JUNO at rehearsal 42KB 三次元漂流記 2000

    [初冬のモデル; わし at rehearsal]

    ライブのバンドリハ風景。
    やっぱり隅っこが好き!
    はじっこを占領しているもので、
    大所帯なのに、周りに誰もいない!

    目がなくなって口のおばけになります。
    これはまだマシな方ですね。

    福岡のロッカー、
    Lizzie Ai ちゃんの撮影。
    「いかん、いかん......」
    と首を傾げながら
    何度も撮り直していましたが、
    私とは違って絵心を感じます。



鬼が島の鬼よ。
教えて下さい。
あなたは本当に村人を襲ったのですか。
誰が現場を見たのですか。
他の人がやったのではありませんか。
何故、みんな口を閉ざすのですか。
桃太郎では無かったのですか。

Der Schwiewel Peter。
もじゃもじゃペーターって訳だったっけ。
お母さんの言いつけに逆らい、指をしゃぶった子は、
大きなハサミを持ったおじさんに十指をちょん切られた。
印象深過ぎる挿絵。
他には逆さ吊りになった女の子、
ワニに噛まれた子.... だったかな。
子供をしつける時のお話。大人にはねぇ〜。

溺れる者はワラをも掴む。
手を差し延べてくれた人をもまき込んで、
なお溺れてしまうと確信する時、
人はそれを掴まずにいられるのだろうか。
助かろう。
その本能に逆らえるほど強い意志は有り得るのだろうか。

私はいつからこんなに幸せ者になったのだろう。
気が付けばいつも仲間がいる。
二度と会う事が無いかも知れないみんな。
名前も忘れてしまった人達。
不幸になっていないといいな。
そして正直になれない孤独な人達。
あなた達がいつの日か自分自身を救えますように。
本当の強さを見付けられますように。

人を信じない人間は神仏を信じられない。

鏡よかがみよかがみさん。何故にア〜タは真実を映すの。残酷なまでに。
「その為に作ったんざんしょ?」
......さいでした。

闘いにはルールがある。
それを守らない卑怯な相手にはどんな手を使っても勝て、そう教えられた記憶がある。

加算法。ありがとうはありがとうのままでいい。墓への土産もおいとかなくちゃ。

ウソを振り撒かなかれば生きて来られなかった人の気持ち。
ウソをついてはいけないと教えられて育った人間には判らない。
苦しいのかも知れない。
平気なのかも知れない。
私には救ってあげられない。

「日常茶飯事」を「にちじょうちゃはんじ」と読まないのだと知ったとき。
めちゃめちゃ笑った。
未だに頭の中では「にちじょうちゃはんじ」と読んでる私。

天使の体。天使の心。
その行いがいつも善であるとは限らない。
天使が悪魔をうらやむこともあるのだろう。

うろ覚えの子守唄
ナイショ、ナイショ、ナイショの話がひとめぐり

人間爆弾。
誰がスイッチを入れたのか。
私に近付いちゃいけないよ。
でも 次は誰かの番。

無心に生きよう。
ただ生きよう。
それを止める権利を持つのは やはり天だけだから。

香港行きて〜。
「梅田行きて〜」位の感覚でしか無いけど。
聖誕節から春節にかけて、街は一番ばかばかしく飾られている頃。
でも私は離島か山寺に行きたいの。
もともと香港のそういうとこが好きなんだから。
コンタクトを作りに行けば、視力テストと言うより語学力テストだし。
半端じゃなくおせっかいでストレートで人懐っこい人々。
気取っててもあんたら、大阪人よりコテコテよ。

長たる者に要求されることは「誤りを認めないこと」では無く、「過ちを犯さないこと」。
万が一、誤ってしまったならすぐに非を認め、改めないことには誰もついては来ない。

慣れたね、もう。
新大阪駅の階段を降りながら、喜ぶニャンの顔を想像した直後、激しく落ち込むことも無くなった。
たった一年なのに。

甘いものよく飲むでーと言うと、「糖尿病?」と言われたりして。
違うんちゃう。

「親心」
親以外の人間がやったらただのストーカー。
盗み読み。覗き見。勿論、親だって許される訳じゃないけれど。

友の為に何かを為す事は良い事か悪い事か.... 一応良いということにしとこう。
ではウソをつくのは良い事か悪いことか.... 騙すという意図は良くない。
では友の為にウソをつくのは良い事か悪い事か。
詭弁だね。
ウソをつくのは手段。友の為というのは目的。
よって良い事。
大体、ひっくるめて、しかも善悪の二極で処理しようなんておかしいね。
そんな事に答えも出せない若者達ばかり弟子にしちゃったソクラテスは苦労したろうね。

昔から密かに必要とされて来た。
醜いもの、間違ったことを収納する器として。
蓋はもう閉じた。
これからみんなの過ちはどこに捨てるのだろう。

得をする奴は一生得をしながらも尚、不平をたれて死んで行く。
私は、他の人だったら涙を誘うような死に方をするんだろうな。
同情もされず。それどころか見ても貰えない。
石ころだね。

ニャン。
ピヨ。
あんた達に近付こうともがいて来た。
でもどんどん遠くなるみたい。
このまま力尽きてしまうかも知れない。
私はとっくに死んだつもりでいたけれど、まだ生きていたみたい。

人は何故こんなにウソつきで身勝手なんだろう。
心に麻酔をかけた人間が痛みを感じ始めたら、末期症状だ。
生き物は生き続ける努力を止めてはならない。
それはあくまで正常な自然界に於いての話。
もういいでしょう。正しい事なんてどこにも無い。
私はズタズタだけれど、こんな裁きは正しくない。
このまま殻を閉じて化石になろう。
綺麗な化石になって、地球と一緒に吹っ飛ぼう。
きっと誰にも拾って貰えないけど、生命って本来そういうもんだ。
足跡刻むなんて欲どおしいよ。

死に際に慰めや労いなんて欲しくない。
ウソだって知ってるから。

雑草だってちぎられりゃ枯れるし、寄ってたかって踏みにじられりゃ何百という細胞が壊れるんだよ。
か弱い鉢植えと違って、痛そうな顔をしない。
殺戮者に罪悪感を抱かせないだけ。

人は真珠を作らせる為に貝に異物を入れ、それを取る為に殺す。
そんなのつけて美しいか?

ソフトコンタクトはハードより危険。
トラブルがあっても痛くないから、気付いた時には失明だ。

好きであること、一生懸命なこと、
勉強もせずに経験だけ重ねることが人の心を動かす事につながるのなら、
カラオケはとても感動的な筈だ。
拷問でしかあり得ないのは何故だろう。
ちゅーか、楽器に関しては考えられない程ストイックで謙虚な人でさえ、
歌うことになると人に拷問を強いてしまうのは何故なのだろう。
一億総ジャイアン。

陰口を言う人を信用する人はいない。
人を貶めることにより貶めているのは自分自身。
自分を大事にする為には、まず他人を大事にした方がいい。

人はやはり水中から来たのかも知れない。
淡水魚の泳ぐ姿を見ていると引き込まれる。
でも海を見てもあんまりいい気分にはならない。
潮の香りがどうも好きじゃないんだな。どちらかと言えば危険を感じてしまう。
私が川の傍で育ったからか。

まるでビョーキだな。
分裂症でも多重人格でも無く、その傾向もゼロなんだけど。
ハイヂは山を降りると夢遊病になるんだったな。
クララは目が見えないの。
色白で肉食なんだよね。
単独飼育を心掛けよう。アルビノクララ。

日本の警察。
機関自体が腐ってる。
地方警察でさんざん思い知らされた。
大体、事故現場くらい見に行けよ、、、遺留品は見もしないし。
何に対して給料貰ってるねん。
怠け者には電気ウナギ風呂の刑じゃ。

渋谷に見慣れないラーメン屋があった。
バラエティー番組でやってたアレか?
矢印して「ココ」と書いてある。
当たり前じゃ。
よその軒先にのれん出すバカいるか。
と言いつつちょっとウケた。
人気の無い早朝はカラス天国。
ゴミだらけだけど、目的の無い人の波よりきれいだ。

正しさはいずれ証明される。
死後にでも。あの世ででも。
己に恥じない生き方が出来ればそれでいい。

heartbeat という言葉は嫌いだから、極力使わない。
私の心臓は正しく脈打たない。
ソロのレコーディングをしていた頃は毎日、今夜中にも止まるかも知れないと思っていた。
睡眠薬なしでは恐怖で眠れなかった。
その合間の録音作業は、まるで命を刻むかのようだった。
己の足跡なんてどうでもよかった。神風になれ。
本当に当たって散るつもりだった。
あれから一年。
検査を重ね、「あんたのは心臓を止めるタイプのじゃありません」と何度も言われた。
その内、あんなにヒドかった脈も気にならないほどにおさまった。
天はまだ私を解放してくれないみたいだ。

成る程。
男に判らない女性の美しさがあるように、男にしか判らないイイ男っているんだ。
造型の美とフェロモンの違いかな、、、
私が看護婦に妙にモテルのは何故だろう。
アルコールか何か出てんの???
犬には昔からモテルんだな。
フェロモンがばんばん出てるんだろうな、犬の。

この折にアクションチームの召集状。
おいおい、カムバックか〜?

他人の心なんて理解できない。
理解できないことを認め、理解できない部分を尊重し合う事こそ、相互理解の出発点。
文化の壁は、その存在を意識しない限り、絶対に越えられない。

幸福の王子
己を犠牲にして助けたのがもし
指輪を欲しがっている娘達だったとしたら
不幸だったろうな

都会に長居し過ぎると、ここが異常な世界である事を忘れてしまう。
コンクリートに仕切られた空間。地面を覆うアスファルト。本心を隠す為の言語。
私は何だっけ?
本当は誰のものでもない土地の、名も知らない草の青さを嗅ぎに行こう。
正直な友に会いに行こう。
理想郷。
誰も私を縛れない。
金なんて求めていないから。

私は何も必要としていない。
もしも誰も私を必要としていないのなら、消えよう。
それが自然だ。

りかちゃん人形マニアは「気持ち悪」くない。
人形以上に魅力的な女性が現実の世界に存在しないという事だ。
おまけにモデルは未だ美しさの衰えぬ吉永小百合。
マネキンに惚れた女もいたな。
マネキン以上に魅力的な男性が現実の世界に存在しないという事だ。
彼らは間違っていないと思ふ。

弱いものは守り、強いものには立ち向かう。
大きく穏やかなゾウ。

馬の習性。
強く押せば反発するが、優しく押せば従う。

裸の王様。
みんな不親切だね。
風邪引くよって教えてあげたら無礼者と言って斬られるからかな。

何故かのろま、能無し、と言われて育った。
おまけに体が小さいせいもありイジめられた。
友達の間でも主張なんてしなかった。
大人になってからの自分がとても非現実的に感じられる。
ドラえもんか何かの「もしもの世界」を見ているみたいだ。
或いは、あの異常な子供時代がウソなんだ。
変なの。
過去と現在、別な人格かも知れない。
昔の私が今の私を見たら、きっと尊敬してくれる。
暗黒の迷路をぶち壊し出口を開いた事にきっと感謝するだろう。
それよりも、まだ生きている事を意外に感じるかな。

不思議だ。
気が付いたら電車に乗って移動し、仕事をし、ある時は終電に乗っている。
自分の行動の記録をビデオででも見ているかの様だ。

ニャンが死んで一年。
記憶は一体どこへ行くのだろう。
私の前から去った数え切れない生き物達。
愚かな私を呪い続けてくれますように。
夜毎、私を責め続けてくれますように。
彼らの姿が脳裏から消えても、悔いる心を失わないように。
安住も快楽も、永遠に私とは無縁のもの。
そのことを忘れないように。
傷口にいつまでも血をにじませていられるように。
地獄へまっすぐ行けるように。

私は「いい人」かと訊かれれば、間違い無くそうだ。
腹の中は真っ黒だけど、したくなくてもしてしまうのが親切。
事勿れ主義なのかもね。
あぁ悪い人になりたい。
そう思われるのは簡単。
「いい生物」かと問われれば、絶対に違う。
あぁいい生物でありたい。
そうだと勘違いしている人が一杯。

異端者を排斥しなければならないのは、ヒトという、群れで生活をする生物の性なんだな。
文化人類学や社会学なんかじゃなく、生物学レベルの問題なんだよな。
人間が作り変えた地球上では、群れから離れる事が死を意味しない。
何てステキなんだろう。

さて、舞台が終わった。一回ショーなんか久々だ。
初日の緊張感と楽日の開放感がグラデーション。
一つの舞台の為にあんなにリハーサルに時間割くのは高校のクラブ活動以来だな。
テクニカルな面での反省は今後に生かすとして、いいショーが出来たのではないだろうか。
いや〜何だかんだ言って楽しかったな。
しかし、終わるなり歳訊き合うのヤメロ....

バク君
口に押し込まれるのは 中途半端な夢ばかり
ありがとうって言われたことあるかい?
まずいだろ 吐き出しな
そして 本当に死にかけている人のところへ行って
恐怖を食べてあげな
君が生まれて来たのは きっとそうするため

たまには頭の中を整理してみよう。
要らないものはないと思うけれど、使えるのにしまってあるものがあるような気がしてきた。

舞台には、みんなで同じ目標に向かう凄まじいパワーがある。
それは音楽に於ける場合と同じく、核融合的に増幅される。
不思議なご縁で参加したミュージカルの公演まであと3日。
音符的には信じられない程簡単な歌の練習に未だ明け暮れている。
こんなに簡単なものを下手クソに歌う訳には行かないのだ。
自分の音楽ばかり作っていると、地球の公転軸や周期を忘れてしまう。
制約のある中で最高の結果を出す。
1〜2年に1度位はこんなプレッシャーがあってもいいのではないだろうか。
厳しいショーの世界から離れて久しい。
──「今日はお先に失礼します。」
そう言って一人で急行に乗り込むと、皆口々に「お疲れ様でしたー」
扉が閉まる瞬間に一斉に「ばんざーい、ばんさーい!」
電車が動き出すと今度は窓の隙間から「痔、治して下さいね、早く痔治して下さいね!」
いとしのアクションチーム。
ちょっと戻ってみたくなったりする。

痴情とは誰が作った言葉だろう。
きっと恋という言葉よりも一般的だったのだろう。
原始的な欲求から来るものであるという他に、
人は大概、思いを遂げる為に平気で他人を陥れたり裏切ったり、
嘘をついたり芝居をしたりするからだと私は思う。
理性や知性からは程遠い。
言い得て妙だ。

眼鏡が出てこないとき。
眼鏡をかけて探したい。
部屋の中を「検索」したい。

勉強の足りていない人が練習ばかりしていても無駄。
練習の必要な人が勉強に逃げていても意味が無い。
私には圧倒的に練習が足りない。
暫く山にでもこもるべ。

過ちは毎日思い出そう。
地獄に落ちるまで悔いて暮らそう。
二度と繰り返さない為に。
決して償う事の出来ない罪を再び重ねない為に。

私を癒す事ができる程大きな心。
私を騙す事ができる程優れた頭脳。
人という生き物の中にはきっと無い。
これからも誰も愛さなくていいのだろう。
気楽だ。
死の安らかさのよう。

何も求めない人間に悩みは無い。
ゾウリムシは水が枯れても悲しまないだろう。
青虫は餌が見つからなくても泣き叫ばないだろう。
無心に、ただ生きようとする彼らの様に、無限か刹那かさえ判らない営みを続けたい。
生きることは義務。
そこには正義も悪も無く、希望も落胆も無い。
命の始まり、時の始まり、決めるのは人の目。
個々の生命には関係の無いこと。

認められる事と無縁の人間は、褒められると疑う。
己が愛されるに値しないという事に気付いている人間は、愛されれば戸惑うのだろう。
褒められもけなされもせず、愛されも嫌われもせず、山奥の花の様に生きられたなら。
そんな生き方を選ぶ勇気があったなら。

感謝されるとハッとする。
そして不思議な気持ちになる。
人に喜んで貰えるようなものが私の中に残っていたのかと。
私は人の為には何もしない。
するのは、ただ、為すべきこと。
時折、人間時代に戻って「やりたい事」をやるみたいだ。
そういう時は楽しいようだ。

自分の歌のイメージが固まった所で、海外ミュージカルのWEBサイトを探索してみた。
日本のミュージカルが陳腐である原因は、
歌手のレベルの違い(というより次元の隔たり)の他にもあるようだ。
翻訳が下手くそ過ぎるのだ。
翻訳というより通訳だ。通訳も失格か、作者の意図すら通じないのだから。
役者には言語学レベルに及ぶ言葉の知識、
作家には音楽センスを含む音へのこだわりが無ければ話にならない。
歌手ならそれら両方だ。
「ミュージカル」という別枠でくくらなければ歌、音楽として扱えないようならば、
もはや「ミュージカル」という言葉そのものが意味をなさない。
下手でない事は難しい。
ボーカルスクールに通ういつまでも下手な乙女達の情熱が虚しい。

ミュージカル Miss Saigon の中の曲"I'd Give My Life For You"を学校公演で歌う事になった。
気が引ける。
タイトルが明らかな誤訳である上、核となる部分の日本語の用法にも問題がある。
「お前の為に命をあげる」は二重の間違いなのだ。
見慣れた単語だからと言って文の構成もろくろく確かめず、
辞書も引かずに安易に訳してしまう癖は、外国語学習の大きな妨げとなる。
まるで、こんな訳詞が世に通ると子供達に教えるみたいじゃないか。

キレる子供達が多い訳。
それは簡単。テレビの真似。
ゴールデンタイムのバラエティーなどには、しばしば陰険な争いの演出が施されている。
泣く、キレる、頭の悪いフリをする、非常識な事を言う、
そんな身売りが今やカメラを向けられた芸人の作法であるかの様だ。
加えて、本物の素人も入り乱れて同じ様に暴れるから、もう「目を覆いたくなる大惨事」だ。
子供達は世間を知らない。テレビを見て大人の世界をひたすら想像するのだ。
たとえ面白くもカッコ良くもなくとも、そういうものだと思ってしまう。
我々にとってはワンパターンで低レベルなものでも、
こんな状態になってしまってからテレビを見始めた世代には、
それが「あるべき姿」として擦り込まれてしまうのだ。
真似るのは、群れで生きる習性のある人間という生き物の本能なのだ。
「専門家」の言う「ストレス」なんてどの時代にもある。
荷重よりもむしろ放任、いや、大人達の責任の放棄が原因だろう。
人間には無限の可能性がある。
大人になってから勉強して才能を発揮できるものだってあるのだ。
子供のうちから何に向いているか、など、限定する事は決して好ましい事ではない。
得意な事は一つや二つでは無い人間も少なくないのだ。
教育者に必要な心構えとは。
「子供や父兄の機嫌を窺うな」「よく見ろ」「単なる知識の伝授の意義を認識しろ」

大阪よりは不便だが、自然や生き物達の比較的多いこの土地がいつしか気に入った。
ただ、都会育ちでは体験しなかったものに出くわした。
部落差別、性差別。
誰かと比較し、時にはでっちあげ、自分が最下位でない事を確認しなければ安心して生きていられない。
学校でいくら教育しようとも、親が否定し、社会の悪習慣を植え付けるのだ。
そして馴れ合いの社会。
近所の子を叱れない。
情けない。
それが私がいつまでもここを「くそ田舎」としか呼べない理由だ。

眩暈を覚えた。
遊びで人の頭を簡単に殴る子供。
叱ることすらせずに傍でニコニコ笑っている母親。
そのおぞましい光景に「可愛いねぇ」と目を細めている年寄り。
愛想笑いすら浮かべられない私の意識は、居場所を失って空を舞った。
子供嫌い。
そうじゃない。
成長した彼らを想像すると身の毛がよだつ。
彼らもやがて、地球破壊と宇宙侵略を受け継ぐのだろう。

カラオケや生カラオケは歌の練習にならない。
素人が自作曲を家やバンドで歌うのは更にだめだ。
その違いは、数学の問題の答えを丸写しするのと、
足し算という概念も知らずに数桁の掛け算をしようとしている無意味さの差に等しい。

© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
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