第1章 世界遺産のとなりはゴミの山

 

奈良市の産廃街道を走る

 

 古社寺と豊かな緑が美しくとけあい、人なつっこい鹿がたわむれる奈良公園。県庁の建物をあとにして、国道169号線を北に走らせる。右手に東大寺、その背後に若草山と春日野原生林が広がる。

 十分近く走ると、コスモス寺で有名な般若寺の看板が見えてくる。そこから右折し、国道369号線を柳生の里方面に車を走らせる。この道は、剣豪の里柳生につながる柳生街道と呼ばれている。

 車は、左右の丘陵と、その間に点在する最近開発された住宅街を縫うように走る。やがて勾配が多少きつくなり、道路がヘアーピンカーブを描く。

 最初の大きいカーブの左右に小山が見えてくる。表面は雑草におおわれている。素人目には自然の山だと思ってしまう、が、よく見ると、途中に段々があったり、コンクリートの破片が露出している。

 これが、Y商事が産業廃棄物を不法投棄した山である。

 九〇年十月九日付けの産経新聞は「無許可で廃材を捨てる」「産廃業者ら七人書類送検」との見出しをつけ「奈良市中ノ川町七〇八の山間部に、無許可で約四万九千トンの建築廃材などを捨てさせ、一億六百万円の収益をえた」その後も「約一万五千トンの産業廃棄物を捨てさせ、約三千五百万円を得ていた疑い」。大阪や奈良の七十業者がここに投棄し、「全体の七〇%が大阪からの廃棄物らしい」と報じている。

 Y商事の不法投棄の山の隣に、すでに埋め立て処分が完了している奈良市の一般廃棄物の処分がある。ここは、埋め立て完了した場所を、現在、野球のグランドとして使用しているが、多くの市民はこの事実を知らない。

 Y商事の不法投棄の山を過ぎ、しばらく車を走らせると、I建設の残土処分場が右手に見える。

その土地は、宅地か工場用地へと転売が計画されているらしく、不動産屋の看板が見える。

 道路の左手には畜産廃棄物が投棄されている。

 さらに車を走らせる。

 「環境保全、資源を大切に」という大きな看板が見えてくる。ブラックユーモアかと思うぐらい、こういう看板のところには正反対のものがよくあるが…。

 そういう目であたりを見回すと、「あった!」、T建設の資材置場がでてきた。H組の資材置もある。真ん中がくぼんでいる。くぼみのまわりは黒く、くすんだ色をしている。野焼きをしたあとらしい。

 車の進行方向、前方二十度上を見上げれば、正面にT社の産廃処分場。左手にF土木の残土処分場の山がそびえ立っている。数カ月前、そこには見上げるような山は、まだなかった。

 六月二十九日にこの夏一番の大雨がふった。大雨は山の正体が何であるかをさらけ出した。

 大雨は業者の期待も空しく、表面を覆う土砂を押し流し、その残土処分場の本質を、かいま見せてくれた。

 建設廃材、ゴミ袋、プラスチック、その他あらゆるゴミが道路に撒き散らされた。これが産廃処分場が名を変えた残土処分場の実態だ。

 そこで道路は急カーブしS字を描いて進む。左手にO建設、M組の残土処分場を過ぎ、その続きにM建材の処分場が連なる。奈良県でも有数の産廃処分場である。

 

「昭和新山」は奈良の産廃問題の草分け

 

 付近で一番古い産廃の山が、俗称「昭和新山」あるいは「法用新山」と周辺の住民が呼んでいる山である。この山の誕生が、奈良のごみ産廃問題のプロローグとなった。

 八六年五月二十九日付けの朝日新聞によれば「いつまで巨大なごみの山」「産業廃棄物の不法投棄数千トン」「途方に暮れる住民」「撤去の法的手段なく」と見出しが踊っている。

 リードでは、「産業廃棄物の不法投棄による数千トンにのぼる巨大なごみの山が奈良市郊外にできている。約五十メートル四方、高さ五十メートルにもなり…」と。そして「いつまでごみの山ととなり合わせで暮らせばいいのか」と住民の声を紹介している。

 それから十三年、不法投棄の現場を訪れた。

 「昭和新山」はすでに、草木がおいしげりゴミの山とは見えない。「昭和新山」とM建材の処分場の下流に、排水を集めている調整池(集水池)がある。この池へは赤茶けた排水が流れ込み、洗濯した後の排水を流したように白く泡立っている。その泡と汚水は下の水路、そして下流の赤田川にまで広がっている。

 周囲には水田が広がっているが、そこに使われている農業用水は、別の清冽な谷からひいた水で補われている。しかし、その地域は処分場から、ほんの二百メートルぐらいの範囲だけである。

それより下流は、農業用水を処分場の排水にたよっている。窒素分が多くて稲の葉ばかりが育ち実が入らない。地元の人は、気味が悪いと、ここの田んぼでとれた米は食べないという。

 赤田川にそって二キロほど下った。

 そこに奈良市東鳴川町の簡易水道の水源があった。いまは、別水系から給水しているらしいが、以前は処分場の排水を含んだ川の水を飲み水にしていた。

 この地域から、京都府の県境にかけて産廃処分場などが連なっている。 Y建材、I建材の産廃処分場、T組、K建設、N組などの資材置場、S組の残土処分場、京都府に入ればM中央開発の埋立ての終わった産廃処分場とリサイクルセンターなどが集中している。

名目はちがっても、実態は産廃処分場である。

 奈良市東部地域を柳生街道から、もう少し南の方面に目を転じよう。

 春日野原生林の南側に高円山が見える。この山を奈良市と天理市の境界付近から見ると、山肌がザックリと削られた山が見える。これが奈良の景観を壊しているとして問題となっている。この山もN採石が、産廃を不法投棄したゴミの山だ。

 県河川課が治水ダムとして岩井川ダムの建設工事をはじめた。ダムの堰堤ができる関係で、県道奈良−名張線が現在位置から三十メートルほど上方に付けかえる工事がはじまった。それがちょうど、不法投棄された山の真ん中を横切ることになった。

 掘削した土砂のなかから、あらゆる種類の産廃がでてきた。

 さらに、南側にもゴミの山がある。N組の産廃処分場だ。合法、不法を使い分けながら産廃投

棄をすすめている。最近は残土処分の名目で投棄している。

 

大和高原に広がる不法投棄の山

 

 平均海抜五百メートルの小さな起伏の丘陵が続く大和高原。その中央部に広がる神野(こうの)

山は、円錐状の広大な裾野をもつ美しい山である。ツツジの名所として知られ、五月にはツツジ

まつりが毎年おこなわれている。この一帯は、県立自然公園となっており、月ヶ瀬梅林とあわせ

て、観光の名所となっている。

 この神野山を囲むように、産廃の不法投棄現場が広がっている。山添村大塩のカンサカに大和高田市のH社が残土処分と称して、建設廃材などを搬入した。すでに面積は一ヘクタールをこえている。九九年に入り、県道奈良−名張線の拡幅工事におこなわれ、この残土処分場の一部が道路用地とされ、掘削がおこなわれることとなった。

 悪いことはできないものである。これによって、悪事が露見した。現場から、文化財ならぬ産廃の山が出現したのである。ビニール袋、コンクリート、レンガ、電気コード、木くず…、ありとあらゆるものがでてきた。

 その場所の少し東側に、Mが不法投棄をおこなった産廃の山がある。この山の表面には草が茂っている。経過を知らない人は、この山を古墳と間違えてしまう。そういえば前方後円墳に見える。

しかし、西側からこの山を見れば、その実態が明らかになる。産廃の山を最近、重機で掘削したあとがあるからである。それを見れば、建設廃材の不法投棄の山であることがわかる。瓦礫類が顔をのぞかせている。

 この山添村には、菅生、中峯山と下津に、M建設という山口組系の暴力団が建設廃材などを不法投棄をした現場がある。菅生ではすでに、その上に工場が立ち、そこが不法投棄現場であることは、地元住民以外は、ほとんどだれも知らない。

 深刻な問題を投げかけているのは、中峯山の不法投棄の現場である。いまは草が生え、見た目には産廃の山と気づかない。現場では、数カ月にわたって昼夜をわかたず野焼きを重ね、近隣の山林まで熱と有毒ガスで茶色に変色するほどであった。そこから一キロメートルほど離れた中峯山の住民も、「ススで窓をあけていられない」「洗濯物が真っ黒」「特産のお茶に、臭いがつく」と大変な状況であった。当時は、今ほどダイオキシンのことは、問題となっていなかったが、あの場所には大量のダイオキシンが含まれているのは明らかだ。

 大和高原には、月ヶ瀬村桃香野のM工業による不法投棄、都祁村小倉のS建材による野焼きと不法投棄、Y養豚の豚舎のなかでの野焼きと不法投棄などがある。

 天理市では、大和(おおやまと)古墳群のなかの下池山古墳群のとなりに産廃焼却炉を建設する計画が持ち上がり、付近住民はもとより、学者や考古学ファンをもまきこんだ産廃焼却炉建設反対運動がひろがった。

 同じ天理市の市民の水源となっている天理ダムの上流に最近、残土処分に名をかりた不法投棄がまかりとおっている。

 M建設工業、E建設、N建設が残土処分をおこなっている。一部は明らかに産廃が投棄されている。これらの残土処分場の続きに、れっきとした不法投棄の山がある。仁興口のバス停の上を見上げればだれでも見つけることができる。なんとゴミのなかに重機(ユンボ)が二台埋まっている。T総合開発の名前が読み取れる。いまにも崩れそうだがなかなかくずれない。奇妙な風景だ。

 明らかな不法投棄だが、業者が逮捕されたというニュースは聞かない。

 

個性豊かな桜井市・宇陀郡の産廃処分場

 

 桜井市には、多武峰や談山神社がある。多武峰山麓の高台にある山寺が聖林寺である。ここから、卑弥呼の墓と呼ばれている箸墓古墳や三輪山が一望できる。この寺の天平彫刻の国宝十一面観音立像は国宝である。

 この聖林寺の裏の植林した山を越えて、台形をした人工の山が異様な姿を見せている。これがC処分場である。

 聖林寺の倉本住職さんは、落ち着いた声で産廃処分場ができた顛末をかたった。

 「はじめは、産廃処分場は必要な施設で、どこかにつくらんならん。それが桜井市でもしかたがない。そう思っとったんです。それが元の山をこえて、こんな姿になるとは。いまから考えると甘かったんかったんです。」

 そう述懐しながら話を続ける。

 「ある朝、うちの婆さんが『臭い』というんです。最初は、婆さん年とったし、ボケてきたんかなあと思とったんです。ところが、それから何日かして、二階で寝ている私らも『臭い』と思うようになり、これはどこか、ガス漏れしとんのに違いない、とガス屋さんに電話して調べてもらったんです。ガス屋さんは『異常ない』というんです。

 そんな話を井戸端会議でしとったら、近所の人も『うちもや!』というんです。それで『これは産廃処分場の臭いに違いない』ということになり、女房が一人で『処分場にいく』というもんで、『それは危ない。一緒にいこう』と処分場へ乗り込みました。そしたらいろんなもんが捨ててありました。」

 C社がすでに埋立てを終わった処分場が、もう一つ桜井市浅古にある。すでに雑草が表面を覆っているので、緑のピラミッドのようである。しかし、周囲の小川は茶褐色の水が流れ、異臭を放っている。桜井市立桜井中学校の校舎が目と鼻の先にある。子どもたちも給食がのどを通らないのではないかと心配になる。

 この業者は、別の場所で農地造成名目で、田んぼの真ん中で野焼きと産廃投棄をくりかえした。

業者は「社長は農家であるため農地を取得することは問題なく、最終的に畑地になっているため他目的への転用でない」と開き直っている。

 ゴミの山でとれた野菜は、さぞかしおいしいことだろう。

 桁違いに大きいのは室生村の産廃処分場である。三社で合計十ヘクタールをこえ、ピーク時には一日三百台以上のトラックで産廃投棄をしていた。天をつく産廃ピラミッド大願興産処分場奈良のグランドキャニオン南部開発処分場、どちらも規模の大きさ、鼻をつく悪臭が見学者を圧倒する。(これらの処分場についてはあとでくわしくふれる)

 大宇陀町西山にも産廃処分場がつくられている。上部を産廃が覆い、小型の焼却炉で野焼き同様のお粗末な処理がされていた。現在は覆土され、野球場が作れそうな広場になっている。

 同じ大宇陀町にS木材とかかれた倉庫(すでに屋根の一部が壊れている)のなかに、産廃が満杯に詰め込まれている。いろいろ処分場を見てきたが、これほど形の変わった処分場を見たことはない。

 

キジが住み着く不法投棄の山

 

 身近な登山コースとして人気の高い金剛山や葛城山地の麓、新庄町にも不法投棄の山がある。

 その場所を見つけたのは偶然のことであった。一般廃棄物処分場の不適正処理の問題で同町の処分場を調査し写真をとろうとしていた時だった。

 突然、ガサガサと処分場の周辺のススキが揺れた。人の気配におどろいた、あざやかな色のキジが二羽飛び去った。その付近を見るとススキの間からコンクリートの瓦礫のようなものが見える。それも一つや二つでない。「おかしいぞ」と思った。

 そこから周囲の山々に目をやると、山全体が何か異様だ。その原因を確かめに、その山をかけのぼった。途中、またキジとヤマドリがとびたった。現場の最上部までのぼると最近投棄したばかりの建設廃材の山が広がっていた。

 この場所は景観保全地区で砂防指定地にもなっている。

 その山林に無許可で産業廃棄物を大量に埋め立て処分していたとして土木工事・残土処理業「S商事」社長ら二人を廃棄物処理法と県砂防指定規則違反で九七年九月に逮捕された。

 新庄町寺口と当麻町(たいまちょう)太田にまたがる山間、計二七三一三uに県知事の許可を受けずにコンクリート片やアスファルト片、木くずなどの産業廃棄物を埋めていた。社長のYは奈良盆地が見渡せる最も景観のよい場所に約二百六十四uの木造平屋建ての自宅を無許可で新築しており、砂防指定地規則違反でも逮捕された。

 

柿の里に産廃富士誕生

 

 フルーツロードと呼ばれる広域農道を、下市町から入った突き当たりの地区に「産廃富士」は「勇姿」を見せる。全国の産廃問題のシンボルである。NHKの産廃問題の特集では、毎度冒頭の場面で登場する。

 二万本の梅林と南朝の史跡で知られる西吉野村に産業廃棄物処分場をめぐる問題がもちあがったのは八八年十二月の頃だった。地元で「夜中谷」と呼ばれている自然の谷に産廃業者である西吉野開発が不法投棄をはじめた。

 地元では、不法投棄された産廃を適正処理することと投棄範囲の拡大防止を目的として、「公害防止協定」を締結。西吉野開発は九〇年三月三十日に産廃処理業の許可を得ることとなった。

 その後、処分場の拡張をめぐり業者と住民が裁判などであらそった。その間も産廃を搬入し、堰堤から三十メートルの高さに積み上げられた。これが「産廃富士」である。

 この間の裁判の結果は、ことごとく住民側勝訴であった。そして、九八年十月、ゴミ山の撤去を求める地裁判決で住民側は再び勝訴した。

 県は、「今のところ住民有利だが、控訴された以上、住民勝訴が確定したわけではない」と、いまだに業者に廃棄物撤去の「命令」を出そうとはしていない。

 全国の産廃問題のシンボルの座は当分ゆるぎそうにない。

 吉野町のK採石の産廃処分場は、津風呂湖畔にある。そそり立つ斜面から採石をとったあとに産廃を積み上げている。処分場からの排水は湖畔を巡る周遊道路脇の池の底から湧きだし、ぶくぶくと泡をたてている。濁った排水はそのまま湖に流れ込んでいる。

 奈良盆地をとりかこむ「たたなづく青垣」は、次々にゴミの山に取って代わられようとしている。