三次元漂流記 2002
近所の店のお買い物袋 16KB [1月のモデル; 塑料袋=プラスチックバッグ]
よく通ったスーパーが撤退。
無くなると知ったのは、その1週間ほど前だろうか。
放ったらかしの野菜はしおれて行き、割引、さらに半額。
最終日は雨。
通常より1時間ほど早い店じまいと知らずに、
数分オーバーして買い物をした。
外からガラス越しに店内をしみじみと見る従業員らしきおじさん。
高くて品が薄く悪かったが、哀愁に満ちた最後に、
何となくじーんと来た。

寒い日は、、、、、
雪だと美しい。
雨だとひもじぃ。

癒し。
ある子は、人を癒したいと言った。
自分の書いたものを読んで、誰かがほっとしてくれれば、と。
彼女にとって人を癒すことは、自分を癒すことなのかも知れない。
彼女は常に、癒されたいと願いながら、夢に溢れた非現実を描き続けている。
一方、あたかも時代が求めているかのような「癒し」という、ひとつのファッション。
現代人が特に疲れている訳でもない。
本当に疲れ果てている人には、癒しグッズなど漁っている暇は無い筈なのだ。
誰もがそれを欲しがる訳、それは「流行っているから」に他ならない。
オバケのQ太郎みたいなメイクをしたり、必要不可欠とは言えない携帯メールを使うのと同じ。
癒し「系」音楽の中にも、癒しとは何かを真面目に探求する人の作品がまだ残っているかも知れない。
だが、一般的には、明らかに他の分野に属するものでありながら、
到底、大声で名乗ることのできないレベルのものの掃き溜めになっているのが現状だ。
どう言い訳しようが、理屈をこねようが、現在の「癒し」というジャンルは、
鬼ごっこで言うところの「ごまめ」である。
大きい子供の中に混じった極端に幼い子は、
タッチをされても鬼にならなくてもいいという、あのルール。

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仕事から帰って部屋の灯りをつけ、何気なくテレビをつけていた人達が、
代わりにパソコンのスイッチを入れるだけ。
プリクラシールを貼りまくっていたギャル達が、写真をホームページに載せるだけ。
だけ、ではないけれど。
また、だけ、には留まらないけれど。

安楽死。
やるだけやった、でも何も救えた訳じゃない。
納得するのは飼い主のエゴに過ぎない。
そう思わねば生きて行けないのだろうから、そう信じればいい。
だからと言って、吹聴するな。
「悔いのない死」などと。

食肉のラベル貼り替え。
命より金、という答えは、今さら意外ですらない。
どうせまた、言い訳。
社員の生活が、、、、、、
生活が、生活が、
そう言って地球を破壊して来た。
生活を考え直す時に来ているのかもかね。
というより、タイムリミットだろうね。
、、、、、というより、手遅れだけどせめて気休めになっ!

ダメな奴ばかりじゃないのだろうが、、、、、
怠惰な人間ばかりじゃないのだろうが、、、、、
地表を覆う生ぬるい笑い声が手に髪にからむ。
......カビが生えてしまいそうだ。

先生と呼ばれる人が専門外の事を語る時には、慎重になった方がいい。
内容がいくら"素人のうわごと"でも、聞く者に取っては大先生のお言葉だから。

今日は会社に「仕事に行って来た」という人はまずいない。
仕事という言葉を必要以上に連発する業界人に、それだけで食っている人は多くないと思う。
芸人が売り込みの為にハッタリをかますのとは、少し事情が違う。

私の夢は独創的なので、SF「小説」でも書こうと思います。
どなたか寝言を構成してちゃんとした文章にして下さい。
もちろん、ゴーストで。
だって、私は「アーティスト」だもん。
"art "の和訳がこれほどまでに早くすり替えられてしまうとは、誰が想像したであろう???

恋は盲目、と言う。
どうやら、恋でなくともそのようだ。
理性では判っていても、既に突っ走ってしまった距離を否定する勇気が無い。
誠実な友なら、耳に痛い忠告も惜しまないだろう。
損得しか頭に無いハイエナなら、一生懸命調子を合わせるだろう。
野次馬達はただ、遠巻きに眺めたり、はやしたり、、、、、

怪我をした愛らしい小鳥を死なせてしまう夢を見た。
必死の試みが更に事態を悪化させる。
きっと、死ぬまで続くのだろうな。
一定の周期でやって来ては、幸せ面をしている私に、己が何者であるかを思い出させてくれる。
或いは、私が正気と共にかりそめの姿を失う時まで。

入れ込んじゃう人が審査員をするのも
熱くなっちゃう人が審判をするのも
どっちも大間違いだから
さぁ、一緒に位置について
よ〜い、ドン!

頬をなでるように 優しく
どこかで跳ねかけられた泥を拭い取って
染みにならないように そっと
背中を流すように おおざっぱでいいから
この誰のか判らない血を洗って
暗示にかかって痛みを感じ出さないうちに はやく

やがて宇宙空間からも、国旗や所有者の札の付いていない場所は消えてしまうのだろう。
豊かな地球を食い尽くした、醜く、貪欲な生物の侵略の魔の手から星々を守れ!
♪ パッパッパッパーーーパーーーパララパーーーパー、パララパーーーパー、パパパパ〜〜〜〜〜

人という生き物のわがままさや凶悪さに見慣れると、他の肉食動物達が子羊のように見える。
脆さや弱さを補おうとする闘いが尊いのであって、
害悪とも言うべき欠点そのものを美化し、正当化しようとする無知や怠慢は頂けない。

シャレにならないネタを連発して沈黙を誘ったり、
粗末な芸で失笑を買ったりする"お笑い"が"シュール"なんだろうか???
私には素人の宴会芸にしか見えないけれど。
苦労しているだの、頑張っているだの、
それしきのことが評価されるような、そんな甘い世界なの?
熱心な"若者"を応援するのはいいけれど、
人前に出すなら、修行がひととおり終わったのを出すべきだろう。
人材不足という現実は痛いほど判るけど。

たまに狩りはするかも知れない。
巣穴の外に出て、無意味な殺生を試みたりはしない。
たかって来る蠅は尾で払う。
血を吸うアブはつぶす。
当たり前の営みしかしない。
そんな、フツーの生き物。

John Lennon がオノ・ヨーコ女史との出会いについてのインタビューに答えた記事だったと思う。
彼女の美術作品展を訪れたのがきっかけだとかいう話だったように記憶している。
「面白いものが沢山あったが、つまんないものも幾つもあった。」
あのレノンの選んだ伴侶が、全然美人じゃない。
英国人から見ればどう映るのか判らないが、当時はそう思った。
だからこそ、アーティストとしてのみならず、人としての魅力に惹かれたのだろう、と想像したものだ。
そして何と言っても、いくら惚れていても、彼女は完全無欠の天才だ、何もかも言うことなし、などと、
世界に向かって嘘をまき散らさないところが素晴らしいと思った。
自分の言葉の影響力というものを理解しない軽薄な"知識人"が余りにも多い気がする。
加えて、現代人は言い訳が多い。

天然記念物のヤンバルクイナを絶滅の危機に追いやる危険があるとして、
マングースや野良猫が"駆除"されるそうだ。
ヤンバルクイナを捕食しているのが、
同じく希少動物である西表山猫やベンガル虎だったとしたらどう対処するのだろう。
関係者は「マングースや猫が悪い訳ではないのだが......」と語っているらしいが、
それどころか、地球の生態系を崩しているのは間違いなく、
特別な生き物であるつもりの人間なのだからお笑いだ。
稀少な生命が尊いのだとすれば、ベビーブーマー世代は気が気でないかも知れない。

下手くそな歌ばかり聴き続ければ、耳は必ず悪くなる。
その猛毒は、一般大衆のみならず、改革熱に燃えた音楽関係者をも侵してしまうようだ。
相当に鍛えられた耳を完全にダメにするには1年あれば充分。
或いは、ポピュラーなんて所詮はその程度でいいのだという、
非常に低い基準が新たに生まれてしまうのだろう。
結果、元々大したことのない"歌手"達への要求レベルも低くなる。
これが、歌モノ中心の日本音楽界にいつまでも音楽が定着しない真相じゃないだろうか。

「この世に簡単な歌など存在しない」などと言い続けて来たが、
どうも誤解を生むようなので、「歌手にとって難しい歌など無い」に変えようか。
歌の基本は数あるが、簡単なものなど何ひとつ無い。
難しいことが全てこなせて、初めてその先に表現の為の探求というものがある。
しかも、ポップスに要求されるテクニックなど知れたものだ。
そんな基礎ごときで難しいなどという言い訳が出るようでは話にならない。
"難しい歌"なんかがあるようでは、歌手じゃない。

人間嫌いの人が自分を嫌いであることと、人間好きの人が自分を好きであることは、どこか似ている。
卑屈であることや単に利己的であることとは何の関係もないけれど。

自力で立っていることはとても大事だ。
本来なら当たり前なのだが。
人間というのは、どうしていつまでも一人前になれないのかねぇ。
きつねだったらきっとそう言うだろう。

許せないことでも、仲の良い子相手だと、軽く「ああ、いいよいいよ。」で済んでしまう。
我が子、部族、種を守る為にある"情"という本能に於いて、公平さは意義を持たない。
えこひいきにはそれなりの意味がある。
愛情と道徳の間には距離がある。
勿論、本当に困っている人ならば、状況によっては助けるが。
利己的でなく、偽善でもない愛情を、本当の意味で分け隔てなく、
遍くしかも公平に与えることができるほど賢く、強く、大きく、そして裕福な人には、
恐らく一生、お目にかかることはないだろう。
私はと言えば、定めとして守らねばならないものひとつ、守り抜く決意だけでも気が遠くなりそうだ。

な〜んか、だだっ広いところに引っ越したいなぁ。
仲良しの動物達をみんな連れて。
野菜を植えて。
ほったて小屋を建てて。
......さっぶ〜。

私達は、錬金術を手にしたドラえもん。
世の役に立ちそうで、全く立たない虚しい道具。
正しい使い方が判るまで、余計な事はしないで自分の為に使っとくのがいいのかも知れない。
とにかく、凄いもんである事だけは確かなんだけど.......

私がどこにいようと陽は昇り、生き物達は営みを続ける。
自然は本来、平等に厳しく、運は適度に気まぐれなもの。
地球を有害物質だらけにしているのも人なら、その中で無力にたたずむのもまた人。
私も決して例外ではなく。
傍にいても、誰を守ってやれる訳じゃない。
たとえこの身を盾にしたとしても。

のんびりと。
ひょうひょうと暮らす。
いかさま師達と張り合っても意味が無いから。
焦る。
必要なものは全て手の内にあるのに。
欲しいものも目の前に揃っているのに。
内臓が憂いに浸されている感覚は何だろう?

モナリザが笑ったとか。
街はもうお祭り騒ぎ。
自分を見て笑ったと言って、男どもが浮かれている。
確かに、彼女は笑っているのかも知れないが。
落ち着いて、瞳をのぞき込んでみるといい。
こっち側の世界なんて、映ってもいないから。

誠意とは。
真実を歪めずに映してしまう鏡のような冷静さ。
嘘つきの手を食いちぎってしまう石像のような公平さ。
自分が可愛かったり、下心に満ちていたりすると、貫くのは難しい。

どんなに身近な人にも、世界で一番大切な人にも言えない事は誰に言う???
それはアカの他人。
実生活に影響を与える恐れのない、遠い人になら気軽に打ち明けられる。
疎遠であればある程、都合がいい。
その距離は、物理的な尺度とは限らない。
大事な人の最後の秘密を握っているのは遠くの他人。
特別な人ではない、ただの他人。
とてもよくある話。

私は一歩先なんて行っちゃいない。
焦らずに過ごせばいい。
必ずしも、遠い場所を目指さなくちゃならない訳じゃない。
あの人には道なんて見えちゃいない。
すがらずに自分で歩けばいい。
気付かない内に誰かを足場にしてしまわないように。

年賀状を受け取った。
十五年前から噂があった二人が結婚したという知らせが紛れていた。
噂と言っても、小学生のはやしたて程度だったのに。
長いことポーカーフェイスしちゃってたのねん。
いや〜っ、驚いたなもう。
だけど、何だかホッとした。

この異常な社会に於いて精神を病むという事は、まともな人間であるという証拠なのだろう。
世間では肩身の狭い思いをしている人が多いようだが、
恥じる必要は実は無いのだ、な〜んて事ばかり言っていると、
またイカレてるとか、変人だとか罵られそうだ。
身内を誇ったり隠したり、全く、忙しいね。
信念の薄い生き物って。

私の使命とは私が発見するもの。
私の正義とは私が定義するもの。
説教たれる者。
物知り顔で解説する者。
今日も誰かが噂する。
ほっとけ、ほっとけ。
関係あるようで、全く無関係ないんだから。
この世界じゃ、仕方のないこと。

針の山を歩き、炎をくぐり、手に入れたのは、裕福な人達を幸せにする魔法。
そのゴミみたいなものを封印して、再び歩き始めた私を、人はろくでなしと呼ぶ。
欲しけりゃ、自分で地獄を行きな。
十年さまよっても、見付かる運と知恵があるとは限らない。
宝は、それを持つに値しないものに与えられるべきではない。
人助けがしたけりゃ、アフガニスタンへでも行く。
そうしない私をろくでなしと呼ぶのは、結論としては正解かも知れない。
感謝されたくてするのは、ただの道楽であって、親切などではない。

夏にはまだ、逞しい足取りできょんの散歩に付き合ってくれていたステキチ。
老いは少しずつ、しかし確実にやって来る。
最近、ちっちゃな子を連れ歩いているらしい。
うちのきょんにも引き合わせたそうだ。
きょんの為に組み立てた小屋には、ステキチとステキチの拾った犬と、隣の親子犬が出入りする。
ここのところ、捨て犬が随分多くなったという話だ。
年の初めに、役所の人々が必要以上に仕事に精を出さない事を切に祈う。

時を止めても万物は営みを続ける。
空間に果てなど無いのと同じ。
自ら作りあげた便宜上の尺度を、宇宙的に絶対なものであると信じて疑わない人類とは、
どれほど愚かで、傲慢な生き物なのだろう。

超能力も奇蹟も。
オカルティックなものじゃない。
理解を超えているから、或いは予期していないから、そんな名で呼ぶだけのこと。
不思議なことは起こって当たり前。
人はそれ程、賢い生き物じゃない。
そのことに気付いてさえいれば、
せめて虫や葉っぱに劣らない程度には素敵な生命でいられるかも知れない。

思い通りにならないからと言って落胆することはない。
自分の体ですら、時に言うことを聞かないのだから。
迷いも、疑いも無いのなら、証など何も要らない。

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