若者の作る町
若者は、いつも自分達なりの生活観、価値観を持っている。そして、それにふさわしい自分達の集まり場所を求めている。すでに作られた盛り場には、若者の真の期待が満たされることはないだろう。
若者は町を作る。お金はなくとも、何の政治力もなくとも、町は作れるのである。日本では、このアメリカ村が一番の例だろう。
アメリカに、こんな話を聞いたことがある。100人の若者が、1つの町を自分達で作り変えてしまった話である。
アメリカのある田舎町に、突然100人の若者がやってきて、その町に部屋を借りたり、家を借りたりして住み始めた。そして彼らは、それぞれの部屋の窓にラジオを置き、同一のFMロック局に合わせて大きな音で毎日鳴らしたのである。こうなると、町中にロックが流れていることになる。最初はいやがっていた田舎町の人達も、100人の若者となるとちょっとした商売になる。若者向けのカフェができ、服屋ができ、レコード屋ができた。そうなるとこの町には、また新しく若者が流れ込むことになる。そうして、次第に若者の望む町になり、どんどん若者が集まり始めたというのだ。
この話が事実なのか、作り話なのかは知らない。ただ、アメリカ村を作ってきた経験からいうと、このようなことはできそうな気がする。
今では有名な、ニューヨークのソーホー地区も最初は倉庫街だった。そこへ広さと安さを倉庫に求めたアーチスト達が、違法に移り住むことになる。毎週、週末にはいろんなアーチスト達が集まってパーティが行われ、いろんなジャンルのアーチストが語り合い、いろんなジャンルのミュージシャンがセッションを行った。この、違うジャンルのクロスオーバーによって、この町から次々と新しい美術や音楽のスタイルが生み出されて、成功者も多く生まれた。
これがまさに、理想とするアーチストタウンである。アメリカ村では、文化とファッションが作られた。ソーホーでは、美術・音楽の新形態が作られ、スターが生まれた。
このソーホーでは、居住することを禁じていた法律が住民の力で改正され合法的に住めるようになったそうだが、その後、やはり家賃の高騰で大変な高級地(?)になってしまったということで、若いアーチストはまた、次の土地で住みはじめているそうだ。
最後の話は、これとは少し異なる。
ニューヨーク・マンハッタンのハドソン川のすぐ西岸に、ホボケンというさびれた町がある。ここで1982年、ベッツィ・クーガという25歳の女性と5人の女性だけで「ホボケンセレブレーション」というイベントを3ケ月間続けた。3ケ月間は、この町のどこかで毎日、コンサートや、映画、演劇が行われ、2億円の費用をかき集めて行われたこのイベントは、会期中は結構人が集まったらしい。このイベントのためにオーケストラが1つ作られ、ギャラリーが3つできたそうで、会期後もそれぞれに活動しているそうだ。
この思いきった精力的な町作りに興味を持って、主催者のベッツィにいろいろ問い合わせてみたところ、やはり3ケ月では町ができ上がってしまうまでには至らなかったらしい。会期後、少しは町が活性化したということであるが、やはり絶えずイベントを続けていないと人が集まらず、3ケ月間のイベントでも思ったほどの効果が残らなかったことを正直に打ち明けてくれた。そして、ここでも家賃の高騰と、元の住民との間のトラブルなど問題が多いそうだが、今でもホボケンの活性化に努力しているベッツィは、本当にすばらしいと思う。
大阪のアメリカ村も、これからはどうなるのだろうか。ぼくは、アメリカ村が再び若者の力で、今の延長線上に新しく拡がるか、または今のアメリカ村内に、例えばビルの上層階の安い部屋等に若い店が増えて行くことを期待している。
資本家の進出の目ざましいアメリカ村には、経済的繁栄はあっても、若者文化が再び生まれる可能性はうすれていく。
それは、けっしてぼくの望む町ではない。何度も繰り返すが、若者文化を生む若者の盛り場、若者の町は、若者が作る。
若者しか作り得ないのだ。
(アメリカ村ユニオン理事)
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