あ、幸福が逃げて行く P5
惟神会委員長 川 村 二 郎
本日のお話は「あ、幸福が逃げて行く」と題しました。何故にこのような題目を選んだかと申しますと、私が委員長に就任して早三年経ちましたが、その三ヶ年を顧みますと
「あ、この方も、あの方も幸福が逃げて行く」もったいない、何故手をさしのべて捕ってくれないのだろう「あ、幸福が逃げて行く」と自然に叫びたくなるのであります。
また幸福がそこにきているのに気がつかないで違う方向を探している方、容器が小さくて折角のご稜威がみなこぼれ流れでている。もったいない、なぜもっと大きい容器を用意しないのだろうかと惜しまれてならない方も多いのです。
信仰の点検によって、自分の信仰生活の欠点がわかり、僅かの工夫と努力が加えられるならば、まだまだ幸福になれる方、もっと商売が繁昌すると思はれる方、もっと認められて然るべき方であると思われる方、もっと恵まれた信仰一家になれる家など、本当に惜しまれてならず自然にこの言葉が出てくるのであります。
家には氏神さまが、八意思兼大神のご命令で氏子を守護し、幸福にすることを仕事の一つとしてご鎮座になり、また氏神さまの手足となって子孫の守護、指導のため日夜ご苦労下さる祖霊さま方がご鎮座になるのです。我等会員の家には病気や、災難や、不幸が見舞うはずはなく、幸福になれないはずはないのであります。
なのに、会員の全部がそうでないのは何故でありましょうか。
原因、結果は宇宙の大法則であると神さまから教えられています。
病気や、災難や、不幸が発生した以上、必らずその原因が存在せねばなりません。
幸福にならねばならない惟神会員が災難不幸に見舞われる原因は一体何なのでありましょうか。此際ご一緒にとくと考えて見ましょう。
まず第一に信仰上知っておく必要な事柄があるのですが、それを知らない、わからないと言う呑気なことではどうにもなりません。
次に信仰向上の大敵は呑気、慣れ、怠け(たるみ)と うぬぼれであります。
この呑気、慣れ、怠けと うぬぼれ四つの大敵の前には折角の信仰も低下するか、停滞するか少くとも信仰に進歩はなく、真の信仰に到達することは不可能です。
この信仰の敵である呑気、慣れ、怠けと うぬぼれをなくするためには、自分の信仰に厳正な徹底した点検を加え反省する以外に手はないのであります。
この信仰の敵である呑気、慣れ、怠けと うぬぼれを自分の身辺から追放しない限り、この信仰の敵が邪神、邪霊を呼び込んで災難・不幸となるのであります。
昭和四十九年十二月から本年三月まで四ヶ月にわたって「信仰の点検」についてお話をいたしましたが、その中の大切な所を一つ二つ繰返して見ましょう。
信仰点検の第一はまず自分の信仰は果して次の各項を、どれだけ理解した上でのものであるのかどうかであります。
@惟神会は何のために創設されたのか。
A惟神会には何のために、八意思兼大神を主神として斎き祀っているのか。
Gわれわれは何のために惟神会へ入会したのか。
C何のために氏神さまや、祖霊さまを自家にお祀りして、毎日お仕えするのか。
D何のために四魂の信条の実行、十二項目の実行に励まねばならないのか。
E何故に信仰の点検は必要なのか。
F何故に邪神、邪霊と縁を切らねばならないのか、また何故に邪神、邪霊と縁を結んではならないのか。など
入信の第一歩であり、かつ信仰の基本である以上の各項に対しての理解がどこまでできているかが問題なのであります。
信仰はただ氏神さまや、祖霊さまを祀って毎日お仕えし、拝んでいるだけのものではなく、以上のことをよく理解し惟神会員としての使命の自覚の上に立っての信仰生活であることが大切なのであります。
具体的には以上のことがよく理解されて、朝から晩までの自分の生活の中に次の@ABが満ち充たされ、神の御心に叶うよき氏子となるための努力がなされているかどうかであります。
@新らしい会員を増やそうと努力しているかどうか。一日に一分間でもよいからその気持ちになったかどうか。この努力がないのは自分さへ良ければよいと言う。抱え込み信仰で、本当のご稜威は頂けません。
A真の信仰をしようと努力しているかどうか、つまり四魂の信条の実行に励んでいるかどうか。呑気、慣れ、怠けと
うぬぼれに打ち勝って信仰は日々に向上、進歩しているかどうか。
B邪神、邪霊と縁を切って、ご稜威を完全に受け入れられる態勢になっているか どうか。相性、手相、骨相、姓名学等色々な運勢占いに迷って邪神、邪霊と縁 を結んではいないか。など
以上 @AB のような努力をしない氏子たちは、神のご稜威を受け取ろうとしない者で神といえどもどうにもならぬと嘆いていられる氏子であって、言うならば神さまや、祖霊さまの手に負えないなまくら氏子、不良氏子と言うことになり、ご稜威を頂くどころか、邪神、邪霊のつけ込む隙を作ったことになり、邪神、邪霊に侵入され災難、不幸が発生するのであります。
このような信仰程度では、当然受けるべき幸福があれよあれよと言うまに、みな逃げてしまうのであります。会員自身としましても不幸や災難に遇うなんて此上なくつまらないことであり、会としても残念で仕方ありません。惜しまれてなりません。
われわれは何のために惟神会員になったのか、勿論一身一家の幸、不幸を超越してご神業翼賛のために、でありますが神は守護し幸福を与えてやると申しておられるのです。
幸福になるに越したことはありません。
何故に幸福になれないのか、何故に災難や不幸に見舞われるのか、よくよく考え 真の理解のもとに真の信仰をしっかりつかみ、幸福を逃がさないよう、本当の幸福者になるための努力を積み重ねましょう。
そうして
(昭和五十年五月四日 八意思兼大神月次祭における講演要旨)