三次元漂流記 2005
たんぽぽと桜 [6月のモデル;たんぽぽと桜]
桜の季節になると、キョンの散歩道はピンクに染まる。
写真を見れば、どれも輝くばかりの笑顔。
ニカッ!
毎日通る道なのに、いつも興味津々で、
溢れる生命に敏感に反応する。
草の臭いを嗅ぎ、土の上の鴨を狙う。

手前にはタンポポ。
向こう側に見えるのは、川面を覆った花びら。

□■■ Jun. 28th

一方で変化を嫌いながら、一方では新鮮さを求めてしまう。
多分、後者の私が正しい。
まだ、目的地ではない。
安住したい訳ではなく、面倒だから、怖いから。
それだけ。

楽園など、ありはしない。
ゴールなど、ないのだ。
満たされてはいけない。
きっと、手放す時が来る。
棄てる時がやって来る。
唯一の宝でないのなら、汚さずに置いて行け。
欲張らずに。

追っていいのは、手に入らないものだけ。
導き、追い立て続けてくれる幻だけ。


□■■ Jun. 27th

溺れてみようか
久しぶりに
息苦しさに
気が遠くなるほど
どうせ すぐに
ボートがやって来る
それまでの間

全てが欲しいなら
何も手に入れるな
何かが欲しいなら
全てをあきらめろ
どちらもできないなら
何も欲しがるな


□■■ Jun. 26th

悪いけど.....
劇団四季って歌下手クソやねぇ。
これは上が悪い。
いい素質の人はいるのに。
でも、無理よ。
一番エライ人がダメだから。
英語力も読解力もなく、日本語のセンスも変。
全部雇って、経営者になってしまえばいいのに。
脚本家や演出家としての素養のない凡人が、
ブロードウェイミュージカルの翻訳ごっこをやっている。
団員が可哀想だ。
何故、みんな一番無能な人に従っているの?
他に食える劇団がないから?
役者が受け身な事情は私もよく判るけど、弱すぎ。
この状態で日本を「代表」されても困るし、そうはならない。
そりゃあ、歌手だけでもまともな人がいないのに、
その上、ダンスも芝居もできて、
なんてオールマイティな人がうじゃうじゃいる筈ないが、
あまりのレベルの低さに驚いてしまうのだ。
少なくとも、CDを1枚聴かせられるのは拷問以外の何物でもない。
一体、この劇団は何に「厳しい」ねん?!
歌詞がアレじゃあ練習するのもハズカシイわなぁ。
ブロードウェイが上手い歌手ばかりとは思わないが、
少なくとも最低レベルは下回っちゃいかん。


□■■ Jun. 7th

叔母がいつも、お供えを買う西洋菓子屋に
「〜〜の苦心作」という「作品」がある。
多分、その人の店なのだろう。
見掛けはシンプルだが、ひとかけらを口にした瞬間、
衝撃に腰が砕けてしまう。
先日も、初めてではない筈なのに、畳の上にひれ伏してしまった。
時と共に変化する香り。
何じゃこりゃあ?!
食材への敬意というか、謙虚さというか、
パティシエの心遣いがこちらまで伝わって来る。
包み紙には「苦労しましたわぁ」と書いてある。
勿論、全国展開などしていない。
職人技に出会った時、私は感動する。
感動と共感は違う。
人が昨今「感動」と呼ぶものは、感動ではない。
職人を大事にできない社会は、終わりである。
日本は、虫の息である。


□■■ Jun. 5th

小学校での英語必修化って.....
その前に、ええトシこいた親父達の日本語力、何とかならんのかね。
この国を滅ぼすつもりかね?
いい加減にしてよ、文部科学省。
学校は、職業訓練所じゃないんだよ。
通じるだけでいいんなら、住めばいいのよ。
そこら辺の日本人の日本語レベルにはなるだろう。


□■■ Jun. 2nd

叔父が急逝したと、土曜の朝に知らせが入った。
心臓は良くなかったが、毎日、2時間かけて散歩を楽しんでいた。
風呂に入った後、気持ち良かった、ありがとうと言って床に付き、
それっきり起きて来なかったらしい。
その夜の通夜に続き、翌日である日曜が葬式と、
誰にも迷惑をかけることなく、そして心のしこりを残すことなく、
その人柄のまま、穏やかに旅立った。
孫を膝に抱いた写真を使ったという、満足げな遺影に問いかける。
「死ぬってどんな感じですか?」
2年近く癌と闘い、昨年末に世を去った叔父と同じ、
天へと向かう銀色の「エレベーター」に乗り込む叔父に、又、問う。
「死ぬってどんな感じですか?」
悔いも恨みもなく、安らかに最期を迎えた叔父は、
その純粋な感覚を知っているに違いなかった。
私には、そう思えた。


□■■ Jun. 1st

タンポポと言えば、日本では在来種はセイヨウタンポポに制服されつつあると言う。
近所のも、皆、そうなのだろうと思っていた。
ある日、図鑑を見ていると、その見分け方が載っていた。
ガクが反り返っているのが外来種、真っ直ぐ花により添っているのが在来種。
散歩道で見掛けるのが殆ど在来種であったのだ。
アスファルトの割れ目や、過酷過ぎる環境に育っているのは、外来種。
よく見ると、外来種は花びらがこんもりとボリュームがある。
私が見て育ったのは、間違いなくこちらである。
見慣れているので、すぐに判る。
畑にはキジが歩いている。
外来種は、種を作る為ではなく、他の種の受粉を妨げる為に花粉を撒く。
何年かすれば、ここも外来種に制圧されてしまうのだろう。
こんもりと詰まった種を見ると、摘み取ってしまおうかと考えもするが、
それもそれで違うだろうと、思い留まる。
美しいと思っている君。
妬まれていると思っている君。
誰が本気で羨むだろう。
何も持っていない君を。
欲張りな君の言う通り、君は何も持っていない。
持ち物はブランドでも、高価なプレゼントに囲まれていても、
大事なものを欠いては百円ショップにしか見えないよ。
君に足りないものは、人に愛されることじゃない。
愛されるに値する、自分自身。
愛されることは、結果でしかない。
© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
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