アストロラマNo.105 1999.3.5発行 はーい!皆さん、こんにちは。もうそろそろって思ってましたか?それとも、すっかり忘れられていたかな?そう、忘れた頃にやってくる「アストロラマ」なのです。 と、軽くすべりだしておいて…随分ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか? この冬は各地でインフルエンザが猛威をふるい、亡くなられた方もたくさんいらっしゃるようですが、大丈夫でしょうか? 脳死患者の臓器移植ニュースが日本中を駆け巡っています。すごい時代になった ものだと思います。私が死んでも私の一部が生きてるなんて、じゃ「死」って何? 頭の悪い私にはわからない。まだまだ、自分のこととして考えられない私です。 なんだか、重たいテーマですね。 能天気な私たちは、おかげさまで風邪もひかず元気に頑張っております。昨年は前半、めまいだ転職だと波瀾含みだったのですが、後半、健康にも仕事にも恵まれて快調に過ごし、やる気いっぱいで、 1999年を迎えることができました。と思ったら、もう弥生3月「春一番」が吹いています。 昔、読んだ「ノストラダムスの大予言」、 1999年ってまだまだ先の話だわと思って いたのに、これももう目前。問題の七の月は後 4ヶ月。信じてはいないけど、気になりますね。 隣の住人、ベンとナミは、このお正月休みはメキシコで楽しんできたようで… 宇宙旅行も夢じゃなくなってきたいま、地球もだんだん小さく感じてしまいます。 宇宙といえば、「宇宙でお琴を弾きたい」なんてのもありましたね。 もし、実現したら、世界中に日本のお琴が知れわたるだろうななんて、嬉しい想像を描いたりしております。 もちろん、お琴も細々と続けております。素敵な仲間にめぐまれて、刺激され たり、励まされたり…同じ趣味で繋がった仲間…大事にして行きたい仲間です。 私の憧れの友人、「青木千里さん」も、昨年はチェコでピアノチャリティーコンサートでお琴を演奏されたそうで、こちらも嬉しいお話でした。 このコンサートはチェコに、日本武道文化センターを作ろうとしているチェコ人の 募金活動の一環だそうで、「チェコでお琴」ってのも、きっと大人気で募金のほうも たくさん集まったのではないでしょうか? また、このときのピアニストとともに、オリジナルCD録音にも参加されたそうで、 さすが、世界を舞台に活躍されている千里さん。遠く生駒から声援しております。
「しじゅうから」さんとご対面
パソ通で繋がった「しじゅうから」サン。お互いにミニコミ誌を出していることでも意気投合し ,メールのやりとりが続いていましたが、昨年のCOMSOのライブに来てくださり、初めてのご対面となりました。と言っても、私のほうは「ほんとうの時代」の中でしじゅうからさんのお写真を拝見していたので、初めてという感じでもなかったのですが…しじゅうからさん、その節は有難うございました。 馬頭琴や、古筝の演奏もあり、ライブのほうはお楽しみいただいたようですが、 ゆっくりお話できなくて残念でしたね。またの機会を楽しみにしましょう。
ニュービジネスメッセ
今年 2月に、東京ビッグサイトで開催された、「第5回ニュービジネスメッセ」に 私の勤める「株式会社サンワード」も参加しました。 より多くの方に奈良の情報発信基地として注目されている「サンワード」を知って もらい、意欲的なビジネスパートナーを求めることを目的に参加したイベントでした。 私は東京には行けなかったけれど、結果は ″上々″だったそうです。 ここで、少し会社の紹介 森の中のしゃれたペンション風の建物につづく、半円形の空間「インターネット JOY- House 」のなかに、サンワードの事務所があります。 アイマックをはじめ、ウインドウズやマッキントッシュのパソコンがならび、事務所というより、サロンって雰囲気。 業務内容は、ソフト・システムの開発とクライアント企業のサポート。わたしには、 よくわからないけど、ビジネス研究開発、ネットワークの構築、管理とサービス、SE、 PGの教育養成事業などなど、がおもな業務となっております。 私からみれば、大先生と思えるような人いわく「おそらく、コンピューターの すべてがわかっている人なんていませんよ。」 それほど、細かく分野が分かれているそうで、有る部分においては、プロだけどその他のことは、ほとんどわからないとか。 一人ひとりがプロ意識をもった集団というか、コンピューター語って言うのかな、 まったくわからない会話が飛び交ったりしていますが、それなりに興味深い世界を 楽しんでいる次第です。 そんなわけで、「どんな会社?」ってきかれても、一口で説明するのが難しいのですが、広いネットワークをもっていらっしゃる社長のお話を聞くだけでも楽しいですよ。 興味ある方は,「インターネットジョイハウス」においでやす!! 老後の楽しみ
「生駒日本語学習会」を最初に作った中田千鶴子さんに久しぶりに会った。 96 号で紹介した、「あやこちゃん」のお母さんである。 もう、何年前になるだろう。「日本語学習会」を一緒にやりませんか?という、 新聞記事をみて、電話したのが彼女とのお付き合いの始まりだった。 その頃何かボランティアをしてみたいとか、外国に興味を持っていた私は 「これなら私にもできるかも?」と思って一緒にやらせていただくようになった。 が、そのうち家庭環境もかわり、仕事も持ち、だんだんと名ばかりの会員になり、今に至っている。当の中田さんもお家の引越しやら本人の病気やらで現在は活動できないにもかかわらず、一緒にはじめた他のボランティア会員によって、会の運営は続けられている。有難いことと思う。 普段まったく音沙汰なしなのに、何年たっても会って話せばいろんな苦労話に花が咲き、このボランティアによって繋がった人のご縁に感謝している。 中田さんは、その頃からとても行動派の方だったけれど、今また近い将来のために シニアハウスのようなものを建てる予定だそうで,またまた驚かされた次第。 田舎の自然に囲まれて土とともに心豊かに暮らしたい、と夢を語る彼女の顔は 生き生きと輝いて見えた。 完成の暁にはそんな彼女を囲んで,夜を徹して語り合いたいと願っている。 機関車トーマス 前号で紹介した、二階の住人ことトーマス。彼は、 1ヶ月滞在の予定を大きく 上回って, 2ヶ月半くらい住んでいた。どこにでも価値観が少々違う人はいるもので、 彼もまた、契約社会のアメリカ人に似合わずちょっといいかげんと、思えるところが 多々あった。いままで、いろんな国の方と住んで思うのは、アメリカだからとか、 ドイツだからというのではなく、あくまでもその人個人の考え方、価値観の違いだけ だと思う。同じ家で住むには最低限守らなければならないルールやエチケットが 有るとおもうが、それらを無視されたとき、やはり相手に非難の気持ちを持つ自分が いた。一生懸命自分の思いを伝えたいのに、根っこのところが違うと理解もできない だろう。まして、言葉がうまく通じないのだからなおさらのこと。 いい勉強をしたとは思うが、ま、人生にあたりはずれはつきもの、また困ってる 人がいればきっと声かけてしまうだろうと何事にも懲りないゆっこサンです。 年々、深刻化する高齢化社会。私の両親も 80歳と75歳。母はいまだに現役で 仕事をしているが、そのせいか歳より随分若く見られている。いつまでも親に 心配かけて安心させないから、若くいられるのよなんて憎まれ口を言ったりして いるが、そろそろ仕事を離れてのんびり好きなことを楽しんでほしいと思う。 中田さんに負けず,ここをシニアの溜まり場にしようかなんて、ひそかに たくらんでいる今日この頃です。きっと「知恵」の宝庫になることでしょう。 学童の子供たちとシニア。また何かが生まれそう。では、次号をお楽しみに。 戻る |