三次元漂流記 2001
さざえイシマキ貝 28KB [11月のモデル;"サザエイシマキ貝"]
一般的にはコケ掃除屋さんとして知られているイシマキ貝。
うちにいるのはとげとげのついた、
あまり見かけないヤツ。
確かに、コケは丁寧に食べてくれる。
故に、当たり前だけれど、うんこの量が多い。
まぁ、世話をしたくて飼う生き物なんだから、
逆に掃除をして貰おうなんて思うのは、
大きな間違いなんだろうけど。

魔法の呪文を唱えたから
望みは何でも叶うのに
願いごとはそんなのでいいの???
謙虚っちゅーか、、、、、欲が無いのね

情けない。
自分の価値を落としてしまうのは、いつだって自分自身。

このところ雲ひとつ無い夜空にはぎらぎらと月が輝き、星座の完璧なるパノラマが広がる。
雨も雷も、私の上に降り尽きたのだろうか。
まぁ、退屈する心配も無いのだろうな。
平和とは、放っておけばそれ自体が又、トラブルになったりするもんだ。

タブーではなくとも
訊かない方が利口な事もある
嬉しくもない答えを残して飛び去ってしまうよ
機織りシーンを覗かれた鶴のように

心地良い夢を見ている時は
目覚める瞬間が一番つらいね
いっそ現実と交換しちゃおうか
空間のどこかでちょっとねじ曲げて
どっちも自分のものってことに出来ないかな

夕鶴よ
何故、舞い戻った?
こんな薄汚い世界に
何故、降り立った?
美しい翼を
何故、折った?

そこに何も無い事を確かめる為に、手を延ばしてみるか。
新しい絵を描き始められるように。
未知の光へと踏み出せるように。
多分、とても簡単なこと。

純情色のピアスをつけた汚れた心が、親切皮のコートを羽織った嘘つき狼が徘徊している。
悪魔でさえも敬遠するだろうと思っていたこの魂が、この世の中じゃ誰よりも清いなんて。
人間とは、何と恐ろしい生き物なのだろう。

"ごめん"なんて言葉があるから、人はいつまでも学ばないのだろう。
"万が一"なんて甘えがある間は、責任感など無縁のもの。
"絶対"を約束できる人となら、本気で付き合えるかも知れないけれど。

犬も魚も。
人間以外はみな同じ。
捕獲され、或いは繁殖させられ、菌に感染させられて実験室でデータを取られ、
運良く愛玩動物に生まれついた同種の生き物の為の薬品開発の犠牲となって行く。
矛盾だらけのきれい事を並べたまま、命の尊さなんてどうやって学ぶんだ?
その重さに差を付けているのは、紛れもなく、人なのに。
家畜を可愛がって育てた挙げ句、殺して食べれば答えが出ると言うのか?
一体、何を教えられるつもりなんだ???
愚かで傲慢な教育者達に、またまたげんなり。

子供だったら良かったね。
ひとりで歩くことすらおぼつかない子供なら。
狼だったら良かったね。
人に負われて住処を失った狼なら。
今は、君を守ってあげる正当な理由が見付からない。

花紺の空には飴色にすました細面の月。
他にはこれと言って何も無い夕べ。
昨夜に続く好天。
雲に遮られて流星の見えなかった地域もあるらしい。
天も時には、平等じゃない。

今朝の獅子座流星群は、雲ひとつ無い空に予報通りの派手なアクロバットショー。
宇宙で誰かが遭難でもしたのか、のろしが次々に上がる。
水に放り込まれたナトリウム金属のかけらが音を立てて燃えながら消えるように。
遙か頭上でぱっくりと割れて四方に散る花火のように。
走りながら何メートルも先に瞬間移動する忍者のように。
目に入る度に「わ〜〜〜っ!」と大騒ぎ。
ロマンチックとは程遠い、お祭りだ。
何年か前に話題になった時は、山のロッジに泊まり、悪天候の隙間を縫うように、
数少ないながらもきらびやかな流れ星を震えながら待ったっけな。
天に少しばかり近く、雨上がりの星は宝石のようだった。
その前夜には、ベランダから外を覗いた折に、大きなルビーが落ちて行くのを見た。
流星群の極大日には庭に毛布を敷いて寝転がった。
傍にはニャンがいた。
いつしか誰もいなくなってつまらなくなってしまった庭で、流れ星を待つ事はなくなっていた。
隣で子供のように心を躍らせている母親の為に、
早く流れてくれと念じながら窓の外を見つめる事はあっても。
つい昨日のことのようなのに。
随分長い間、目を閉じていたもんだな。

欲しがったことも無ければ、手に入れたとも思ってはいないから、
失っても平気だし、いつでも捨てられる。
そんな強気でいられるのは、何かを持っている錯覚のある間だけ。

欺くことはしないが隠し事はする。
本心が明かせない病である場合もあれば、計算である事もあるだろう。
"語らない事による嘘"と表現した人がいたっけ。
君も私と同じ位、ちょっぴり嘘つきかな。

無防備な人は心配いらない。
その無防備さが鎧となり、いかなる危険をも跳ね返し、かすり傷ひとつ負わせないだろう。
案ずる方の神経がすり減ってしまう。

春の訪れと共に踊り、夏の日射しに身を焦がし、過ぎゆく秋に散る人々。
枯れもせず、実を結びもせずに相変わらず季節の外にいる私は、
冷たくなった空気の中、暖かい寝床に辿り着く事のできる幸運に感謝している。
少々、寒いのは夢だからだろうな、なんて思いながら。

絵の中から舞い出て来た蝶に触れた。
温もりも冷たさも、その毒々しいまでに鮮やかな羽から指先を通って体中を突き抜けた。
微かな意識の中、蜜に濡れた蝶が静かに息づいているのを感じた。

大きな紅い陽が、器用に低い建物の隙間を縫ってゆらゆらとこっちにやって来る。
何も無い空は適当に裾を染めている。
木々は素知らぬ顔で噂話にふける。
あそこだけ。
この広い世界の中で、今、燃えているのはあそこだけ。

私はギャンブラーじゃなくてハンター。
詐欺師じゃなくて手品師。
超能力者でもあるかも知れない。

自分の中のパニック因子に気付いて、ふと見回せば、なかなかのパニック人口だ。
本人達が知らない事により、病にならずに済んでいる場合もあれば、
無意識故にタチの悪い病癖となって、周りに危害を及ぼしている場合もある。

喜びが大き過ぎると、夢でも見ているようで現実感が無い。
厭な目に遭う時は、当たり前の感覚でフルに味わうことが出来る。
普段、口にしないものには感知できない"旨味"に似ているな。

座敷童に好かれるのはラッキーな事とは限らない。
気紛れに現れて、いる間だけ、家を栄えさせてくれるけれど、
去る時には元からあった運まで持って行ってしまうんだから。
死ぬまで与え続ける事の出来ない人の偏執的愛情みたいだ。

キョンの新しいおうち。
も〜〜〜ガリガリ。
一緒に外出できると思ったら、お留守番させられてしまったとき。
大好きな犬が前を通った時。
しわがれた声でキューキュー拗ねたかと思うと、突然、目の前にあるものをガリッ。
噛みたい時に口の前にあるものなら何でもいいから、防ぎようがない。
歯形と噛み痕だらけになってしまった柔らかい檜の小屋は、
倒れて来た自転車に屋根の端っこを破壊されてしまったばかり。
雨の日や夜は玄関に引っ込んでいるから、空き家になっている。
ステキチに、良かったら使ってね、と毎日言っていたら、
数日前から本当にお泊まりしてくれているらしい。
暖かい木の小屋にふかふかのお布団。
久しぶりやわぁ〜〜〜、なんて思っているのだろうか。
私が家を離れてから、キョンの寝床は裏庭になった。
屋根を付けられ、一段と小さくなったニャンの小屋の中で、丸くなって眠っている。
新しい小屋は、2匹で一緒に入っても大丈夫な大きさがある。
引退したら一緒に暮らさない? ......っていつも誘っているんだけどな。

潔くも 気高くもなれないのだから
北風の中 ぶら下がったまま
震えているしか無いね
枯葉を幾重にも身にまとって

天才的ひらめきの構図しょの2。
生まれつき或いは過度のストレスに連続的にさらされる事により、
脳内物質が分泌され易くなっている、
しばしば神経や精神の病と診断される体質の人間に何らかの刺激が与えられた場合。
分泌された多量のドーパミンが更なる興奮を促し、
瞬間的連鎖反応により生み出された爆発的エネルギーは問題の1箇所に集中し、
もはや通常ではないパワーを帯びた脳は、神がかりとしか表現しようの無い活動を始める。
創作や研究などの場に限定したり、
コントロールしたり出来る力ではないのがやっかいなところかも知れない。

天才的ひらめきの構図しょの1。
蓄積されたデータの中から、問題解決の為の最適の答えを選択するという作業が瞬時に行われる為、
本人にすら、丸で稲妻のように"閃いた"かのように映る。
その場合、往々にして、通常ならば排除される要素が最後の決断の瞬間まで含まれたままであり、
その為、それらを組み合わせた答えの数には限りが無い。
優秀めの頭脳と柔軟な思考さえ持っていれば、割合に普通の人にでも実現できる、
実は奇跡でも何でもない、経験による修得の可能なパターン。

幸せとは、体内に貯蔵しておけないビタミンみたいなもの。
ほどほどでいいのよ。
不幸は、知らない間に蓄積されて行く発癌物質のようなもの。
摂取しないに越した事はない。

甘い香りに惹かれて葉にとまった虫。
蜜に足を取られて動けない。
夢見心地のまま、絡められて行く。
ゆっくり、ゆっくりと溶かされながら。

真鍮色のまあるい月。
白ぼけた紺の空にべったりと貼り付いている。
衛星都市の冬の夜。

いい夢を見たと思ってもう一度布団に潜ってみても、
続きはなかなか見られるもんじゃない。
せめて長く眠っていられるように、暖かくしておかなくちゃな。

ブルーベリー。
グレープ。
紫系の果実は、何だか悪魔の匂いがする。

な〜んか、往生際が悪いな。
ハタから見ればバレバレなのに、まだ違うと言い張る、子供みたいだ。

皮膚から脳へ伝わる刺激
この電気信号が"感触"やね

自我という言葉の意味は判る。
人生なんて呼べる生々しい時の過ごし方はしない。
劇的な日々すら、他人事のように、丸で映画でも見ているかのように眺めている。
体の中から、外から分析し、コントロールしながら。
いちいち驚くことは無い。
たまにはどっきりしたいな。
後から収拾の付く程度に。

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