三次元漂流記 2005
スズメバチの残骸 [8−9月のモデル;残骸!]
とあるマンション。
小さな窓についた、あれは何というのだろう、ベランダのようなところ。
恐ろし気なものが散らばっていました。
何だろう、、、、、順に見て行くと、同体、手足、羽?
そして、、、、、鉄カブト。
スズメバチだぁ〜!
何と、バラバラ死体ではありませんか。
どうなってんの?!
闘いに破れるとこうなるのか?
相手は?
他のスズメバチ?
スズメバチでも、他の大きな種類のスズメバチに食べられたりするという。
この顔、、、、、こえぇ〜〜〜なォィ。

□■■ Sep. 30

ふ〜ん。
若い頃の小泉君の発言。
「最高権力者が無謀なことをやって、いいことは起こらない」
だってさ。
君は、総理大臣を「最高権力者」だと思っていたんだね。
今の君は、自分を「最高権力者」だと思っているんだね。
政治家は「権力者」じゃないよ。
民に奉仕する者、そして君はリーダーだ。
それ以上でも、それ以下でもない。

小泉君の言う事には一貫性があるだと?
一般大衆が言うなら仕方がない。
君らがそんなに読解力がなくてどうするの。
ほんとにもう、衆愚政治。

ギャンブルや詐欺の深みにはまる人は、損して終わることの出来ない人。
納得が行くまで、引き下がれない。
君との関係は、まさにそんな感じ。
失ったものが取り返せるどころか、どんどん損害は大きくなって行く。
私が見放したところで、君は何も失わない。
もしも君の髪をお猿の頭の形に刈って毛が生えて来ないようにして、
「コイツサイテー!」の入れ墨を額に入れられるなら、
思い切り引っぱたいて、君を置き去りにするだろう。

言いたいことをズケズケ言う人間は嫌いだ。
苦手じゃなくて、嫌いだ。
言いたいことどころか、正当な主張すらできなくて、
周りの身勝手の餌食として育って来た私には、善人面の裏がよく見える。
偏見が激しく、テレビや世間の基準には狂信的な癖に、
人間対人間としての他人の言葉には耳を貸さない。
だから、こちらが正しくとも説き伏せることもできなければ、言い負かすこともできない。
大人になったというのに、そんな奴がまだスズメバチのように周りを飛び交う。
散れ。
そんなのを、今更連れて来るな。
私の人生の中に放り込むな。
離れられない大事な仲間だと言うのなら、そいつを伴い、お前も失せろ。

都会で急増するスズメバチ被害への対策を取り上げた番組をやっていた。
もしかして「ご近所の底力」?
見たみた、昨日、まさにそのホームページで、身の守り方や刺された時の処置、
スズメバチ取り器の作り方まで、声出して読んだやん。
食い入るように見て、
「うちも作らなあかんな。」
って。
テレビでやらな、間に受けんのかい。
テレビはたかがテレビ、神のお告げとは違うぞ。
学者だって、キャスターだって、間違ったことを平気で言うぞ。


□■■ Sep. 29

阪神優勝てか。
どうでもよいけれど、
「次の優勝は10年後やから」と、おみくじクラッカーを手渡される。
「湿ってたらコワイやん!」
「掃除めんどくさいやん!」
「親父がするから。」
高く打ち上げられた球を捕えた金本のオッサン走りで試合終了。
付き合いで、一家パンパン。
わっ、手に何か当たった!
.....と思えば、おみくじである。
ゴミを散らかさないように、うまくできたものだ。
『大吉!今が頂点です。あとは落ちるのみ』
何でわかってん?!
アンタは細木数子か!
さっきまで機嫌よく玄関口で寝ていたキョンが、びっくりして跳ね起きていた。
いつもは外で聞こえる大嫌いな音が、安全地帯である家の中で響いているなんて!
優しく呼んでも、ヘコンで上がって来ない。
トラウマになったかも.....

地方出身者のコンプレックスは、時に都会の人間を見下した発言をさせる。
やりたい放題、乱れた生活を送っておいて、
「田舎の人は都会の人と違って、心の奥は純粋だから」
みたいなことを言う。
言いたいことだけズケズケ最後まで言っておいて、
「私ら損な性格やわ」と言うオバハン並の厚かましさである。
お前らみたいな下半身のゆるい奴らに、スレていない都会育ちの人間の何が判るんだ。
ゲームセンターなんかで夢中で遊べるような奴に「純粋」なんか判ってたまるか。
己を磨き、誠実に生きている人は、出身地など言い訳にしないもんだ。
人を傷付けておいて被害者面するなんて、引きこもりよりタチが悪いわ。

マザコンは、何も病的にお母ちゃんに甘えている男だけではありません。
子離れできない親に向かって、
責任もプライドもある大人同士として接することができない男は、みんなマザコンです。
母親にとって、息子は死ぬまで、いや、死んでも息子です。
しかし、息子自身は、大きくなったら男であって、
いつもまでもお母ちゃんの管理下にいる子供ではないのです。
お母ちゃんの心の中の幻想から抜け出さねばならないのです。
世の中、結構マザコンだらけでゾッとします。


□■■ Sep. 28

裏庭のスイフヨウには毎日、スズメバチが来ている。
ここ2日、雨のせいか、一日中いるようだ。
ハチや他の昆虫を捕え、肉団子にして持って行くそうだ。
何もしなければ刺されることはないらしいが、やはりコワイ。
キョンの散歩道でも毎日のように出くわすので、黒い頭を隠す為に帽子を買いに行った。
昔から帽子が似合うと言われていたが、前髪がペッタンコになるし、面倒臭いし、好きではない。
スーパーの帽子売り場に行くと、しょーもない帽子が並んでいる。
いや、かぶられてなんぼのものを、並んでいるだけでしょーもないとは失礼かも知れない。
片っぱしからかぶってみると、どれもこれも似合うこと!
帽子モデルになろうかしら。
ギャグのつもりでかぶったものまで、普通に似合ってしまう。
頭が小さいので、Sでもスカスカだ。
さて、と、実際にかぶる状態で似合うものを探さなくては、と、
眼鏡をかけた顔で、髪を後ろでまとめて鏡を見る、、、、、何と、ブッサイクやな〜!
今まであんなに似合っていたのが嘘のように、首のひょろ長いヘンな昆虫に変身してしまった。
どれをかぶっても笑ってしまう似合わなさ。
つばの広がりの少ないものが一番マシだったので、安売りではなかったが、それを買った。
まぁ、他の季節に着るならよいだろう.....


□■■ Sep. 23

少し前、親父が畑で草引きをしていると、スズメバチに遭遇したそうだ。
後ろからいきなり正面に回り込んで来たらしい。
ものすごい羽音を立てながら、段階的に距離を縮める。
動けば刺されると、じっとしていた。
幸い、帽子をかぶっていたのも良かったかも知れない。
暫く観察した後、飛んで行ったそうだ。
そこら辺にはいない特別な生き物のように思っていたが、いるのだ。
マムシだっているもんね。

一昨日、庭のスイフヨウの周りに大きなハチがいた。
細長い別な種類のハチも一緒だった。
よく見ると、黄身がかったオレンジの部分があった。
頭だった。
げ..... スズメバチ!
思っていたより小さい。
茶色のシルエットも、イメージと違っていた。
これなら、よく見る。
同じ位の時間に巡回して来るのだそうだ。
うろうろした後、葉の裏で何かごそごそやっていた。
陰から細い羽が見えている。
違う種類のハチが仲良くするか???
間もなく、何かを抱えて飛んで行った。
葉でもちぎって持ち帰ったのかと思えば、どうやら、もう一匹のハチらしかった。
食糧か.....?
アシナガバチが青虫をお持ち帰りしたこともあったそうだ。
ひぇぇぇえ。

そして昨日、キョンの散歩の帰り、茶色の影を発見した。
やはり、頭がオレンジ。
スピードを変えずに、そーっと通り過ぎて少し行くと、
鋭い羽音と共に茶色が我々の右側から現れ、ぐるりと回って左側へ消えた。
でた.....
知らぬが仏とはこういうことだ。


□■■ Sep. 18

正しいことを行うには、エネルギーが要る。
好きな事をズケズケ言ってスッキリするのとは、似て非なるものである。
経験を積んだものは、その大変さをよく知っている。
恐れを知らずに理想を追うことのできる若者とは違う。
老人の方が正しさに対する理解は深くとも、それを正確に行えるとは限らない。


□■■ Sep. 8

暦の加減で、通夜から葬式までは3日かかった。
その間、キョンを独りで留守番させることになってしまった。
激しい雨の中、もしかしたら雷が鳴っていたかも知れない。
1日目の夜、帰って来ると、窓が大きく開けられていた。
ヒヤリとするものの、落ち着いて見回すと、カーテンがレールから引きちぎられいて、
窓の前ではキョンがへらへら笑っている。
小屋の前には、ボロボロになったレースカーテン。
どうやら、カーテンを挟んだまま窓を閉め、鍵をかけたつもりになっていたらしい。
家ごと置き去りにされたキョンは、怒ってカーテンを引っ張ったようだ。
今夜は蚊だらけだな、と覚悟したものの、
気温が低いせいか、人気が無かったせいか、
1匹飛んでいるのを見ただけで、誰も被害に遭わなかった。

2日目も雨。
従兄の迎えを断って電車で行くと、出掛けた途端に降り出した。
幸い、駅までは車で送って貰うことができた。
途中、激しくなったり、止んだりしていたが、
我々が電車を降りる時になると、急にどしゃ降りになった。
既にホームで濡れてしまった。
暫く様子を見るものの、止みそうにないと覚悟を決めて外に出た。
階段を降り、水たまりの中を歩く。
いかん、靴の中がびしょびしょになってしまう。
親父の礼服を濡らすのもまずいのではと思い、
公衆電話の前のひさしの下に待機して電話を掛け、
車で迎えに来て貰うことにした。
選挙の候補者がお願いを連発し、雇われのおばちゃん達がうろうろする中、
目の前にある身体障害者用タクシー乗り場には、選挙カーが2台、堂々と泊められていた。
我々はどこで乗ればよいのか判らなかったが、
車の模様を覚えているからと自信満々の親父は、
「あれだ!」と見付け、性急に走り出した。
車がタクシー乗り場の手前で扉を開けると、
慌てて乗ろうとして滑り、深い水たまりに足を突っ込み、大きなしぶきを上げた。
歩いて行ったと同じ位、そこで濡れてしまった。
「迎えに来ん方が幸せやったかも知らんなぁ.....」
奇跡的に、靴下は濡れていなかった。
玄関で私の肩を触った甥っ子のカズシは「びしょびしょ」と言った。
「どうしたらいいと思う?」と聞くと、「ふきふき」と教えてくれた。
放っておくとすぐに乾いたのだが、ふきふきしたことにして、
「これで大丈夫かな?」と訊くと、「ハイ」と教えてくれた。
カズシは前に会った時とは変わって、反抗期だった。
他の大人達と違い、子供に媚びない私に、特に反抗した。
テレビの「にゃんちゅう」を気に入っている様子だったが、
「にゃんちゅう好き?」と訊くと「嫌い」と言う。
多分、私に反抗しているのだろう。
「にゃんちゅうもカズシ君のこと嫌い言うてるわ。」
と言うと、意外な展開にちょっと戸惑っていた。
「カズシが嫌いだったら、相手もカズシのこと嫌いになるんよ。」
お母さんは、用事をしたり、子供達の世話をしたり叱ったりと、忙しかった。
まだ幼い弟のカズキは、這い回ってヨダレを垂らしては、
色々なものを口に入れたり、泣き出したりする。
ぬいぐるみを耳に当て、
「もしもし?ん?カズシ君?ちょっと待って。ハイ、カズシ君に電話。」
と言って渡すと、不思議そうな顔をして、従兄のところへ持って行く。
「もしもし?うん..... うんうん。」
ノリの良い若い衆に大喜びし、勢い余って隣の部屋に「受話器」を持って行くものの、
事情の判らない大人達には通じなかったのだろう、
暫くして、つまらなさそうに帰って来た。
手伝いとカズシいじりの3日間は、慌ただしく過ぎて行った。

送って貰って家に帰り着くと、この日の戸締まりは完璧であった。
但し、網戸がベリベリに破られていた。
時間が経っているし、我々との再開を喜んでいるキョンは叱れない。
これさえ無ければ、頼もしいことこの上ない用心棒なのだが。

葬式の日もやはり雨だったが、家は無事だった。
ご飯をあげると、何度か自分の「巣」の周辺に埋めに行った。
以前、雷が続いた時にも、こんな備えをしていた。
おやつも、要らない時にはちゃんと埋めて保存する。
凄いのは、埋めたこと、そして場所もきっちり覚えていることだ。


□■■ Sep. 5

伯父が逝った。
2年という、長い闘いであった。
闘えたのかどうかは、判らない。
ただ病名を告げられただけの、半端な告知であった。
息子達には、真実が告げられていた。
癌性腹膜炎。
もはや、手術できる状態ではなかった。
半年の余命。
詳しいことは何も知らされず、希望を抱いていた。
暫くすると、少し元気になった。
そういうものだと知らない伯父夫婦は、大きな希望を見い出していた。
丁度、私がひどい腰痛に悩まされていた頃だった。
母も含めて4人、近くの山の中を歩いた。
桜の季節からは少しずれていたが、私は、写真を沢山撮った。
元気な頃の最後の姿だったかも知れない。
思い出の品をかき集めるように、貝殻を拾いあさるように、懸命にシャッターを押していた。
次に会った時、伯父は変わり果てていた。
目は窪み、体は痩せ、毛が抜け、皮膚が破れていた。
頑張って治そうとしているのに進行して行く病状に、焦り、苛立っていた。
こんな告知なら、しない方が良かった思う。
末期癌の告知とは、選択枝を与える為に行うものではないのか。
自分の命を見つめ、どう闘うのか、或いは闘わないのか、
無限ではない時間をどう使うのか、心をどう持つのか、
伯父夫婦には、そんなヒントは何ひとつ、与えられなかった。
日々抗い、苦しみ、怒り、嘆き、悔しさを噛みしめていた。
人に迷惑を掛けたり、甘えたりする人ではなかったのに、人前でも我が侭を言うようになった。
心配を掛けまいとする気持ち、それ故に状況を理解しない周囲への腹立ちの交錯する思いは、
当時、癌の可能性も否定できないと言われていた私には、よく判った。
しかし、全快することにしか希望を見い出していない伯父を応援する言葉は、私には無かった。

伯父は当初、膝の痛みを検査する為に入院していた。
余りにも遅い退院の理由を私が知ったのは、数カ月後だった。
癌の可能性があると紹介された病院で、病名をごまかす事ができたであろうか?
単なる成りゆきではなかったか?
それは、私の場合も同じであったろう。
日本は、余命告知に関しては遅れている。
近年、本人へ告知するケースは増えているのかも知れないが、
それは、患者自身が生命を選択する権利を与えられているという意味ではないと思う。
告知を望むというアンケート結果は、
必ずしも、告知された方が幸せであるということを意味しない。
私自身も、2度、癌かも知れないと言われた。
「残された時間がわずかと判れば、それなりの段取りがあるから」
それはその通りだ。
周囲に迷惑をかけないよう、秘かにメモなどを用意する。
タイムリミットのタイトな中、忙しく動き、気が付けば夜。
夜は恐ろしく、息苦しい。
いつ果てるとも判らない。
出口のないトンネルに押し込められたようなものだ。
確かに、最初は真実が欲しかった。
より正確なことが知りたかった。
だが、もう沢山だと思う。
色々なことを知りたくない。
天の意志なら、身を任せればいいじゃないか。
生命と向き合うことは、それほど簡単なものではない。
そして人は、それほどに勇敢なものでもない。
そもそも、抗って生きるのが正しいという考え自体が、傲慢なのかも知れない。

伯父が急に入院したと聞いて、家族で見舞った。
既に痛みがひどく、モルヒネを使っているとのことだった。
幻覚のせいで、時折、不思議なことを口にする。
自分から入院すると言ったそうだが、しきりに「タクシーで家に帰る」と言っていた。
寝転んでは座り、憑かれたように何度も立つ練習をした。
軽くなったとは言うものの、生きた人間を体ごと支えるのは大変だった。
伯母の心労は頂点を越えていたに違いない。
何度も癇癪を起こし、お気に入りの看護士さんが来ると
「自分を窓から捨ててくれ」と言った。
担当医が来ると素直になり、痛みは無いと言った。
嫌なら酸素チューブも外してよいし、夜は点滴もしなくてよいとのことであった。
治る患者になら、そうは言わなかっただろう。
その2日後、容態が急変したとの知らせを受け、駆け付けた。
従姉妹達も次々に姿を見せ、病室は一杯になった。
朝、孫達が来てすぐに帰った後、がくんと気が抜けたようになったのだという。
酸素マスクを当てられた顔は白目を剥き、
顎が上がって、また別人のようになったいた。
長い周期で、苦しそうに息をしているだけだった。
話しかけても反応が無い。
聞こえているのに伝える術のない一方通行の歯痒さを思うと、いたたまれない。
一晩位、続くのかと思っていた。
が、2時間ほどしてから、変化は訪れた。
伯父が息を吸わなくなった。
みんなが大声で名前を呼んだ。
私も、出番とばかりに足下に急いだ。
「おっちゃん、こっちやでー!」
呼ばれる度、伯父は何度か帰って来た。
「お帰り」
親戚の間であんな声を出した事は無かったから、
伯父には誰だか判らなかったかも知れない。
伯父の姉達は、そっちへ行ってはいけない、としきりに叫んでいた。
大人達の金切り声に、孫達が泣き出した。
伯母は、孫達の泣き声すら、伯父に必死に届けようとしていた。
伯父の帰って来るのが徐々に遅くなり始めた。
連れ戻されるのも苦しいに違いない、
そう思った私は、途中から呼ぶのをやめていた。
たとえ、奇蹟で息を吹き返したとしても、
戻った先はもはや自分のものとも言い難い肉体なのだ。
間もなく、完全に呼吸が止まった。
私を除く一同は大声で叫んだ。
伯父の姉2人は、私の聞いたことのない、昔の渾名を口にしていた。
看護士さんがやって来た。
呼吸と心臓、いずれかが先に止まり、間もなく他方も止まるのだという。
まだ耳は聞こえているので話し掛けるように、と言った。
暫くしてから、担当医が来た。
瞳孔と脈を確認し、最期の時刻を告げた。
部屋は、慟哭とすすり泣き、子供達の泣き声に包まれた。
私は、天井の四隅をゆっくりと見回していた。
変な奴だと思われていたに違いない。
5分か10分程してから、従兄が到着した。
間に合わなかった事をみんなが残念がったが、伯父は、まだいた筈だ。
その時は、漠然とそう思った。
死の真際には、一部の感覚が研ぎ済まされる。
ピヨの死に際、超能力と言ってもよい程の聴覚を、私は確認していた。
目も見えない、特別な音が鳴る訳でもないのに、
台所から廊下へ一歩踏み出すと、「みぃ」と鳴いて、傍にいて欲しい事を伝えた。
だから、伯父にも聞こえていたに違いないのだ。
呼吸が止まり、心臓が止まり、酸素の送られなくなった器官が徐々に死んで行く。
最後までその役目を忠実に果たすと言われている耳は、
まだ脳に信号を伝えて続けていたに違いなかった。

伯父の姉達は、伯母の献身を労った。
伯母は「大事な弟をこんな病気にして済みません」と泣き崩れた。
伯母のせいではない。
伯父のせいではない。
身近な誰のせいでもないが、食品会社のせいではあったろう。
病院という企業のせいでもあったろう。
毎年、ドックなどで検査を受けていたという。
病院の収入源でしかないというそれでは、数値のみがチェックされ、
目で見れば判る徴候も見落とされてしまうと聞いていた。
それは、事実だったということだ。

全てはシナリオ通りだった。
何の意外な事件も起こらなかった。
聞き知った通りに病が進み、聞き知った通りの最期を見た。
一昨年末に病名を聞かされた時からずっと、この瞬間を予測していたように思う。
伯父の姿に「かりそめ」を見ていた。

枕を当てられて頭を持ち上げられた伯父の顔は、昔の表情に戻っていた。
安らかな、綺麗な顔だと誰もが言った。
それが苦しまなかったことを意味しないことは、
ニャンの天使のような死顔を抱いた私は知っている。


□■■ Aug. 30

君からの電話をブロックして
メールも自動で拒否させて
機械まかせでバイバイ
君の存在をdeleteすることは
私の過去をdeleteすることと同じくらい簡単
メカは公平
それだけがとりえ

「お湯をかけたら何でもできる」
それしきで無味乾燥だなんて思われていた時代が懐かしい
あの頃はまだ
人々が模索していた
たとえ作り物でも
手に取って感じようとしていた
目で見て焼きつけようとしていた
100円で買って来るようなことはしなかった
ネットだけで判ったことにしたりしなかった
鼓動の音と共にちゃんと生きていた


□■■ Aug. 21

ステキチと会えなくなる夢を見た。
他の犬では淋しさは埋まらないと判っていた。
孤独だった。
目が覚めると、病のように苦しかった。
顔を覆って大声で泣かねば息ができなくなるのではないか、と思った。
もう、ステキチは帰って来ないのだと覚悟したあの日々が蘇った。
楽しい思い出になってしまっていても、悲しみは悲しみのまま。
いつか、君たちのところへ行けるとしたら、どんなに幸せだろう。
きっと、生きているよりも素敵だろうね。
それは、本物の天国だね。

善良な動物たちは、皆、天国。
私は、そこへは行けない。
だから、一緒になれることはない。
田崎さんは、かつて私と同じ考えを持っていた。
しかし、私より一歩進んでいた。
きっと行ける、きっと会える、そう信じ始めていた。
それは、私よりも一歩、天国に近かったからかも知れない。
© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
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