三次元漂流記 2004
入院してても書くぞ! [番外入院編のモデル; 入院してても書くぞ!]
2月中頃、連チャンで博物館に行って遊びまくり、ひどい腰痛になりました。
どうもおかしいと、内科、続いて婦人科に行くと異常が見付かり、
市民病院を紹介された結果、
「多分、子宮内膜症」との診断を受け、手術を受けることになりました。
(と言うか「手術しましょう」と言わせる為に通ったんだけど)
  .....担当医曰く「別に切らんでも良かったんちゃうん?」
体力の回復も早い手術で、入院期間も短い、お気楽生活でした。
このページの背景は手術直後、病室のベッドの上で、
横にあったクローゼットに紙を貼り付け、シャーペンで書いたものです。
う~ん、達筆ですな。
解読が大変でした。
尚、この番外編に限り、時間の経過が上から下になっています。

□■■ 入院1日目 - 手術前日 (4/15)

入院日を決めた2週間前、
風邪をひかないようにと念を押されたのに、そう言われた直後にひいてしまった。
根性で治すも、微妙なところで1歩及ばず、
もしかしたら咳がでるかも..... というキワキワでの入院である。
家族は、手術の説明を聞く為に4時迄に来るように指示されていたが、
手引きを見ると、朝10時に「一緒に来い」と書いてあった。
もしかしたら、朝のうちに用事を済ませて、早々と帰って貰えるかも、と、
荷物持ちがてら、一緒に来て貰った。
手続きを済ませて「患者」になったものの、する事がなくてボーーーーーッとする。
案内されたのは、カーテンで個室風に仕切られた4人部屋。
「ここがあなたのロッカーですので、荷物など自由に入れて下さい」
産科と婦人科の病室は別だと思っていたのだが、どうやら同じらしい。
病院独特の重い空気が無い。
みんなお気楽で、おめでたい。
間もなく、昼食が運ばれる。
メニューは筍の炊き込み飯に味噌汁、大きな蒸し海老..... こ、これが病院食!
と、何だ、この黄色いドーム状の物体は?!
も、もしかして、まさかとは思うが、、、、、やはりグレープフルーツ。
箸を持って来いとは言われたが、スプーンは聞いていないぞ。
風邪のことを考えると、是非とも食しておかねばならない。
丸腰の私の最初の闘いの相手は、このグレープフルーツであった。

いつまでもベッドの上を散らかしているといけないと、ボストンバッグや鞄からあれこれ取り出し、
ロッカーや机の上など、狭いスペースをやりくりして、持ち物を整理し始めた。
手術前に売店で買っておくようにと言われていた物があり、
勝手にうろうろしてはいけないかと、オカンに行って貰った。
その間に看護師さんがやって来て、
「荷物はまとまっていますか?」
「え、、、、、と大体、いやあんまし」
じゃあ、ワゴンを使いましょうと言って、銀色の宇宙ライクなキャリー台を持って来た。
「では、準備して下さい」
ん?????
別室で手術前の処置でもするのだろうか。
え、違うの?
全く意味が判らない。
もしかして、勘違いして、今日、腹切っちゃおうとか思ってない?
「今から何をするんですか?」
「引っ越しです」
え~~~~~っ。


手術前後1日を過ごす「手術控え室」みたいなのがあるらしい。
だったら、ロッカーの案内とかするなよ..... せっかく片付けたのに。
今、移動したら、買い物に出ているオカンが迷子になってしまう。
「じゃあ、ぼちぼち用意して下さい」
と言って、その看護師さんは部屋から出ていった。
ポイポイと適当に物をワゴンに乗せていると、新たに3人ほど現れ、
「できましたか?」
とワゴンを引っ張って、
ぼちぼちどころか、さっさと新しい部屋へと出発してしまったので、
手荷物と靴をぶら下げて、ヘイヘイとついて行くほかはなかった。
オカンを置いて。

その部屋は明るく、
2週間前は桜満開の花見スポットとなっていた公園が、
薄いピンクのブラインド越しに、道路を隔ててすぐ向いにある。
嬉しそうにハトを追い掛ける犬達の姿が、緑の木々の隙間から見え隠れする。
やがて、オカンがやって来た。
「戻って来たら違う人が入っていて.....」

入院は初めての体験。
病院食は、見舞いや看護の時に残り物を片付けたりしていたから、特に新しい経験ではない。
手術は明日だし、具合が悪い訳でもない。
代わりにオカンが布団の上で昼寝こいていたりして、全く、誰の入院だか判らない。
時折、訪れる看護師さんに脈を取られたり、注射をされたりする際、
当事者であったことを思い出す程度である。
明日は「腹を切る」のだと、客観的には理解している。
「緊張してますか?」
「別に」
明日のことを今から憂えるなんて、勿体無い話である。
じたばたするなら、もっと前だ。

予定通りに腹腔鏡下手術で済めば、傷は小さいから、あっと言う間の退院である。
調子が良ければ、手術の後も、2日に1度、入浴ができる。
ここでもせっけんシャンプーを使うぞ。
絶対に頭を洗ってやるぞと気合いを入れていた。
1年前、同じような病で手術をした先輩が、驚異の回復力で周りを驚かせていたと聞いて、
私も負けないと決めていたのである。
驚かせてやる!

入院を決めた時に、手術前後の予定表を貰っていた。
いつ、何をするのかが予め判るから準備がし易く、安心なのであるが、
ところどころに散りばめられた微妙に壊れた日本語が、一抹の不安を投じる.....
そう言えば、入院前の検査の説明の折に診療科の看護師さんが、
「麻酔テストの受診を受けて下さい」
と何度も言うのを聞いて、むず痒いのを堪えていた。
帰りに検査の日程を書いた紙を見ると、ほんとに
「受診を受けて下さい」
と書かれていた.....
これでよいのか?! (誰か気付けよ)

この病院は、施設が新しいだけでなく、体制も新しい。
入院スケジュール以外にも試みとして、
病室から運び出されてから手術台に乗って麻酔が注入されるまでの手順を、
写真付きで解説したパンフレットやビデオを貸し出している。
怖ければ見なくてもよい、ということであった。
ビデオは面倒臭かったので、パンフレットには何度も目を通し、頭に入れておいた。

夕方の内診で、初めて担当医に会う。
今月から入った先生なのである。
怖れていた通り、、、、、わっ、若い。
オカン名付けて「イケメン先生」。
その後、病室での「家族への説明」でも、妙に軽く、ズバズバ、ズケズケ物を言う。
腕に自信があってこその、この口調かも知れない。
正確な事実が欲しい私との相性は、もしかしたら抜群かも知れないが、家族はびっくり。
そのルックスでなければヤバイかも知れません.....

夜、誘眠剤を呑む。
前夜は緊張するからということらしいのだが、私は消灯時刻の9時には既に眠くなっていた。
この後は絶飲食。
時間が来ると、勝手に灯りが消えるものと思い、消さないまま、5分位前に布団に入った。
外はガヤガヤと騒がしい。
やがて、静かになり始めるが、灯りは一向に消えない。
横になってから、もう20分は過ぎた。
どうやら、自分で消さなくてはならないらしい。
1枚着込もうかどうしようかと迷っていたところだから、丁度いいか。
2つある室内灯を消すと、足下の非常灯が点いた。
長袖フリースを1枚着ると、ほっかほっかである。
風邪を治すには、こうでないと。
しかし、眠くならない。
薬に頼って、眠る努力をせずに考え事などをしていたので、睡眠モードに入っていないのだ。
シーツの下に汚れ防止のビニールのようなものが敷いてあって、気持ち悪い。
おまけに、枕が硬くて高い。
「マイ枕」は持って来ているが、ボストンバッグの中だ.....
こんなに効かないとは思わなかった。
自力で眠れば良かった、などと思いながら、
いつの間にか眠ったあたりで、暑くて目を覚ました。
先程、着込んだフリースを脱いでみる。
暫く待っても、まだ暑い!
その下に着ていた袖無しフリースも脱いで、取り敢えず寝てみる。
.....やはり、暑くて目が覚める。
ビニールシートのせいで、布団に入った時には肌寒いのだが、
時間が経つと、薄くて柔らかい掛け布団との相乗効果により、
ものすごい温度になっているのである。
うとうとと半端な夢を見ては、着たり、脱いだりを繰り返し、朝を迎えた。
いや~、初日からひどい目に遇った。
2度ばかり、咳き込んで目醒めるし。
携帯電話を通信不能のパーソナルモードにして時計として使うつもりだったので、
時計そのものを持っていない。
携帯の持ち込み自体が禁止されているので、
小心者の私は、こっそり鞄に入れて使っていた..... 時計として。


□■■ 入院2日目 - 手術当日 (4/16)

6時頃に目を醒ます。
7時に浣腸の予定である。
手元に時計が無かったのだが、看護師さんがやって来たのだから、時間なのだろう。
初めてだと言うと、簡単に説明がなされた。
「3分以内だと液だけ出ちゃいますから、3分以上、できれば5分」
軽~く言い放って、出て行く看護師さん。
ナイショの携帯時計とのにらめっこが始まった。
誰もが思う筈である。
秒針が欲しい~~~~~っ!
多分、2分前後だったと思う。
後に、同じ経験を持つ者同士で頷きあった。
3分なんて「無理、無理.....」

あーノド渇いた。
絶飲食は2度目。
前回は乾燥している季節だったから、もっとキツかった。
しかも、喉を湿らせるという知恵も働かなかった。
生真面目に、水を一切、断っていたのである。
「うがいや歯磨きはしましょう」
当たり前だよな。
テレビの前には、ピヨ、鹿の子ちゃん一家、そして手術の先輩であるニャンの写真を貼ってある。
キョンはピヨの裏側。
ステキチ君は、目の裏側に。
助けて貰う為ではなく、叱り、励まして貰う為。

最も不安であった筋肉注射がなくなった。
後は点滴か。
何度も腕に針を刺すのだからと、腕毛を剃ってあった。
「万一、毛が針と一緒に刺さったら痛いじゃん~」
と言うと、大笑いされた。
が、これはやはり大正解だったのだ。
だって、毛がボーボーだったら、
「絆創膏を剥がすの、大変じゃん!」

点滴は、手術の2時間前から2本。
手術室に入ったら、全身麻酔だから何も判らない。
もし、何かあったとしても、
身内には申し訳ないが、本人は何も判らないのだと思えば気楽なものである。
さて、と。
ちょっと寝たろ。
田崎さん、そっちの天気はどうですか?
天の天気って、何さ......
(※少し前に原因不明の病で亡くなっていた「毛むくじゃらの天使」の作者、「たろえば」さんこと田崎さん)

私は今日、2人目らしく、1:30頃の予定ではあるが、はっきりとは判らない。
生まれて初めての点滴の時が、遂にやって来た。
何度も刺し直したりするのを、見舞いや付き添いの折に見ていたので、
痛くて面倒なものであろうと予想していた。
「上手い人に当たりますように.....!」
それだけを念じていた。
私の担当の人は上手そうだったが、今日は休みだと言っていた。
2人の看護師さんが、道具を持ってやって来た。
1人はどうやら、新人らしい。
しかも、初めてのようだ。
オオノー。
誰にでも最初はある。
最初に当たってしまうのも、運だから仕方がない。
だが、私は呆れた。
入り口からもう、手順をいちいち説明しながら入って来るのである。
「で、こうなってね、ああなってね、、、、、」
ついには私の腕を取り、
「この辺だとトイレに行きにくいから、この辺に、、、、、」
おいっ、そんな指導は患者の前じゃなくてもできるだろう!
新人さんは、無駄な動きを幾つも挟みながら、消毒を始めた。
私、昨日のテストでアルコールNGだったんだけど、それってアルコールじゃないよね?
なんてレベルの話は、もうどーでもいい、それどころではない。
初心者を見守るには余りにも遠い、私の足下に立つ、指導の看護師。
「ちょっとチクッとしますよー」
じゃねぇっ、大人しく見てればエラソーに。
初めての人間の練習台にしやがって!
針が挿入される。
い、いた、というか、あぶな!
骨に刺さっているんじゃないの、というような痛み。
あぶない。
危険を知らせる意図で、
「いたいいたいいたい!」
と訴えたが、足下の人は確かめもせずに、
「太い針なので痛いですねー」
と、軽くなだめようとする。
アンタ、何の為にそこで見てるねん!
針が太いくらいで、いちいち騒ぐかいな。
異常に気付かない初心者は、入らない針を力ずく押し込もうとする。
た、、、、、助けてくれぇ~~~~~。
悪の拷問に耐えるヒーローの図。
い、いや、しゃべる、何もかも白状しますっ。
ようやく、傍に来た指導の人は、
「針が血管の壁に当たってしまったみたいなので、抜きますねー」
今頃、何ヌかしてけつかんねんっ、言うたやないかい!
ゆっくりと針が抜かれる..... と、
「親指がシビレてます~!」
ビリビリ来るのである。
私が劇画作家なら、針を抜く音を、ズズズズズーッ、と書いたと思う。
患者の叫びは勿論、ヒィィィィイイ、だ。
その後はさすがに交代し、新人さんは引っ込んだのだが、又も失敗され、次でようやく入った。
大丈夫か?!
何だか信用ならない。
失敗にしても、ヒドすぎる。
精神的にも肉体的にも、私はヘロヘロになってしまった。
手術に対しても何の不安も無く、緊張すらしていなかったのに、
こんな所で、こんな不幸に見舞われるとは思わなかった。
入院中の、唯一にして最大の苦痛であった。

失敗コンビが部屋を出て行くのと入れ代わりに、両親が入って来た。
先程の話をすると、それは危ないと言ってナースコールをした。
別な看護師さんがすぐにやって来て、指が動かせれば問題ないですよとあっさり答えた。
その後、入って来た例の新人さんに、オカンが痺れた話をした。
おいおい、その人が失敗したんだよってば。
新人さんは目を合わせようとせず、先輩のトークを適用した。
「太い針ですのでねー」
カンチョーしたろか!
この針は、翌日の夕方の点滴まで刺しっ放しであると、後に知った。
ならば、もっとまともな人間よこさんかい!
手術前の患者に何ちゅうことしてくれるんじゃい。

手術用の不織布の帽子をかぶらなくてはならないのだが、移動直前に持って来て、
「髪の毛、ちゃんと入ります?」
何で今頃そんなこと言うのよ、ず~~~~~っとヒマだったのに。

- - - - - - - - ここからベッド上でのメモを解読 (かなりな達筆) - - - - - - - -

手術室へと点滴ごと運ばれたのは 2:30 過ぎ。
おめでたい患者(?)ばかりであるこの病棟の昼下がりを移動用ベッドで突っ切るのは気恥ずかしく、
Vサインでも出してやろうかと思う位である。
だってまだ元気なんだもん。
「中央手術室」という物々しいドアを抜けると、準備室のようなところがある。
カーテンの向こうには前の患者さんがいるらしく、何やら話し声が聞こえる。
麻酔から覚めたところなのだろうか。
その人のリクエストなのか、とても落ち着けない HIP HOP がかかっている。
素晴らしいスタッフの連携を目の当たりに、最後まで緊張や不安を覚えることは無かった。
リクエストしていたクラシックの有線が、私の番であることを告げていた。
移動用でもある病室のベッドから、ここで乗せ替え用のベッドを経て、
最終的に小さな手術台に移るまでの過程は、
ベルトコンベアに乗っているように、半自動的である。
古い病院では、手足を持って「どっこいしょ」らしい。

6:00 p.m. 頃。
酸素吸入中。
この素晴らしいパークビューの病室から出て戻って来るのに、約1時間半。
昔、酸素の中に入ると、どんなに快適なのだろうと想像し、憧れたことがあった。
近年、誰かに「どうという事はない」と聞いた気がする。
実際に体験してみた感想は、、、、、
昨日まで風邪の為につけていた、ガーゼのマスクに似ている。
マスクに呼気が当たり、自分に返って来る。
暑苦しくて、意外にも息苦しいところが、まさにそっくりなのである。
病室に戻されて早々、咳を1発、かましてしまった。
いて。
ハラワタがひっくり返った。
後で看護師さんに話したら、
「咳をする時はお腹を押さえなくちゃ」
先に言ってくださいな.....
傷が痛むというよりは、生理痛のような、場所がはっきりしない感じ。
ケツ筋にシワが寄ったところに体重が乗っているので、ちょっと痛い。
そっちに気が取られるので良いかも。
手元にニャンの写真。
子宮を病んで摘出するよりもずっと前の若い頃のと、
裏には、死ぬ4日前の、どちらも私の腕の中。
意識ははっきりとしているものの、今日のスケジュールは「安静」。
麻酔が残っているかも知れないし、明日になったら忘れているかも知れないので、
ベッド横のクローゼットにレポート用紙をセロテープで貼り付けて、シャーペンで書いている。
字が重なると読めなくなるので、行間を大きめに取ってみる。
この距離からでは見えないが、きっともの凄い暗号文字になっているのだろうな。


7:30。
スケジュール表によれば、今夜は
「看護婦により洗顔をお手伝いします」
外人が一生懸命、書いたみたい.....
拭いてくれる人と、拭いてくれない人がいる、との知人の解釈に爆笑。
果たして、蒸しタオルが運ばれて来た。
持って来てくれたのは、あの失敗新人さん。
小さな、所謂フェイスタオルである。
スケジュールの通り、手伝ってはくれずに、そのまま行ってしまった.....
仕方ないので、自分で拭く。
フェイスタオルだから、顔だけにしとけってことかしら。
耳の穴とか拭いちゃったら、おやじなんだろうな。
でも、こっそりもみあげをこすってやった。
風呂に入れないと、カイくなるのは、ここなんだもん。
   (翌日、入れるという自信が薄れているこの頃.....)

風邪をひいていると手術を延期しなくてはならない訳は、
手術中、酸素の管を喉に当てる為、喉を傷めるが、
痰が更に多くなると、肺に入ってしまって危険だからと聞いていた。
しかし、それだけでなく、咳が出そうになるし、息も苦しいのである。
これって、バキュームで吸い取ってくれたりしないのかしら。
「痰が喉に.....」
と言うと、うがいをさせられる。
勢いよく吐くということができないから、志村けん状態で情けない。

酸素マスクというものは、ぴったりくっつくものだと思っていたが、
結構、隙間が開いていて、呼気が洩れるのである。
まさに、その辺りも風邪マスクなのである。
あれにピッタリとおさまる人がいたら、相当、鼻がでかい。

- - - - - - - - 達 筆 終 了 - - - - - - - -

名前から、若先生を勝手に「橋本弁護士」にイメージ付けていた私は、
昨日、2回会った後、全く似ていない「橋本弁護士」に記憶を書き換えていたらしい。
手術室で声を掛けられた時も「だ~れ???」状態で、
話の内容から執刀医だと気付き、何とな~く思い出したのである。
てきぱきと手際の良いスタッフ、内、1人の女性が、
「昨日、ご案内しました、~~です。覚えていらっしゃいますか?」
後ろにいた男性も、いっちょかみっぽく視野に入っている。
う、うぅ、、、、、記憶喪失状態である。
部屋は移動したから2度、案内されているし、手術室の説明やら、入院の説明やら、
その都度、入れ替わり立ち替わりの出入りがあった上、強烈に顔覚えが悪いのである。
しかも、今は裸眼だ。
目を泳がせる私。
「頑張りましょうね!」
との言葉に、つい、再会を喜ぶフリをしてしまった。
彼女だけでなく、みんなが熱い。
「人を救いたい」という、情熱が部屋にみなぎっているのである。
彼等はスゴイ、エライと思っていたけれど、
実際にここに身を置いてみると、改めて尊敬の念を抱かずにはいられない。
予習通りの段取りに何の不安も無く、あちこちを観察し、
心の中で「ほーほー」と感心する内、
麻酔科医らしき人が顔の上にニョキッと現れ、
「1、2、3..... と、10位数えたら、眠~くなりますよ~」
えっ、いつの間に麻酔が点滴に?!
キョロキョロしていたから、全く気付かなんだ。
「1、2、3..... 」
と聞こえた辺りで、頬、続いて下唇がさっと冷たくなった。
あ、ヤバそう、と思った時に
「眠~くなりますよ~」
が耳に入って来た。
何だ、麻酔か、と、全てを委ねると、スッと何かに呑み込まれた。

夢を見ていた。
いつも見るような夢。
誰かの声に呼び起こされた。
パンフレット通りなら、名前を呼ばれていたに違いない。
あー、よく寝た、朝か。
手術室と思い出すのに、少し時間が掛かった。
どこまでリラックスしとんねん!
マニュアル通りに、何度か足首を動かした。
まだクラシックがかかっていた気がする。
下手くそで質の低いヒット曲はイライラするし、洋楽で感情移入している場合でもない。
手術にも集中して貰えそうなクラシック選択は、正解だと思う。
rockというのは、じっとして聴くもんじゃない。
HIP HOP をリクエストしていた私の前の人は、
その流れの中に身を置いていない者にとって、
如何にやかましく不快なものであるかに、初めて気付いたことだろう。

悪い所を取り除かれて傷痕を治療する私は、今や病人でなく、怪我人である。
左の卵巣内にあると思われるその病巣のみを取り除くのが理想であろうと、担当医は言った。
だが、直接、患部を見られない、小さな穴から鉗子を入れての腹腔鏡下手術に於いては、
開腹手術よりも他臓器や血管の損傷の危険が大きいと聞く。
手術時間も長く、運悪く、途中で断念をして開腹、ということになると、更に長引く。
しかも、内膜症なら、目に見えない病巣が残っていると再発してしまうのだ。
手術を決めた時、私は、卵巣ごとの切除との結論を出していた。
「.....ということでお願いします」
昨日の担当医は意外そうな、同時に、気の抜けたような顔をした。
それを見ると、更に安心は深まった。
片方の卵巣が無くとも、ホルモン分泌も変わらないし、面倒な儀式もこれまで通り。
乱暴な言い方をしてしまえば、「気分の問題」なのである。

手術そのものは1時間ほどで終わっていたらしい。
病室を出る前から、血栓症を防ぐ為の「弾性ストッキング」を履いていた。
術後は、それに加え、ふくらはぎから下を覆う圧迫装置がつけられていた。
装着中はずっと寝ていたから、どんな形をしていたのかは詳しく判らないのだが、
巻き付けられた平たいチューブのようなものに、
深呼吸ほどのリズムで空気が送り込まれて膨らみ、足の血管を圧迫する、という仕組みらしかった。
腰から上の体の後ろ側が痛い。
手術は、小さなカメラを入れ、
体の中に炭酸ガスを入れて空洞を作り、
手術台を頭側に傾かせて内臓を上によけて視界を確保した状態で行われる。
その為、手術時に入れられた炭酸ガスが体内に残っていて、
あちこち痛くなるのだと、昨日貰った説明書にあった。
気のせいか、内臓の座りが悪い。
3時間毎に体制を変えて貰うことになっていたが、それまで耐えていなかったように思う。
よっこいしょと、急に左に90度転がされた。
わ~~~っ、無茶しまんな!
ごろん、と音がして、ハラワタが左に寄った。
これも残留炭酸ガスのせいらしいのだが、本当に寄ったと思った。
どっちを向いても痛い。
横を向くと苦しいし、ぐるぐる巻きにされているケツは、どうやっても痛い。
横隔膜が上手く使えなくて、あくびが途中で止まってしまう。
あくびって、横隔膜を使うのか。
今まで気にしてなかったな。
胸式で大きな呼吸をするのにも慣れていない上、痛くて沢山、吸えない。
試しに腹式の「スッ、スッ、スッ、スッ」をやってみたら、できた。
ちょっと安心。

最初の夜は12時間連続で点滴。
1時間毎に脈や体温を調べに来る。
時計が無いから時間が判らない。
枕元に携帯電話を入れた鞄を置いていたのを翌々日まで忘れていたので、
外を走る車やバスの音、空の色などから、時刻を推測しようとしていた。
背中が痛くて眠れない、深呼吸もできない長~いながい夜、
寝息にそっくりな音を立てながら足を締め付ける機械に嫉妬しながら、
同時に、気を紛らわされもしていた。
血栓を防ぐ為、自分でも足を動かそう..... と思っても、
機械が邪魔でままならない。
キーーーーーッ!
ふくらはぎや腿の筋肉を収縮させてみる。
ベッド脇の柵を掴んで踏ん張っては、腰を少し浮かせてみたりする。
膝を立てようとすると、大リーガー養成ギブスばりの装置の付いた足は、
自分のものとは思えない程に重い。
寝た人や病人を動かす折、「人間って何て重いんだろう」と驚いたのを思い出す。
己の肉体と格闘する内、3日分位の夜が開け、ようやく点滴が終わった。


□■■ 入院3日目 - 手術翌日 (4/17)


1時間毎のチェックがなくなり、点滴が外れると、かまって貰えなくて淋しくなる。
ここから数時間、痛くて長くて、退屈な時間が続いた。
唯一の心の友であった「ギブス」も外された。
入院スケジュールによれば、今日は歩かねばならないのである。
「まずは座ることから始めましょう」
こんなに体中痛くて、ハラワタぐちゃぐちゃなのに、立てるのか?!
手術時間が短かった為か、幸い、麻酔の副作用は殆ど無い。

全身麻酔であった為、呼吸を確保する為の管が喉に押し込まれていた。
声がかすれ、深い息もできない。
喋る度に、非常に疲れてしまう。
朝から母親が来て、あれこれと用事をしてくれていた。
部屋には終日、「面会謝絶」の札が掛かっていたそうだ。
担当の看護師さんにめっかって、
「落ち着かれていますので、面会は規則通り、午後からにして下さい」
と、何度か注意されていた。
ちびしーっっ!
落ち着いているもんかいっ、今にもギブアップしそうだ。

「ずっとニャンと一緒だね」
何のことかと思ったら、枕元にニャンの写真があった。
手術後に置いたのが、ずっと頭の横にあったようだ。
見守られているのに、いつも気付かない。

昼食が運び込まれた。
食うぞ。
体を起こさねばならない。
パラマウントベッドを使い、徐々に起こして行く。
10cm位ずつ、上げる度に、体の中の炭酸ガスが移動し、痛みの場所や形が変化する。
70度位まで起こすと、上半身が重力を感じ始めた。
おえーっ、いてー!
断念して、少しずつ角度を戻す。
少し休んで、最初からやり直し。
食うぞ!
ゆっくり、力強く、今度はさっきよりも上まで行った。
.....と思ったら、貧血に襲われた。
あくびが何度も出かけるが、前半で止まってしまう。
しゃっくりの出来損ないのようなものも続く。
しんど、くるし~、おえ~、おえ~~~~~。
手術を後悔しそうなほどに辛かった。
しかし..... 食ってやる!
食=生命じゃ。
口を開いて待っている奴には、生きる資格は与えられないのじゃ。
休憩して再度、挑戦。
今度は慎重に、緩めの角度で止め、そこで粥を口にしてみた。
コーヒースプーン数口だが、腹に力が送り込まれた。
これだ、足りなかったものは。
力を入れると押し返して来る、まさしく「反作用」。
時間をかけ、休みながら、かなり多かった筈の粥とおかずを殆ど食べた。

途中で、担当の看護師さんが、トイレに行きましょうかとやって来た。
げ、間に合わなかった。
まだ斜めまでしか行っていないんですけど.....
「起きられますか?」
そう訊かれてノーという訳には行かない。
貧血もおさまったし、足の筋肉だけでバランスも充分なのであるが、
何しろ、ハラワタの「首が座っていない」もので気持ちが悪い。
腹の壁にみんなでしなだれ掛かって、ぼよ~んと出て来る感じがするのである。
介助の基本なのだろうが、私の後ろに立ち、
腰紐(は付いていなかった筈だが???)を持ち、倒れた時に備えている。
備えるのはいいが..... そこで支えられると、腹に食い込むと思うんですけど.....!
そう思うと、危なげなそぶりすら、見せる訳に行かなかった。
「何かあったらナースコールして下さいね」
と、扉が閉められる。
やれやれ、「立った! 歩いた! しゃべった!」だな。
しかし、この部屋のトイレの扉は、手術後の人間が使う前提とは思えないほどに重い。
健常人にとってすら、重いのである。

腹の傷は、1cmの程度のが3箇所、ホッチキスで止められている。
スケジュール表には「鈎」とあるが、主治医は「ホッチキス」と言った。
どんな「ホッチキス」なのかと思っていたら、翌日、見ると本当にホッチキスだ。
むしろ、他に呼び方があるかという位にホッチキスである。
ステープルと言わなくちゃいけないのだろうけど。

第一歩行を機に、体は自身が「タテ向きで暮らす生物」だった事を思い出したらしく、
みるみる生気を取り戻して行った。
この日の夕方の点滴の後、針を抜けば、
腹のホッチキス抜きを除く、手術中の主なイベントは終了である。
待ち遠しくて仕方がない。
だって、元気なんだもの。
廊下をうろうろして帰って来たら、ちょうどスタッフルームからのコールがあった。
「今から点滴に行きます」
すっかり気をよくしていた私は、割に急ピッチで横になって待った。
途中で両肩に痛みを感じたが、気にしなかった。
どうせ、角度が変われば治ると思ったのだ。
真横になると、痛みの場所は変わらず、強さが増した。
拷問あげいん。
「ス... テ... キ... チ.....」
と呻きを洩らし、ついでに、他の犬や鳥の名を呟いた。
義理か、まじないか。
点滴が始まっても、痛みはおさまらない。
1本目はすぐに終わった。
2本目が、長い、気が遠くなるように長い、おまけに時が遅い、依然として痛い。
あ、夕食が来てしまった。
トイレにも行きたくなってきた。
も~~~~~我慢できない、少し残っているが、終わりましたとコールを押す。
触られる度に親指がビリリと来たりしていたので、針を抜いて貰うのは少々、不安でもあった。
が、それは取り越し苦労であった。
針を抜いた場所は内出血していて、周辺が黄色くなっている。
よく見ると、それは最初に失敗されたところだった。
触ると、やはりビリビリする。
こっちだったのか。
その夜は、意外にも痛みも無く、熟睡した。
3時間毎にトイレに起きたけど。


□■■ 入院4日目 - 術後2日 (4/18)

腹からの押し返し、これがキーワードだと確信していた私は、朝から本読み。
2日連続の噴霧薬により、喉の痛みは消えたが、息はまだ、長くは続かない。
無理をすると咳き込んで、苦しい目に遇ってしまうので慎重に。
低音は、まだかすれ気味だ。
大きな声を出さなくてもいいから、横隔膜を使ってブレスキープをする。
これはかなり有効だったと思う。
但し、腹式の訓練のできていない人には無意味かも知れない。
気を良くして、歌ってみた。
高音で喉に引っかかり、苦しくなってしまった。
ゲホゲホ。
ベッドに頭を突き刺す。
スポコンは良くない。

そろそろ、弾性ストッキングがうっとおしい。
履きっ放しだから、汗かいてるし.....
朝、部屋の外をうろうろしていたら、担当の看護師さんに会った。
みんなで歩けあるけと言った癖に、
「ぼちぼちでいですよ」
担当医なんか、「死にたくなければ歩け、動け」と言ってたぞ。
廊下から外を眺めながら遊んでいたら、うちの部屋をノックする看護師さんが!
スタスタと戻ると、
「元気ですね~」
と目を丸くする。
「食事はどれ位、食べましたか?」
「全部」
「トイレは何回、行きましたか?」
「(覚えてないけどテキトーに)10回くらい」
「便はまだですよね」
「もう出ました (とっくに)」
「えっ?!」
やった。
驚かせたぞ。
第一目標達成。

夕方、アクション時代の先輩と後輩が見舞いに来てくれた。
携帯も切ったままだし、音信不通になっていたので、
もう退院しているかも、と案じながらだったそうだ。
先輩が救急車で運ばれたのが、奇しくも1年前の4月16日。
手術は、その3週間後。
驚異の回復力は今も続いていて、最近の定期検診では、
「こんなに綺麗に傷が消える人は初めてです!」
と言われたそうだ。
既にチームを引退済みの我々は、昨年12月にショーを見学に行った時、偶然、顔を合わせていた。
先輩のいた病院では、手術の段取りなどは何も聞かされていなかった為に、
訳が判らずにおたおたしたそうだ。
「養成ギブス」も無く、「弾性ストッキング」のみで、
しかも「男性ストッキング」だと思って「???」だったらしい。
カンチョー話では、経験者である3人で盛り上がり、内臓がよじれそうだった。
昨日であれば、痛くて笑いながらのたうち回っていたことだろう。
ワライダケを食べてしまった人のように。


□■■ 入院5日目 - 術後3日 (4/19)

「こげぱん北海道ぶらり旅行記」を見ていたら、
「このお店はイートインできます」と書いてあった。
イートイン!
それは、現在でも生きている言葉っだのか!!!!!

日記を書いていたら、出た。
ついにあくびが、最後まで出た!

雨の夕刻。
点滴も終わり、日に何度かの検温と朝夕の内服薬だけ。
イベントはな~~~んも無い。
「入院するとヒマだぞ」と言われていたので、筆記用具や勉強道具を持ち込んだ。
.....持て余すヒマもありゃしない!

大部屋に移れと言われる前にと、パジャマズボンをトイレでこっそり洗っていると、
ちょうど洗い終えた頃、夕食が運び込まれた。
昼間はだ~~~れも来なかったのに、掃除やら検温やら、にわかに出入りが慌ただしくなった。
男性清掃員がフツーに来るのにはびっくり。
脈があがるので、一気に食事ができない。
途中で、いつものようにダ~~~ッと寝転がってくつろいでいると、又もノックが。
幾らなんでもあんまりな格好だったので、腹のホッチキスも気にせずに跳ね起きると、
入り口に白衣の男性が立っていた。
眼鏡をかけていないのでよく見えないが、
近付きながら話しかけて来る内容から察するところ、担当医である。
真ん前まで来ても、まだよく判らなかった。
どこまで顔覚え悪いねん!
体調もいいようだし、予定通りに帰りましょうか、ということで、明後日、退院である。
他臓器との癒着は多少、あったものの、出血も100cc以下で、
「いかにも」な内膜症であったらしい。
病理検査からの報告があるまでは断定はできないが。

話し終えて出て行く担当医の向こうに、いつの間にかもう1人の白衣の男性が現れ、
片足を踏み入れた程度の半端な位置で、具合はどうかと尋ねた。
この控えめなオーラは、部長先生に違いない。
入院した日にも、入り口と私の座っている位置の中間位のどっちつかずの位置で、
これから手術日程や手順の説明がありますよ、と言って、
不思議な余韻を残し去って行ったのであった。

昨日も手術体験者同士で感心していたのだが、こういう施設の職員のエネルギーは凄まじい。
言うことを聞く患者ばかりでもなければ、元気になって帰る患者ばかりでもない。
報われず、虚しく打ちひしがれることもあるだろうに。
この強さは、どこから芽生えるのだろう。

病院食の謎が少し、解けた。
不可解な味のものも、時にはある。
茹で野菜に醤油がオプションで付いていたり、どれにかけても相性がイマイチで、
意図のよく判らない調味料があったり.....
私はどうやら、そういうのはカウントしていないのである。
1品でも美味しければ、それで感心してしまう。
プラス、私がそういった食事をするのは、
誰かの看護の時に、残り物や嫌いなものを片付けている時であって、
他人事のシチュエーションなのである。
今回も、すぐに退院すると判っている。
先の見えない入院生活を送っている人の心境とは違うのである。

消灯前に寝てやるぞーと毎晩、意気込むのだが、何だかんだとギリギリに。
どうやら、自分で動ける患者は自分で電気を消すことになっているようだ。
よく判らなかったので、天井の2つの灯りは早々と消しておいて、
ベッドの頭の方で操作ができる「読書ライト」みたいなのを点けたりしていたら、
何と、その並びに「室内灯」と書かれたスイッチが!
ベッドの真上にある方だけは、ここで消すことができるのだった。
5分前には最後のも消して、布団に入る。
と、ノックの音が。
「暗くなってからごめんなさいねー」
昨日あたりから見かける、可愛らしい看護師さんだった。
夕食直後、薬を呑む前に体温を計ったら微熱があった。
体温計を取りに来た時には、私は外で遊んでいたので、
「氷枕は要らないですか~?」
暑くて頭がかゆく、寝苦しい夜には必需品なのだが、今日は要らない。
愛想のよい彼女は、脈をとった後「おやすみなさ~い」と出て行った。
.....電気つけっ放しで。
しかも、こっちで消せない方のを.....!
あ"~~~~~~~っ、せっかく早く布団に入ったのに!
平面からいきなり起き上がるのタイヘンなのよっ。
かと言って、少しずつ、体を起こすのもまた面倒臭い。
しかし、ナースコールするほどの病人ではない。
迷惑をかけると言っても、あたしのせいじゃないのにっ、ああ、ジレンマ.....
結局、泣きながら入り口のスイッチを押しに行きましたとさ。


□■■ 入院6日目 - 術後4日 (4/20)

明朝、退院である。
この部屋は手術控え室だから、手術翌日の昼過ぎには、
他の個室か、元いたような4人部屋に移るという話であったが、
どうなるのだろう、ついでに明日までいるのだろうか?
この科の手術は水曜日と金曜日で、私は金曜だったから、後がつかえていなくて放ったらかしなのか?
4人部屋希望は出しておいたのだが、
部屋の中ですり足で移動したり、足あげたり、太極拳ごっこやったり、
ベッドの高さが丁度よいと言ってスクワットやったり、トイレで洗濯したりと、
気ままな毎日は1人部屋ならではだろう。
手術の翌日には引っ越せるようにと荷物をまとめたままなので、
2日間位はとても不便であったが、今は開き直って、あちらこちらに置きまくりである。

昨日、人に言われて気が付いたのだが、B205というこの部屋番号は、ちんねぇルームと同じ!
しかもちんねぇのダメ上司の名字が、私の入院を決めた部長先生と同じ!
おまけに、その上司の実家は、この県内にあるのだった。
人生にはシナリオがあるとしか思えない。
ならば作者は、よほどのテクニシャン(むしろイチビリ)。
とすれば、それは..... 私に違いない!

   ※ 「ちんねぇ」は中国留学中の寮でB205に住んでいた日本人。
     夏休み中に香港での就職が決まり、部屋を出たのだが、
     当時、ダニに悩まされていた私は、
     ちんねぇのアドバイスによりB205に越し、電熱器や冷蔵庫も貰って、
     北海道と沖縄出身のルームメイト達と共に、面白おかしく暮らしたのであった!

昨日も今日も、ヒマである。
.....と言いながらも、本を読んだり、勉強したり、書き物をしたり、
1人でいる時は、そうヒマでもない。
が、「ヒマだなー」と思いながら動いていると、忙しくてもヒマに思えてしまう。
これは結構、実用的な発見かも知れない。

先程、シーツの交換があり、埃がたつということで、談話コーナーみたいな所で待つ事にした。
白衣の男性が、4人部屋の手前に入って行く。
昨日、そこから、運搬用ベッドに移されて運ばれて行く人があった。
手術にしては手順が違うし、予定の曜日でもない。
大部屋からいきなりだから、出産だろうか?
裸眼なので見えなかったが、控えめなオーラを発していたのは、部長先生に違いない。

お腹の大きい看護師さんがいるのである。
かなり大きい。
すごいバイタリティである。
或いは、家よりも、ここにいる方が都合がよいのだろうか。
ぎりぎりまで働けるのは、産婦人科の特権だったりして。

ベッドを90度近く起こした状態で背の部分に足をのせ、だらーっと逆さまに寝そべって本を読む。
この体勢なら、足首の屈伸もできるし..... 
と、ここまでナメた格好をしていると追い出されそうだ。
いい加減なところで起き上がろうとすると..... 起き上がれないっ。
腹筋を使って「ハッ!」ができないのである。
柵に掴まって体を引き付けるが、ベッド上も散らかっているので、思う方向に転がれない。
幾度繰り返しても忘れてやってしまい、5分はのたうち回る。
ひっくり帰ったカメの気持ちって、こんなカンヂ?

毎昼、毎夜、救急車がやって来る。
「左に曲がります、道を開けて下さーい、ピーヨーピーヨーウィッ」
あ、止まった..... 当たり前か、というのにも慣れてきた。
夜、運動がてらに見舞客を送りに行くと、救急処置室の前で待っている家族がいたりする。
大事でありませんように。
あの音を聞く度に、そう願う。
家で聞くサイレンには、
「遠くへ行け、近所で止まるなよ.....!」

妊婦さん用の体重計に乗ってみた。
増えてる?
食事、多いしな。
入院当日に怖々乗ってみたら、45kgだった。
2月の終わりに近所の病院で測った時は44kgで、
その少し前に家で測った時の記憶の値よりも2kgも減っていたから、
それからずっと、乗る度胸が無かったのである。
検査や治療の段取りをもう決めているのだから、万一、何かあったら、その時に初めて、
「ほぉ、やはり激減してますねー」
でいいじゃないか。
仮に40kgになってしまっていると判ったところで、だからって何ができるっつーの。

そう言えば、キョンはこの間のフィラリア検査で病院に行った時、体重が減っていると言われた。
うちに来た頃と、ほぼ同じになっている。
昨年、よく食べるので、体重に見合った量を越えない程度に餌を増やしていたら、
10月のワクチン接種の時に「重くなっていますから、餌を減らして下さい」と言われていた。
スッキリ締まったナイスバディで、まだ痩せている位なのに。
筋肉は重いものだし、もともとが痩せ過ぎだったのだ。
「体重が増えたから痩せろ」の指示は如何なものか、と思うものの、
重く、力強くなられては面倒を見る方が大変なので、腹八分目作戦に。
相変わらず、遊ばないと食べ始めない。
「餌をおもちゃにしてはいけない」としつけの手引きに書いてあったけどな.....


デジカメを持って来て貰った。
部屋からの景色を撮り、オカンが折った鶴を撮り、4時頃、屋上を探しに出掛けた。
入院初日、木曜日で昼間だったが、鍵が掛かっていて出られなかった。
が、その日に
「屋上に行って来た」
と話している人がいたから、どこかから行ける筈なのだ。
あちこちの階段を巡り、屋上である6階まで通じているところを探す。
他の病棟に行くと、急に重苦しい、病院独特の空気が溢れている。
産婦人科は、特別なのである。
ようやく、「屋上1階」というところに出た。
「屋上2階」への通路は、鎖に閉ざされている。
眺めはなかなかのものだ。
四方に、これよりも高い建物が全く無い。
遠くの山々が薄くかすんで、山水画のようだ。
オカンが帰った後、夕食を終えて7時頃、再び屋上へ。
期待通りの夜景である。
柵にカメラを固定すれば綺麗に撮れることを発見。
朝早くに来たら、遠くの屋根がきらきらして綺麗だろうと思った。

担当医がやって来た。
顔でなく、雰囲気から、そうと判った。
やはり、軽い。
何だか、こっちも他人事のような気がしてしまう。
「何事も経験やからね~」
私のセリフを盗らないでくださいな。
手術前日には、麻酔や輸血によって起こり得る事態を列挙した紙を渡され、
その上で、本人と家族による麻酔承諾書と手術承諾書を提出せねばならなかった。
私ですら、そんなおっとろしー話まで聞いてないぞ、という内容がずらりと並んでいた。
担当医によると、昨今の医療ミスで、訴訟を恐れる医師会が採用した方針らしいのだが、
手術に於ける危険を手術前日に説明するのは、どう考えてもおかしいのである。
化粧品会社が動物実験のデータを取るのと、全く同じ動機ではないか。
そこには、己の社会的地位を最優先する精神しか存在しない。
「あれはどうかと思うんですけどね~」と洩らす担当医。
「ベストを尽くしますから、一緒に頑張りましょうね ----- でいいと思うんですよね」
てあんた、その口で、
「大きな血管が破れて、ドバッと出血したら、早急に対処しないと死んでしまう」
とか、
「この間もどこぞの病院で腹腔鏡下手術を受けた人が亡くなりましたけど、御存じですか?」
な~んてこと、言ってたんだぞコラ。
男前だから許す(..... て、相変わらず覚えてないが)。

日本でも徐々に認識されつつある「インフォームドコンセント」は、まだ難しい。
「インフォーム」すべきかどうか、その判断が、やはり簡単ではないのである。

部屋で、自分の写真を撮る。
不要な物を持ち込んでいると怒られてしまうので、こっそりと。
セルフタイマーで撮る為には、台をベッドの反対側まで持って来なければならない。
動かすのも面倒だし、何だか怪しまれそうだが、どうせヒマなんだし、と、わざとらしい配置に変えてみた。
ピッピッピッピ..... ピピピピピ、カシャ!
案外、大きな音がする。
鍵を閉めるという知恵も働かず、何度か露光や距離を調整し直し、
ドキドキしながら撮り終え、カメラを片付けたところで、コンコン。
ひ~~~~~。
これしきで気を遣う、アホ真面目人間なのである。


□■■ 退院予定日 - 術後5日 (4/21)

朝食を終えた後だから8時頃だろうか、屋上に上がった。
一番乗りらしい。
屋根はきらきらしていなかった。
が、せっかく来たのだからと景色を撮っておいた。
その数分の間に何人か上がって来ていて、ハトがパンを貰っていた。

イェ~~~~~ッ、退院だ!
朝9時。
診察が終わり、ホッチキスを抜いた。
がっちり食い込んでいるから、さぞ痛かろうと覚悟していた。
全部で7箇所、いや、意外にも痛くなさそうだぞ、などと、自己暗示をかけたりしていたが.....
へそにかかっている3つは、幾ら何でも痛いだろうな、と、
左手でおしり、右手で首をつねって、神経をごまかそうと準備していたが..... あれ?
チクリともしない。
抜いた痕を消毒するとじわ~っとしみ、部屋に帰る時は泣きそうだったが、
それも10分ほど経った今、おさまりつつある。
もう、咳き込んでのたうち回ることもないのだ。
明日、ガーゼを外して、何もなければシャワーO.K.とのこと。
何が何でも、フロに入るぞ!


ベッド周りを拭く人が来た。
いや、若い看護師さんなのだが.....
修行なのだろうか。
仕事というのは、単なる賃金と労働力の交換というばかりではない。
本来は社会貢献なのだから、
「やって貰って当たり前」ではいけないと思う。
昨今では金との交換以外の価値のない仕事、
或いはそれ以下のものも確かに少なくないけれど、
もともと、そうではない筈だ。
本当の意味で互いを人間として敬い合える時代は、
いつ戻って来るのだろう。

病院からの帰りは、
「ラッテたかまつ イートイン可」
の看板のある通りをひたすら、まっすぐ。
すると今度はその近辺に、
「何とかケーキハウス」
の古風でアヤシイ看板を発見!
これも是非、行かねば。

5日ぶりに我が家に着くと、キョンが喜んでお迎え..... てな訳はない。
「あ、今日はいるの?」
「おみやげは?」
「なでて~~~~~」
自宅になかなか帰らないおとーさんを迎える子供のようなクールさであった。


< 完 >


お ま け
後日談及び後で思い出したこと、埋もれていたメモの内容など…



そうそう、退院の時、精算の内容を見ると、何と、個室料金が追加されていない。
ラッキー♪
大部屋への移動の希望を出してはあったものの、
個室生活をエンジョイしていたから、請求されたら素直に払ってもいいと思っていた。
ま~、失敗点滴の場所は、わずかではあるが、6月21日現在、触ると痺れるけどなっ。

医療ミスを防ぐ為、患者は、名前とバーコード付きの腕輪をつけることになっている。
手術翌日、オカンがそれを面白がって、
全身の痛みでベッドにへばっている私を写真に撮った。
何ちゅう親じゃと言いながら、元気にピースサインを出した私だが、
後で見ると、目が完全に死んでいる.....

しゃがむ。
お客様は神様とばかりに、みんなしゃがむ。
金づるの前に、しゃがみまくる。
そして、こんな人までもが..... しゃがんだ!
私が手術の控え室であるB205に移り、担当の看護師さんが今後の説明をしてくれている時だった。
まだ手術前だからどこも悪くはないのだけれど、ピンピンしているのもそぐわない感じがしたので、
ベッドに腰掛けて聞いていた。
すると彼女が、急に思い出したようにしゃがんだのだ。
わ。
ガソンリンスタンドで営業やってたあんちゃんみたい!
そんな、黄門様じゃあるまいし、見下ろすなんて落ち着かないぞ。
どっちかっちゅうとこっちがしゃがみたいような立場である。
あー落ち着かない。
患者を安心させる為の試みなのかも知れないが、あれで安心できる人は、ちょっとおかしいと思う。

ウォシュレットって、何て便利なんだろう。
体が不自由な時には不可欠に思える。
これが和式だったらと思うとクラクラ来る。
しかしながら、ひとつ、欠点があった。
手術の後は、痛くて深く座れないのである。
水の当たる位置に届かないではないか.....
前後の位置を調節できるようにすれば良いのに。
開発して病院などに売り付ける、トイレでビジネスシミュレーションをしてみる..... 暇だから。
うん、売れるうれる。
何でやらないんだろう?
その話をすると、ふむふむ聞き入る人もあった。
そして退院前日、めっけてしまった。
調節する為のスイッチを。
.....眼鏡かけてないから見えてなかったのね。
それを報告するとみんな、「そらついてるやん」だって。
そのとき言えよ、相槌打たずに!

退院1~2週間後に検診を受けなければならないのだが、ちょうどゴールデンウィークと重なるので、
手術から1ヶ月弱である5月12日にしましょうということになっていた。
病院では、何としても回復せねばと気負っていたこともあり、
又、遊ぶのに夢中だったこともあり、
ひたすら元気で、何の問題もないように感じていたが、
いざ、家で生活をしてみると、結構、痛みや違和感があることに気付いた。
何かあっても不安なので、携帯電話は便所でも持ち歩く。
幸い、大した問題もなく、検診の日を迎えた。
結果、異常なし。
気になっていた病巣の検査にも問題は無く、癌性の細胞も検出されなかった。
治った今、ようやく「内膜症」と断定。
腰痛は、どこへ行っても「原因は別にあると思うから、別な治療が必要」と言われていたが、
それも消えました、と報告すると、驚きながらも喜んで下さった。
「もう来なくていいよ」と言われて帰って来た。
とうとう、主治医の顔を覚えることの無いまま.....

退院後は、腰回りを締め付けないようにと、ずっとジャージを履いていたので、
この検診の日が、脱ジャージ日であった。
入院前に履いていた、ウェストがゴムになったスカートを履ける季節ではなくなっていたので、
腰が細めのフレアスカートを履いて行った。
1日、それで歩き回ってしまったせいか、家に帰ってから、腰痛が帰って来た。
おかえり。
ノ~~~~~ッ!
近所の病院であれこれ調べると、背中にヘルニアのあることが判った。
何と、腰痛の原因はやはり、腰そのものにあったのか。
余りにもドラマ性を欠く答えに、私はがっくり来てしまった。
以来、特にひどい痛みなどは無い。
ヘルニアも、症状としては殆ど出ていない。
たまたま、他の科で撮ったMRIに映っていたものの、
ヘルニアを持っていることと、症状が出ることは別なようで、
大抵は、姿勢に気を付けていれば、時間が経つと消えるという。
生活にも仕事にも支障は無い。
幸運にも、さほど深刻でない病は、色々なことを気付かせてくれた。
大事なのは、己を知っている、ということ。
今更ながら..... 動物の基本ではあるが。


屋上からの夜景。
屋上からの夜景
© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
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