何故「自分史」を書くか


 1.シルバー世代の人たちへ
 「自分史」を書くことを、主として、およそ60歳以上くらいの、いわゆるシルバー世代の人たちに働きかけています。 シルバー世代の人たちの多くが、これまで会社員とか公務員とか自営業とか、種々の職業で働くことを通じて、家族を支え、また社会に係ってきました。

 あるいは主婦として家庭を切り盛りし、子供を育て上げ、その間、社会とも種々の繋がりを持ってきました。この働く時期を第一の人生と呼ぶことにします。

 すると、シルバー世代というのは、ここではおよそ60歳以上の、主人が定年を過ぎて、夫婦共に第二の人生を送っている人ということになります。
 2.第一の人生は競争社会だった
 第一の人生で我々は、皆それなりに一生懸命生きてきました。
 そして功なり名とげた人もあれば、真面目一筋に職場や家庭を支えてきた人、途中で挫折した人もあれば、病気になってハンディを背負って生きている人、極端な話、不幸にもお亡くなりになった人など、それぞれ、まさに百人百様の人生を歩んできました。どのお一人の人生をみても、それは山あり谷ありのドラマになるものでしよう。


 そして、どの生き方が良くて、どの生き方が駄目だ、というものではなく、それぞれの生き方に意味があり、味わいがあるものだと思います。

 多くの人にとって、第一の人生は、どちらかというと市場経済下での競争社会の中で生きてきた、と言えるでしょう。
 他より安くて良い物を作る、他より良いサービスを提供する、というように、常に他との比較があり、競争がありました。競争相手は、個人、職場、企業、外国というようにいろいろあったものです。
 
 競争は悪いことではありません。人類のこれまでの進歩は、競争の中で生まれるエネルギーの賜物と言えるでしょう。
 しかし、競争社会では“競争”の世界で“勝つ”ことが、自分はそうは思っていなくても、家族や職場や周囲のいろいろの人たちに期待されて何となく重苦しい心境の日々だったのではないでしょうか。

 でも誰もが勝ち続けていくことは無理な話であって、普通どこかで負けざるを得ないのですが、この勝ち負けに人の価値を置くことは非常に問題です。
 人間の価値は、勝つことだけにあるのではないからであり、勝ち負けに価値をおいたまま一生を終わることは、「俺は人生に負けた」といった歪んだシルバー生活を送っていくことになります。
 人の評価、生き方の評価となると、また別の基準になります。長い人生には誰でも山あり谷ありの波乱があり、いろいろの試練が待ち受けていて、その人は試されます。

 その試練を乗り越える過程で人間的に成長する、例えば逆境の中にあっても、常に前向きに生きる習慣を身につける、人や周囲を思いやる、人から受ける思いやりに感謝する、こうしたことを体験し次に生かして成長していく、そうした生き様が評価されるのではないでしょうか。

 むしろ勝つために自己中心になることは人間として評価されないのではないでしょうか。
 3.第二の人生は自分の好きなように生きられる
 第二の人生。今や寿命が延びて人生80年、90年の時代になり、定年後も20年、30年の長い時間が横たわっている時代、第二の人生は市場経済下の競争を中心とした社会から解放され、自分で自分の好みの生き方ができることになります。

 時間の余裕もできて物事をじっくり眺め、また考えることができるようになります。人の見方、社会の見方、価値基準、などは幅広いものになります。

 男性にとっては、ビジネスの世界の価値観を転換するチャンスであり、自分の一生懸命生きてきた第一の人生を振り返り、良かれと思ってやっていたことが、振り返ればあまりよくなかったと思ったり、もっとあの時はああすべきであったと反省することも多々あります。
 我々はすべての人が、それぞれ一生懸命に生きてきた結果として、人生をより良く生きるための考えやノウハウを身につけています。
 これまでの深い反省とうまくやった自信、そして振り返ってみればこのような生き方をすべきであろう、といったことをいろいろ考えるのではないでしょうか。

 それを後世に少しでも残しておこうではありませんか。
 子供や孫や曾孫などの後世が、自分の考えやノウハウを少しでも参考にし、あるいは多くを学んでいくべきなのです。


4.後世の人たちとのつながりを作ろう 
 もう一つ「自分史」を作る重要な意義があります。

 自分の3代、4代後の後世の人たちのことを考えてください。約100年後の人たちの話です。その後世の人たちが、残された「自分史」を見て、自分のことを非常に身近に感じると思います。この祖先を意識し、祖先を身近に感じ、祖先があって自分が今あるのだと、少しでもよいから感じてくれれば、それは大きな効果があるのです。
 我々は死んだ後は、後世の人たちを守る立場になります。守ろうとするのに、かんじんの後世の人たちがそっぽを向いてしまっていたら、守るに守れなくなってしまいます。祖先と後世、これがお互いに向き合う状態が必要なのです。
 祖先と現世を繋げるものの一つにお墓があります。現在不要になったお墓がそこいらに捨てられて社会問題になったりしていますが、お墓は3代続いたら良いと言われるように、我々は3代も遡ると祖先としての意識は相当薄れます。
 こんなとき、お墓よりも語ることが多い「自分史」は、ずっと先の世代まで祖先として身近に感じるのではないでしょうか