呼吸する劇場
扇町ミュージアムスクエア10周年記念刊行誌『呼吸する劇場』寄稿
アメリカ村のない大阪を今の若者達は想像できるだろうか。70年代の若者の大いなる渇望の集積として練り上げられたアメリカ村もその最初の役割はすでに83年に終えたといえる。そしてそのあとを継承して次ぎへの突破口をひらいたのがミュージアムスクエアだったのだ。おそらく今の若者達はこれを実感できないだろう。それはアメリカ村をつくった最初の店を誰も知らないのと同じことだ。
われわれ企画委員が最初に提案した事。それはまさに各委員のそれまでの活動のなかの不満と怒りの噴出だった。そしてまたそれは実に完成された欲望だったのだ。
小劇場・スペース・物販、そして創造する工房と劇団。さらにそれらが交叉する場としてのカフェ。物事が作られ放たれ、外からも内からもフィードバックする現場。
かくしてミュージアムスクエアは当時の若者の『神』となった。ここで発表される物事は絶対的支持を受け、多くのイベントは酸欠的満員状態となり、ここへわざわざ出向かう事が若者の実証的行為であった。それはまた当時の様々なクローズな文化をオープンネットワークへ接続する作業でもあった。
その意味からもミュージアムスクエアは最初の3年でその役割を果たし終えた事になる。10年たった今、ミュージアムスクエアのこれからの役割、それは大阪の文化循環器系の一部として静かに脈打ってゆくか、あるいはすべてを解体して新たな役割を構築することかのいずれかだ。
地球全体を包むコンピューターネットワークも完備し自宅の机上からでも世界中の数百万人に語りかけられる今、ミュージアムスクエアにはまた新たな役割も芽生えてきている。
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