岸一太先生「科学とは何ぞや」

国教復刻版昭和6年1月号

川村喜紀

 

p7

     ・・・
今霊界を自然科学的に観察するときは、霊界とは即ちエーテルの世界である、真の空間であるということは、私が縷々説明しているところである。

     物質はこのエーテルの世界の中に浮遊しているものである。物質の原子と原子の間、電子と電子の間にも、このエーテルは存在しておるのである。この「エーテル」なるもののこの宇宙間に存在することについての大発見は、西暦1888年ドイツのボン大学の28歳で死んだ青年教授ハインリヒ・ヘルツという学者によって創めてなされたものである。このヘルツ氏は今ラジオに応用されておる短波長の電波即ち所謂ヘルツ電波の発見者である。・・・その発見たるエーテルも、今日その実在は最早疑うものなきに至っている。今吾人は神示によってその世界はすなわち霊界であることを知りえたのである。同時にまた物質の世界は即ちエーテルの世界のうちにあるのであって、そこに霊あり神霊あることを知って、吾人は我大日本帝国の国体の精華と人と神との関係を明らかに世界に示しうるのである。

 

抑も霊界とは「エーテル」なるものの世界をいうのであるとは、わが明道会において御神示により初めて指示せら給ふたところである。是は実に開闢以来未曾有の啓発である。

 

     ・・ある物理学者は物質を分解して、最後に陽電子と陰電子の両分子にまで及び、その陰電子中の自由電子をばさらに分解せしめると、エーテルに及ぼす「圧」に変化することを実験し公表している。すなわち物質が全くエーテルの力に変わってしまうことを実験して、物質不滅の物理学の大原則は最早支持されぬというておる。この実験に就いて神界に伺うと、物質の霊化はこのときである。 尚この現象は、自然の大現象の中に常に行われているということである。而してこのエーテルの世界の実情を研究し、この世界にまします真神霊と交通し、またこの世界の状態を写真にして世に紹介しておるのがわが明道会であるのである。

 

人が信仰の方面から神力、佛力といい、あるいは霊力というておるその力とは、皆悉く(ことごとく)このエーテルの世界から物質の世界に働いている力と同様のものである。或るものは之を自然力といい、また活力と言っておるがこれ即ち霊力にほかならぬのである。霊の存在とその機能を知らぬから、之を種々に命名しておるのほかならぬ。この力をエーテルの世界より発生せしめ、またこの力を宇宙自然界に適宜分配し作用せしめるために種々なる組織が霊界にはあるのである。吾人の研究するところによれば、このエーテルの世界、即ち霊界には完全なる社会組織が造られ、物質の世界と密接不離の状態にあることをみるのである。この確実なる研究は明道会の神人交通による研究以外には未だかつてできたことはないのである。

 

エーテルの世界から観察せられておる神の教示は、現幽一貫の観察である。形而上下の区別はない。かくして研究する科学は、物質界および非物質界を一貫した科学であらねばならぬのである。

  

 

国教No.41 昭和6年10月号

漫談 科学は何処へ(3)

エネルギーなる名称をはじめて今日の意味の如く使用したるものはトーマス・ヤングである。それ以前には活力と言うていたのである。

エネルギーは物質界および非物質界に共通するものである。エネルギー不滅の法則はあくまで維持されている。

エーテルのごとくまた光線、電気、磁気のごとき、明らかに質量も重量もなき非物質をも今日まで強いて物質並みに取り扱ってきた。然れども霊体のごとき非物質が愈々益々多数発見せらるるに従い、最早之を強いて物質扱いすることはできなくなる時期が来たらんとしているのである。

 

 国教No.41 昭和6年11月号

漫談 科学は何処へ(4)

     ・・光線は非物質にしてその所属は非物質の世界であるのである。

     ・・これらの非物質たる電磁気をば、物質として取り扱ってきていることは、非物質界なるものの存在に覚醒せざるがためである。電磁気の「場」の概念は既に実際において力学の概念の立場から全く開放されておるではないか。この電磁気の「場」は物質的保持者から解放され、物理学上の空虚な空間のみが「場」の保持者として示されておるではないか。この空間とは何を言うか、是れ非物質たるエーテルの充満しておる世界、すなわち霊界を言うのである。換言すれば現時の科学はこの電磁気をもっての研究を主としておる。しかもこれらは皆既に非物質の世界に移りさっているのではないかと思う。これぞ科学は非物質界(霊界)に行く所以であるのである。

 

・・・これは物質運動の標準が変遷してきたからであって、従来の力学は低速力運動には一致しきたったものであるが、今高速度、例えば光線運動速力を標準として研究するにいたっては種々の欠陥を生ずるのは当然であると思う。

抑も高速度運動とは何を意味するのであろう。これはすなわち非物質界の運動速度の標準ではあるまいか。既に前に述べたる如く光線は非物質界に属するものである。今非物質界の速力標準を以て物質に及ぼさんとするが故に幾多の矛盾を生ずるのである。

 

現代仏国の偉大なる科学者ルイ・ドウ・ブローイは物質は波動であるといっておる。その主張は電子のごとき粒子的構造を有するものとする多数の学者の所説とその趣をことにしているのを見るのである。しかし私はこの見解の差別は一に物質界および非物質界よりの観察の差によって生ずる物であると思う。ブローイ氏の波動説は全く物質が非物質界に入ってより後の観察にほかならぬのである。

 

以上