三次元漂流記 2001
ダータテトラ 18KB [12月のモデル;
 ごはんちょーだーい。お調子者の"ダータテトラ"]
我が家のお魚タチは、どうもおちゃらけている。
水換えをしている間は、魚は基本的に、
怖がって隠れているものなのだが、舞い上がるゴミを見て、
「何々〜、食べるもの〜?」......なんて寄って来たりする。
ペットと呼ぶのは好きじゃない。
この神秘なる生き物達より賢いなんて、
偉いなんて、信じるほどイカレていたくない。

世界中の誰よりも自分が嫌い。
きっと。
才能があろうがなかろうが、強かろうが優しかろうが、美しかろうが醜かろうが、何ひとつ関係ない。
良いことも悪いことも全てそこから生まれてきた。
だからと言って、大した問題がある訳じゃない。
特別に不幸な訳でもない。
そういうライフサイクルなんだ。
今も。
多分、これからもそう。

縁をオレンジにくすませた紫の空。
天頂近くではまんまるの月が、護衛の星々に黄金の虹を放つ。
軌道をねじってメビウスにしてしまってからの毎日は、連続性のない一夜の夢の積み重ね。
届く筈もない宇宙の果ての景色が目の前に広がる。
もう少しつまんないものならば、リアルに感動もできるだろうに。
現実感のあるものは、目覚ましのアラームとわんこの"チュー"ぐらい。

永遠を確信させる程に強く、
刹那を予感させる程に激しい。
永遠と言うにはきらびやかで、
刹那と言うにはあたたかい。

年末って、"締め切り"みたいで何かイヤ。

友とは、何かをしてくれる人じゃない。
扉は、誰かにこじ開けて貰うものじゃない。
孤独に死ぬ覚悟が無いのなら、決心が必要だ。

結局は判んないんだよ、本当は。
難しい理論を振りかざせば、通ぶった人々が大きくうなずいて見せる。
馬鹿らしいお遊戯大会だね。
背伸びしないで、娯楽に徹すればいいじゃんか。
楽しいから、やる。
下手だけど、好き。
その方が潔くて、ずっとマシ。

クリスマスイブは前日に続き、東京タワーでライブのお手伝いという、私らしい過ごし方。
私のサポートするステージが終わってから、展望台に上ってみた。
カップル率120%......
光り物とガラス細工が好きなカラス人間の私としては、360度の夜景はなかなか魅力的だった。
帰り道に溢れる、るんるんハートマークの恋人うぉっちん’。
野生動物と違って、人間は"恋の季節"を自分達で作らなくちゃならないようだ。
バレンタインのチョコプレゼントのような嘘の習慣は大嫌いだが、
クリスマスはそれほど悪くないな、と思った。
メリークリスマス。
それどころではない国の人達にも。

恋と愛の違い?
おならの音を聞いてがっくりするのが恋、
抱きしめたくなったら愛、
という説明がいまいちなら、、、、、
恋は季節もの、
愛は定め。
生み出す為の本能が恋、
生み出したものを守る本能が愛。
そんなとこで如何???

軽やかに生きてみるのもいいかなと思う。
私は見かけよりも粘っこいみたいだから。
どちらかと言えば、反芻動物って感じ。

身近な人々の勘違いに苦笑を漏らし、
遠巻きに眺める群衆の思い込みにもんどり打つ。
とにかく、この国はちゃんちゃら可笑しい。

プロパガンダ。
政治的なもの、低俗な芸能関係、、、etc。
たとえその世界に足を突っ込んでいようとも、
自ら軽蔑してきたそれを振りまくことを拒まない程に堕ちたくはないと思う。

この世の果ての晨は薄紫。
近くの学校のプレハブ屋根が白い。
車の屋根にも拭き取った霜の跡がある。
冬か......
空が又、綺麗になる。

強いあの子に励まされた。
不思議なことに、その子は己の弱さを嘆いていた。
美しいあの子に魅せられた。
不思議なことに、その子は己の醜さを憂いていた。
いや、不思議なことでもないのかも知れない。
弱い人間の苦しみを知らずにいては真に強くはなれず、
醜さと美しさの本質は、実は同じものであることを思えば。

この世で最も醜い私を美しいと言う人がいて、
この世で最も凶悪である私を優しいと言う人がいる。
変だけど、当たり前。
でもやっぱり、変。

一人で待つ時間は長い。
待たせている時間も長い。
焦ると自分がスローモーションになる。
決定的瞬間には周りがスローモーションになる。
何かをしていると時間は自分をよけて流れて行く。
人は面白い軸を創造したものだ。

愛する事を肯定できない身には、他人の愛は重くて煩わしい。
与えられるだけなんてあり得ないし、要らない。
己を信じる事ができない間は、自分に惹かれる人間の感性など信用できなかったのだろう。
自分を愛する事は依然としてできそうにないけれど、
誰よりも信じられるようにはなってきたみたいだ。

もう会えないと思っていたクロちゃんに会った。
呼び止めると、嬉しそうに来てくれた。
お腹の腫瘍は、もう頭よりも大きく、ごつごつしている。
努めて陽気な声で名前を呼ぶと、ニコニコしながらごろんと横になった。
羊に化ける為に手に小麦粉をまぶした狼のような、白いブーツを履いた足。
こんなになっても、まだ楽しいの?
何の苦しみも無い私に、笑顔だけを見せてくれる。
止めることの許されない運命という時を、再び生々しく感じている。
せめて一日でも長く、ハッピーに暮らしてくれますように。
祈ることしかできない。
悔しいけれど、あの天に向かって。

うつむくな
笑顔がしぼんでしまうから
あの子のくれた時間が死んでしまうから
この出会いが
無かったことになってしまうから

地球の際には、攪拌されて沈んだ虹のような夕焼け雲。
落書きのような細い飛行機雲の横に、特徴あるシルエットが透けていた。
都会のはじっこから見えた、或る午後の日本一の山の風景。

どこにいても、仮住まい。
誰かの腕の中でも、母の懐でも、犬達の横でも。
たった独りで震えながら、想いを巡らせていても。
どこから出発して、どこへ向かっているのか、忘れてしまった。
或いは、そんなものは無意味だと気付いたのか。

素直に伝え合えるって、何て素敵なことだろう。
強がる気がしなくなった。
私が変わったのか、周りが変わったのか判らないけれど。
言わなくても判るよね、なんてさぼっていると、
予告も無く二度と会えない場所へ引き離されてしまう、
この世の縁はそんなものだと、知ったからだろうか。

不思議な色の山の景色と愉快な友たちと、清らかな夜空と。
私を迎えてくれる素晴らしい場所。
この上、まだ大事なものが欠けていると感じるなんて、
とんでもなく贅沢なことなんだろうな。

みんなで連なって龍に乗っていた。
雨上がりの夕空。
暗くなりかけているというのに、虹が出ている。
どんどん近付いても、くっきりと鮮やかなまま。
不思議だなぁ....... と思っていると、
龍の背中が、虹の一部と重なった。
私の乗っていた一番後ろは、虹の根本からほんの数十センチ。
文字通り、辿り着く事の出来ない未知なる、永遠の憧れの地を意味する、
「虹が地面に接する場所」を間近に見たのだから、
その感動と喜びは並のものじゃない。
あんたの夢はいつもながら制作費がかかる、と言われそうだけど。

破壊は簡単。
能力を示したいのなら、何か創って証明しなって。

誰からも愛されない人の次に不幸なのは、自分自身が愛されるに値すると信じられない人。
誰の愛にも気付くことの出来ない君に、
せめて、この心を惜しみなく見せてあげられたらと思う。

数十メートルの距離に溜息をつく恋人達がいるかと思えば、
遙か海を越えて爆弾を落としに行く者もいる。
地球人って、ホントに理解不能だね。

駅の階段を上りながら想像しよう。
私のことを覚えているかな?
鼻に皺を寄せて、コワイ顔で舐めてくれるだろうな。
甲高い声で鳴きながら、後足でぴょんぴょん飛びついてくれるかな?
暗くなった裏庭で、ご飯も食べずに延々、遊ぶんだろうな。

誰かが自分を待っている。
何と贅沢で、申し訳ない感覚だろう。

better half とはよく言ったものだ。
伴侶とは、生涯かけて探す失われた半身。
複雑な形のパズルの一片のようなもの。
別に無ければ無いで、無理に代わりを押し込む必要もないのだろう。
ふさわしい欠片は、思わぬところに転がっているのかも知れない。
見付けたとしても、必ず拾わなければならないというものでもない気がする。

年末は苦手だ。
時の流れを世間に区切られてコントロールを奪われてしまう、
この時期が大嫌いだ。

© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
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