
かなり遅いので、今年の生育が気になる。
 かぼちゃとスイカは育ちそうだが、問題は草。梅雨時は猛烈に草丈が伸びる。草といえば、堆肥造りに押切りを買
った。これで刈った草を切り、腐葉土とぬかを混ぜて発酵させる。ぬかは千曲川沿いにある精米機からただで入手
できる。
  昨年春に植えたアスパラはたくましく育っている。すでに人間の背丈を超えたのもある。アスパラの収穫期を迎え
ているが、どの家に聞いてもさっぱり収穫できなくなったという。隣の集落のKさんと話たら、以前は250万円ぐらい
の収入があったが、今は100万円ほどしかないという。もし、空気感染でやられるということであれば、自分が植え
たのもやられるかもしれない。集荷場を覗くと出荷表があったので見てみると、農薬だけで10種類以上リストアップ
されている。農薬、化学肥料漬けのアスパラが市場に出回っていることになる。自分は一切このようなものを使用し
ていない。
 春は山菜が一斉に芽を出す。ウドはあっさりしていておいしい。ふきもいっぱい生えている。採ってきてニシンと炊
きあわせする。これも一品にちょうどいい。




柄山庵雑記 (8)奥信州の遅い春

  

   

  

 

一段目 壊れた古民家の小屋  古民家の前  つくしがいっぱい
二段目 ふきのとう  残雪の山々と集落  高社山遠望
三段目 地震で倒壊した民家  栄村役場・激励の寄せ書き  谷厳寺の桜と菜の花
四段目 ショウジョウバカマ  ブナの芽吹き


  3月末をもって早期退職した。このため、3月は片づけやお別れ会などがあって飯山に行く時間が取れなかった。4月下旬になってやっと行くことができた。2月以来、2ケ月ぶりである。今回は愛犬ユリも連れていった。戸狩野沢温泉駅からバスに乗る。老人が5名、中学生も同じくらいが乗車。バスは柄山集落の一つ手前まで。バスを降りたのは自分一人だけだった。ここからしばらく歩いて集落に着く。残雪がまだかなりある。山々も雪でおおわれている。昨年の5月の連休中に訪れた時は雪はほとんど消えていたので、今年の雪は格別多かったことを改めて実感した。
 古民家の鍵を開けようとすると、戸がはずれかかっている。部屋の中はいろんなものが落ちている。そして、小屋の一つが半分潰れている。3月11日の東日本を襲った巨大地震の翌日、長野県栄村で震度6強の地震が起きている。これが及ぼした結果である。滞在中も何度か微震があった。
 翌日、バイクで買い物にいった。千曲川沿いはすでに雪がほとんど融けている。道路沿いに植えられた菜の花も咲いている。3日目、震災のあった栄村にいってみた。飯山線の線路が宙ぶらりんになった横倉地区では、全壊した民家が目に入る。村役場で震災の状況を聞く。地震直後は1700人余が避難したというから小さな村としてはかなりの震災であったといえるだろう。現在も2箇所が避難場所となっている。横倉地区では多くの家に要注意の張り紙が貼られている。5日目、以前から登りたいと思っていた高社山に登る。地元では「高井富士」と呼ばれている形のいい山だ。山頂からは360度眺望が開けている。この眺めは圧巻だ。信越の山々、千曲川をはじめとした盆地の風景、どれをとっても絵になる。下山後、桜の名所として有名な谷厳寺に行く。ちょうど桜が満開で、菜の花とのマッチングがいい。5月連休中の「菜の花まつり」の会場の菜の花はまだ咲き始めの状態だった。
 今回、春の訪れを感じさせる様々なものにであった。集落のあちこちにはつくしが至るところに生えている。これはおかずの一品にした。雪融けを待ちかねたようにふきのとうが顔をだしている。ノカンゾウもおしたしにして食べる。少し暖かい日にはしまへびが冬眠から覚めて日向ぼっこしている。蠅もでてきた。ブナの木は一斉に芽吹き始めた。でも、庭の桜はやっとちらほら咲き始めたばかりだ。そうそう、五束神社のかたくりは満開状態だった。水路沿いにはショウジョウバカマがピンク色の花を咲かせていた。
 根雪がなかなか融けないので、畑仕事もままならず、予定を繰り上げて帰ることにする。


柄山庵雑記 (7)2月の柄山

   

    
 
   

  

今年は例年にない大雪。1月末には一晩で1メートル積もったとか。2月、隣の集落の0さんが10回ほど除雪してくれて、屋根がつぶれなくてすんだ。
窓際までの雪で、台所の換気扇が回らず、スコップで雪を除去していたら、突然「ガスを止めています」という声が流れる。ガスセンターに来てもらった所、
振動で自動的にストップするとのことだった。
翌日はガスボンベ周辺の除雪。3日目は家の軒下や裏側の除雪。そして、1時間ほどスノーシューで雪上ハイキングを楽しむ。

(*1月分が何故か消えてしまった)


柄山庵雑記 (5)晩秋の飯山
  

 

上段  左でっかい大根収穫  右鍋倉山
下段  左枝をいっぱいに張り出したブナ 右ナラ枯れ

11月26日から28日まで飯山ですごした。里も紅葉を終え、晩秋から初冬の雰囲気である。
鍋倉山も薄っすらと雪化粧している。

畑の大根の収穫にかかると、びっくりするぐらいでっかいのが何本もあった。ばらまきしたのは
10月に来た時に間引きしておいたが、これもけっこう太くなっている。いっぱいとれたので、森の
家のスタッフの住んでいる所にもっていった。宅急便で自宅にも送る。このついでに、昨年知り合い
になったYさんにもあげた。彼女はこちらに赴任してきてから毎週ほど山のぼりにでかけるほど
いれこんでいるようだ。
収穫した大根は籾を入れる袋にいれて保存した。葉っぱはせっせせっせと油炒めにして自宅に
持ち帰った。保存食として使えそうだ。自宅に送った大根の煮物を食べたがけっこうおいしかった。

短時間だったが、信越トレイルを歩いてみた。牧峠に行く途中で、林の中に入ってみた。自分は道の
のない所を歩くのが好きだ。そこには自然そのものがある。そして、思わぬものを見つけることもある。
今回も枝をいっぱい張り出したブナの木を見つけ、しばし見とれていた。

9月のところで、アスパラの被害について書いたが、今回集落のSというおばあさんと話す機会があった。
自宅の前の畑で作っているアスパラは今年全滅したようだ。被害は相当深刻なのがわかった。以前には
ここで森の家のアスパラ祭りをやったこともあるという。
自分が今年植えた10本のアスパラはまだ枯れていない。数本に枯れたのがあるが、これは枯れる時期が
きたためか、病気が広がったせいかははっきりしないが、とりあえず刈り取って風呂場で燃やした。
枯れるといえば、ナラ枯れもひどい。帰宅途中で見たナラの木はみるも無残な状態をさらけ出していて、
いっぱいきのこがついていた。


柄山庵雑記 (4)ブナの紅葉と野山人の集い

 

 

 

上段左 かやの平のきのこ  右 月夜茸(毒)
中段左 ブナの紅葉      右 紅葉風景
下段左 古民家の庭に咲いていた花 右 古民家での宴会

 
ブナの紅葉ときのこ鍋
 10月15日から17日まで柄山に行く。猛暑の夏で紅葉は遅れるとの予報があったが、長野のM氏からこの時期に集いをやりたいという希望があり、日程を合わせた。案の定、最も期待していた木島平村かやの平のブナ林の紅葉は少し早かった。それでも奥の方に登っていくとかなり紅葉が進んでいた。ここのブナ林は自然な感じですばらしい。ブナ林から降りてきて車道沿いになんとクリタケを見つける。M氏が小便をしている傍で偶然みつけたもので、案内所のスタッフも間違いと保証してくれた。
 古民家に戻り、宴会の準備。夕刻には新潟のメンバーも到着。宴会は、鴨の焼き鳥、きのこいっぱいの鍋など豪華。土間で七輪を囲んでの宴会だ。

 
大根に異変?!
 畑の大根は順調に育って、葉っぱをいきおいよく伸ばしている。集い参加者にも間引きして持って帰ってもらった。大きく育ったのを1本持って帰ろうとして引いてみたら、途中でぼきっと折れた。あれっと思ってよくみると、なんと下の部分が腐ったようになっている。もう1本引いてみると、これは穴があいたようがになっている。もう1本引いて家に持って帰ることにする。これは問題ないかと思ったら、これも下から10センチほどは小さな穴があいていた。これは、土の中の小動物のせいだろうか。だとしたら、彼らにはおいしいごちそうだったことだろう。食べてみて、味はなかなかのものだった。葉っぱも油炒めして自宅に持ってかえった。11月に行った時、果たして大根は無事だろうか?


柄山庵雑記 (3) 猛暑の夏から秋へ、そして理想郷の現実

 

 
1段目 そばの花 ツリフネ草
2段目 廃屋とススキ   無事育った大根

 9月10日から5日間、柄山に滞在。コスモスが咲き、稲も黄金色の穂をつけている。
集落の雰囲気はもうすっかり秋そのものだ。
 8月に種を播いた大根もなんとか育っている。10本ぐらいは移植したが、幸い滞在
中に降った雨もあり育っていきそうだ。アスパラも順調に育っている。

 今回の滞在で感じたこと。土倉のOさんからこんなことを聞いた。柄山の裏手は大
規模なパイロットファームが広がっているが、この造成の時期に造成地に産業廃棄
物の汚泥が埋められたために、柄山の集落に汚水が流れてきたことがあるという。と
いうことは、ポンプで汲み上げている水が汚染されている可能性が否定しきれない。
豊かな自然林があり、天然の豊かな水が流れている理想郷というイメージを持って
ここ柄山で古民家を借りているのだが、なんという現実!!
 今、私の心は揺れている。ここに住み続けるだけの価値があるだろうか。考えてみれ
ば、この狭い日本で開発の洗礼を受けてないような所はないといえるかもしれない。
こここそと思った「理想郷」にはとんでもない問題が伏在しているかもしれない。それ
が今の「豊かな国」日本の現実なのだろう、きっと。

枯れるアスパラ
 飯山市はアスパラの生産高日本一を誇っている。ここ柄山でもよく栽培されている。
ところが、よく見てみると茶色に枯れたアスパラが目立つ。被害はかなり広がっている
ようだ。ある日の朝の散歩で農作業をしている婦人に声に声をかけた。「アスパラの枯
れが出ていますね」というと、「農薬が高くて困ってます。小さなビンが1本1万円もする」
とのこと。集落のHさんによると、昨年は例年の半分ほどしか収穫できなかったとのこと
だった。
 事態は相当深刻だ。集落の裏手に広がるパイロットファームを歩いてみた。耕作放
棄地が目立つ。アスパラ、ニンジン、大根などが植えられている。アスパラは、やはり
枯れが目立つ。
 原因ははっきりはしないようだが、こんな話を耳にした。牛糞堆肥が肥料として入れ
られているが、輸入飼料の中に害虫が入っていて、それがアスパラ枯れの原因では
ないか。ほとんど枯れていない畑もあることを考えると肥料に問題があるというのは
十分顧慮に値いすると思われる。
 自分が植えているアスパラは有機農法で育てているが、できれば自然農法でやっ
てみたい。もしかしたら、この方法が病気や害虫にも強く、健康でおいしいアスパラ
を作ることになるかもしれない。これからその試みを続けていきたいと思っている。


柄山庵雑記 (2) なべくら高原の夏

  
  
  

  

  

1段目 木島平村かやの平のブナ林   柄山の古民家
2段目 ハスの花               月見草
3段目 熊野神社祭礼の準備風景    祭礼の後の直会
4段目 戸狩温泉のからす踊り       家で昼寝しているユリ


 8月は中旬に10日間ほど滞在した。我が家の愛犬ユリを連れていったので、滞在中のことは
「よもやま話」のコーナーに「ユリの独白録」にとして載せているので参照されたい。
 滞在中印象に残ったことを一、二綴ってみたい。
 今回、この時期に行ったのは、柄山のH・Mさんから16日に集落の熊野神社の祭礼があるので
来てみないかとのお誘いを受けたからである。15日早朝、散歩に出かけると、男性数人が幟2本
と吹き流しを立てていた。祭礼の準備である。
 この日の夜、向かいのOさん宅には帰省した家族がたくさんで、花火をしたりにぎやかに宴会の
華のを咲かせていた。こんな家はこの一軒だけだったようだ。かつて24軒あったというこの集落も、
盆の時でも墓参りされずひっそりとたっている墓石もある。
 16日午後2時半から熊野神社の祭礼が始まった。集まったのは20人程度。神主さんが祝詞を
あげ、お祓いをする。それが済むと直会、すなわち神前で食事をしながら懇親会となる。日中の暑
い最中ながら、けやきの大木で陰になり、風も吹き通って結構涼しい。
 この場で自己紹介する機会を与えられた。これが「村入り」ということになる。集落の「住民」として
認められたことになる儀式だ。この集落には、森の家のスタッフが3人住んでいる。最近スタッフに
なった男性が同じように挨拶をした。
 集落から出て、この時期に帰省していた人たちとも話をした。一人は後5、6年で退職したらここに
戻って農業をやるつもりだとのことであった。はたして、このように家を継ぐ人がどれほどいるのだろ
うか。滞在中にも、一年中閉まった状態の家が売られるかのしれなかもしれないという話を耳にした。
 これまで挨拶できていなかったお家の人とも顔合わせできた。地元のテレビ局が取材していたが、
この祭礼もあとどれほど続けられていくことになるのだろうか。奇遇といえば、この場に森の家のス
タッフとともに森の家に滞在していた奈良の家族連れがやってきたことである。子どもたちも自己紹
介し、家から一品づつ持ち込まれた食べ物をいっしょに食べることになった。
 8月16、17日と戸狩温泉で烏踊り大会があるというので、17日に見学に行った。午後7時半から
9時まで行われたが、踊り手は多くても100人にならない。「第12回信越烏踊り大会」とあり、毎年
開かれてきたようだ。
 始めに、主催者の挨拶に続いて信州大学の名誉教授が挨拶を行った。この先生は烏踊りについ
て2冊の本を書かれたようで、烏踊り復活のきっかけを作られたようだ。この踊りは新潟や北信州一
帯に広がっているようで、新潟や飯山の隣の栄村からも踊り手がきていた。音頭取りが歌い継いで
いく形で、音頭の歌を踊り手が繰り返しで歌っていた。歌詞には地元の風俗が取り込まれているよう
で興味深い。一度、歌詞の一部を見せてもらったことがあるが、かなり助べえなものだった。この踊り
で聞いている限りでは、そのような歌詞はなかったように思われる。すでに帰省していった人もけっこ
ういたせいだろうか、若者の姿があまりみられなかったのはやや寂しい印象がぬぐえなかった。


柄山庵雑記(1)  春から夏へ

 ホームページの更新が数ケ月出来なかった。この間、5月の連休には信越トレイルのまだ斑
尾山からのコースを山仲間と歩くとともに、古民家では、ジャガイモを植えたり、五束神社という
ところの「御柱祭」」を見学にいったりした。6月には3日間滞在し、畑の草刈りをした。アスパラ
ガスも10本植えた。これは、土倉のO・Mさんがやってくれていた。5日は、信越トレイルを深坂
峠から天水山まで歩く。ここがこのトレイルの最終地点になる。この時期は一日中カエルの大合
唱だ。「田植えだと告げるかわずのシンフォニー」
 7月には、中旬に3日間行った。大雨の影響で特急しなのは途中徐行運転し、到着時間が1
時間ほど遅れた。ジャガイモは2種類植えたが、インカのめざめは草の中でわからない状態にな
っている。 このいもは小さいが甘味があるということで作ってみたが、たいして収穫できなかった。
もう一つの男爵いもは今回掘らないことにする。アスパラガスは10本とも活着していた。だが、雑
草に覆われている状態で、草刈りをする。この時期草の生え方はすざましい。
  7月17日、近くの森の家に行き支配人の木村氏と1時間ばかりは話をする。森の家が柄山で
行っている蕎麦オーナー制度や田んぼ、それにこの地域の家に対する考え方などについて話を
聞く。


           
信州飯山からの便り(13
)(2010.3)

  


  


    


一段目左 柄山古民家  右 鍋倉山遠望
二段目左 スノーボートで滑るN君  右 スノーシューで雪上ハイク
三段目左 けやきの木の樹氷  右 雪洞堀りをするF君


 2010年3月、桜の開花がもうすぐという春休み、子どもたちを集めて「自然塾」を計画した。今年は試みとして、「柳生チビッコ自然塾」に参加したことのあるI 氏の子息2人とその親戚の子の3人が参加した。
 3月20日夜11時過ぎの夜行バスに知人のK氏と乗り込む。彼は2日間飯山に滞在予定だ。21日朝6時半に長野駅前に着き、朝食をとってから飯山線に乗り、9時半過ぎに戸狩野沢温泉駅に着く。スーパーで買い物をしてタクシーに乗り、柄山に行く。雪はまだ1メートル以上積もっている。3月21日は、K氏と裏山周辺をスノーシューで雪上ハイクを楽しむ。
 3月22日は晴天。結局晴れたのはこの日だけ。午後、K氏が帰る。これと入れ替わるようにI氏の家族と親戚のF君が来る。I氏夫婦はしばらく滞在した後、夕刻には飯山線に乗って栄村に向った。この時、短時間だったが、I氏にスノーシューを体験してもらった。とても快適だとの感想だった。たしかに、わかんにくらべると格段に歩きやすい。この日、子どもたちにはスノーボートで滑るのを楽しんでもらった。ちなみに、子どもたちは、4月から高校2年生のK君、中学1年生のN君の兄弟と親戚で高校1年生のF君の3人である。
 3月23日曇天。午後、森の家でスノーシューを借りて雪上ハイク。信越国境の山の木が生えている所まで歩く。ここから下は広大な畑が広がっており、スノーシューのゲレンデとしては最高である。
 3月24日曇り。午後みぞれ。午前中、土倉の集落から羽広山という集落まで散歩。途中、ふきのとうが出ているのを見つけた。雪深いこの地域でも、確実に春が訪れつつあるのだ。羽広山では、雪かきをしている老人と少し話しをする。この集落に移住してきて10年以上たつが、除雪が大変だという話しをしてくれた。積雪がすごい時は、ブルドーザーを頼み除雪してもらうという。自分でやっていたとき、屋根から雪が落ちてきてあやうく命を落とすところだったとのこと。帰り、土倉の集落で、スノーモービルの基地小屋を覗いたら、管理者のOさんが出てきて話をする。この地域の村おこしに熱意を燃やそうとされている様子がうかがえた。晝御飯を作ってなかったので、また話しに行くと古民家に戻った。かなり話し好きな人だという印象があった。これからのつきあいが楽しみだ。
 3月25日、雨からみぞれに変わる。家を出られず、子どもたちも手持ち無沙汰の状態。この古民家にはテレビもない。午後、外で何かやろうと誘い出す。雪洞堀りが始まった。これがけっこうおもしろいらしい。割合、熱中してやっている。一番がんばったのはF君だった。家の周りには4箇所池が作られていて、屋根の雪を融かすようになっている。鯉のいる池に行くと、4匹が泳いでいる。元気な若い鯉なのだろう。残飯をやったが食いつきは今一つだった。
 3月26日、夜間の降雪で10センチぐらい積もる。午後にも小雪。この日も雪洞堀り。午後に古民家を後にして、14時41分桑名川駅から飯山線に乗り、17時発の長野駅発特急しなので帰る。長野駅でI氏の奥さんと合流。


信州飯山からの便り(12)(2010.2)

      
    

    



  1段目左 柄山の雪景色     
  2段目左 玄関先も埋まっていた 2段目右 雪の壁に覆われた古民家(室内から撮影)   
  3段目左 雪降ろし        


 2010年の年が明け、1月中に行く予定が風邪気味で断念した。1月には、飯山線が不通になった時があるという知らせもあり、今年は昨年に比べてかなり積雪があると思われた。
 2月に入り、やっと行く機会を得て、飯山へと向った。

 2月11日。早朝自宅を出て12時半過ぎ戸狩野沢温泉駅に着く。途中の飯山線から見たところ、少し雪があった。駅で信州大学の学生3人が出迎えてくれ、車で柄山をめざす。みゆき野ロードに入る温井あたりからかなりの雪だ。
 午後1時、柄山着。道路脇は2メートル近くの雪。古民家を見ると屋根まですっぽり雪に覆われている。雪の壁から玄関に向う。玄関のところも雪で埋まりそうな状態。戸が硬くてなかなか開けられないが、なんとか開けられた。さっそく、除雪作業開始。
 屋根の上まで登っての除雪だ。なかなか進まない。雪が湿ってべっとりして重い。みんながんばって作業に熱中してくれる。2時間ほどして、コーヒータイムにしようと電気のスイッチをひねっても電気がつかない。あれっと思って外にでてみると、なんと電線が切れている。中部電力に来てもらい、電線をつないでもらう。近所のOさん宅から梯子とスノーダンプを借りる。次に水道の蛇口をひねったが水が出ない。これは昨年もあったので、べつに驚かない。しばらく開栓しておいたらだいぶたってから水が出だした。それまで庭先の池で水を汲んでいたらずぼっとはまって足首までびしょぬれになった。
 あたりがすっかり暮れる午後6時ごろまで除雪作業。お疲れ様! 信州大学の学生が帰っていった。夜、時々ゴトゴト音がする。多分ねずみだろう。なんとなく親しみを感じる。ラジオは新潟放送をつけていたが、「除雪10ヶ条」なるものを放送していた。さすが雪国である。除雪中の事故が起っているのだ。
 2月12日。朝散歩していて、近所で柴犬を飼っている人が、「今年は、積もっては雨の繰り返しで雪が湿っていて重くなっている」と教えてくれた。夜中に10数センチ雪が積もっていた。この日は一人で一日中除雪。晝ごろから少し雪が降ったが、夕方から本降りになる。
 2月13日。午前中除雪作業をやろうとしていると、老人が一人やってきた。元の持ち主の妹さんのご主人で、古民家積雪の様子を見にきたとのこと。近くの野沢温泉村から車で10分ほどで来られるようだ。家の裏側も一通り見てから、柄山の親戚の家に行かれた。除雪のポイントとして、庇のところを切り落とせば屋根の雪が落ちてくると教えてもらい、庇のところで硬い氷になった部分をスコップでがんがんやって切り落とす作業を続けた所、ドサっと屋根の雪が落ちてきた。午後4時頃には屋根の除雪はほぼ完了。だが庭先はまだまだ圧倒的な雪が残っている。家の回りに植えられた桜の枝が折れている。
 2月14日。スノーシューで1時間ほど雪中散歩。天気もよく快適だ。朝食のあと、屋根の裏側を除雪。庇のところの氷を削っていくとどさっとかたまりが落ちてくる。作業の途中、一瞬埋まりかけてひやっとした。ああ、こういう時のために、除雪作業の時携帯を持っていくようにいってるのだなとわかった。屋根の半分は池があるので融けている。こうして1時間あまりで裏側もほぼ雪を落とすことができた。
 今回は、4日間にわたってひたすら除雪にあけくれた。単純作業ではあるが、除雪の「成果」がはっきり確認できるので、苦痛な作業という印象はない。1月にきていたら、もうすこしスムーズにやれたかもしれない。昔の人たちが除雪にどれほど苦労したかが偲ばれて、貴重な体験をしたという思いはある。ちなみに、もし除雪を業者に頼んでいたら、1日数万はかかりそうだ。第一、作業に来てくれる人もなかなかいないと聞いた。実際に柄山に住んでいる家はどこも除雪機を備えている。これなしではやっていけないのが実情だろう。
 午後、12月に収穫した大根2本を土産に最寄の桑名川駅に向う。



信州飯山からの便り(11)(2009.12)

  


   


   


 年末に海外に旅行することになっているので、12月はなかなか行く予定が立たなかった。19日20日の2日間行くことにしたが、この時はこの冬一番の寒波が予想されていた。
 12月19日朝6時、最寄の駅から電車に乗り京都駅へ。アナウンスでは、新幹線が15分程度遅れるとのこと。京都を出るとすぐ雪の世界が広がる。車内アナウンスで、「名古屋駅到着が遅れるので、8時発予定の特急しなのに乗る予定の人は知らせてほしい」旨、アナウンスがあり、車掌に乗車予定だと告げる。
 名古屋には約15分遅れで着く。新幹線の到着を待って、特急しなのは8時09分に発車した。途中、木曽谷は本格的な雪景色。10時過ぎに塩尻を過ぎたあたりでは晴れ間も見える。11時過ぎに長野駅に着き、11時32分発の飯山線に乗る。長野駅からは一面の雪景色を見ながらの列車の旅。12時41分に戸狩野沢温泉駅に着く。ここから駅の駐輪場に置いている自転車で柄山に向う。道路の積雪の状態が気になるが、道路は基本的に10センチ以上の積雪があれば自動的に除雪されることになっているので、なんとかいけるだろうという見通しの下に出発した。
 だが、これはかなり甘かった。というのは、道路の除雪は確かにされてはいるが、数センチ積もった状態である。それに、車のタイヤの跡がついていて、進みにくい。でも思った以上に進むことができる。雪も降っていない。橋の所で一度転倒。でも雪なので別に怪我をすることもない。
 1時間以上かかってなんとか柄山に到着。ここでは約50センチの積雪。聞けば、一晩でこれだけ積もったとのこと。家の軒下のあたりは屋根から落ちてきた雪がプラスされて大人の背丈ほどの雪になっている。自転車を担ぎ上げて家の中に入る。すぐ、夏に植えて雪に埋もれている大根を収穫することにした。だいたいこのあたりだろうと見当をつけてスコップで掘ると大根の葉っぱが見えてきた。掘ってみるとかなり大きく育っていた。なにか考古学の発掘をしているようでおもしろい。全部で数十本の大根を収穫した。葉っぱは茹でて自宅に持ち帰った。
 1時間後、信州大学の学生3人が来る。古民家に残された記録の撮影が目的だ。2人が撮影している間、1人の学生がいっしょに雪かきをしてくれる。しばらくして、撮影の終った2人も雪かきに加わる。彼等は雪かきは初めてだという。初めはなんともぎこちなかったが、だんだん慣れてきたようだ。けっこう楽しんでやっている。地面の所まで除雪したところで、あたりも暗くなってきて、作業終了となる。しばらく休憩した後、真っ暗になった中を帰っていった。
 晩御飯は、豚肉と白菜の味噌鍋に収穫したばかりの大根を煮たもの。大根はけっこうおいしかった。特別の肥料もやってないので、土が肥えているということだろう。
 12月20日、朝晴れ。8時にスノーシューを着けてブナ林にいく。新雪のため、かなりくいこむ。戻って、大根堀りと葉っぱを茹でる作業をする。家の中にいると、時々ドドッという音がする。屋根から雪が落ちる音だ。収穫した大根から適当なのを4本選んで持ち帰ることする。持ち上げてみるとけっこう重い。茹でた大根葉も入れたのでザックはかなり重い。帰りは自転車をやめることにしたので、駅まで担いでいくことになった。午後1時過ぎに家を出て、桑名川駅には45分ほどで着いた。この駅でも、定刻より12分遅れて列車がやってきた。
 今回は、日中も雪が降るのを覚悟していたが、滞在中ほとんで雪は降らなくてまずまずだったかなと思う。なんといっても、大根の収穫は大きかった。自宅でもおいしいと好評で、葉っぱは毎日重宝している。

 

信州飯山からの便り(10)(2009.11)

  


  

  

 数日間の休みがまとまって取れることになり、10月31日から11月4日まで信州に滞在した

 野山人の集いin大町

 知人であり、この間の冬期の雪降ろしなどでいろいろ協力してくれているM氏から、大町で集いをやるという案内があり、参加することにした。
  10月31日朝7時前に最寄りの西の京駅から電車に乗り、12時12分に大糸線の稲尾駅に着く。ここにM氏が車で迎えにきてくれていた。夕食のメイン料理であるアイガモを捌く手ほどきをしてくれる人の所に寄ってから平という所にある「森のくらしの里」に行く。ここには、いろんなツリーハウスが建てられている。
  ここの管理人は、元ツアーガイドで世界各地の秘境などにいった時の話をしてくれた。
  M氏がアイガモを捌きにいっている間に林道を歩いてみる。しばらく歩くと遠くに山が見える。裏銀座の山々のようだ。
  M氏が戻ってきて、アイガモの解体を始める。なかなか教えてもらったようにはうまくいかないようだ。この日のメニューは、アイガモ2匹の焼肉と鍋、それに豚肉の燻製。燻製も焚き火で燻すという手作りの豪華なものだった。
  「ブログを通じて知り合った仲間同士が一同に会して、火を囲み、飲み、食い、歌いかつ大放談し、最後は雑魚寝して交流する野人達の集い」との案内であったが、夕刻にやってきたMi氏と3人だけという寂しいものだった。しかもMi氏は奥さんの迎えがあるといって夜帰っていった。別に東京の2人組が来て、こちらの焼肉や鍋をおすそ分けした。彼らはツリーハウスを作っているとのことだった。 夜はツリーハウスの一つに泊まった。

 翌11月1日は鍬の峰という所に登山の予定だったが、変更して「森のくらしの里」の中の探索コースを歩くことになった。歩いてみると自然林が豊かで渓流もありなかなか変化に富んだいいコースである。川に出ると蓮華、爺ヶ岳といった山が見える。手前の紅葉とのコントラストが見ごたえある。
 午後、居谷里(いやり)湿原に行く。M氏のねらいはきのこだったようだが、今年はさっぱりのようで、まったくきのこらしいものは何もなかった。
 途中、昼食にソバを食べようと有名な店にいったが、何と順番待ちの人でいっぱいだったのであきらめて他を探すことにする。しばらく行って韓国料理の食堂に入る。
 NPO法人という看板が出ていたので主人に聞くと、スキー場が廃業した跡地を車やバイクのモトクロス場に変えて営業しているとのことだった。こういう場所はなかなかないらしく、遠く広島あたりからもやってくるという。料理はビビンパを注文したが、これがけっこうおいしかった。M氏が注文したチジミも少しいただいたが、なかなかおいしい。こんな場所ではあまりはやらないとは思うが、奥さんは在日コリアンのようで、材料にこだわって韓国まで買いにいくという話を聞いて、おいしさに納得した。

 安曇野の夜

 夜は、知人で安曇野市明科在住のS氏宅に泊めてもらった。彼が撮った写真を見せてもらうと、アルプスの連峰が田んぼに写っている。ここは北アルプスを眺めるのには絶景の地なのである。
  彼がこの地に移ってきてまだ1年ほどしかたたないが、地域の様々な活動が活発で、彼はいろんな集会や取り組みに積極的に参加して、充実した日々を送っているようだ。その一つに草笛をやっているという話で、実演もしてもらった。この草笛もかなり奥が深そうだ。

 難業苦行の自転車行と雪のエンスト

 11月2日朝明科駅から普通電車に乗る。途中姨捨駅の所がスイッチバックになっていた。これまで特急以外に乗ったことがないので、これは興味深かった。電車がいったんバックする形で進むので、何か変な気持になる。
  長野駅から飯山線に乗り換えて、11時30分に戸狩野沢温泉駅に着く。途中、りんごの産地の豊野のあたりではたわわに稔った赤いりんごが車窓から見えた。
  駅に置いている自転車に乗り、1時間強で柄山に着いた。あたりは紅葉まっさかり。だが、この日は特別足が重く感じられる。なかなか進まないのだ。こんなしんどいのはたまらない。どうもおかしいなと思ってタイヤを見ると空気があまり入っていない。5月に買ってから一度も空気を入れてないので無理もない。ようよう古民家にたどり着いたという次第だ。
 それから、また大変なことが起った。農協のスーパーへ買い物に行こうとバイクに乗ろうとしたら、なんとエンジンがかからない。メーターを見るとガソリンがゼロの表示になっている。前回来た時はまだあったはずだがと思ったが、どうしょうもない。
 柄山から200メートルほど下にあるガソリンスタンドまでエンジンをかけない状態で行く。坂道を下るのは問題がない。それから後、2キロほどは手押し。ガソリンスタンドで給油して、エンジンもかかるようになった。スーパーで買い物をして帰る途中からみぞれが降りだし、顔にバシバシ当る。やがて雪に変わった。しばらくすると、バイクの動きがにぶくなり、なんと途中で止まってしまった。これはやばいと思ったが、どうすることもできない。どうも、気温が急激に下がったせいかもしれない。エンジンを切ってしばらくするとなんとか動くようになった。こうしてほうほうの体で古民家にたどり着くというさんざんな体験の連続だった。
 さらに、この日は天気予報通り夜には本格的な降雪となった。夜、ドサッと時々屋根から雪が落ちる音がする。

 

 一面の雪世界・紅葉と樹氷

 11月3日。朝、外に出てみると一面の雪。この時期としては珍しい積雪となった。屋根にも雪が積もっている。5センチほどの積雪だ。裏のブナ林に行ってみると、なんと樹氷ができている。紅葉と樹氷のコントラストが見事だ。前日はさんざんな思いをしたので、そのお返しに思わぬプレゼントをもらった感じだ。
  午前中も雪が降り続いたが、午後3時ごろには晴れてきた。畑に植えた大根も雪をかぶっている。雪を取り除く作業をした。大根はよく育っている。間引き菜はおしたしにして食べた。ゆでて自宅にも持って帰り食べた。隣のOさん宅に行き、大根は雪が被った状態でもいいか聞いたが、そのままで大丈夫とのことだった。今回の降雪で、野沢菜の葉っぱが折れてだめになったと残念がられていた。季節はずれの降雪は思わぬ被害をもたらしていたのである。
  この日の夕焼けは雪景色の中、とりわけきれいに見えた。
  11月4日、朝散歩にでると薄氷が張っていた。かなり冷え込んだようだ。帰りも重い自転車を引きずるようにして駅に向う。駅の近くのバイク屋で空気入れを貸してもらって、自転車に空気を入れる。これから本格的な冬に入る。道路は飯山市が除雪するので問題はないが、凍結していた場合自転車で転倒する恐れもある。これが気にかかるところではある。

 

 飯山の1年をふりかえって

1年間にわたって書き綴ってきたこの便りも、今回を一応の締めとしたい。昨年の12月から月1回の割合で飯山の古民家に通ってきた。この1年間で日数にすると30日以上滞在したことになる。
 これまでの飯山暮らしで感じていることはいろいろあるが、四季とともにある暮らしということを強く実感している。春の新緑、田植え時の蛙の大合唱。夏の蛍に祭り。秋の紅葉。冬の雪。湿気が一番気になるところだが、夏場もけっこう涼しくてすごしやすい。雪=寒いという印象があるが、けっして寒くない。スノーシューという遊びの楽しみがある。こうしてみると、豪雪地域の暮らしも他に代えがたい魅力があると感じる。しかし、それは本当の豪雪というものの凄さを知らないもののいうことかもしれない。車も除雪機もない状態ですごしていけるほど生易しいものではないのだろう、おそらく。でも、まあなるようになるかというほどの気持でこれからも飯山通いを続けていこうと思っている。 



信州飯山からの便り(9)(2009.9)

  


  


  

長期の滞在へ

 夏期休暇の期間に8月下旬から飯山に滞在することにした。総選挙が目前にせまった8月26日、いつものルートで13時40分、戸狩野沢温泉駅に着く。
  ここから自転車。風がさわやかで秋の気配がする。一面の田んぼには稲穂がたれている。途中、誰も乗っていないバスが通りすぎる。柄山には14時50分に着く。集落の周辺は、一面にそばの白い花が咲いている。森の家がそばオーナー制度を始めて、耕作放棄地にそばを植えているのだ。
  しばらく休憩してからバイクで農協直営のスーパーに数日分の食料を買いにいく。往復30キロはある。千曲川の堰堤の道路に出ると橙色の花やコスモスが咲いていて見事だ。よく見ると、区の名前が書かれており、自治会が分担区域を決めて植えているようだ。5月には菜の花ロードに変わる。

 以下、毎日の記録を元に、日記風に綴っていきたい。

 

8月27日 渓流釣り

午前中、桑名川で渓流釣り。期待していたが、釣果なし。後で地元の人に聞くと、この川では釣れないとのこと。やはり、情報は大事だ。
  午後畑の草刈り。1月前に刈ったがかなり伸びている。草はよく伸びたがじゃがいもはそこそこ収穫できた。ほとんど手がかからない野菜で、重宝する。近所のおばさんからうちでは食べきれないからと、大玉の西瓜を半分に切っていただく。夕方湯滝温泉に行く。

 

8月28日 草刈り

この日も午前中草刈り。幸福実現党の候補者がやってきたので、疑問をぶつけてみた。人口を3億人にするというが、食料はどうするのか。自由化するというので、そんなことしたら農業が完全に潰れるではないかと批判したら、何も答えなかった。なんとも子どもじみた政党かとあきれる。
 午後、7月にいっしょになったYさんの職場を尋ねて、しばらく話をしているうちに、翌日信越トレイルに行こうということになった。

 

8月29日 信越トレイルと神社の祭り

朝、雨で、登山を中止したいとの電話が入る。散歩していると、蛍のたんぼのところの蓮池で、一輪きれいに咲いているのを見つける。蓮の花は優美または華麗といった表現がふさわしいかとおもうが、何となく気品がある。
 雨が上がったので、念の為Yさんに電話してみると、登ろうという。彼女は信越トレイル(全行程80キロメートル)をほとんど歩いていて、あと少しで完走というので、残された2区間の内の1つを歩くことになった。深坂峠から野々海峠までのコースタイムでいえば45分ほどの所を往復した。このコースは、長野県の最北端がある。山道に沿ってなかなかいいブナが続く。
 夜は9時から郷社である名立神社の祭りを見にいく。始めに少年少女の舞があり、続いて獅子舞が続く。しばらくして奥の方で天狗の踊りがある。天狗は鳥居に張られた縄を真剣で切って進む。そして、少しずつ神殿のほうに向って踊りが進む。やがて、拝殿の舞台で、踊りが行われる。最後にひょっとこがコミカルな踊りをしている内に、男女の面を被った人物が本殿の方から登場し、エロチックな姿態を演じて、観客の笑いを誘った。祭りは深夜1時半に終了となった。過疎地域といっていい所で、これだけの祭りが継承されていることはすばらしい。ちなみに、祭りで長刀の舞と巫女の舞を演じた少年少女は全校生徒20数人しかいない岡山小学校の6年生とのことだった。

 

8月30日 渓流釣り

午前中、家のまわりの草を刈っていると、蜂が飛んできて手と首筋の2箇所刺される。かなり痛い。よく見ると、屋根の下の土壁の所に穴が少しあいていて、そこに土蜂が巣をしているようだ。ホースを出して水をかけてみたが全く効果がなかった。
 午後、ここは釣れると紹介された寒川に渓流釣りにいった。映画「阿弥陀堂便り」で主人公夫妻が渓流釣りをする場面の撮影現場になったという川である。この川でもまったく釣果なし。夕方、湯滝温泉に行く。

 

8月31日 大根植える

草刈り。大根の種を2畝播く。あまった種をもう2畝、間引き菜用に播く。大根の間引き菜はおいしい。先日のとは別の家の人から西瓜をもらう。皮は黄色。でも中味は赤というもので、皮はすごく硬い。

 

9月1日 信越トレイル

小雨模様だったが、晴れてくるという予報で、信越トレイルに行く。9時35分伏野峠から野々海峠へ。途中、晴れ間も見え、新潟側がかなり遠くまで見える。約2時間で野々海峠に着き、ここから引返す。午後2時前に伏野峠に着く。

 

9月2日 読書

この日は、集落の裏山のブナ林を歩いた程度で、もっぱら読書。

 

9月3日 椅子買う

農協のスーパーに食料買いに行く。ついでに家具店に行き、パソコン用のデスクと椅子を買う。パソコンは持ってきていないが、読書用の椅子がなくきついので買うことにしたのである。持ち帰り商品なので配達料が必要とのことで、2000円とられた。
 夕方、二つ隣の羽広山という集落に大阪から来ている家族がいると聞いていたのでいってみる。
農作業をしている人に聞くと、群馬から来ている人だった。他に3軒転入してきているとのことだった。数年前の豪雪の時は頼んで除雪してもらったが、見る間の雪がどんどん降って大変だったという話をしてくれた。

 

9月4日 読書

朝、畑を見ると大根の芽が出ていた。一日中読書。夕方湯滝温泉に行く。

 

9月5日 読書

この日も一日中読書。
 

9月6日 黒姫山

北信5岳に登りませんかと誘いをかけたところ、Yさんが職場の同僚のSさんに声をかけ、3人で黒姫山に登ることになった。Yさんが出張の際、下調べをしてくれていた。朝5時に集合して、車2台で行く。山を降りる地点に車を置きに行く。ダケカンバ、ミズナラ、そしてブナの林が続く。途中休憩した所には「シナノキ」とあった。頂上付近の数百メートルはリンドウのあざやかな紫の花がいっぱい。あいにくの天候で頂上からの眺めは今一つ。
 下山の途中で、
Sさんが蜂にお尻を刺される。後から下山したYさんによると、10数カ所刺された人もいるらしい。帰り、とうもろこしがおいしいという直売所にいく。その場で食べたがたしかに甘みがちがう。Yさんに頼んで家具店に寄り、椅子を買い、家まで運んでもらう。先日買ったのがもう一つ座りが悪かったので買ったのだが、これも使ってみると快適とはいえなかった。いずれもバーゲン品で、中国製だった。

 

9月7日 読書

近所では草刈機でしっかり草を刈っているので、いったん刈った所をもう一度刈る。この日もほぼ一日読書。

 

9月8日 散髪

農協のスーパーで買い物。帰途、祭りのあった神社の近くの理髪店で散髪してもらう。店の人の話では、この地域でも過疎化が進んでいるとのこと。出て行ったままの家が見ているまに雪の重みで潰れていったようだ。景気はどうですかと聞くと、安い店ができてお客が逃げていくとぼやいておられた。で、散髪代は3500円。普段は洗髪なしで1200円の店に行ってるので、かなり高いという印象は拭えなかった。これでは逃げられても仕方ないと思った。

 

 9月9日 信越トレイル

 この日は、伏野峠から幻の池まで信越トレイルを歩く。7月の時に幻の池まで歩いているので、その先を歩こうというわけである。7時13分、伏野峠。晴れてきて、しばらく歩くと新潟方面がよく見える。約1時間で幻の池に着く。この池は静かで、幻と命名されているのも何となくうなずける。帰ってからは読書。

 

9月10日 読書

 この日も一日読書。夕方湯滝温泉にいく。帰り、いつもガソリンを入れているスタンドに行くと、奥さんからナスときゅうりをいただく。

 

9月11日 古民家見学

 この日午後、信州大学の主催によるシンポジウムの一貫として、柄山の古民家の見学会があった。大学のメンバーから家の中を見せてほしいとのことだったので、同行する。集合地点の森の家には、長野市からW氏も見える。同氏は、ブナ原生林の保護運動で1988年に「ブナ・原生林と現代文明を考える全国集会」がもたれた時の仕掛け人で、今回のシンポのお知らせをしたところ、1日だけ参加できると来てくれたのである。小生の家ともう一軒空屋になっている家、それに玄関からだけという家の3軒を見学。
 夕方は、信州大学のメンバーによる森の家でのバーベキューに招待してもらう。

 

9月12日 里山シンポジウム

 午前中、裏山のブナの森の見学会があった。雪のために植物の生育が遅いために藪山化せずかえって良好な森が保たれているという説明はなるほどと思った。ブナの幹に雨の筋がついていたが、ブナが雨をどのように受け止めるかという説明は大変興味深いものがあった。
  午後、シンポジウム。主に信州大学のメンバーが里山にかかわる報告。ブナ林は雪に強く、1人勝ちの状態で、樹林の中心を占めていること、柄山の熊野神社のけやきのすばらしさなど興味深い報告がなされた。ただ、参加者が少なく、せっかくのシンポジウムなのに、あまり知られてないのかと思った。
  この日が、柄山最後の夜。遠くで太鼓の音が聞こえる。秋祭りの季節だ。

 

 9月13日 北陸まわりで帰宅

 いつものように自転車で戸狩野沢温泉駅に向う。沿道からは一面に黄色の稲穂が見える。稲刈りはもうすぐだろう。祭りの幟や横断幕が見える。
  朝8時38分の飯山線にのり、乗り換えで直江津に出る。そこから特急を乗り継いで京都へ。自宅に着いたのは午後5時30分だった。おそらく名古屋まわりで帰るよりも2時間ぐらい余分に時間がかかっただろう。運賃も1000円高かった。

  今回の長期滞在で、古民家生活は十分体感できた。家の中に谷川の水を取り込んでいるので、冷蔵庫がわりになる。風呂も薪ので焚くものだが、一度焚けば翌日は追い炊き程度でいける。けっこう涼しいが、湿度は80%をなかなか下がらない。これが一番気になる。新聞も配達区域外で、テレビも設置していないので、家にいる時はたまにラジオを聴くが、あとは本を読むぐらいしかない。結局、滞在中13冊本を読んだ。ちなみにすべて文庫本で、内小説は3冊である。今回のハイライトは、信越トレイルと黒姫山、それに祭りと里山シンポということになるだろうか。



信州飯山からの便り(8) (2009.7)

 

 
 
 
クルマユリと笹ユリ

 7月に入り、蛍のでる時期に飯山に行くつもりで、天気予報をにらみながら22日に出かけることにした。いつもの時間に電車に乗り、柄山に着いたのは午後1時47分だった。途中の車窓から見たりんごは野球のボール大ぐらいだった。自転車に乗って進むと、沿道にはクルマユリが咲いていた。この日は曇天で、皆既日食が見られる日だったが、その時間帯には長野駅で飯山線を待っていた。晴れ間があったとのことで、後で聞くと長野でも見ることが出来たとのことだった。
 家の中に入って湿度計をチェックすると、湿度100%を指している。部屋全体がカビくさい。台所は特にひどい。みそにカビが生えていた。裏山の笹ユリを見にいったが、すでに咲き終わっていて、さく果ができていた。これは花が咲いた後できるもので、秋になると土色に変わり、中に種が100個から200個入っている。さく果の状態のを7本見つけた。6月中旬に行った時にはつぼみ状態だったので、おそらく7月初旬に咲いたと思われる。

 
ジャガイモの収穫

 畑は草が猛烈に茂っている。よく見ると白い花が咲いている。じゃがいもの花で、6月に植えたものだ。草を刈っていくと、トマトが実を付けていた。だらんとして土に着いた状態だ。杖を作り手当てする。1つ赤くなったのを収穫して食べてみたが、味は今一つだった。ピーマンは小さい状態だが、6,7個なっていた。
 5月に植えたじゃがいもは葉っぱが黄色くなっている。掘ってみると、けっこう芋ができている。けっきょく、小さいバケツにいっぱい採れた。これは食べてみたが、けっこうほくほくしておいしかった。じゃがいもは短期間で収穫できるし、保存もきいて重宝できる。6月に植えたじゃがいもは、草を刈った後、堆肥をやって土寄せをしておいた。ジャガイモは植えたイモの上部のイモを付けるので、肥料も植えたイモより下にやっても意味がない。またイモが上に出来るので、土寄せが必要になってくる。

 蛍の舞

 湯滝温泉に行く途中でガソリンをいれにスタンドに行くと、奥さんが「キュウリ食べますか」とキュウリとトマトをくれた。温泉から帰り、夕食を食べてからしばらくして蛍を見にいく。「蛍のたんぼ」の所にいくが、ほたるは見えない。すぐに、1台の車がやってきた。「いますか」と1人の女性が降りてきた。しばらくすると、今度はボンゴが1台やってきて、数人が降りた。この車がハザードランプを点けた状態にしていると、蛍が吸い寄せられるように数匹飛んできた。今の時期は平家蛍が飛んでいるようだ。田んぼの畦に沿って山手の方に歩いていくと、何匹もの蛍が飛んでいる。なんとも幻想的な雰囲気である。しばらくしてボンゴのグループが去っていった。女性と話をしてみると、柄山の下の千曲川沿いに住んでいるとのことで、昨年も見にきたとのこと。集落にはもう一箇所「蛍のせせらぎ」という所があり、ここをいっしょに見にいく。ここでも何匹かの蛍の優雅な舞を見ることができた。蛍の群舞を期待していたが、ほんの1、2匹であっても蛍の舞はとても印象に残るものであった。

信越トレイル

 翌7月23日、信越トレイルに行く。6時15分、曇天の中バイクで出発。牧峠に6時35分に着く。所々で、白い花のガクアジサイが咲いている。ブルーのアジサイも咲いていて鮮やかだ。この花はエドアジサイというらしい。途中何箇所か太いブナ林がある。7時40分、宇津ノ俣峠に着く。このあたりから晴れてきて、新潟側が見える。この信越トレイルは、新潟側の斜面がかなりきつくなっている。8時13分、「幻の池」という所に着く。木々に囲まれた池のほとりでしばらく休憩する。静かな雰囲気の中に身を置くと、何か心が洗われるような感じがする。この池から10分ほど行った所から引き返すことにする。時折、蝉と鶯の鳴き声が聞こえる。牧峠には10時12分に着き、10時30分に家に戻る。



信州飯山からの便り(7) (2009.6)


   

   

なつかしい桑の実

 6月13日、いつものように朝6時過ぎ西の京駅から電車に乗り、戸狩野沢温泉駅に着いたのは12時半すぎだった。駅近くのスーパーで食料を買い、駅の駐車場に置いている自転車に乗り柄山に向う。途中、「飯山市ロードレース大会」の案内板が立てられている。6月21日にみゆき野ロードを走る自転車レースが行われるようだ。道路沿いの水田には青々と稲の苗が育っているのが見える。
 午後1時50分、柄山に到着。しばらくして、裏山に笹ゆりを見にいく。実は5月下旬に行った時、1本だけつぼみの状態のを見つけていたのだ。今回、1メートルほどの伸びた笹ゆりが5本ほどつぼみを付けているのを見つけた。奈良の自分の故郷では6月中旬が花の最盛期だが、ここでは7月にならないと咲かないように思われる。
 集落のはずれにある蛍の田んぼでは森の家のスタッフが手植えで田植えをしていた。この田んぼにはびっくりするぐらいたくさんのおたまじゃくしが泳いでいる。まさにうじょうじょという言葉がぴったりだ。道を歩いていると、ちょうど食べごろの桑の実を見つける。濃い紫色の実は甘酸っぱく、とてもなつかしい味がする。今回は、集落のあちこちでこの桑の実を堪能した。家々の周囲にはピンク色のあざやかななでしこの花がいっぱい咲いている。池のまわりではしょうぶの花が咲いている。紫のと黄しょうぶの2種類が見られる。池のほとりをみると黄緑色の蛙がいる。あまりにも色があざやかなので置物かなと思って、鼻の先をちょことつつくと、驚いて池へぽちゃんと入っていった。
 夕方はバイクで湯滝温泉に入りにいく。ここは400円だが、それでも長野県の温泉では安くないとのことだ。一度、冬場に猿がやってくる温泉に行ってみたいと思っている。

 信越トレイルを歩く

 6月14日、天気予報は曇りのち晴れだが少雨の状態。この程度なら本降りにはならないだろうと、信越トレイルに行くことにした。6時に出発。バイクで牧峠に行く。この峠は柄山集落のちょうど北西方面にあたる。200メーター以上上がるとウツギの花が咲いている。20分ちょっとで牧峠に着く。ここから関田峠まで往復の予定だ。最初少しきつい登りが入ったが、あとはアップダウンもそれほどのことはない。遠くでかっこうが鳴いている。この鳴き声を聞くと、なんだか深山に来た感じになる。牧峠から1キロ弱の所に池がある。ここにはモリアオガエルの卵が木の枝にいっぱい産み付けられていた。貴重な産卵場のようだ。紅紫色のかわいい花をつけた木を見つけた。名前はわからなかったが、帰ってから調べてみると、ウラジロヨウラクというらしい。
 梨平峠を過ぎたあたりで、ショウジョウバカマが咲いているのを見つける。春の花がこのあたりでは今頃咲いているのだ。ナナカマドの白い花も咲いていた。8時過ぎ関田峠に着く。約1時間半で歩いたことになる。距離にして約4.5キロ。峠には7,8人のメンバーが出発の準備をしていた。後からも車でやってきたグループもあり、この信越トレイルの人気振りがうかがえる。行きとほぼ同じぐらいの時間で牧峠に戻る。途中、ブナの木に注意していたが、稜線沿いには大きなブナの木はほとんどみられない。多分、かつて国有林の伐採が進んだと思われる。今目にするのは二次林だと思う。これでもけっこう楽しませてくれる。少雨のため、新潟側を見渡すことはできなかったが、見晴らしのいい所では佐渡ヶ島が見えるという。
 10時過ぎに柄山に戻る。昼食の準備をとじゃがいもを見てみると、芽がいっぱいでていて、食べてもとてもおいしそうにない。5月にもらったものだが、捨てようとおもったがせっかくだからと畑に植えてみることにした。20個近くを植えた。畑は草がいっぱい生えている。
 昼食後、帰りの支度をしていたところに、「こんにちは」と誰かがやってきた。この家にお客さんが来るかなと思いながら外みると、女性が入ってきた。聞くと、元の持ち主のHさんの妹さんで、墓参りに来たついでに寄ってみたとのこと。長野市に在住で、かつての隣家の女性といっしょにきたとのこと。隣の家は完全に潰れている。家が立った状態で離れたが、いろんなものが飛んでくるので処理してほしいと集落の人にいわれて潰したという。その時、大黒柱がなかなか倒れなかったが、倒れるときバシッとすごい音がしたのが今でもよく印象に残っているという話をしてくれた。2人はすぐ帰られた。
  午後2時過ぎ、自転車に乗り戸狩野沢温泉駅に向う、3時10分発の飯山線の電車に乗る。今回は、柄山の滞在期間がほぼ24時間、丸1日であった。次回7月には蛍の乱舞が見られるのを楽しみにしている。


信州飯山からの便り(6) (2009.5)


   

   


 



 ウツギの花の里

 5月下旬、関西で豚インフルエンザに罹った患者が出た。大阪でも患者が確認されたということで、職場に行かなくてもよい日が出来た。そこで、この機会に3日間飯山に行くことにした。5月22日、6時1分発の電車にのり、新幹線と特急を乗り継いで11時に長野駅に着く。途中、「強風のため、徐行します」とのアナウンスがあり、到着時刻が4分ほど遅れた。
  飯山線の戸狩野沢温泉駅には12時43分に着く。
ここから、駅の駐車場に置いておいた自転車に乗る。自転車は盗られてはいなかった。三郷という所までは登りで、自転車を押していく。ここから温井までは少し平らになっている。沿道の畑ではアスパラの収穫作業をしている人を見かける。温井からは羽広・土倉という集落を通って約20分ほどで柄山に着く。
  沿道はウツギの花がいっぱい咲いている。いたる所に咲いているので、うつきの里といってもよいくらいだ。この花は別名卯の花と呼ばれていることを後で知った。別々の花と思っていたのだ。
  家の前に植えておいた野菜をみると、とまとは1本の葉が少し茶色くなっている。霜にやられたらしい。それでもなんとか育っているようだ。近所の野菜が植えられている畑を見ると、四角い筒状のビニールがかぶせられている。聞くと、行灯(あんどん)と呼んでいて、霜と風よけの役割を果たしているようだ。確かに行灯の形をしている。ピーマンはまずまず。驚いたのはジャガイモだ。なんともう数センチ芽を出している。もともと寒い地方で育つ野菜だとはいえ、こんなに早く育つとは-------。
 つばめが来るかもしれないと、玄関の戸を少し開けておいたが、来た様子がない。人の住んでいる気配のない家に巣造りをすることはないということだろうか、それとも今年は来なかったということなのか? しばらく休憩してから、バイクを出して、JAコープまで買出しに行く。この時期にバイクを乗るのは気持がいい。テンプラ粉と油を買う。家の周辺を散策中、近所のおばさんがアスパラの出荷作業をしていたので声をかけてしばらく話をする。ちょうどアスパラの出荷の最盛期とのことだった。10本ほどいただく。

あこがれの秋山郷へ

5月23日。この日は曇天で、小雨模様。早朝、散歩していると、集荷所では、アスパラを詰めた箱が置かれていた。放棄田では、ヨシキリが鳴いている。この日は天気も今一つで、どう過ごすか思案していたが、雨がひどくなさそうなので、前から是非行ってみたいと思っていた秋山郷に行くことにした。距離にしたらかなりある。
  9時過ぎバイクで出発。途中、藤沢集落には、「水と緑と雪の里」という看板が立っていた。「克雪宣言」というのもある。さすが、豪雪地域だ。かまえが違う。
栄村の森宮原駅のところから山間部を進む。短距離を取るということで行ったが、これが大変な判断ミスだった。道はだんだん急になっていく。しかも雨。こんな所でもしバイクが故障でもしたら手が打ちようもない。本当の山深い山中で、数軒しかないような集落を通る。よくこんな所で住み続けているなと感心する。途中、養蜂業者の車を見る。作業をしていた女性に聞くと、今はトチの花の蜜を集めているという。そういえば、トチの花が咲いているのを見かけた。結束という在所で、道を聞く。冬のタイヤを取り替えている所というから驚く。国道405号に出る道を教えてもらう。この道路をとれば帰りはかなり楽だとのことだった。
 出発してから、2時間半ほどして、秋山郷の大赤沢に着く。木工の展示を見てから、蛇淵の滝を見にいく。なかなか雄大な滝だ。紅葉の季節はさぞや絶景を満喫できることだろうと思われた。秋山郷の民俗資料室を訪れたが、『北越雪譜』の著者がこの秋山郷についても著作を残していることを知った。わかりやすく現代文にした物が売られていたので買って帰った。
  さらに進んで、屋敷温泉に行く。時間は12時半。ここまでで、出発地点から60km走ったことになる。無料の足湯に浸かってしばらくのんびりする。
  ここから引返すことにするが、教えてもらった通り、帰りは元の道ではなく川沿いの国道405を取る。平家の落人なんとかとかいう店に入り、昼食をとる。
  新潟県の津南町に出て、看板を見ると町の歴史民俗資料館があるとのことで、行ってみた。ここには縄文式土器など多数の出土品が展示されていた。中でも、火焔型土器を見た時は感動した。やはり実物は迫力がある。約5500年前の縄文中期の物だ。火焔部分は実用的には意味のないものだが、火というものに込められた縄文人の芸術性の高さが偲ばれた。この資料館は民俗資料の点数の多さでも群を抜いている。
  大割野から国道117号に出る。温泉に入ってから帰ろうと、湯滝温泉に行く。露天風呂にゆっくり浸かる。雨にうたれたこともあり、この温泉では極楽、極楽といった気分に浸る。
  夕刻、柄山に戻ると、元の家主のHさん夫妻がいて、荷物を持ち出されていた。明日、もう一度見えるとのこと。この日、バイクで走った距離は120km。ガソリンスタンドでは、秋山郷までバイクで行ったといったら驚いていた。

 

 野沢温泉にて

 5月24日。朝、裏山を散策。かわいい稚児ユりが咲いている。そして、ここで、なんと笹ユリを2本見つけた。中部地方から以西に生息するといわれているので、この地に生えていても不思議ではないが、大好きな笹ゆりを見つけて少し興奮した。1本はすでにつぼみをつけていたが、いつごろ咲くのだろうか。奈良では6月中旬あたりだが、寒い地域なのでもう少し後にはなるだろうが------。
  この日は野沢温泉に行ってみることにした。1時間もしない内に温泉に着く。温泉街をぶらぶらしている内に、高野辰之の記念碑があることを知った。碑には、この温泉が彼の終焉の地とあった。店でもらった温泉街の地図によると、高野の記念館があるらしい。行ってみると、なかなか充実した資料館であった。受付の人に聞くと、彼の故郷にある記念館より資料がそろっているとのこと。東京の大学で教鞭を取っていた彼が、退職後にここに別荘を設け、数年間住んだ。「故郷」「朧月夜」「春の小川」など日本人がよく知っているなつかしい歌を作詞した彼は、飯山線の飯山駅から長野市側に3つ目の替佐駅を降りた所が故郷である。私が借りている古民家のある柄山は比較的近いといえる。このあたり一帯は、まさしく故郷の歌の原風景が広がっているといってよい。
 帰宅の時間もあるので、温泉に浸かることもなく戻る。家ではHさんが荷物を運んでおられた。自分は、コシアブラとタラの芽とさつまいもでてんぷらをして昼食とする。どれもおいしかった。こしあぶらはタラの芽よりおいしいという人がいたが、確かにそう思う。
  午後2時すぎに自転車に乗り、戸狩野沢温泉駅に着く。午後3時10分発の列車に乗り帰宅の途へ。

 今回は、秋山郷と野沢温泉、いずれも収穫があり充実した3日間をすごすことができた。飯山周辺地域の魅力に少しずつとらわれていく自分を感じている.。



信州飯山からの便り(5)  (2009.5)

  
  
 
     


斑尾高原の水芭蕉

 今回は、春の大型連休中に6日間飯山に滞在した。
 4月29日、京都駅の新幹線ホームでG氏と待ち合わせ、7時16分に乗車。8時に名古屋から特急しなのに乗り、長野駅で飯山線に乗り換え、12時21分に飯山駅に着く。ここから12時30分発のバスに乗り、斑尾高原に行く。午後1時に着き、沼の原湿原をめざす。水芭蕉がお目当てだ。トレイルの入り口には、読売新聞による「遊歩百選」の表示板が立てられていた。遊歩道には、所々残雪があり、登山靴ではなかったので少々すべりやすい所もあった。
 この湿原は、昨年の5月にも京都のK氏と訪れた。その時は水芭蕉はほとんど終っていたが、今回はかなりの花をみることが出来た。尾瀬には及ぶべくもないが、これだけまとまった水芭蕉が見られたのはラッキーだった。ただ、多くの花は形が崩れたようになっている。盛りが過ぎたようでもない。どうも、ここを訪れる1週間ほど前だったか、かなり風雨が強い日が2日ほど続いたためにやられてしまったようだ。この時期、黄色い花を咲かせるリュウキンカも見られた。

 
民宿のもてなし
 バスで飯山駅まで戻ったが、乗客は我々2人のみ。このバスは主に斑尾高原に住む子らを下の学校に運ぶ通学用として利用されているようだ。
 駅から民宿に電話して迎えにきてもらう。迎えの車の運転手は若い女性だった。後で聞くと、この民宿のお嬢さんで、銀行を辞めこの4月から民宿を手伝っているとのことだった。戸狩温泉の民宿岸田屋に着くと、主人が釜戸を案内してくれた。見ると、ストーブのような形をした釜戸で、なんと籾殻で炊くというものだった。中を見せてもらうとけっこう強い火力だった。お釜で炊く御飯がこの民宿の売り物の1つになっている。売り物といえば、建物の中を見渡して驚いた。一面鉄道グッズであふれていたのだ。SLの車体番号表示版を始め、時刻表や行き先案内版などなんでもあるという感じだった。これらの多くはお客さんが持ってきてくれるとのことだった。極め付きは、汽笛だ。試しに鳴らしてみると、確かに本物の汽笛だった。各部屋の名前もあさま・白山・あずさ・富士・はやぶさなど汽車の名前が付けられている。特急・自由席といったのもある。鉄道ファンにはこたえられない民宿だろう。手作りのおいしい料理をいただいた後、映画『阿弥陀堂だより』のビデオを観る。飯山を舞台にした映画である。翌日は、その舞台となった所を散策することになる。
 4月30日朝、温泉に浸かった後、近くを散歩する。戸狩スキー場はすぐ傍にある。ゲレンデにはたくさんの鯉のぼりが設置されていた。スキー場の脇では、山菜採りをしている人がいた。民宿の主人によると、このスキー場は地元の人たちが金を出し合って作った自前にものだとのこと。それだけに地元の人の思いいれは相当のものがあると感じた。スキーブームが去って久しい中、たくさんある民宿が経営を維持していくのはかなり大変なようだ。民宿の周辺では、婦人たちが花の手入れをしていて、道々には額燈籠というのがすえられていた。菜の花祭りにあわせて訪れる客を迎えるためだという。暖かく客をもてなそうという地元の人たちの思いやりを感じた。

 
修験場としての小菅神社
 飯山で一番苦労するのが移動手段が限られるということだが、ありがたいことに民宿の主人が今日の予定地まで車で送ってくれるという。阿弥陀堂のすぐ近くまで行き、「日本の棚田百選」に選ばれた福島の棚田を見た後、小菅神社奥社の鳥居の所まで送ってもらう。ここから奥社まで杉林の道を片道1時間とあり、少し歩いて引き返す。この小菅神社は戸隠・飯綱と合わせて北信濃の三大修験場の1つとのことだ。
 鳥居のすぐ近くにある「浅葉野庵」という茶店に入る。よくぞこんな奥に店があるものだと思うような場所にある。店の落ち着いた雰囲気がなかなかいい。信濃33番観音霊場の札所となっている観音堂や講堂、小菅神社の里宮などを見て回る。この里宮には立派な神楽殿がある。仁王門に向う道の途中で、老女が婦人にじゃがいもを渡している。「大きなじゃがいもですね」と声をかけると、袋にいっぱい入れてくれて、もっていきなさいという。どうせ捨てるからただでいいというので、遠慮なくいただくことにする。

 菜の花公園

 しばらく歩いて、菜の花公園に行く。菜の花が一面に植えられていて見事だ。連休中の5月3日から5日まで「菜の花祭り」が開かれるメイン会場となっている。菜の花と千曲川、それに遠景としての北信五岳がすばらしい眺めを演出している。祭りの期間中ではないが、多くの観光客が訪れていた。ここで、売っていた冷やしうどんを食べる。景色を眺めながらの食事は最高だ。
 この菜の花公園から戸狩野沢温泉駅まで歩き、午後3時に着く。ここから柄山までタクシーで行く。約20分ほどで、4000円弱の料金だった。借りている古民家に着く。ちょうど庭では八重桜が満開の状態だった。黄色い水仙の花もあざやかに咲いていた。玄関を開けると、湿った感じがする。湿度計では湿度80度を超えている。開け放して風をいれると湿度は下がり、50度まで下がるのを確認した。バイクで農協のスーパーに買出しに行く。バイクはさすがに機動力がある。このスーパーはかなりのものがそろっている上、農協の店ということで、野菜類も新鮮だ。でもこの店まではけっこう遠く、30分以上はかかる。冷蔵庫がないので生ま物は買えない。塩鮭を買って夕食は石狩鍋にしたが、少々しょっぱくなった。G氏が持ってきてくれた黒糖梅酒は口当たりが良く、お互いほどよく酔う。

 
ブナ林と隣りの集落散策
 5月1日。この日は柄山で一日を過ごす予定だ。午前中、裏のブナ林を散策して、森の家に行く。支配人とあいさつを交わしたが、小生の事は聞いているとのことだった。昼食後、隣の集落である土倉に行く。この集落も柄山と同じく10軒ほどの小集落だ。最近東京から越してきたという人を訪ねたが、あいにく不在だった。集落の中を歩く。白い花が咲いている大木を見つけ、何という木か聞くと小梨とのこと。小さい実がいっぱい生るようだ。もう一本の小梨の木の所にうどが生えていたので、数本採り、晩のおかずの一品にする。
 夜、あたりが静かになると、とりわけ蛙の鳴き声がよく聞こえる。柄山に滞在中、この鳴き声が一日中聞こえていた。田植え時にあわせてかつてはさぞ大合唱だったことだろうが、今集落の周りは耕作放棄地が多く、水田として実際に米が作られている田んぼは本当に少ない。

 
自転車を購入
 5月2日朝9時、信州大学の工学部のスタッフが古民家の実測調査に来た。G氏は彼等の乗ってきた車で最寄の桑名川駅まで乗せてもらって帰っていった。調査の間、しばらくバイクで戸狩野沢温泉駅の近くのバイク屋に行く。気のよさそうな老人がでてきた。柄山まで通うのに自転車が欲しいというと、一台の自転車を勧めてくれた。まだ新しく性能がよさそうでもったいない気がしたが、何と1万円でいいという。知り合いの自転車店が閉店した時、引き取ったものだとのこと。この自転車を駅の駐車場に置くつもりだ。というのは、この駅までは列車はそこそこあるが、そこから先は極端に本数がない状態であり、自転車であればこの不便さをかなり解消してくれるはずだからだ。
 このバイク屋の近くにスーパーがあり、買い物をする。別の店で、トマトとシシトウの苗を買い、金物店でスコップと移植ごてを買う。月1の通いではとても野菜を育てるのは難しいと思うが、試しに植えてみることにした。戻って、家の前の畑に買ってき野菜の苗と、ジャガイモを植える。
 信大の調査は夕方5時までおこなわれた。この日の夕食には、近くで採ってきた蕗の煮付けが1品として並んだ。ちなみに、山菜でいえば集落のまわりはいたるところでつくしが生えている。これも1品とした。

 
北竜湖と小菅神社奥宮
 5月3日、曇天。ずっといい天気が続いたが、これから悪くなりそうだ。朝9時にバイクに乗り、30分ちょっとで北竜湖に着く。ここも景勝地の1つだ。ここから小菅神社奥宮の登り口に行く。杉並木の道を登りつめていくこと30分で奥宮に着く。堂々たる建物だ。修験道が盛んだった昔に想いをはせる。帰り農協のスーパーで抽籤したが、はずれで軍手を粗品でもらう。ついでに如雨露を買う。
 午後、家の中で読書して過ごす。夕方、自転車が届く。先にバイク屋の主人が訪ねてきて、息子が帰ったら車で届けてくれるとのことだった。なんとも親切なことだ。さっそく近くまで乗ってみることにした。軽くて乗りやすい。蛍の里のところに行くと、森の家のスタッフが田んぼの状態をチェックしていた。溜水状態にしておき、不耕起で稲を作るという。蛍の保護を念頭に置いてそうしているとのことだった。7月10日前後には蛍の乱舞が見られるようだ。

 
古民家に住む動物たち
 5月4日朝5時半、日課の散歩に出かけようとすると、すぐ下の家の主人が早くも畑仕事をしている。散歩から戻ると、電線にいい声で鳴く小鳥を見つけた。この鳥は毎日同じ所で鳴いているようだ。鳥にもお気に入りがあるということだろう。朝食を作ろうとにしんを取り出したら、少しかじられている。よくみると、さつまいももやられている。ねずみだろうか。そういえば、夜中に天井裏でごそごそしているのがいた。この家には、庭に大きなシマヘビがいるのを2度見かけた。池には大きな鯉が10匹と子供の鯉が5匹に緋鯉が1匹いるのを確認した。食事後、鯉に残飯をあげた。住む人がいなくなって、彼等はちゃんと生きていけるのだろうか。「住人」といえば、家の中にツバメの巣がしてある。元の持ち主に聞くと、来るときもあるし来ないときもあるという。つがいと思われるツバメを見たので、そろそろ北の国からやってくる時期だろう。帰る時、ツバメが来た時のことを思い、「ツバメの出入り口」と書いた箱を置いて玄関を少し開けたままにしておいた。
 この日の午前中に持ち主のH・Kさんが来るというのでずーと待っていたが、一向に見えない。家の外に椅子を持ち出して、本を読む。散策路を降りてきた二人連れが道を尋ねる。何か、柄山の住人になったような気分だ。午後、元の持ち主の奥さんの実家の方がこしあぶらを採りにやってきた。このてんぷらはタラの芽よりもおいしいとのことだ。いっしょに探しにいくが、小さいのばかりでまだ少し早かったようだ。

 
自転車で帰途へ
 午後3時に自転車で戸狩野沢温泉駅を目指す。途中で、H・K氏から電話が入り、予定が変更になり、明日来るとのこと。それだったら早く知らせてくれたら、この日はもっと有効に使えたかもしれない。何にしても確認は大事だと痛感した。温井という集落までは少しアップダウンがあるが、そこから先は下り一方で快適に風を切って進む。出発してから30分ほどで駅に着く。駅から柄山に行く場合は、温井までは押していかなければならないので、それなりの時間はかかるだろうが、多分1時間もあれば着けるだろう。自転車を駅の駐車場に置いて駅に行く。自転車は盗られないように祈るしかない。二重に鍵はしているが、盗られる時は盗られるものだ。1時間ほど待ち、飯山線に乗り長野駅まで。途中の車窓からりんごの白い花が眼に入る。連休中だったが、長野駅からの特急自由席には座ることが出来た。帰宅したのは夜11時30分を過ぎていた。



信州飯山からの便り(4)  (2009.3) 

  


 3月9日、朝7時前に最寄りの西ノ京駅から電車に乗る。名古屋駅9時発の特急に乗り、長野駅から飯山線に乗り換えて桑名川駅には午後1時55分に着く。
 今回は一人旅で、駅から柄山集落に向かって歩く。途中、3人の婦人が歩いているので声をかけると下の集落の人たちで、「お散歩よ」とのこと。
 柄山には午後2時40分に着く。着いてからさっそく軒下の雪の除雪をする。2月にたくさんのメンバーで除雪して、コンクリートの部分まで除雪できたが、この1ヶ月ほどでまた1メートル以上積もっている。それでも屋根までは掛かっていない。スノーダンプを使うとかなり威力がある。

 遠くで犬の散歩している人を見かける。まだ挨拶まわりしていないOさんだと思い、訪問する。この家の出身だが、神奈川に家がある、空家になっていたところ、奥さんが気に入って改装して

住んでいたが5年前に亡くなった、今は犬と暮らしている、とのことだった。
 除雪している時、近くの温泉にバイクでいけるのではと思い、小屋から板を出してきて、家の中に置いているバイクをなんとか道路までだした。ガソリンスタンドまでガソリンを入れにいく。戻ってきて、を家に入れようとするが、すべってうまくいかない。それにバイクは意外と重い。もし助っ人が一人でもいればうまくいったかもしれない。やむをえず、バイクは屋外にそのまま板をかぶせた形で置くことにする。
 この日は風呂に入るのも面倒くさくなり、沸かさず。家から持参の自家製の梅酒を飲みながら食事していると眠くなり、豆炭を使ったこたつで寝る。途中で目がさめ、新書を読む。

3月10日、この日は雨。雨具を着て玄関先まで除雪することにした。この部分は踏み固めていることもありかなり硬く大分苦労してやっとバイクを通す道を作り、玄関先までバイクをひきあげる。考えてみれば、ガソリンを入れるだけのために、苦労して除雪したようなもので、それだけだったらあまり意味のないことをしたことになる。晴れていればバイクで出かけることもできたのにと思うと、雨が何ともうらめしい。
 午後3時半ごろからはみぞれに変わった。こんな状況で、もうあきらめて風呂に入ることにして、3時前ごろに入る。風呂といっても薪で焚くので、1時間半はたっぷりかかる。沸いたと思って入るとまだ十分沸いてなくて、下のほうは冷たい感じ。今さら出るのも面倒とつかっているうちに、だんだんいい湯かげんになってきた。この日は夕食後、一眠りしてから夜の11時過ぎにもう一度入った。こんどは丁度いい湯加減だった。
 夕刻、みぞれは雪に変わった。時々ドドドッと屋根から雪が落ちる音がする。

3月11日、朝外に出てみると、断続的に細雪が降っており、10センチほど積もっている。昨日除雪した雪が集まった所にいくと、きれいになくなっていた。朝除雪車がやってきて処理したのである。朝食後、除雪作業を行う。
 この日は雪かとあきらめかけていたが、たまに薄日がさすような時があり、10時からスノーシューをつけて雪上ハイクに出かける。1時間ほど家のすぐ裏のブナ林から雪の平原と化した広大な畑の上を歩く。見上げると信越県境の山々が目に入る。なかなかいい眺めだ。全く踏まれていない雪原を一人で歩くというのは何とも気持がいい。家に戻り、家の裏側にかけての軒下の除雪作業をする。 
  午後、雪は本降りとなった。午後1時半、柄山を後にする。すごい吹雪になった。2時41分発の電車にのって帰ったが、戸狩野沢温泉駅をすぎるとほとんど雪はなかった。飯山でも柄山のように信越県境の山脈の麓にある地域は特別に雪が深いということだろう。それでも今年は例年の3分の1以下の雪しか降っていないというから、もし例年並みに雪が降ったら空き家は雪に閉ざされることは間違いないと思われる。今年の体験はまだ序の口だったのかもしれない。

次回は5月の連休に京都の知人と来ることになる。千曲川一帯を菜の花の絨毯が敷き詰められたような光景が広がっていることだろう。その時、柄山も一挙に春の息吹につつまれているにちがいない。



信州飯山からの便り(3)
   (2009.2)

   



         


 少ない雪

 2月13日。今回も長野駅前11時前待ち合わせという予定で、早朝6時20分に西ノ京駅から電車に乗る。松本駅あたりから雪をいただいたアルプスの山々が見える。
 長野駅前にはM氏とS氏が待っていた。M氏によれば、今回の参加予定のMi氏が怪我をして参加できなくなったので、いったん明科に戻り、翌日みんなといっしょに来るとのこと。そこで、S氏の運転する車で飯山に向かう。
 飯山市に入ると「雪祭り」の看板が目に入る。丁度14日15日が祭りの日であるが、雪が少ない。雪を積んだダンプを見たので、雪集めに苦労しているようだ。おまけに雨ときている。
主催者にとっては、泣きっ面に蜂というところだろうか。
 飯山で最も大きいスーパー「ベイシア」で買い物をする。食料品の外、卓上コンロを買ったが、これがなんと1580円。その安さに驚いたが、使う時商品の表示を見ると、ベトナム製とある。アジアでも低賃金のベトナムから来た製品を複雑な思いで眺めながら、かつて母といったツアーに思いをはせた。ちなみに、退職したら1ヶ月をかけてベトナムに一人旅をしてみようかなと思っている。
 午後1時半過ぎに柄山に着く。雪は思ったより少ない。それでも、玄関の所は屋根まで積もっている。2人で雪かきをする。夕食はもつ鍋をしたが、これはけっこうおいしかった。



 人海戦術の雪かき
 14日、曇り。この日も朝から雪かき。10時にM氏の山グループが車2台で到着。この日きたのは6人(男性3人、女性3人)。簡単な自己紹介の後、雪かき作業をやってもらう。家に泊まるかわりに雪かきのボランティアをしてもらうのが参加の条件になっている。
 昼食後、スノーシューで家の裏山を雪中ハイク。ぶなの林を抜けて広大な畑の所を山の稜線に向かって歩く。畑の境目の土手になっている斜面は登りにくいが、それ以外は快適なハイキングを楽しむ。2時間ほど楽しんで家に戻り、また雪かき。みんな一生懸命楽しみながらやってくれるので、どんどん雪が除かれていく。スノーダンプはかなりの威力がある。こうして、夕刻までには地面のコンクリートが見えるところまで除雪できた。人海戦術はすごいものだと実感。ただし、今年の2月は暖冬とのことで、積雪は例年の3分の1と地元の人が言っていたので、この程度だと安心してはいけない。そういえば昨年2月に来たときには道路沿いの雪は2メートル以上あったが、今年は1メートルもない。
 夕刻、多くのメンバーは近くの温泉に行く。こちらは薪の風呂を炊いて入る。夕食は、M氏が特製のイタリア料理を作ってくれる。彼は料理に凝るタイプで、材料もかなり吟味
されている。えび・魚や黄色い色を出す葉っぱなどいろいろ説明されるが、イタリア料理に興味のない小生はそんなものかと聞き流すだけだったが、食べてみるとたしかに微妙な味ぐあいがする。どぶろくも入り、お互いの話題や日本のあり方について談論風発となる。


 
信越国境まで雪中登山
 
15日は見事に晴れわたる。8時45分、みゆきのロードを西に進み、羽広山という30軒ほどの集落の手前のトンネルの所からスノーシューを着けて雪中ハイク開始。標高500メートル余の地点から登り始めて、800メートル近くだったと思うが畑の広がった地点から見下ろすと、登ってきた地点の羽広山やその西側の温井の集落が見える。まるでメルヘンの世界だ。千曲川から向こう側の山々が背景を成し、ずーと眺めていても飽きない。夫婦2人組は途中で引返す。
 林の中を枝尾根をたどりながら進んでいく。12時少し前に信越国境の稜線に出る。ここで昼食を取る。食事後、現在位置を確認しようと一人で目標地点の峠を探しにいくが、それらしいところでも何の道標もない。昨年秋に「信越トレイル」が全線開通したと報道されたが、道標などの整備はどうなっているのだろうか。雪で目印が確認できないのかもしれないが------。途中、雪上バイクがけたたましい音を立てて通りすぎていった。乗っているご当人にとっては楽しいかもしれないが、静寂を破る騒音はいただけない。
 12時50分に下山を開始し、トンネル下には午後2時に着く。柄山に戻り、車2台を見送った後、午後4時半に柄山の家を出て、S氏の運転する車に乗り、午後6時過ぎ長野駅前に着く。駅の所で食事した後は、駅の待合室で4時間以上時間をつぶす。午後10時30分発の夜行バスに乗り、早朝の5時30分に京都駅前に着き、7時前に自宅に着く。

 今回は「大所帯」となったが、3月は未定.。初めての一人住まいとなるかもしれない。その場合、交通手段をどうするか、頭を悩ます所ではある。




信州飯山からの便り(2)(2009.1

           


        
               

 屋根まで積もった雪

 年が明けて、1月10日早朝最寄りの西ノ京駅から電車に乗る。近鉄特急と新幹線を乗り継いで名古屋発8時の特
急に乗り、長野駅に10時52分に着く。途中木曽福島あたりの車窓から見ると、家や木々にうっすらと雪がかぶって
いる。長野の少し手前からは日本三大車窓が楽しめるとの車内アナウンスがある。善光寺平の広大な盆地と千曲
川が見渡せる。確かにビューポイントである。

 長野駅前にM氏が車で出迎えてくれ、飯山に向かう。飯山のAコープで食料を買い、電気屋で頼んでいた炊飯器を
受け取り、柄山の家に向かう。

 最寄りの飯山線桑名川駅からはかなりのヘアーピンの道路となっている。道路脇の積雪は約1メートル。午後1
時半柄山に着くと、家から20メートルほどまでは除雪してある。雪は玄関口の所が屋根まで積もっている。さっそく、
玄関までの所をM氏が除雪作業する。小生は屋根まで積もった雪をスコップで除雪する。

 昼食を取っていなかったので、除雪作業の途中でカレーを作る。また除雪作業に入るが、上部の雪はふわふわして
いて、簡単に除雪できる。だが、一部かなり硬く締まった塊があり、スコップではなかなかくずせない。

 突然電気が-----

 夕刻になり、M氏の山仲間のMi氏がやってきた。夕食はM氏が用意したきりたんぽ鍋。材料はたっぷりある。どうも
買いすぎたようだ。風呂の方は薪で焚くが、約1時間半ぐらいかかる。食事前にのんびり風呂に入っていたら、なんと居
間の電気が切れたとの声。風呂から出てみたが、何故切れたかわからない。元の持ち主のHさんに電話すると、玄関
口に操作盤があるとのことで、ヒューズが飛んでないかどうかチェックしたが、問題なさそうだ。再度Hさんに電話するが、
ずーと話中。これは真っ暗な中での食事かいなと半分あきらめていた所、M氏が居間の電気のスイッチをひねったらな
んと電気がついた。
何故切れたかはわからないが、とにかくついたことはついて一安心。改めて天井を見ると、むき
出しの電線が蛸足状に延びていてびっくり。ようこんなんでもってるわと一同あきれることしきり。電気がきれた原因は新
しい炊飯器で炊いていたためのようだ。炊飯器はかなり電気を喰うと思われる。その後ももう一度電気が切れたが、今度
もスイッチをひねって回復。まあ、漫画のような出来事だが、これが古民家生活の一面でもある。ねずみでも電線をかじ
って漏電すれば大変なことになると心配されるが、ねずみもでてこないとのことらしい。

 前回は居間で、豆炭こたつにもぐって寝たが、M氏のいびきでほとんど寝られなかった。今回は奥の部屋で、宅急便で
届いた新しい布団で寝た。

 

 スノーシュー初体験

 今回、天気予報は雪。滞在中に晴れることはないだろうと覚悟していたが、翌朝天気は晴れ。この日の行動が定まらな
いまま、とりあえず近くの「森の家」に行って情報収集しようということになる。森の家で、周辺の雪上ハイクのコース案内
を受けて、スノーシューを借りる。

 家に戻り、スノーシューを着けて、裏のブナ林に入る。スノーシューは歩きやすい。ほとんど訓練なしですいすい歩ける。
わかんのことが頭にあるので、こんな便利なものが出来ていることに驚かされる。

 ブナ林に差し込む光で、木の影が伸びていてなかなかいい感じだ。林を抜けると広大な雪原が広がっている。農水省の
パイロット事業で開発された畑が広がっている地域だ。主にアスパラが植えられている。ここが冬場は雪原ハイクのゲレン
デと化す。まったく踏み跡のないところを進んでいくのはなんとも爽快である。

 正面には信越国境の山脈が走っている。この稜線は信越トレイルとして昨年秋全線が開通して、かなり人気が出てきてい
るという。昨年5月、その一部を歩いたがブナ林が魅力だ。ぜひ全線踏破に挑戦してみたいと思っている。

 午後は、M氏らの山グループが2月に予定している鍋倉山の偵察にいくことになった。温井の集落に車を置いて、冬季閉
鎖されている道路を歩く。積雪は数十センチ。途中下の方を見ると、登ってきた温井の集落が見える。雪の中にマッチ箱の
ような家が点在していて、おとぎの国の世界をみているような錯覚にとらわれる。雪が作り出す自然の世界の魅力にふれて
満足感が広がる。

 午後3時を目途として引返すことにする。この日の夕食も鍋。3人ともあまり酒はいけるほうではないし、テレビがないので、
夜はおしゃべりしか過ごす方法はない。2人はいっしょに行った東北の山や温泉の話に花を咲かせていた。これは1日目だ
ったかもしれない。というのは、Mi氏も寝つきがすごくいい方で、またいびきもすごい。彼は、スノーハイクで疲れてすぐ寝て
しまったのだ。

 

安曇野にて

 3日目、天気は曇り。とにかく1日だけでも晴れてくれてよかった。前回もいった湯滝温泉に行くが、10時にしか開かない
ということであきらめて、M氏の住んでいる安曇野に向かうことにする。ここには奈良から移り住んでいる知り合いのS氏
(奈良勤労者山岳会会員)がいる。そのお家の訪問をすることになった。

 M氏がアルプスの山々が見えるビューポイントに案内するということで向かったが、途中の中条村あたりから吹雪にな
る。池田町から安曇野市に入り、白鳥飛来地の御宝田遊水池で白鳥を見る。前日の飛来数は295羽と掲示されていた。
500羽以上飛来するという。

 午後1時30分ごろS氏宅にお邪魔する。夫婦2人のお住まいで、まだ昨年の11月に引っ越してきたばかりとのこと。ここか
らは、北アルプスの常念岳が見えるという。しばらくして、松本駅まで送ってもらい、帰宅の途に着く。

 さて、次回はいよいよ2月。除雪も一筋縄ですみそうにない。でも、M氏の山グループが7人〜10人ほどやってきて泊ま
るとのことで、雪掻きも「人海戦術」でかなりいけるかもしれない。にぎやかな数日を送ることになりそうだ。

 



     信州飯山からの便り(1)(2008.12)

              

古民家を借りる                           

 11月18日の夜11時10分京都発長野行きの夜行バスに乗り込む。翌朝朝6時30頃にJR長野駅前に到着。
急いで顔を洗い、朝食をとってから、7時長野駅発の飯山線にのり、8時12分に戸狩野沢温泉駅に到着。

  今回は、ここから飯山市の北東に位置する柄山地区まで歩くことにした。実は、飯山に来るのは今回が初めてで
はない。1年ほど前に初めて飯山を訪れた。この時、ブナの森の散策の途中、柄山地区でたまたま地元のHさんに
出会った。Hさんによれば、1年後にはここを出るとのことだった。自分の思い描いている里地にぴったりするこ
の柄山に住んでみたいという思いから、豪雪の2月、新緑の5月、そして夏の8月と度々Hさん宅を訪問してきた。
いろいろいきさつがあったが、最終的にHさんの末弟が相続することになったお宅を借りるということで落ち着い
た。
今回の訪問は、11月末をもっていよいよ故郷を去られるHさんから、家のこまごましたことの確認をすると
いうことが目的であった。

初冬のみゆき野ロード 

 歩き始めてしばらく行くと、常郷地区の道路沿いに大きな石碑が建っている。「近衛輜重輸卒竹田初太郎記念碑」
とある。明治28年とあるから日清戦争(1894〜95年)で亡くなった兵士の追悼碑であろう。

  近衛兵とは、天皇の護衛兵のことであり、各地から最も優秀な兵隊が近衛兵に選抜された。輜重輸卒とは軍事物
資の運搬を担当した兵士のことである。竹田家にとって自慢の息子であったに違いない。石碑の大きさから家族の
無念の思いが伝わってくる。
 
  道端には、所々に赤色に塗られた2メーターを超える細い竹の棒が立てられている。これは、雪が積もった時、
除雪車がどこまで除雪するかの目印になる棒である。

  歩き始めて1時間余、温井地区に着く。ここにも石碑があって、笑顔の七福神が掘り込まれている。何の記念碑
かと思って見てみると、「出征兵士との別れの地」とある。あの日中戦争から太平洋戦争までの期間、この地区か
ら出征していった兵士を見送った場所である。果たして何人の兵士が無事故郷に帰還できたであろうか。笑顔の七
福神には、せめて魂だけでも生誕の地に戻ってきてほしいという係累の切なる願いが込められているのだろう。

紅葉のハイキング

道は二手に分岐している。左手は、関田峠を越えて新潟へ通じる道で、武田信玄もこの道を進んでいったという
言い伝えがあるそうだ。分岐点近くには、「ブナ林と雪の里温井」とある。過去には最高7メートルほどの雪が降
ったとか。ここからが豪雪地域の飯山でももっとも雪が深い地域の始まりである。ちなみに、関田峠からしばらく
稜線を行くと標高1288メートルの鍋倉山がある。この山の谷沿いにはブナの大木があり、「巨木の谷」とある。

  分岐の右手は「温井みゆき野ライン」になっている。これは、農水省の開発事業で作られた道路で、5つの橋で
結ばれている。このみゆき野ラインをゆっくり歩く。寒さを覚悟していたが、それほどでもなく、紅葉を楽しみな
がらの快適なハイキングとなった。8月に訪れた際に足を伸ばした羽広山の集落、そして土倉の集落を過ぎ、10
時30分頃に柄山に着いた。

  Hさんは最後の片付けをしておられる所だった。昼食をいただいてから、後片付けされているのに付いていって、
どこに何があるかを確認した。すでに大きな農機具や除雪機は処分されていた。秋に収穫されたじゃがいもや大根
が片付けられる。大きなじゃがいもを見ていると、ここでの作物はとてもいいものが沢山取れるということが実感
できる。この作業中は、天気がよくてまるで小春日和のようであった。

白銀の世界に一変

ところが、夕刻4時近くなると雪が降り出した。この雪は夜中降り続き、翌朝には20センチほどの積雪となっ
た。朝5時台に、ブルブルというトラックターのような音がする。はじめは何の音かわからなかったが、朝起きて
外を見てみて、除雪機の音だとわかった。積雪が10センチを超えると、自動的に除雪機が出動ということになっ
ているそうだ。今期初出動ということになる。外は一面の白銀の世界へと変わっていた。今回は、名残の紅葉と新
雪の両方を満喫できる旅となった。

  1日目の夕食の後、柄山での農業の話をうかがう。戦後直後の食べるものにも事欠く厳しい生活の中から必死に
農業生産に努めてこられた状況が語られる。五穀の栽培から始まり、養蚕・養鶏・障子紙の紙漉き・炭焼き・きの
こ、そして現在のアスパラの栽培と様々な営農の日々であったという。豪雪地域での農業のいいしれぬ苦労が偲ば
れる。思わぬ事故から障害を抱えながらの農作業の日々はどんなにつらかったことか。まさしく、精農家という表
現がぴったりするHさんであるが、ついに農業に見切りをつける日がやってきたということになる。24軒あった
という柄山地区も、すでに10軒を切るまでになっている。まさに、限界集落そのものである。

二地域居住への思い

私は、今この飯山の古民家と奈良の自宅との二地域居住を考えている。当面は、たまに訪れるくらいから始めて、
数年後にはここを主に住み続けたいと思っている。

  しかし、たまに訪れるといっても、豪雪の時期には、道路と家の近くまでは飯山市が除雪してくれるが、家の所
までは住民票を移さない限り、除雪してくれないとのこと。かなりの積雪の時には、とにかくなんとか除雪をして
玄関まで辿り着かない限り、家の中で暮らすことはできない。雪かきのスコップ程度では下の方の雪は除くことは
出来ないというから、冬場はあきらめるか、住むならなんとしても雪を掻き分け、家の中に入りこまなければなら
ない。登山用のピッケルを持って、冬山にでも行くつもりで挑戦でもしてみるか。

  可能であれば、長野に移住して子どもらの自然学校をしている知り合いに助っ人を頼むか、とにかく3メートル
の雪と格闘してみようかと思っている。できなければ、いったんは撤退して、民宿にでも泊まるとするか。まあ、
無理をすることではない。とにかく、可能な範囲で飯山での生活の第一歩をふみだすことになる。

  午前中に、役場に手続きに行くというHさんの軽四トラックにのせてもらって、戸狩野沢温泉駅に着き、そこで
お別れする。もう柄山でお会いすることはない。いままでのもてなしに感謝して、お別れとなった。11時24分
発の飯山線にのり、長野・名古屋経由で、自宅に着いたのは午後6時すぎだった。

飯山生活の第一歩

 12月2日、前回と同じく夜11時10分京都発長野行きの夜行バスに乗り込む。朝、長野駅に着き、7時発の
飯山線に乗る。濃い霧の中を列車がゆっくり進む。「日本一の長さを誇る信濃川(長野側は千曲川)沿いには、な
つかしい日本の故郷の風景が広がります」と車内アナウンスがある。唱歌「ふるさと」の作詞者が生まれた替佐は
長野駅から30分ほどいった所にある。

 川に目をやると、朝靄がまるで温泉の湯煙りのように立ち込める風景が広がっている。トンネルを越えると雲海
の世界だ。

  8時過ぎに戸狩野沢温泉駅に着く。ここで、長野の穂高町在住の知人と待ち合わせしたが、渋滞で遅れるという
メールが入る。9時前に知人のM氏の車が着き、目的の柄山集落に向かう。

  今回の目的は、ガス・水道などの手続きをすることにある。借りることになった古民家に着くと、なんと元の持
ち主のHさん夫婦が家の中にいた。家の荷物を持ち出す作業中であった。挨拶をしているうちに、水道とガスの担
当者がやってきて、チェックをしてくれた。奥さんの乗っていたバイクを譲りうけたが、バイク屋もやってきてナ
ンバーを取り付けてくれた。住民票を移していないので、バイク屋の名義で登録してもらうことになったのだ。

  家のすぐ裏にはきれいなブナ林がある。落ち葉に敷き詰められた林の中のブナ林はなかなか見応えがある。散歩
コースを歩き、森の家に寄ってから戻る。

  昼食は、持ち込んだ米を炊き、彼が持ってきてくれたぶりと大根の炊き合わせをおかずにする。とにかく食糧を
仕入れようと、車でスーパーまで買出しにでかけた。米・調味料やジャガイモ・玉ねぎなど買い込む。ついでに、農
協の燃料センターにいって、灯油を買う。
夕食は、持ち込んだ豚肉・鶏肉と知人が持ってきてくれた白菜などで鍋
を楽しむ。薪で焚いた風呂に入ってから、豆炭コタツにもぐって寝る。まだ布団もそろっていないのだ。彼の鼾に
悩まされながらの一夜であった。

露天風呂を楽しむ

翌日、信越国境の関田峠に行ってみたいとの希望で、麓の集落までいってみたが、冬季閉鎖で行けず、温泉に切
り替える。千曲川沿いに湯滝温泉があり、露天風呂にゆっくり漬かる。柄山の集落から20分くらいで行けそうな
ので、これから楽しみだ。しかも料金が400円と安い!

  午後、長野駅まで車で送ってもらった。車は本当にありがたい。このような「限界集落」で住もうとすれば、車
は必需品かもしれないが、日本有数の豪雪地域であえて車の免許をもたない自分がどこまで耐え切れるだろうか。
まあ、やってみるしかない。

  午後4時発の特急に乗って、最寄の西ノ京駅には8時半過ぎに着いた。

次は1月10日ごろを予定している。さて、積雪はどの程度だろうか。とにかく雪を掻き分け、玄関までたどり
着けば何とかなるだろう。知人も知り合いを連れて助っ人に来てくれることになっている。(続)