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 里山や雑木林に対するイメージはなんやさわやかなそしてなにかふるさとの郷愁のような、そうかと思えばわくわくして子供心にかえれそうな遊びの宝庫やったりして、なんか、すごい大事なもんやと思いませんか。 木の子村はそんな里山で丸太小屋作りや雑木林の手入れや畑仕事をしているんですが、澄んだ空気、森や草花に囲まれての作業は「心の洗濯」にもってこいやし、作業後に夕焼けを観ながらのゆっくりするのはなんともいえへん贅沢です。この小屋創りを通して、いろいろな人と出会って、いっしょにいっぱい面白いことができたらええなと思ってます
 では、里山について思っている事をすこしお話したいと思います。
 里山に住む人々は自然と共に生きることで生きるために必要な多くの糧をその地から得てきたんや思います。椎茸の原木を伐採し芝刈りや炭焼き、落ち葉かきをすることで里山は豊かな植生、生態系を維持することができますし、一方、人は薪や炭を売ったり使って生活の糧を得たり、煮炊きや暖をとるエネルギーを得ますし、豊かな収穫をもたらしてくれる土作りに欠かせない堆肥を作ることもできます。そして里山は里山に住む人々の綿々とした生活の営みによって何年も何年もその美しい姿を保ってきました。里山に行くと美しい景観になぜか暖かく懐かしい風情を感じるのは、そこに生活する人々と豊かな自然の営みがあるやと、やっと分かってきました。たぶん里山に住む人々はそのクローズな生態系のサイクルを乱さないように程よい恵みをありがたく頂戴する心を大事にしていはったのやと思います。
 ところで、木の子村は名前の頭に「手作り工房」と付きます。なんでも自分でやってみて、感じてみて、考えてみて、ほんでもって自分の足元に有るそれぞれの宝物を自分で見つけようと呼びかけていますのや。里山生活体験が人が自然と生きていく大切さを教えてくれてると思っています。
 山に降った雨は根っこが絡まってふくよかになった土壌に水を蓄え、沢にしみでた水は川の生き物をはぐくみますし、その自然のダムは山崩れ土石流を防いだりもしてくれます。人間が汚す空気も文句も言わずにせっせと浄化してきれいな空気にしたり、二酸化炭素を取りこんで温暖化防止にも励んでいます。それに身の回りの生活を見たら住宅やら家具やら紙やらも森の木の命をもらっています。    
 ちょっと余談ですが、私は木に囲まれた生活が好きで、趣味も木工ですし家も自然の木で床から壁から天井、塀まで作りました。全面天然エアコンで湿度変化が小さく結露したことがありません。竹細工や丸太の輪切りをプレゼントするとたいがいのお宅でははじけて割れたと聞きますがうちではそんな事がありません。それに暑いですけどクーラー無しでなんとか過ごせますし冬も暖房ほとんどなしで暮らしています。反対にお店なんか行くとうちの子ども達はほっぺが真っ赤になってのぼせそうになります。学者さんの研究でコンクリートの小屋と木の小屋でねずみの寿命やなんやかやを調べたら圧倒的に木の小屋のほうが長生きしたとかの話は有名や思います。エアコンや近代建築材料で快適生活といいますけど、人間も生物やし木に囲まれた生活の方が体にええ湿度や雰囲気、生命波みたいなもんがあるんやないか思います。
 もう一つお世話になっていることは、木々を含め里山や森が全体として人に与える安らぎや癒しがあると思います。そやけど、そんな効用が感じられるためには人と自然の接点である里山が健康な状態でないとあかんと思います。  
 今は里山の生活も街中と変わらなくなって薪や炭をあまり利用しなくなっているし、さらに少子化や過疎化で働き手も少なくなって雑木林や造林は手入れされなくなってきているようです。2次林と呼ばれる一度人の手が入った里山は常に手を入れないとどんどん藪と化してしまいます。反対に自然ブームで森林浴やキャンプ、登山が賑わっています。自然に親しむのはええけど、中には都会の垢を田舎で洗い落とすような思い違いをしてる人がいるようです。自然はあるときには毅然として力強くたのもしいですが、反面とてもデリケートなバランスでなりたっているものですさかいに、人がちょっと思いやりの無い付き合いをすればたちまち病んでしまいます。  
 私達はこのように里山や森にいっぱいお世話になっているのやさかいに、これからは環境保全という視点でむらやまちの人々がみんなで里山を守っていかなくてはと思いますのや。人間の社会活動が経済や科学だけで動いていると思うのはもうやめた方がええんちゃいますか。お金があったらなんでもできる、科学の力でなんでも解決できるなんてもう古いですわ。心の視野をもっと広げて人もその他の動植物、もっと広げてこの地球や宇宙までもみんな同じく大事や、そんなん言わんでもあたりまえや、そんな世の中が近づいていると思います。いや、そんな世の中になってくれな子ども達にこの地球をバトンタッチできませんのとちがいますか。  
 
 木の子村のパンフレットには漬物樽と漬物石の絵を書いてます。なんのこっちゃと思いますか? 実は「ぞうさん」の詩といえば知ったはると思いますが、まどみちおさんの詩集に「つけもののおもし」 という詩があるんです。ちょっと紹介します。

  つけものの おもし
  あれは なに してるんだ
  あそんでいるようで
  はたらいているようで
  おこっているようで
  わらっているようで
  すわっているようで
  ねころんでいるようで
  ねぼけているようで
  りきんでいるようで
  おじいのようで
  おばあのようで
  つけものの おもし
  あれは なんだ

でも ちゃんと 漬物を つけていると、まどさんは言っているんだと思います。

 わたしは自分がちょっとつけあがってるなと思ったとき、この詩を思い出してどんなものにでもその存在価値があって、互いに助け合っているんやと反省することにしています。そしてどんなものにも命がやどっているさかいに、その命をいただいて生かしてもらっているんや。あだやおろそかに、そまつにはできまいと考えることにしています。子供たちにも、ご飯の時には手を合わせて「いただきます」と言おうと言うてます。この手を合わせるときに「そまつにしません」と心で唱えるんです。  
 そんな思いで一人一人が思いやれば、例えば公害問題やごみ問題、そしてこの頃のいたたまれない事件を抱える世情にも光が見えるような気がします。  
 最後に、これからもこのすばらしい里山を舞台に、なんでも自分でやってみて、感じてみて、考えてみて、そして自分の足元に眠っている宝物を見つけていきたいと思っています。そのために村民一人一人が世話役となり助け合い、1つ1つの作業と四季のつながりを大切にし、面白い発見や思わぬ怪我も含めすべての体験を自然と共に生きる生活の知恵として自分たちの活動に生かしていこうと思っています。  

 こんな活動を支える三つの言葉を木の子村では大事にしています。

  作ろう! お互いに思いやり応援する楽しい社会
  育てよう! 自然との共生、豊かな五感
  伝えよう! 美しい地球、じいちゃんばあちゃんの知恵袋  

 ボランティア活動には時間もお金もかかります。わたしは、いつも社会人は3輪車に乗っていると思いますのや。家族と社会と仕事と3輪ですわ。どれが主従やのうてみんな大事でバランス悪いとこけてしまいます。家族は大事ですね。無償の愛があります。相手を愛することが元気のもとです。社会は大事ですね。自分が家内や子供たちもいっぱいお世話になっていますからできる限りの恩返しをせなばちがあたりますね。恩返しはこれまた元気のもとです。仕事は大事ですね。人間が他の動物と違って生きがいを感じる作業ですよ。ほんでお金をもらって元気のもとです。3輪を元気に回すのが地球に対してのおんがえしや思います。  
 木の子村のみんなが集まる広場には大きな木が一本あって沢山の枝をのばし、いっぱいいろんな色や形をしたつぼみをつけています。そのいろいろなつぼみは木の子村につどう人や生き物の希望や夢のつぼみです。今日一人「こんにちは」て遊びに来ればいつのまにかその枝にいくつものつぼみを新しくつけています。でも、そんな枝やつぼみも大きくなる為にはこやしが必要です。木の子村のこやしは一人一人が相手の夢を応援する思いやりや支え会う愉快な仲間です。知らない世界のことも村民のそれぞれが持つ知恵や経験や技術や得意技を替わりばんこに先生になって伝え合って共有する里山小学校や子供たちが運営して自然体験や里山の生活体験を通して環境意識や感性を豊かに育てる冒険村という形で育てて行きたいと思っています。いっしょに活動いただける方、手を上げてください。

「里山に想う」
          日本リクリエーション協会全国大会にて 1999/9/29