<アンケートNo.1>

 回答での皆さんのご意見 (回答数:27)

質問 意見

質問1 現委員長の教拡活動との整合について

@ PTは、あまりいろいろやらずに、委員長の教拡活動をサポートすべきだ
A 委員長方針に基づく教拡活動は現在の組織に任せ、PTは独自の教拡方法を考えるべきだ


A PTの独自性を表現する事が望ましい。

@ PTは委員を対象に、委員長の教拡活動をサポートすべきだ。

@ まずは、委員長の活動方針に沿ったサポートと思います

@ 惟神会としての活動方針は複数有っては良くありません、委員長と違いの或るところは協議すべきと思います

@ 
まず委員長に、PTについて十分なご理解をいただき、委員長の確りした活動方針を確認した上で、組織部との共同作業として委員長の教拡活動をサポートすべきだと思います。そのためには委員長の活動方針遂行に対する確たる信念が求められます。この事については、「こうかい」のような曖昧模糊としたプロジェクトではなく、確たる基盤に基づいた活動方針を基に押し進めるべきと思います

A 委員長方針は会の方針ですから大事に考えるべき、委員の意見は多いに提案                 
     し、方針の一助として尊重すべきだと思います

A ただし委員長の教拡活動に沿って活動すべきでありPTが勝手に走るものではない。委員長の教拡方法については、もう少し具体的なものにしていく必要がある

A 現在までの委員長の方針で具体的に効果が上がっていないのが現実です。従って、PTは具体的に衆智を集めて具体的に教拡方針を考え提案すべきであると考えます

@ 非常に迷いましたが、まず原則として委員長の活動と齟齬を来すのは良くないと考え「1」を選択しました。しかし今回のプロジェクトは、電子メールを活用しているという点において、従来にない大きな可能性を秘めていると思います。それは、時間的制約が従来の議決方式(会議)に比べて極めて小さく、全構成員が個々の考えを自由に発表できるからです。その意味において、「1」の選択肢にある「あまりいろいろやらず」・「サポートすべき」という語句に囚われることなく、自由な発言・発表・提案などの場であって頂ければと思います。具体的施策の提案までを考慮して「1」を選択しましたが、「2」に近い「1」です

A 委員長の意見も我々の意見もひとつの意見として参考にして、何が惟神会にとって良いのか考えながら推進していく。逆に、この推進していくプロジェクトが意見を提案をするくらいがちょうど良いと思う


@ 基本的には、「PTは委員長の教拡活動のサポートをいろいろやったほうが良い」と考えます

A 委員長方針のもと、PTは、独自の教拡方針を全国委員の方たちのアンケート回答をヒントに具体的展開を探る。組織部のフォローを受けつつ、結果的にPT展開が組織部の機能性をよりスムースに高めることになれば

@ 単に会員を増やせばよいと云うのではなく、中長期的な教勢拡張を考え惟神会の教えを子々孫々場合、委員長方針の「家庭信仰一致」との整合は欠かせないものと考えます



  質問2
PTは短期、中期、長期のどこを狙うべきか 
      @ PTは中長期(5年後位)を狙い、教拡方法じっくり考えていくべきだ
      A 3年後には教拡の具体的活動にはいっているべきだ



A 息の長い活動と予想されるが、中長期では今までと同じ教拡活動でPTの存在すら危惧される

A PTと言えども短期に成果を上げる活動にfocusすべきだ。このままでは20年後の当会はないので、委員長が活動方針を掲げているのを理解すべき

@ 教義の原理を守りながら常務委員会レベルで合意出来る教拡方針をつくる必要があると考えます。

@ 従来の経緯から見れば短期(2、3年位)を狙うべきだと思います。その理由としては、過去いろいろな事をやってきましたが、短期の問題提起に依って得られた消極的な反応結果による諦めムードがあった様に思います。今後はこうした諦めムードは捨てて、短期のアピール活動の結果を基にして新たな方策を考えるべきだと思います。

A 教拡のお題目だけでなく、具体的行動が必要です

A 悠長なことは言っておれない。ただし、現在の惟神会のペースでいくと、3年はあっという間にくる。3年後に、やはり変わっていなかった、ということになることを恐れる

A 
ここ数年で収入は80百万円から60百万円に激減しています。こうした現象は、既に多数の方々が指摘していた事です。資金がなくなってからでは動きが取れなくなります

A 教拡は急を要する課題と考えます。また、せっかく発足したプロジェク
トとして、まずは小さくても形にすることが肝要かとも思います

@ 「政治は百年を以って大計となす。」と古来より言われているので、まず長い目で見た概略を考え、そこから考えられるさまざまな良い点、問題点を導き出し、シミュレーションをし、修正をする。それを繰り返し万全なものを作り上げる。そして、大きな目標を作った後に、十カ年計画、五カ年計画を作り最後に一年間どのように運営するかを考えてから実行するのが良い

A 基本的には「長期を狙ってすぐやることを考え、実施していく」ことだと思います

A 短期、長中期の期間設定もあるが、現在の会状況を考えた場合、1・2年の展開を目標
   に、3年先には軌道に乗れば。ひとつでも、絶対ヤレル!

A 中長期的な視野は必要ですが、何かきちっとした絵が完成しないとスタートしないのではなく、今出来ることがあれば実行に移してゆく   べき。ただし何をやるにせよ結果を出すまでにはじっくりと時間をかけ、都度軌道を修正しながら継続的に進めてゆくことが、真の成果を得られるものと思います

   
  
質問3.

@自分の周りから教拡していく
APTでは、別の発想を持ち込んで、他の教拡方法を考えるべきだ


@ 自分の周りを教拡出来ないのに、一般の人への教拡は困難が予想される。しかし常に外部への教拡路線も維持しなければと思う

@ 各委員が自分の回りから成果を上げ、その後、別の発想を持ち込んでも良い

@ まずは、身近なところに拡げられなければならないと思います

A 國の教えを目指しているのですから、広く多くの人に教拡出来るものが望ましい

A これ迄の経過を振り返ると、この方法はあまり実績がない。PTでは、別の発想を持ち込んで、他の方法を考えるべきだと思います。そのためには、まず惟神会員の心構えが一つになって、盤石の一枚岩の様相を呈する事だと思います。

A 新しい発想を講ずべき

@ 現状では惟神会の素晴らしさを外にアピールする方法が不十分にて会員の身内以外から入会したという話は聞いたことが無い。別の発想というが、画期的な方法が考えられないなら、まづ身内の人から教拡するべきである。会員の二世,三世の人の多くが親のように熱心な気になれず、仕事にかまけて逃げている人や、、宗教などめんどくさいと思っている人に分けられます。しかし、他の宗教の人を入会させるより、惟神会を子供のときから知っているので入会させるチャンスが多いはづです。長男は親が逝った時に引継ぐ場合が多いですが、三男である小生は親から散々勧められていましたが、転勤が多く、仕事にかまけて決心が付かづ、50歳を過ぎてやっと入会しました。今から考えますと宗教に対し(ついては惟神会に対し)余り関心が無かったのです。弟も転勤が多く入会の決心が付かずにいます。この様な経験から会員の身近にこだわるのです

A 惟神会のこれまでの教拡方法はそれなりによいが、別のやり方も考えないと、これまでと何等変わらなかったという結果になりかねない

A 過去何度も教拡の必要性が求められ、内部教拡だ外部教拡だと繰り返してきましたが
   特に成果を得ていません。今後は過去の失敗に学び発想の転換が必要と考えます
@ 基本的には「「自分の周りから教拡していく」のですが、その方法に今までと違う発想を持ち込むべき」と考えます

A 自分の周りからの教拡は勿論であるが、可能性を求めて新企画の立案と実践を

A 自分の家族・親戚等への教拡は基本であると思いますが、それだけでは内向きな考えが先行し、いつまでも外部教拡に向かって進まない。PTとしては外部への教拡を進めるための中長期的な施策を打ち出してゆくことで、内部の活性化をも図ることが必要と思います



 質問4.

@一般の人に、直に正会員になること(氏神祖霊奉斎)を勧めるべきである
A
先ず惟神会ファンを増やす(すそ野を広げる)べきだ

A ここまで教拡においてほとんど実績がないことからして、急に正会員が増加すると思えず、やはり「すそ野を広げる」べきと思う

A 外部への教拡はレベルを下げてでも人を集めることと思います

A 準会員は賛成。会員外の人を祓うことはいけないが、参拝は良いのではないか。
    そのように、一般の人が来会したときに魅力を感じる本部体制か?要改善

A 四魂具足や祖先を大切にする、といった「生き方」を前面に出して、先ず惟神会の方を向く人、惟神会ファンを増やす(すそ野を広げる)べきだ

A 惟神会の信仰に誇りをもち、一般の人にも遠慮なく日本人論と結び付け発信すべき

@ 準会員とは何を指すのですか。準会員とは睡眠会員の事でしょうか。仏教徒の人を新たに当会に勧めるエネルギーより過って親が会員だった人に目を向かわせるほうがよっぽど近道であると考えます

A 予備軍を作ると言っても従来の方法と対応の仕方が自ずと異なると考えます。
     説明が従来と変わらないスタンスでは、全然効果が上がらない。綿密且つ慎重に
     検討すべきであると思います

A まずは身近な所から相手に働きかけることが大切と考えます

A 基本的には「ファンを増やすことは重要だが準会員といった資格は難しい」と考えます

A 惟神会の魅力の再発見とは。祖先の存在の尊さ、その認識の希薄さを啓蒙。
   自分史、を発見できる惟神会、自分という存在の尊さを啓蒙。外部(不特定多数)フアンの
      獲得作戦!
 

A じっくりと手間暇をかけて進めることが必要です。以前 学生の頃に、●●学会の勧誘を受けたことがありましたが、      先ず人の人生・宗教から親兄弟に至るまで全てを否定して、人を追い詰めておいてから入会を促すようなやり方でした。 惟神会は決してこのような手法を取ってはならないと思います



 
質問5
      @ 「人のため、世のために活動する」ことが教拡になっていく
      A 教拡には結びつかない


@ でなければ、意味のない様な気がする

@ 当会は1の世の止めに活動すべきと理解している

@
 惟神会員と言えども人間の集まり。人の悩み、苦しみ、心配、不安、恐れ、などが薄れ人生に自身が持てるようになる事が信仰。
    「世のため人のためになる」活動こそ追及してゆく方針で、人情の分からない教えなど・・・

@ 質問4の答えに含まれていますが、端的に言えば、どのような形であってもまず「四魂具足」を心掛けることにあると思います

@ 目標は「人の為、世のために活動する」ではあっても、日本人の戦後の思想の
     混迷期に如何に理解さすかは会員の智慧をしぼり努力すべきです

A 奉仕活動を拡げて、これにより惟神会を世間にPRする考えがありますが,当会には経験が乏しく、実際に活動するとなると難しいのでは

@ 宗教の目的は、人の悩みを和らげたり、或は、日本の道徳の荒廃を是正する事
ではないでしょうか。惟神会の教義は、先ず神道ありき。正しい神道のあり方に主眼があるように思えます。そうでは無く、人の悩みを和らげたりする事が 世の為人の為になります。そこが抜けています

@ 「世のため人のための活動」の中に「教拡」が含まれるものと思っております

@ 基本的には「人のため世のために活動する」ことは教拡になるのでしょう。ただ 教拡につながることも考慮した活動が必要なのではないでしょうか。一般会員は「人のため世のために活動し」教拡につながる部分は本部やPTがサポートするという方法もあるかもしれません

@ 惟神会は信仰集団。モラル欠如の今日にあってチャンス期といえる。会に所属する者
として、人のため・・云々は常にもつべきもの。教拡とは直接結びつくものではないが教拡を考える意味で会員として、初心に戻る誇れる核ともいうべきもの

A 世のため人のための活動自体は大賛成ですが、教拡の手段としての「世のため人のための活動」というのは本末転倒の議論のように思います。神様の教えを守ってひとりひとりが人生を歩んでゆけば、自ずと世のため人のための活動が出てくるものと思います
 

全体
  
全体を通して




 ・要は、悠長な話でなく、委員に行動を起こさせる手段を提案し、実施させることを考えるべきだ


 ・PTとしては、教拡について、なんでも考えることが良いと思います



<教拡の基本的な考え>

1)教拡路線との整合性に付いて。
  2体制を進める余裕はなく、現路線との協動を前提とすべきです。
  但し、教拡の検討に際しては、以下の調査・確認を進めていただきたいとおもいます。従来の教拡への取組みの棚卸。教拡活動はその時々の責任者の方が全力をあげて取り組んできました。何を行ない、その結果はどうだったのか。何が足りなかったのか、等。過去の失敗と成功および、時代・背景の変化を整理しておく必要があります。

2)10〜20年先を今考えても具体的な活動にはなりませんので、中期(5〜7年位、今回プロジェクトに参加されようとするメンバーがまだ元気でいる)のケーススタディーをいくつか行なって、今やることを具体化するのが基本的な手法でしょう。中期の姿は次の3つくらいでしょうか。A状態:500家を核に何とか維持OR拡大の兆し。B状態:300家位をなんとか維持し、毎月の祭事と葬祭が可能な状態。C状態:ジリ貧。CAー300家の目処立たず/Min状態(会活動が可能な家数、奉斎何千万円規模を把握しておく必要があります)。CBー敗戦処理/惟神会の看板が立たない、(例えば、一般の参拝者対象に教育(知恵)の神様としての八意思兼大神神社の建立)。CCー解散、(例えば、大神を平田神社に合祀していただく)。

 CB・CCは中期ベースでは在り得ないとして、CA状態になった時も念頭において、活動のイメージを持っておく必要があります。CA状態のままで、我々団塊の世代が20年経てば、もっと悪い事態になることは必定でしょう。何もしないところにはご守護はないでしょう。

3)新規会員の増加・裾野の拡大。
 やるべきことは、家族信仰の継承と準会員(裾野)の拡大であることに、どなたも異議はないと思います。ただ、会員と氏子の役割を整理しどの立場での意見或いは発言かを使い分ける必要があります。従来、会員と氏子の同時原則が強調される一方で、別の動きとして、会員外の人との対話が限定されてきました。四魂とか霊の話は、氏子とその家族でないとなかなか通じませんし、一方、会の内では、神社一般の話、例えば靖国の話題は、タブー視されることもあったと思います。神道系の人とは、もっとフランクに話し合えること(敵(佛教、基督教、共産・共和主義)の敵(神道)は味方と割り切ること)が裾野を広げ、会員予備軍を広げてゆくきっかけになります。(4/19の小川参与の提案「学士会館で講演会」もその1つと理解しています)。
特殊なことをしていると思われないこと。  (以上 )



<現在の惟神会々員の意識の底流にあるもの>

1.惟神会の雰囲気と教拡

 私は、昭和20年4月に父親を亡くしました。翌月5月青山にあった家は、空襲で焼けてしまいました。当時私は中学に入ったばかりでした。それから母は私の4人の姉と私を育てる為に女手一つで子供達を育てたのです。それはそれは、子供の私の目にも大変であったと思っております。姉達を嫁にやり、私を大学に出す為に母は毎日朝早くから夜遅くまで働いておりました。それでも私共は、毎年元日には親子揃って必ず惟神会本部に参いりました。

私が会社に就職し暫らく経ってから、私ども家族は青山の都営住宅から鷺沼にあった社宅に移りました。暫らくして惟神会の方の訪問を受けました。その方はお出でになるなり、

母に向かって「あんたは、一度も惟神会に来ないじゃない。信仰が足りないのよ。」と厳しく叱られました。その場で母は謝っておりましたが、「私は、惟神会には絶対行かない。人の家の事情も知らないで、そんなに叱られても無理よ。」と言って怒っておりました。

 また、先日家内にも似たような事が起きました。こうしたムードが惟神会の会員の方々の中に潜在意識としてあるように思えます。人を見下げるムードです。

 惟神会では、二言目には「四魂具足」「敬神崇祖、先祖を大切に」と言いますが、このほかにも大切な事は「人間としての内容を高める事」、「人の立場や人の気持ちを思いやる事」だと思います。

「人間としての悩み・苦悩・哲学的・思想的葛藤」等と言う事は下らない事だ。質問すると「人間に悩みがあるのは信仰が足りないのだ」と決め付けられます。座談会で婦人達を前にして「女は駄目なんだ」と決め付ける人もいます。これが惟神会の風潮の様に思います。

委員長が家族信仰に重点を置くと言うとそれ以外の事を言っては駄目で、必ずそれは間違っていると言われます。相談になりません。

新渡戸稲造の「武士道」を口にすると「あれは仏教の影響を受けているから、そんな事は話題に出来ない。」と言われます。武士道は仏教なんかの影響を受けているものではありません。日本古来の神道の影響を大きく受けています。「仏教の影響を受けているから駄目だ。」と言うのは正に暴論です。そう言われる方は、何もご存知ないのでしょう。何をもってそう言われるのでしょうか。武士道の真髄は、神前において無私。無私奉公と言う日本人の心の重要な部分を構成しているものです。

何か人の考えを画一的に抑え込む非常に排他的な雰囲気があります。そういった観点から皆が監視されている。批判の対象にされると言う危険を感じています。これが惟神会の雰囲気です。

 ですから、陰では色々言いますが、表面には何も出てこない。皆が我慢しています。

これが会沈滞の根本的原因だと思います。人を包容できない信仰団体、教義がどんなに立派でも拡大出来ません。そんな排他的な雰囲気の会に誰が入ってくるでしょう。

 こうした事を直さない限り絶対に惟神会は衰退します。会の拡大等望むべくもないと思います。

2.惟神会の教義

 惟神会本部大広間に岸博士の四魂具足の漢文による揮毫が掛けられています。

それを現代文に国語にしますと、

 神人感合の力を得て以って国の務を果(処理)さんとす。

 義勇奉公の行いを果たし以って社会に奉仕せんとす。

 和合親愛の情を養い以って家、国を整え治めんとす。

 利用厚生の術を尽し以って国利を開拓せんとす。

となります。しかし、その隣に架けられている「四魂の信条」は、

 神人感合の力を得て皇国に奉仕せん事を期す

 義勇奉公の行いを果たし社会に奉仕せん事を期す

 和合親愛の情を養い家を治め国を治めん事を期す

 利用厚生の術を尽し国利を図らん事を期す

となっています。

前者は、昭和の初期明道会が開かれた頃の揮毫だと思います。後者は、昭和14乃至15年頃、太平洋戦争勃発直前の一触即発の時に書かれたものです。私は、この両者に時代の変遷と時代的要請の違いを感じています。前者の昭和の初期は2.26事件の前後、「統帥権干犯」問題が起きる前のものでありますし、後者は、「一億一心」「大政翼賛会」の時代のものです。

当時の惟神会は、時代のニーズに合わせてこの様に基本を変えずに柔軟に対応していたものと理解します。

しかし、現在は如何でしょう。太平洋戦争終了後60年を経過しておりますが、依然とした昭和14乃至15年頃に書かれた「四魂の信条」が会ある毎に皆で暗唱しています。

一般の意識が全然変わり、民主主義の時代になったのに全体主義の時代の遺物を引きずっています。現代の多数の共感を得るには時代錯誤も甚だしいと言われても仕方がありません。

今過去の委員長講演を収集して整理しておりますが、それはそれとして意味がありますが、教拡にとって有効な事にはなりますまい。

道徳が今日ほど荒廃している時はありません。日本の心が失われつつある時、昭和の初期の感覚や、昭和14乃至15年頃の意識に戻そうとしても無理な話です。

日本の正しい神道を主張するなら、惟神会の本質は何かを問い質し、現代人が判る言葉と説明の努力が必要ではないでしょうか。

現在に惟神会は敢えて、実現不可能な事に拘って、宗教の本質的役割を見失っている様に思えてなりません。宗教の本質的役割、惟神会の敬神崇祖の理念は、究極の処人間の、日本人の心の救済ではないのではないでしょうか。少々大胆に惟神会の今後の教拡のヒントになればと考え纏めて見ました。以上



 ・尚、アンケートにより皆様の意見を収集することも必要ですが、気をつけないとアンケートの情報を分析して報告書を作成して終わりになるおそれがあります。そこで、一応の方向性がでたら、具体的な実施方法を検討してトライすることも必要ではないかと考えます


・教拡する前に、惟神会の教義や歴史、正当性といったこれまで惟神会内でいわれてきた惟神会の魅力を総て排除した上で、惟神会が他人から見て魅力があるかどうか協議すべきだと思う


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