最も古く最も新しい惟神の道 【44年5月号】 P22
は し が き
しばしば申し上げていることですが、日本民族とは、
@ 日本の国土に住み
A 日本語を話し
B 歴史的運命を共にし日本文化の創造に参与し
C 一つの民族感情に凝集(こりかたまってあつまる)し得た人々の集団
を指すものであるといわれてますが、以上の日本民族の定義を満足させるからには、日本民族として生きていくべき固有の道があるはずです。
道なきところには、物の見方や考え方に一定の規準や方向もないため、生活は無軌道となって乱れてくるものです。換言すれば以上の日本民族定義のなかから、日本民族にふさわしい生きる道を見出さねばならないのです。
ですから、われわれは日本民族として生活の基本となるべき道をどこに求めるかということがきわめて大切になってくるのです。国学の四大人の一人として、有名な『古事記伝』を著わした本居宣長先生(平田先生は御自身で本居先生没後の門人といわれている)は、『直毘霊』(我が国体の特色を説いたもので、宣長先生の古道説の骨子をなしている)のなかで、
「古の大御世には、道といふ言挙もさらになかりき、故古語に、あしはらの水穂の国は、神ながら言挙せぬ国といへり、皇国の古は、さる言痛さ(うるさくわずらわしいこと)教は何もなかりしど、下が下までみだるることなく、天下は穏に治まりて、天津日嗣(天皇の位)いや遠長に伝はり来坐り。
さればかの異国の名にならひていはば、是ぞ上もなき優たる大道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなり」
といっておられます。
また平田先生は御生前の論文「古道大意」のなかで
「一体真の道と云ものは、事実の上に具って有るものでござる。然るをとかく世の学者などは、尽とく教訓と云ふ事を記したる書物でなくては、道は得られぬ如く思って居るが多いで、こりゃ甚だ心得ちがひなことで、教と申すものは事実より甚だ下い物でござる。真の道と云ふものは、教訓では其の旨味が知れぬ。仍って其の古への真の道を知るべき事実を記してある其の書物は何じやと云うに、古事記が第一でござる」
といわれて、本居先生と同じく真の道というものは、いちいち言挙げ (かれこれとり立てて論議すること)
する要なく、古の御代から日本の国に伝っているといっておられるのです。そしてこの真の道を伝えているのが『古事記』です。
また岸先生は、しばしばご講演のなかで、
「わがいうところの道とは『ミチ』の義であり、即ち 満ち充たす べき道であって、神代の昔から天照大御神によって諭され教え伝わってきた惟神の道である。即ちいちいち言挙げの要なき日本民族固有の道である」旨を強調しておられます。
惟 神 の 道 と は
儒教や仏教は、中途伝来した外つ国の教えでして、日本民族固有の道ではありません。儒教は、支那の孔子や孟子の教えであって、もちろん四魂の教えでなく、したがってわが日本民族固有のものでありません。この儒教が大陸からわが国に入ってきたのは、第十五代応神天皇のころといわれてますが(約一、五〇〇年前)この儒教が漢意(支那の思想)をふりかざして、大陸思想文化の華を咲かせた黄金時代は、徳川幕府の儒学万能の時代です。そしてこの儒教の思想は、徳川時代において、わが国の三魂の神と結んで神仙的神道諸教派の勃興を促したのです。本居、平田の両先生は、この儒教をば異国の教えとしてきびしく排除されたのです。
仏教は、インドの釈迦にはじまり、儒教の伝来に約百余年おくれて、第二十九代欽明天皇の時代に、大陸からさまざまの文化をともなって、わが国に渡来したのです。(約一、四〇〇年前)仏教はもちろんわが国固有の教えではありませんが、さまざまのたくみな手段方法や策略を用いて、わが国に広宣(ひろめる)流布されるにいたったのです。
畏くも八意思兼大神さまが、勅命によって伊勢皇大神宮の相殿の御座を去られて、京都藤の尾の霊地に遷りかくろいまされたのも、仏徒の奸策(わるだくみ)によるものといわれているのです。
このように儒教にせよ仏教にせよ、いずれもわが日本民族固有の教えでありませんので、その布教に当っては、わが国の三魂以下の神仙霊と結んで、その神仙霊の威力を背景としておったことは、まぎれもない事実でして、その証拠は、いまもなおいたるところに認められるのです。(その有力な一例は、全国の各地に仏化した神社が数多く存在していることです)
わが国に儒仏の教えが受け容れられた最大の理由は、真の氏神による完全同化に洩れた、いわゆる不完全同化民族が、惟神の道を窮屈に感じて、儒仏の現世利益的教えに共鳴した事にあるのです。
かくて儒仏の教えは、わが国をおおいつくして世を風靡(なびき従わせる)したかのように見えますが、わが国の底津磐根(地の底・地心)には、儼然と惟神の道がゆるぎなく横わっているのです。
しからば、惟神の道とは何か。
惟神の道とは、敬神崇祖・四魂具足という日本民族固有の道であり、斯の道は天照大御神の依さしたまい教え諭れた道です。
天照大御神は、この惟神の道をもって豊葦原瑞穂国(日本の国の美称)をお治めなさろうとして、その御孫ニニギノ命を高天原からこの日本の国におつかわしになられたことは、みなさまご存知のとおりです。
敬神は崇祖にもとずくものですから、敬神と崇祖とは不可分のものでありますように、敬神崇祖と四魂具足もまた不可分一体のものです。
敬神は崇祖にありということは、かの天孫降臨の御神勅に拝されるとおり、人間の至情(まことの心)たる先祖を崇め尊ぶ心は、先祖をまたその先祖と先きへ先きへとさかのぼっていけば、当然、先祖をして先祖としてあらしめたところの氏の祖の神にまで到達せざるを得ないのです。
なんとなれば、日本民族生成の当初において、四魂民族としての民族魂が(四魂具足し得る素質を有する魂)氏之祖ノ神によって授けられて、そこに日本民族が生じ、しかもこの民族魂賦与の作業すなわち民族同化の作業は、いまもなお、氏之祖ノ神によってつづけられているからです。われら神の子といわれる所以です。
換言すれば氏之祖ノ神は、天孫ニニギノ命の御子神たちとして、天照大御神の大御心をこの地上日本の国に顕現申し上げるために、民族同化の第一線に立たれる神さまです。
そして天照大御神のみこころとは、もちろん四魂具足そのものです。
天照大御神のみこころが四魂具足そのものであるということは、岸先生が本会創立の当初において、神人交通により、八意思兼大神さまの御神示に拝されているのであって、それは動かすべからざる事実です。
さればこそ岸先生は『国教』第一号の冒頭において、
「本会によって明らかにせんとする道とは惟神の大道、即ち四魂具足の道をいうのである」といっておられるのです。
この四魂具足の道は、ただ表面的に践み行なう道でなく、満ち充たすべき道です。表面的に践み行なうということは、心はどうでも、ただ形だけにとらわれて行なうことです。すなわち古川前委員長先生がしばしばいわれたように、心に四魂を具足して行なう道が満ち充たすべき道です。
氏之祖ノ神は、人間が生れればその瞬間に四魂民族としての資格すなわち四魂具足し得る素質を有する魂を授けて下され、また死ねばその魂を霊界に引き取られて、浄化再生の途を構じられる、いわば顕幽一貫して、人間の魂を支配されるただお一方の民族同化の神です、もちろん氏之祖ノ神は四魂具足の真神霊ですから、氏子が四魂具足し或いは四魂具足せんとするその努力に対して感合せられて、みいつを賜るのです。
惟神の道とは敬神崇祖、四魂具足の道であるとして、人倫(人として行なうべきみち)の根本を確立したのは、ひとりわが惟神会だけです。日本民族魂は、一霊四魂ですが、一霊四魂とは一つの霊魂が奇荒和幸の四魂から成っていることをいうのです。
申すまでもなく四魂具足とは、奇荒和幸の各魂が、過不足なく一丸となって円満に具足された心の状態です。約言すれば、四魂具足の真神霊氏神に通じるまごころです。ただまごころといったところで、見方によってはさまざまでしょうが、ここにいうまごころとは、氏神に通じるまごころでなければならないのです。
「古事記」には天照大御神のみこころとして、清き明き心すなわち清明心と見えておりますが、四魂の各魂が文字のうえに見えているのは、かの和荒二魂だけの持主である大国主命が、自分の二魂だけでは国土経営がうまくいかず苦慮していたところ、たまたま海のかなたからやってきた少彦名命の奇、幸の二魂を得て、大国主命自身の和荒の二魂と合わせて奇荒和幸の四魂となし、この四魂によって国土経営に成功し、ついに国土帰還となった事が『日本書紀』に見えているのです。
『古事記』には、大国主命の和荒二魂のみが見えており四魂ということが『日本書紀』に初めて出てくることにつき、岸先生は『神霊と稲荷の本体』のなかで「日本書紀にあって、古事記にない記事に就いては、其記事は先づ古事記の遺漏(もれたこと)を充したるものであるのではないかとするが正当である」といっておられます。
『惟神』ということは、「神のまにまに」すなわら「神の御意志どうりに」ということです。
ここに神とはもちろん天津神にまします天照大御神のことであります。
民族には祖神がありますから三魂民族はその祖神を信仰するのは当然です。したがって三魂民族には三魂民族としての三魂の惟神の道があるのです。
天津神にまします天照大御神のみこころは、前述のようにもちろん四魂具足であります。
神言のなかに「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ此く宣らば天つ神は云云(以下省略)」というくだりがあります。この「天つ祝詞の太祝詞事」ということはいかなる意味か、文献には一切見えておりませんので、その解釈はさまざまです。しかるところ平田先生は、『大祓太詔刀考』のなかで、「天つ祝詞の太祝詞事」ということは、天御祖神にまします天照大御神が御口づから仰せられたことであるとお述べになってますが、天照大御神が直接のたまわれることは、すなわち天照大御神のみこころである四魂具足の清き明きまことの心にほかならないと拝察されるのです。したがって四魂具足という神のことばをつねに奉唱しておれば、四魂具足ということは、一つの信念となります。
そこに神人感合の清き明き境地が聞かれて、自然と人格も向上するとともに、邪神邪霊もだんだん寄りつかなくなってくるのです。
第三十六代孝徳天皇紀(約千三百年前)には「惟神とは、神の道に随いて亦自ら神の道有ると謂ううなり」と見えてますが、ここにいう「神」とは、もちろん大祖神にまします天照大御神のことです。したがってこの孝徳紀においても、惟神の道とは、天照大御神の道すなわち四魂具足の道といえるのです。
或るすぐれた神道学者は、その古代研究において「惟神の道とは本来天皇御一人にかぎってあることであるが、惟神の道をば神道というふうに一般の人が考えられるのは無理もないところもあるのである。
実際宮廷の御信仰、御儀式がすべて、民間にだんだん下って行われ来ているということは事実であり、したがって結局日本民族の生活は、宮廷の御生活、宮廷の御信仰を中心にして、だんだん生活を積み重ねて来ているのが原則である。
故に事実において、われわれの生活の基準は宮廷の御生活であり、その核心となっているのは御信仰である。その意味で惟神の道という言葉を、現在押し拡げて普通使っているのも無理もないことと思われる」といってます。
現在宮中では皇霊殿に代々の天皇のみたまを祀り、賢所には、大祖神天照大御神の御霊代をお祀りして、敬神崇祖の信仰をおごそかに御実践なされるとともに、天皇御自身も四魂具足の御生活をなさっておられるのです。
ですから、惟神会の敬神崇祖、四魂具足という惟神の道は、皇室の惟神の道を仰ぎまつって実践しているともいえるのです。
なぜ惟神の道は最も古いか
惟神の道は、敬神崇祖、四魂具足の道であることは、前述のとおりです。
天照大御神は、この惟神の道をもって日本の国を治めるために、御孫ニニギノ命を高天原からこの日本の国におつかわしになり、かの有名な天孫降臨の御神勅を賜わったのです。
この御神勅において敬神は崇祖にありとして、敬神崇祖の氏神信仰の大原則が確立されたのみならず、八意思兼大神さまは、天照大御神のみこころを体してニニギノ命の御相談役として、四魂具足という惟神の道をもって、この日本の国を治められるいわば政治の神さまとしてのお立場が明確にされたのです。
天孫降臨の御神勅には
此れの鏡は専ら我が御魂と為て、吾が前を拝くがごと、いつき奉れ、次に思兼神は前の事を取り持ちて、政為よ とあるのです。
八意思兼大神さまは、天照大御神のみこともち
(上の神さまのみこころを体してこれを実践に移すとともに、これを次に来たるものに伝えてその実行を促すこと)として、惟神の道すなわち四魂具足の政治を行なうためには、当時の先住民族を四魂民族にまで魂の同化をはかる絶対的必要があったのです。
申すまでもなく、政治というものは、単なる制度や法律にのみ依存すべきものでなく、治者と被治者とが魂を同じくして、両者の魂が相触れ相寄り合うところがなければほんとうの政治というものは行なわれないのです。
大神さまは、思慮、分別、知恵の神さまとしてそのおはたらきを御発揮なされ、まず、ニニギノ命と当時の先住民族との間には、あまりにも大きなへだたりがありましたので(ニニギノ命は天照大御神の御孫として四魂具足の真神霊であられるに反し、当時の先住民族―主としてアイヌ民族は、三魂程度の下級の民族であったので、この両者のへだたりはあまりにも大きかった)、また、ニニギノ命が直接先住民族に対して民族同化の手を触れられるのは一つのけがれともなりますので、まずニニギノ命の第一世の御子神たちを四魂具足の真神霊に同化され、その同化された御子神たちが当時の先住民族を四魂民族にまで魂による民族同化をなさって、そこにはじめて現在の日本民族ができたのです。
ここにわれわれは、知恵の神さまにまします八意思兼大神さまの大みはかりをつぶさに拝することができるのです。
民族同化とは、血液による肉体的同化でなく、魂の同化ですから、この意味において、ニニギノ命の御子神たち一六八柱の神々は、われわれ日本民族にとって魂の祖神、すなわち氏之祖ノ神となるです。
しかも氏之祖ノ神たちは、いまもなお四魂具足という惟神の道のまにまに民族同化の大事業を絶え間なくつづけられてます。惟神の道は、天孫降臨以来、ゆるぎなく日本民族の心の底を流れているのです。儒仏の道がどんなにはびこりましても、惟神の道は、日本民族の胸底深く一貫して流れているのです。この惟神の道を、おもてにあらわに引き出すのが、
まことに天孫降臨の御神勅によって、一方では敬神は崇祖にありという敬神崇祖にもとづく真の氏神信仰の大原則が確立されるとともに、他方では、政治の神さまにまします八意思兼大神さまは、天照大御神のみこともちとして、四魂具足という惟神の道をもって政治を行なうために四魂民族同化の大偉業がはじめられたことが、はっきりとわかるのです。
儒教や仏教の伝来は、ずっとあとのことでして、惟神の道は儒仏の伝来に先き立ってすでにはやく、高天原において天照大御神が御自分で御実践なされた道ですから、最も古い道です。
孝徳天皇紀に、「惟神」という文字が見えていることは前述のとおりですが、天孫降臨の神代の昔においては、文字のうえにこそ「惟神」ということばは見えておりませんが四魂具足の心・惟神の道ということは、さまざまの事実のうえに具っているのでして、このことは平田先生もご生前ご指摘されたとおりです。
本居先生も本稿前文で申し上げましたように、「道てふことはなけれども、道ありしなり」といわれ、岸先生も惟神の道は、言挙げせず、不言実行の道であることを強調しておられるのです。
著名なすぐれた考古学者や人類学者は、数多くのさまざまな実証によって、「日本民族とは、先住民族のコロボックルやアイヌでなく、どこまでもこの日本の国土に住みついていた日本独自の民族であって、それが混血などを経たうえ、或いは自然の変化により、或いは、しだいに今日のようなすぐれた日本民族になったのである」と結論してます。(傍点は筆者附す)岸先生は『真の日本精神と大和魂』のなかで「由来大和民族は此の日本国土に於ける種々なる先住民族が、より高級なる祖神の同化を受け、次第に進化して終に大和民族となったものである」(『国教』昭和九年四月号)といってます。
考古学者や人類学者は、その方面の研究に関するかぎりすぐれてますが、氏神による民族同化という霊的同化については恐らく全く無関心と思われるのみならず、むしろ無知でさえあるのが当然でありましょう。
前述の「自然の変化による」とか「しだいに」ということばは、氏之祖ノ神たちが八意思兼大神さまの大みはかり大みいつのまにまに、魂による四魂民族同化を行なっておられるという事実に想到しなければ、単なる考古学や人類学だけでは解決されない日本民族生成の問題であります。
われわれは、考古学や人類学だけでは解決されない日本民族生成の由来を、氏神による魂の民族同化という事実につき、御神示によってつぶさに知り得ましたことは、このうえもない喜びと感激の念にいっぱいとなるのです。
したがってわれわれは、確固たる民族的自覚のもとに、この惟神会の神の教えをばあまねく国中に広めて、大神さまの御鴻恩にこたえまつらなければならないのです。
四魂民族にまで魂の同化をはかるということは、換言すれば、惟神の道による民族同化ということです。
したがいまして、惟神の道は、日本民族生成と同時に、天照大御神から教え諭され、うけつがれた道ですから、考古学的にもまた人類学的にも、そして最も大きな理由としては民族信仰的にも、日本の国でいちぱん古い道であると断言できるのです。
この惟神の道は、儒仏の教えのはびこる現在においても、天孫降臨以来わが日本民族の満ち充たすべき道として、われら日本民族の心の底をつらぬき流れているのです。
前述のように惟神の道は、日本民族生成と同時に、日本民族の向うべき道としてこの日本の国に確立された道でありますので、最も古い道であることがわかるのです。(天孫降臨以前、高天原において天照大御神は、御自身で四魂具足の惟神の道を御実践遊ばしておられたことは、『古事記』におけるさまざまな記録から拝察される)
再言しますが、惟神の道は、信仰的にも、また考古学的にも人類学的にも、日本の国でいちばん古い道であるのです。
なぜ惟神の道は最も新しいか
前項で惟神の道は最も古い道であることを申し上げましたが、本項では、なぜ惟神の道は最も新しいかについて申し上げたいと存じます。
ここにいう新しいという意味は、物質的或いは自然科学的方法によってもたらされる新しい発明発見とか、或いは人間の新しい生き方が新たに啓蒙的(無知の人の目をひらいて、あきらかにする)に打ち立てられるとかいうような意味での新しさでなく、物質的に、また精神的に存在するあらゆるものの根底となって、いつのときいかなる場所においても、森羅万象(宇宙に存在する一切のもの)すべてのものの存在価値を判断する唯一絶対のものであって、しかもこの価値判断は、人間の生命の存在するかぎり永遠にその新しさを失わないという意味の新しさです。
換言すれば永遠の人間の生命の流れのなかに見出される新しさです。
生命とは、俗にいう「いのち」であって、それは生物が生きていて活動する根源の力ですから、生物をして生物として存在させるものが生命です。
人間はもちろん生物ですから、生命をもっているのです。人間の生命には限りがありますので、生命を寿命ということばに置きかえることができるのです。
人間の生命は、人間が生きていて活動する根源の力ですから、これを惟神科学的に綜合観察すれば、第一霊(体霊―両親から授かる)第二霊(本霊―祖神氏神から授かる)第三霊、第四霊(共に外界からやってくる経験霊)の霊的合成組織体です。
生命は単に体霊一本にしぼっても考えられますが、人間が生きていて活動する根源の力が生命ですから、霊的合成組織体であると考えるのが妥当と思われるのです。
もちろん肉体は両親から授かりますが、その肉体を組織している細胞のはたらきを司るものは、肉体ともどもに両親から授かった体霊です。そしてこの体霊は、第二霊(本霊)とよく調和して活動するところに、生命の健全な存続があるのです。しかも第二霊は、第一霊のエネルギーを使用して第三霊、第四霊という外界からやってくる経験霊と感応して、そこに人間としての意識や概念(同じ種類のものに対していだく意味内容)が生じて人間の行動を規制(きめる)するのです。経験霊の正邪善悪とその経験霊との感応力すなわち邪悪な経験霊を排除し、善良な経験霊と複合感応するその感応力の如何が、その人の人生に至大のさらに極言すれば決定的ともいえる影響を及ぼすのです。この意味において、人間の生きる力の根源たる生命とは、第二霊を主体とする第一霊及び第三・第四霊の霊的複合綜合体といえるのです。
したがって、第二霊は人間の生きる力の主体であることがいえるのです。第二霊とは、本霊或いは意識霊または民族魂ともいうのでありまして、祖神氏神から授けられるのです。
それはさておき、日本民族生成の由来について考えてみたいと思います。
イザナギ、イザナミの神たちによって、「島」という人種が生じ、この島族が七代にわたって須佐之男命によって同化されてコロボックル族が生じ、またこのコロボックル族が大国主命によって十代にわたりアイヌ族にまで同化化生したのです。(この両者はいずれの場合も霊的同化である)そして最後に、天照大御神の御孫にましますニニギノ命の第一世の御子神たち(一六八柱)の民族同化作業によって、このアイヌ民族が四魂民族(四魂具足し得る素質を有する魂が授けられる)にまで霊的同化され、ここにはじめて今日の日本民族ができたことは、つとに神人交通の教えるところです。(このことについては、拙稿(川俣委員長)「日本民族同化と氏神」を参照されたし)
してみますれば、われわれ日本民族は、八意思兼大神さまの大みいつのもとに祖神たる氏神によってはじめて生成された民族です。
この意味において氏神は、日本民族同化化生の祖神です。民族のあるところ必らず祖神ありという神界の教えは、このことを指しているのでして、世界三十数億の各民族のうち氏神という祖神のハッキリしているのは、ひとりわが日本民族だけです。
氏神はこうして、日本人が生れればその瞬間に四魂民族としての民族魂(第二霊)を授け、また死ねばその霊魂(第二霊)を霊界に引き取られて、浄化再生の途をはかって下さっているのです。
換言すれば、現界においても、また霊界においても一貫してわれわれの魂を支配しておられるのが氏神です。
もちろん氏神は、氏神の総代表にまします八意思兼大神さまの大みいつを蒙って、いまもなお民族同化の神業をつづけられているのです。
私はかって、祖先祭祀の三大理由として
@ 先祖の恩を感謝する
A 家の永続性を願望する
B 先祖の霊がその家の祖霊として、家のためにはたらいてもらいたい
ことと申し上げましたが、祖先祭祀のとどのつまりの最大最後の眼目は、祖霊が完全浄化を遂げたあかつき、氏神にともなわれて、天照大御神の御神庭において祖霊としての最後の仕上げを行なって、生前の個性を捨て去り、玲瓏(曇りのない)、珠玉のような四魂具足の魂となって、その家に次ぎに生まれてくるものの第二霊として、氏神によって授けられるために待機していることです。
換言すれば、人霊の種の改良をはかるということです。
したがって、かって申し上げた祖先祭祀の三大理由は、実に、この最後の仕上げにいたるまでの過渡的在り方でして、かくあるためには、かの昭和七年四月三十日の神人交通の「今日、祖霊が氏神と交通するためには、八意思兼大神の大みいつを蒙らなくては不可能である」ということを、深く肝に銘じ、大神さまの大みいつを仰ぎ畏んで信仰の向上につとめて祖霊の浄化再生をはかるべきです。
このように氏神は、日本民族の生成化育、民族同化の神ですから、氏神を魂の祖神として感謝し、いちずに四魂具足のまにまに信仰するところに、氏神信仰という民族信仰がますます高まってくると同時に、民族同化はいよいよ完全に行なわれるようになるのです。
しかも氏神信仰は、その在り方において形は敬神崇祖ですが、その内容は四魂具足であり、両者は不離一体不可分ですから氏神信仰はまた惟神の道です。申すまでもなく第一霊は両親から授けられてますが、第二霊たる民族魂は祖神氏神から賦与されるのです。
そして生命は、第一霊、第二霊、第三霊の霊的綜合組織体ですが、その生命の根源をなすもの、すなわち生きる力の主体をなすものは、前述のように第二霊です。惟神の道による日本民族の生成化育同化がつづくかぎり、しかも惟神の道によるこの民族同化は日本民族の存するかぎり、未来永劫(無限に永い年月)にわたって絶えることなく繰り返えしつづけられるものである故、惟神の道は、民族同化の神、氏神の授けられる第二霊という民族魂をとおして、つねに新しく生きつづけているのです。すなわち惟神の道は最も新しい道であるのです。
まことに新しい生命は、古い生命の流れのなかに、連続して存在しているのです。古い伝統、古い伝承は、新しい生命の流れのなかに若返ってよみがえってくるのです。
最近アメリカのドラッカー博士は、「断絶の時代」を説いて、量的には連続していても、質的には断絶して新しいものが生れてこなければならないというようなことをいってますが、わが日本民族の生命は、量的には古い祖先の生命から連続して承けつがれ、質的には、四魂具足という惟神の道によって支えられております。そこには量及び質のいずれの面においても「断絶」ということはあり得ないのです。
古い伝説や伝承のよみがえりは、また四魂具足という日本民族固有の民族性のよみがえりを意味するものですから(たとえそれはおぼろげながらであっても)惟神の道は民族とともにある最も新しい道です。
換言すれば、われわれ日本民族のいちばん古い生命は、四魂具足という惟神の道を生命発祥の泉として湧き出で、その泉から、こんこんと流れて、今日の新しい生命に流れ及んでいるのです。
その生命の流れのなかに、惟神の道は、或いは顕在的に、或いは潜在的に生きつづけて今日に及んでいるのです。
この意味において惟神の道は、最も古いなかにも最も新しい道といえるのです。
日本の国土を充たしている四魂民族たるわれわれの進むべき道は、将来いかほど物質文化が進歩発達しても、また世間並みの精神文化が向上しても、それらの物質及び精神文化の基調をなすものは、四魂具足の惟神の道以外には求むべくもないのですから、この意味においても、惟神の道は最も新しい道です。
人間の生命は、最も古い時代から最も新しい時代にわたって生きつづけてきているのです。換言すれば最も新しい生命の流れのなかに、最も古い生命の息吹きが見出されるのです。
われわれは、日本民族生成のはじめから、未来永劫にわたる日本民族の生命の流れのなかに、新鮮さを失わず、ゆるぎなく横たわっている惟神の道こそ、最も新しい道といえるのです。
また他のいかなる宗教も、殖産工業の道である幸魂について説いているものはないのです。
ひとり惟神会の四魂の教えだけが、幸魂を説いているのです。もちろん幸魂は、四魂のうちの一魂ですから他の奇荒和の三魂を裏付けとして、四魂一体となって発露される幸魂でなければならないのです。
利用厚生の術を研き、国利民福をはかるという幸魂の教えは、いつの時代においても時代の最先端をいく殖産工業の在り方を説いているのです。この意味においても、四魂の教えである惟神の道はまた最も新しい道であるのです。
日本のこころ・惟神の道
資本主義・社会主義・共産主義・無政府主義などさまざまの主義主張が渦をまいて争われてますが、ただ主義や主張だけでは、人類の平和と幸福は招来されないと思います。
なんとなれば、それらの主義主張は、ただ主義主張そのものだけにとらわれて、肝心の人間のこころというものを、疎外(のけものにする)しているからです。
人間の行為は、こころの所産であることは、つとに惟神科学の教えるところです。換言すれば、人類の平和も幸福も、人間のこころが行動となってあらわれるところからもたらされるのです。
エレクトロニクス(Electronics)―
電子工学を基盤とする現代の機械文明の発展は、とどまるところを知りませんが、その工学をあやつる人間のこころの問題については、いっこうに触れていないのが現状でして、そこに片よった物質文明のもたらすさまざまの弊害を見るのです。
早い話しが、米ソ両国は現代科学の最先端をいく原子核という恐るべき殺人兵器をかかえておりながら万事動きがとれずどうにもこうにもならないのです。
ですから、人類は、平和と幸福とを願うためには、「第三の道」を求めざるを得ないのです。
民族的に見れば第一民族はコロボックル、第二民族はアイヌであって、われわれ大和民族は第三民族です。われわれ日本民族は第三民族として、「第三の道」を求めているのです。
かって旧ドイツのナチスのヒットラーは、「第三帝国」を建設して世界をその傘下に置こうとしたのですが、これが見事に失敗したのはご存知のとおりです。
われわれ日本民族の求める道は、「第三の道」です。第一の道は儒教の道、第二の道は仏教の道です。そのいずれの道も、日本民族を心から満足させる道ではありません。この「第三の道」の発見をめざして、古往今来(昔から今まで)、さまざまの教派や宗教が続出しておりますが、そのいずれもが日本民族の求める「第三の道」に叶うものはいささかもないのです。
いまさらおこがましくも「第三の道」などと言挙げすべくもないのですが、この「第三の道」こそは、神代の昔からわれわれ日本民族のこころのなかに流れている最も新しい「四魂具足の惟神の道」です。
ことばの綾から強いて「第三の道」と申し上げましたが、この惟神の道こそは、唯一絶対の四魂の道ですから、いうならば「第一の道」です。前述のように、儒教を第一の道、仏教を第二の道と申し上げましたのは、儒仏の教えが、惟神の道をよそにして、わがもの顔に横行してますので、敢えてかく申し上げたまでです。
或る識者は「道なくして神道なし」「神なくして神道なし」といってますが、われらをしていわしめるならば、「道なくして」の「道」とはもちろん四魂具足の惟神の道であり、また「神道」とは、敬神崇祖の道です。
また「神なくして」の「神」とは、われわれ日本民族をして、敬神崇祖・四魂具足の惟神の道を充ち満すべきことを教え諭された天照大御神であり、また八意思兼大神さまであり、さらにまた民族同化の祖神たる氏之祖ノ神です。ですから神典「古事記」のなかに流れている惟神の道こそ、まさに日本のこころです。そしてこのこころは最も古く最も新しい日本のこころです。
しかもこの日本のこころは、四魂具足という絶対の善のこころですから、ひとり日本のこころたるのみならず、広く世界のこころでなければならないのです。
前述のように人間の行為は、こころの所産ですから、人間がこころに四魂を具足したうえでそれを行為にあらわせば、そこには善悪を超越した絶対の境地がもたらされて、平和と幸福とはおのずから招来されるのです。
それは「夢」でもなければ、「空想の世界」でもなく、上代の人々は、惟神の道のまにまに神人合一して、平和と幸福との絶対境に生きていたのです。したがって、「神なくして神道なし」との言に俟つまでもなく、神すなわちあらわに実在まします天照大御神・八意思兼大神・氏之祖ノ神たちをよそにしては、到達し得られない惟神の道であり、また日本のこころです。
日本のこころは、古事記にまた伝承や民俗のなかにさまざまの形において流れているのです。
それを的確(正確で確実なこと)にとらえて表現しているのが、四魂具足の惟神の道であります。
惟神の道こそ、最も古く最も新しい日本のこころです。
む す び
温故知新という語があります、その意はふるい物事をきわめて、新しい知識や見解をひらくことですが(故を温て新しき知る)この語を本稿に当てはめれば、惟神の道が最も古い道であることをきわめて、また惟神の道は最も新しい道であることを知ることです。
惟神の道は、最も古く最も新しい道であることは前段において申し上げたとおりです。人間は最も古く最も新しい存在でありますように、日本民族もまた最も古く最も新しい民族です。
そして惟神の道は、最も古い道として、日本民族生成のはじめからわれわれ日本民族のこころの奥底に生きつづけて、今日に及んでいるのですから、また最も新しい道です。
また惟神の道に盛られたこころは、日本のこころであることは前述のとおりですが、この日本のこころが失われているところに、現代の混乱があるのです。
まことに人間は年令を重ねることによって老化するものではなく、理想を失った瞬間から老化がはじまるといわれているくらいですから、最も古く最も新しい道であって、しかもすべてのものの価値判断の基盤である惟神の道に生きる希望、生きる理想を求めるところに、生命の若返りがもたらされるのです。
フランスの哲学者ベルグリンがいっているように、道徳には威圧とあこがれがあって、両者は相反するようではあるが、結局は一つのものです。四魂具足の惟神の道を奉じることは窮屈で一種の威圧を感じますが、思いきって実行してみると神人感合成り、みたまのふゆを頂けますので、惟神の道は、むしろあこがれをもって実行するようになるのです。ここにも惟神の道の新しさを見ることができるのです。
惟神の道は、日本民族生成の当初から、天照大御神のみこころである点において最も古い道であるとともに「みこともち」の信仰そのまま現代にまで承けつがれ伝わっております。惟神の道は最も新しい道となっているのです。「みこともち」ということは、上の神さまのみこころを体して、これを実行に移すとともに、そのみこころを後のものに伝えてその実行を促すことでして、日本の神道の中核となるものです。
天照大御神は、敬神崇祖、四魂具足の惟神の道をもってこの日本の国を治めるために、御孫のニニギの命をおつかわしになられ、その御神勅において敬神は崇祖にありという氏神信仰の根本鉄則を教え諭されるとともに、八意思兼大神さまに対しては、天照大御神のみこころを体して政をすべきことを仰せられたのです。前述のように大神さまは、天照大御神の御神勅に副いまつって、惟神の政治を行なうために、ニニギノ命の御子神たる氏神たちによって、当時の先住民族をば四魂民族たる日本民族にまで民族同化のはたらきをはじめられたのです。
そして氏神たちは、いまもなお、大神さまを氏神の総代表と仰いで、大神さまの大みこころ大みいつのまにまに、民族同化の作業をつづけられているのです。
この意味において、ニニギノ命も八意思兼大神さまもひとしく天照大御神に対して「みこともち」であられるとともに、氏神たちは、直接には大神さまに対しまつり、そして間接にはニニギノ命、天照大御神に対して「みこともち」であられるのです。この「みこともち」の信仰は、日本民族成生の当初から、日本民族の存するかぎり未来永劫にわたって承けつがれるものです。惟神の道は最も古く最も新しい道です。この「みこともち」の意味において、現代に生きつづけている最も古い惟神の道はまた最も新しい道であるのです。
ですから、最も古く最も新しい道である惟神の道を奉じているわれわれ惟神会員は、大神さまに対しまつりまた氏神に対して、ひとしく「みこともち」です。
換言すれば、
敬神崇祖、四魂具足の惟神の道は、最も古く最も新しい道として、いまもなお現代に生きつづけていると同時に、皇国のあるかぎり、未来永劫にわたって生きつづける道です。
御神示にもあるとおり、四魂具足することだけがひとり氏神のみこころに叶って、神人合一のもとに、みたまのふゆを蒙るのですから、われら
惟神の道に随順(おとなしくすなおにしたがう)してこれを充ち満たすところに、神人感合のまにまに御神徳が頂けるのです。この御神徳を土台として斯の道の宣布に努力しなければならないのです。くどいようですが、御神徳は御神徳のための御神徳にあらず、御神業のための御神徳です。
換言すれば、御神徳は、「みこともち」を果すための御神徳です。
ですから、会員各自は、「みこともち」という信仰的使命をよく自覚反省認識して、おのおのの立ち場、持ち場において、大神さまの大御神業のために献身的努力をはらうべきです。またかく努力することが、結局、神界から大いなるみたまのふゆを蒙ることとなるのです。
まことに惟神の道こそ最も古く最も新しい道として、四魂具足という絶対善のもとに、すべてのものの価値判断をこの惟神の道によって見出すことができるのです。
すなわち惟神の道は、世界観、価値観に絶対的基盤を打ち建てるものですから、そこに無上の生き甲斐が感得されるのです。
(昭和四十四年四月二十日 八意思兼大神春季大祭における講演要旨)
以 上