もっと幸福になれる  【50年2月号】  P6

 

惟神会委員長 川   村   二   郎  

 

 

 幸福になりたい。これは誰でも望むところでしょう。子供にも恵まれたい、順調に成長してほしい、家業もうまくいってほしい、家族一同も健康で長生きしたい、一家が仲よく暮したい等、このような人生であってほしいと望まない人はないでしょう。人間である以上そう希望するのは当然でしょう。

 さてお互い惟神会員の実情は如何でしょうか。全会員が申し分なく幸福であるとは言い切れない実情にあるのではないでしょうか。何故でしょう。

今日はそのことについてみなさまと共に考えて見たいと思います。

 まず、各自会員の家にご鎮座遊ばす氏神さまは、一体何処から何のためにご鎮座になったのでしょうか。申すまでもなく惟神会本部の磐境に鎮座遊ばす八意思兼大神の神謀り、ご稜威によって四魂円満具足の神々の(まし)ます神霊界から、日本人を(ことごとく)く敬神崇祖、四魂具足の真の信仰に目覚めさせ、四魂民族に仕立てようと言う大使命を帯びて、氏神さまは氏子たち各家にむさくるしいのもおいとい( ・・・)なく(いやがらず)鎮座なさっておられるのです。

 その上に恐れ多いことですがその大使命ご遂行の一環として、氏子を守護し、指導し幸福にすることもお仕事の一つとしてお鎮り下さっているのです。

 惟神会本部では、氏神さまや祖霊さまの奉斎式を毎月二十五日に執行いたします。その時に氏神さまは、八意思兼大神から

 「これが神の氏子である。今日から氏神として氏子を守護し、福禄(幸福)を与えよ」

との命令を受けて、各家にお鎮りになるのです。

 神さまには二言はありません。嘘は申されません。ですから、わたくしども会員は全部幸福にならなければならないはずです。しかしながら、惟神会員の全部がみな幸福であるとは言い切れないものがあることは先刻申し上げた通りです。

 それは何故でしょうか、繰返し申してきましたが、次に挙げる神さまのお諭しを心にとめて、われわれ会員各氏子が、今日まで歩いてきた道、自分のやってきた生活を反省、吟味して見ますならば、自然にそのわけがわかってきます。神さまは、氏子たちに                         

 ◎真の信仰をしていない。              

  神掟(四魂の信条)を実行しようとしない

 ◎邪神、邪霊と縁を切ろうとしない

 つまり神の方からせっかく指導し、守護してやろう。幸福にしてやろう。としても、そっぽを向いたり、垣を作ってご稜威をさえぎったりして、受け取ろうとしない。これではどうにもならぬではないか、と神さまは歎いておられるのです。

氏子たちは神を軽々しく思うから、神の言うことを素直に受取らない。勝手気侭で理屈が多く、謙虚に実行しようとしないのです。更に神さまは

 ◎真神霊は四魂の反省なき者には感合せず

 ◎四魂の実行なき者は会員と思わぬ

 ◎邪霊退治の方法は自覚するのが一番よい。自覚ある懺悔の祓、清祓をせよ、そうして縁を切れ、懺悔の祓をしない者は会員と思わぬ

など大切なことを教えても、会員氏子は自分に都合のよい勝手な理屈をこねて、反省、実行に踏み切らない。また、自分のふしだらを棚に上げておいて、神に不平、不満をいう、神に正しく仕えるように努力もせず、神を営利的に利用しようとする。真心さえこもっていればといって自分の怠けをごまかそうとする。と嘆いておられるのです。会員氏子が本当に真心があるのなら、神のいわれるとおり素直にやれるはずでしょう。文句は言えないはずです。

 本会は、昭和四十七年十一月から十二項目からなる信仰向上の点検表を作って、各自の信仰が真に神の御心に叶っているかどうかこの点を反省、点検して、一歩でも信仰の向上をはかってご神意に添い奉るよう努力してきました。

 また本年の夏からは、祭式検定を制定しまして、少しでも正しく、上手に神さまのお気に召すようにお仕えできる道を開いてきました。

 おかげで会員の方々の熱心な実行、努力によって、ご稜威を受け、沢山の立派な体験が積み重ねられました。

 ご稜威は願うものではない。待つものではない。幸福は寝ていてはくるものではない。ただ一心に、神の教えを一つ一つ生活の中に積み重ねて行けば、自然にごほうびとして頂けるものであることを悟らせて頂きました。

人間の方から扉を開いて、神に近づくように努力すれば、神は確かに感合して下さって、神に二言はない。神に嘘はない。自分次第でどのようにでも守護、指導して頂けるものであるとの悟りが開けるのです。これによって、自分の至らなかった点もはっきりして、だんだん幸福になってくるのがわかってくるのです。

敬神崇祖の真の信仰を実行すれば、信仰により原因結果は判然数学的になる

とのご神示の意味もわかってきます。

 わが惟神会として、昭和四十七年十一月から十二項目からなる、信仰向上の点検表を制定し、又本年夏から祭式の検定をも制定して、みなさまと共々に努力してまいりました。その実績から、氏子会員が自分から扉を開いて神に近づくよう努力するならば、すなわち、生活即信仰ということが真に理解されて、毎日の生活の中に神さまのいわれたとおりのことを素直に、謙虚に、一心に打ち込んで行くことです。そうすれば、神は氏神として氏子を守護し、指導し幸福にして下さるものであることが会得、体得できるのです。

 『惟神会二十五年誌』に本会の創始者岸先生が、

 「四魂とは奇魂、荒魂、和魂、幸魂の(いい)(いうこと)であって、この四つの魂を具える事が人間の神

に近寄る道である。この四魂を具足する考えを以て神に仕え申せば神はお喜びになるのである」

と教えております。

 以上申しましたことを真に理解して頂けるならば、今幸福な人はもっともっと幸福に、又、色々面白くないこと、思うようにならないことのある方、病気の方もだんだん一枚一枚皮をはぐように晴れやかに変化して、幸福になってくることを委員長として、確信をもって申し上げることができるのです。

 もっと幸福になるためには

 ◎真の信仰をせねばなりません

 ◎邪神邪霊と縁を切らねばなりません

 ◎やらねばならないことはどうしてもやる

やっていけないことは塵ほどもやらない

 そのために先ず自分の毎日の生活について厳重な吟味、反省が大切です。次のご神示やお諭しを心から味わって頂きたいです。

 ◎真神霊は四魂の反省なき者には感合せず

 ◎四魂の実行なき者は会員と思わぬ

 ◎懺悔の祓をしない者は会員と思わぬ。        

 ◎神人感合と一言にいうが、却々(なかなか)此の域に達するのは難かしい

 ◎故に人間は絶えず反省し、ざんげして行かねばならぬ

 ◎反省し懺悔する毎に神さまは感合して導いて下さるのである

 ◎自ら反省して四魂に近づけば近づくほど神は益々感合して下さり、子孫もまた導かれるのである

 ◎この四魂具足の道を一刻も離れないよう努力すれば神人感合になり得る(平田霊示)

そうして真の神人感合の状態に達するならば

 ◎神の守護により神人感合の状態に達すれば人にして神の働きができる。常人の想像もできない考えと、行動ができる

このようになるのでして、不幸などでてくるはずはないのです。

幸福は増大する一方なはずです。やはり神のいわれたように、神や祖霊に不足を感じたり、不平をいったり、物事が思うように運ばなかったり、病気や災難に会うのは氏子が悪いからなのです。

生活即信仰の域に達するのはなま優しいことではありません。しかし、譬え苦しくても、困難な道であっても、克己心(克己心は信仰と比例する)を奮い起し、自分から扉を押し開いて神に近づかねばなりません。自分の今までの生活を、行いを、反省して悪ければ懺悔して只今から素直に出直さねばなりません。

長年真剣に信仰に励み、相当高い段階に達した方は別として……本当はその方々も一人残らず、どなたもひとまず初心に帰って、理屈抜きに本会で制定した、信仰向上の点検表によって自分の生活を吟味して頂きたいのです。よほど自信のおありの方でもあの信仰の初歩の実行項目でさえ完全は期し難いと思うのです。

この点検表の初歩の十二項目でさえも十分実行できないで、どうして神掟である四魂の信条の実践を成し得ると言えましょうか。したがって、本当に十二項目による信仰点検の意味をよく理解して、実行に努めねばならないのです。

四魂の信条の実践は、まず十二項目の実行から始めて頂かなければならないのです。

 また祭式検定にいたしましても、神が氏子たちは「正しく神に仕える道を弁えない」と仰せられているのです。従って、色々な角度から調べて、自分では気のつかない欠点を直して、より正しくお仕えするのが本当に神に対する真心ではないでしょうか。

殺人、強盗、自殺、事故死、ギャング、ハイジャック等々、骨肉相食む悲しいおよそ地獄のどん底のような世相を露呈しつつある昨今、惟神会は今こそ全員が初心にかえって打って一丸となり、本当の信仰に足並を揃えねばならない時ではありますまいか。そう思うのです。

 どんなに小さいことでも、神の御心に叶うことを、一つ一つ積み重ね、自分から扉を切り開いて、手を拡げて待ち受けていらっしやる神さまのその御手の中へ飛び込まねばなりません。

 みなさんは、立派な会員です。会員一同よい氏子となり、自分が幸福の見本となるよう、更に、もっともっと幸福になるよう、信の一念に火をとぼし、火の玉となって、神さまの御手に飛び込もうではありませんか。

(昭和四十九年十一月十七日 八意思兼大神秋季大祭における講演要旨)

以 上

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