三次元漂流記 2000
kuro 29KB [秋のモデル; ステキチの仲良し、クロちゃん]
随分前から知っていたけれど、
滅多にうちには来なかった。
ニャンと同じメスだから喧嘩になるもんね。
毛がふわふわなところも、
甘えん坊なところもニャンそっくり。
雨の後はいつもどろんこの手で遊んでくれる。
この間、うちの玄関で遊んでいて、
遠慮がちに"お手"をしてそーっと引っ込めた時は
さすがに凍りついた。
ニャンの窓ノックそのものだったから。

一ヶ月ぶりに実家に帰ると、貝がお亡くなりに。
中身の透けた殻が底に転がり、外れた蓋がすぐ前に落ちている。
身は魚達のごちそうになったのだろう。
死んだから食われたのか、食われて死んだのか.....
貝は新たな命の一部となって小さな偽自然の中を巡る。

客が目に入らない芸人達。
ショーとは文字通り、見せること。
それは客に媚びることとは全く違う。
舞台に立ってマスターベーションをされても拷問でしか無いだろう。
全然面白くないお笑い芸人にも困ってしまう。
音楽や舞踊は、神に捧げたもの、魔物に見せたもの。
己を楽しませる事が起源では決して無い。
但し、アマチュアは楽しめばそれでいい、ただの「一生懸命」すら評価されていいと思う。
趣味なのだから。
メンバー募集で「完全アマ志向」と書いているバンドはイサギが良くて好感が持てる。

悪役と悪人は根本的に違う。
悪役とは、正義を立てる気持ちを欠いては絶対に務まらない。
ただの嫌われ者とは異質なのだ。
筋の通らないわがまま及びバカ発言も「毒舌」などと言うべきではない。
メディアは言葉を正確に使う最低限の努力をしてもいいと思う。
「危」マークの車で原チャリをあおるドアホ運転手じゃないんだから、
己が他人に及ぼし得る影響に少しは責任を感じた方がいい。
その程度の意識も持てないならやめてまえ。

ニャンが私を置いて行って十ヶ月。
何故たった一日、待ってくれなかったのか考え続けた。
何故プロデューサーとの出会いの日だったのか、そしてその死が何故CD制作につながったのか。
突き止めようとここまで来た。
もはや好きと言える次元に無い音楽を続ける事が、永遠に続く答えへの道だと思った。
十字架を負い、いばらの道を行く覚悟でいた。
でもあれは、警告だったのかも知れない。
仲直りしなさい、家族を大事にしなさい、でないと又同じ思いをするよ、後悔するよ。
最後の最後に、そう教えたかったのかも知れない。
その為に、大好きな私ではなく、母の胸を選んだ。
そして犬達を見守りにつけたんだ。
ニャン。命に代えても守り通すべきだった犬。
過ちはもう繰り返さないから。二度と。

「生ハムをトッピングした贅沢なピザです」
その宣伝文句を見た時にある疑問が浮かび、験してみたくなった。
予感は的中した。オーブンでチーズが溶ける程に熱を加えれば、生ハムは普通のハムになる。
商品名を「生ハムピザ」とした雪印の意図は全く理解できないが、
ピザの存在感の前には、何ハムだろうが、食感など負けてしまって、ただの塩味要素でしかない。
「生ハムに熱を入れてしまう様な無駄な使い方をした、贅沢癖の人の為のピザ」
と解釈するのが正解かも知れない。
そもそも、生ハムをピザに載せる事自体、意味のあることには思えない。
台はパンの様で、総合評価としては、特にピザにうるさくない私にとってまずいものではなかった。

帰る場所がある事のありがたさ。
治安の悪い海外を夜、さまよいでもしないと判らないだろう。
健康の素晴らしさ。
健康な内は絶対に判らない。

街角募金、ボランティアを名乗る訪問販売。私は一律、信用も疑いもしない事にしている。
募金なら、確かなところに幾らでも窓口がある。或いは、自分で現地に行けばいい。
本当に人を信じたければ、誰でも彼でも盲目的に信じない事だ。
世の中、滅茶苦茶に悪い奴もそう多くはないけれど、
信頼するに値する程の人間もごろごろはしていない。
己の責任において判断し、行動せねば。

無から生まれたものには帰る場所が無い。
辿り着くべき場所も無いのだろう。
映画のようにカットの声が掛かれば、私はためらわずに「お疲れ様」と言って消えて行ける。
きっと笑顔で。

階下に降りる度に水槽を覗き込み、貝がどこにいるか探してしまう。
たかが貝と割り切ったつもりだったが、いざ入れてみると可愛い。
オレンジの斑点模様。
当たり前だが生き物って美しい。

今日は午後、駅まで人を迎えに行ったら、途中にクロちゃんがいた。
チャリンコだったのでついては来なかった。
次に通った時にはいなかった。
そして数時間後、今度は駅まで見送りに行ったらステキチがいた。
正に護衛をしてくれているような、使命感たっぷりの足取りだったが、
この間の様に電車に乗ってしまうと思ったのか、駅の直前で消えた。
帰り道には姿は無かった。
そして夕食後、窓から外を覗くと二匹一緒にいたので呼び止め、玄関に出て遊んだ。
暫くすると、遊び飽きてトコトコとどこかへ行ってしまった。
何だか童話みたいだなぁ。

家の前で鳴き声がしたので出るとクロちゃんがニコニコ門を入ってきて、「ハラヘッタ〜」。
二軒向こうの家の前にいるステキチは呼んでも近付こうとしない。
冬毛の生え始める気候だ。
お尻の辺りには、春に抜けた毛が織物の様に絡まったままになっている。
餌をやりながら、毎回少しずつ外していく。
穏和なこの犬が裏切られ、見捨られた日から絡まり続けている誰かの不義を、
一本でも多く取り除く事ができれば。

昨日の昼間は、犬が入れ替わり立ち替わり遊びに来た。
夕方にやって来たゴールデンアップルスネイルの様子を見に玄関に行ったついでに戸を開けると
クロちゃんがこちらを向いてお座りをしている。
餌を食べ終えたクロちゃんに誘われ、歩きにくいサンダルでついて行くと、
嬉しそうに、ぴょんぴょん跳ねながらどんどん行く。
辺りが暗いので帰ろうとすると、またぴょこぴょこついてうちまで一緒に戻り、餌の残りを食べた。
春から絡まったままの冬毛の残りを取ってやるとじっとしている。
そんなんやったらも〜うちの子になったら?ステキチと一緒にさ。

五輪サッカー有色人種vs白人国家inオーストラリア。
審判はどこの国籍だったか忘れたが、
カード大国アメリカの、色とりどりのカード欲しさの反則を無視し続けるつれないお人。
日本の相撲界における外人差別への腹いせか、はたまた豪州政府の慣習の名残か。
そして黒子である通訳、エキサイトして監督を隠すな!
血を流しながら戦い続けたキーパー、あんたはエライ!もぉ名前忘れたケド。
これ位で日本人観戦者の気持ちは代弁できたろうか。

つのらぬ想い。
気温が毎年目に見えて上がっていくのに、コイだのアユだの言ってる場合か。
禁欲的。そう言う表現もある。
しかし、それどころじゃない時は「禁じている」とは言わない。
そんな事よりも、アノ森君が「IT事業を重要視」するというコメントは笑えるなぁ。
新喜劇の舞台なら、スリッパでどつかれ、客席が笑いの渦に包まれるところ。
吉本では不謹慎発言も一つの武器になる。
お笑い界にシルバーアイドル誕生の予感。

MOTHER から M を取っても"他人"の意味にはならん。
ところで最近、教育産業CMにまで下半身に訴えるものが多いのは何故だろう。

クロちゃんがステキチと一緒にスキップで遊びに来た。
セサミストリートに出てきそうな愛嬌のある顔は、眼圧のせいだろう。
愛らしい歩き方は体の老化によるもの。
心臓も悪そうだ。
毛がふわふわなところもニャンによく似ている。

どぶ川を隔てた裏の古い家が空き家になった。
駐車場にでもなるのだろう、
山鳥達の住みかになっていたうっそうとした茂みは機械で刈られ、一日で消えた。
台風の合間の雨上がりの夕方をべったりと染めた美しくも不気味なセピア。
かすかな元の色と形だけを残した家々は、まるで記録写真の中の過去の風景だ。

昨日は久々にクロちゃんを見かけた。
珍しくステキチと一緒でなかった。
呼ぶと、嬉しそうに近付いてくる。
お腹を空かせていたのでご飯をあげ、少し前に作った反射材アクセサリーをつけてあげた。
ステキチ、擬ノラのチェリーとおそろいになった。
安全とは決して言えないけれど、心配で眠れない夜は少しは減りそうだ。

子供達の学力低下が深刻化.....文部省はそんな事も予測できていなかったとは。
右を向いても左を向いても「コセイ、コセイ」と個性の無いさえずりが。

台風の雨続き。ステキチは姿を見せない。
法治国家の元首が日本国憲法を知らないというのも世紀末な話だ。元首論争はさておき。
人類の侵略は、物事が終焉に向かう時の様にめまぐるしく速度を増している。
良い事は最初は変化は著しくとも途中から目に見えにくくなる。
悪い事は終わりに近付くと急に展開が派手になるから、気付いてからでは往々にして手遅れ。
空からは予言通り、恐怖の大魔王が次々に降りて来ている。
アホには見えない姿を借りて。

昨日は "GO HOME AND WAIT FOR ME AS YOU ALWAYS DID" 日本語版を録音した。
部屋を閉め切ったのはいつもの通りだが、クーラーをつけたのは数年ぶりだ。
ニャンに捧げる歌に、いつものような我慢大会はやめよう。
8ヶ月前に英詞の仮歌を入れた時と同じく、涙が溢れた。
部屋の隅には、ニャンの寝床が置いたまんま。

郵便物を出そうと近所までチャリンコこいで行ったら、ポストがリストラされていた。
かなん時代じゃのぉ〜。

庭に響く虫達の声。
破壊されつつある宇宙の中で、生き物達はどうやって季節を知るのだろう。
人はどこまでその大らかさに甘えるのだろう。

最高気温を記録したと思ったらもう秋だ。
盗人は金品を使い果たしたら一文無し。
湧き続ける智恵の泉と違って。

もうお盆か。昨日から星が見えない。
雲空の上にはペルセウス座流星群。
地上には曇り顔。

7月。今回は一月以上ぶりに実家に帰って来たら、又ステキチに出会った。
仲良しのクロと一緒に家まで来てくれたものの、
散歩の途中の柴犬にくっついてすぐに行ってしまった。
嬉しげな後ろ姿。私にはまだ守るものがある。

「天皇の地位は時代と共に」変わるものではなく、国家と共に変わるもの。
何故なら日本は放置国家、、、おっと失礼! 法治国家だから....位はご存知よねぇソ〜リ!

5月31日に江戸へ向けて発つ朝、ステキチに出会った。
仲良しの友達といたのに、雨の中を駅までわざわざ送ってくれた。
"ありがとね、バイバイ"と何度も言うと、改札の向こうでニコニコ尻尾を振っていた。
素直に愛せるって素敵だ。
何て勇気のある生き物だろう。

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