三次元漂流記 2003
夏の終わり [10月のモデル; 夏の終わり 〜 パノラマ]
山麓散歩道。
夏の終わりのシルエットは、
驚いたことに、
真冬になっても同じ輪郭を保っています。

□■■ Oct  31th

暫くぶりに奈良に行った。
夜は、初めてだったかも知れない。
地味な観光地に浮かぶ、地味な光。
池に反射する建造物。
鳥だか亀だか、区別の付かないシルエット。
歴史深いこの地と、きらびやかな京都の対比は、
昔ながらの町、大阪と、流行の首都に似ている、と、ふと思った。
しかしながら、奈良には、京都への対立心が感じられない。
余裕の大らかさなのか、無関心なのか、
はたまた、必死になっていても、結果的に追い付かないだけなのか、定かではない。
この実質的な奥ゆかしさに、真の「わび」を見たような、そんな気がした。


□■■ Oct  29th

一生懸命な子供は、たくましい。
大人と違って、一生懸命ということに対する甘えが無い。
適当にやって、それらしく見せられるほどに器用でないせいか。
しかも、一生懸命を言い訳にしない、結果を出そうとする無心さ、
たのもしく、恐ろしくもある。

まだ大した人生経験も持たない筈の子供に、凄まじいものを見せられると、
感動というよりも、ぞっとする。
幼き日のマイケル=ジャクソン如り、美空ひばり如り。


□■■ Oct  26th

厳しさの無いところに「感動」などあり得ない。
楽しいことしかできない者に、やり遂げる喜びなど判らない。
ただ、時間をかけただけで「成果」などと言うな。
同情なんて、誰も育てはしない。

女の子は、アカの他人を、父親になんかしてくれない。
恋人になるより難しいね。
下らない下心は捨てな。
いくら頑張ったって、叶わない妄想だから。

「ドロボ〜〜〜!」
叫ぶ声を聞く度に、ギクリとして跳び上がったり、
いきなり泡を吹きながら言い訳を始める人がいたら、
面白くて観察しちゃうね。

「学芸会」というのは、意義のあるものだと思う。
我が子のだたの一生懸命は、親にとっては価値がある。
元気に、仲良く育つこと。
素晴らしいじゃないか。
だから、一般客じゃなく親に見せるのさ。
「頑張る」だけが評価されてもいいじゃない。
逆に、親なら、たかが「頑張った」をちゃんと見てやれ。

びっくりしたね。
1ヶ月まるまるレッスンが無く、久々に教えに行ったら、
みんな、驚く程にダンスが上達している。
ほんの3ヶ月前のオーディションでは、殆ど踊れなかった子達。
芝居もまとまって来たじゃん。
生徒だから可愛いという訳じゃない。
第三者として、客として、面白そうだなと思った、、、、、わたしゃ当日、スタッフだが。
仲良く、楽しく続けられる環境も勿論、手伝ってのことだろうが、
子供だからと甘やかされることなく、涙し、勝って来たからなのだろう。
「夢」や「目標」は、楽しい、好き、から始まってよいと思う。
だが、それは目指す遠くであって、道中全てが面白おかしいと思ってはいけない。
プロだろうがアマだろうが、大人だろうが子供だろうが、
一般客に金を払わせ、足を運ばせるのだ。
何よりも、他人様の書いた物語を演じるところに、甘えなどあって良い筈がない。
若い子に迎合し、「慕われ」ているつもりの大人なんて、
本当に欲しがっている「尊敬」なんて、微塵も得られないもの。
ま、ダメダメしか言わなくて、何がダメなのか、実は自分も判らないのや、
あさっての方向に導いちゃってるのもいるが、それは論外として。
泣いてもあやさないばかりか、更に「泣け」という演出家先生に、1票!


□■■ Oct  24th

大衆のレベルが低いからと言って、それに合わせていてはいけない。
それこそがメディアの低俗化の原因なのだから。
「大衆芸能」の神髄は、娯楽を求める者に迎合することではない。
本物を伝え広める為に、大衆の目を引く。
目指すものは「人気」や「名声」であってならない。
「純」モノと目的は同じ、「芸術」そのものなのである。
ま、、、、、現代の癌は、
合わせている訳でなく自身のレベルが低い「発信者」達でそのものでもあるけれど.....

夏に歯の治療をした。
歯医者なんて、何年ぶりだろう。
小学校では検査の度に青い紙を貰い、年に1回、行っていたのだが。
もともと持っていた知覚過敏がひどく、
長丁場のレコーディングが始まる前にと行ったら.....
隠れた虫歯を山ほど発見されてしまった。
誰もが痛みを覚悟して訪れるであろう「歯医者」というのは、決して期待を裏切らない。
期待に応えて余り有る。
暴れてしまいそうに痛いのである。
.....が、口の中のことなので、不用意に動けない。
それも又、コワサの要因である。
手が滑って舌に穴が開いたなんて話、よく聞くから、
つばを呑み込む時に舌が動かないように、鏡を見て練習する。
後は体の力を抜いて、信じて任せるしか無いのである。
尤も、信用できないようなところには来ないけれど。
何度か「拷問」に耐えるうち、もともとの知覚過敏がどこかへ行ってしまった。
極め付けは右上の親不知。
2つ連続して深いからというので、麻酔をかけて貰った。
先生の予測より尚、深かったらしい。
歯というのはよほど硬いものなのか、墓石でも削っているかのような堀り方.....
頭蓋骨に響く振動と衝撃で、痛みは無いのに、気が遠くなる。
麻酔をかけていなかったら、気絶するな〜こりゃ、と思った。
毎回、椅子に座って恐怖が拡大する折には、犬達の顔を思い浮かべる。
「こんなんで痛がっていては、あの子達に申し訳ない。」
今日はニャンの顔、今日はピヨの顔、
そして今日は、朝、無理矢理耳掃除をしたキョン、、、、、
いたっ、あのやんちゃの顔を思い出すと、余計に痛い!
いかん、ステキチ〜〜〜!
人間なんて軟弱な生き物をやっていると、こんなに情けなくなってしまう。
己の傷を見せびらかすことにすら、恥を覚えないどころか、美しいと勘違い。
強くあろうとすること、そしてそう実際にあることは、「エライ」ことではなく、
当たり前なんだよ、な〜?
よちよち歩きの子供みたいな大人が多過ぎるぞ。

そうだ、ステキチ君、
昨日、MDをひっくり返して探していて、君の歌を作っていたのを思い出した。
いつ、形にできるのかなぁ。
辛くなりそうなのが先に判るから、まだ、手を出せそうにないよ。
生涯で最も素晴らしい友へ。


□■■ Oct  23rd

考え事をすると、夜更かししてしまう。
夜は、昼間に比べれば格段に静かなのである。
加えて、世界が存在するのは自分の周りだけ。
常識からの拘束が消え、無人島にいるかのような自由な身分。
それ故に、考え事に適しているということか..... んなわきゃない。
夜中に思い付くことは、大概、ロクなもんじゃない。
アイデアや空想系には良い、、、、、が、真面目な考え事は、夜はやめとけ。
思いつめる、恨む、悩む、詮索する、、、、、
その手のものは、起きて、お天道様を仰いでからすべし。
正反対の答えが出ることも稀じゃない。
まぁ、考えるのに適しているから夜更かしをするのではなくて、
考えを中断するのが面倒臭くて、そのまんま考え続けてしまうとか、
考えていたら大脳が興奮して寝つけなくなるとか、そういう事情なのだろうな。
早寝早起き推進派としては、ダラダラ夜更かしは良くない。
意味があるのならいいけれど。

最近は、色んな事に慣れた。
どうでもいいことは、やはりどうでもいいことであって、
きっちりしなければならないことは、きっちりしなければならない。
その境を見失わずに、自分の価値観で行動せねばと思う。
他人に頼まれたからと言い訳をする位なら、自分の為にすら動くな。
飯も食うな。
息もするな。
、、、、、てな。


□■■ Oct  16th

今日は、仕事が30分位で終わったので、
ついでに用事をしようと、電車に乗って次の場所へ、、、、、と思ったのが運の尽き。
そう言えば、来る時から、何かの故障でダイヤが乱れているような事を言っていた。
「到着が遅れる」というアナウンスは何度も入った。
が、、、、、糞詰まりになっとるとは、聞いていないぞ!
動いては長時間、止まる。
また少し動いては、止まる。
何でこうやねん。
東京で、まだ暑い時期、駅の目の前で、2時間も缶詰めになった時を思い出した。
あの時にも、いい加減なアナウンスに怒ったものだが、
「お急ぎの方は他の線にお乗り換え下さい」
などと、多少は情報を与えてくれていた。
なんじゃい、今日は。
子供は横でわんわん泣いとるし、私はトイレ我慢して乗っとるし.....
おカンが乗っとったら、間違いなく倒れとるやないかい。
予測がつかん事故なら仕方もないが、これは一体、どういう事やねん!
今日は、幸い、2駅30分で済んだものの.....
そもそも、歩けん所にまで勢力を伸ばそうという、人類の欲深さこそが問題なのだろう。
車も、電車も、潰してしまえ!
地球はもちょっと綺麗になるし、生命も豊かになるし、人も幸せになるぞよ。


□■■ Oct  15th

モスラ事件から半月。
問題のライスストッカーには休業して、身を浄めて貰っている。
あの時に買い替えた米は、もう、底をつきつつある、
平べったい容器から米をすくっていると、奥の方で小さな黒いものが、
表面から中へすべり落ちるように消えた。
念のために見てみると、、、、、砂漠を行くカブトマシーン、、、、、
じゃなくて、コクゾーちゃん!!!!!
久しぶりだが、一目で判った。
どこから来たのかご苦労さんね、ありんこの様なボディに愛嬌のある角。
痩せこけちゃって。
鼻先の毛が目立って、はなもげらだよ。
コクゾーちゃんは、憎めないというか、気持ち悪いとは思わない。
キティん家で見た時は、軍隊のように、
ざっざっと行進していたのが少々不気味ではあったけれど、
今回は、残りを調べても、他にはいない。
コメガの幼虫と違って、コクゾーちゃんは米に混じっていても浮いて来るから、
これまで、いたのを知らずにいたとは考えにくい。
う〜ん.....
ほんとにほんとに、一体、どこから来るんだ、君たちは?????

この世の果てには、淡いピンクとパステルブルーの空。
こんな色って、あったのか。
都会の子供は、「地平線」というものを、実際には殆ど知らない。


□■■ Oct  11th

3日前のコーラス指導で、初めて鍵盤を弾いた。
公衆の面前で、両手で弾いたのは、
保育所の休み時間の「なんちゃってちょうちょ」以来かもな。
ここ数カ月間の地道な練習の甲斐あって、何とかmidiナシで。
幼少時代のレッスンが、今、ようやく、、、、、という感じである。
ものごと、役に立つかどうかは、その場で答えを出すものじゃない。
死ぬまで判らないものである。
死んだって判らないものもある。
子供の頃に「適正」を「見極める」なんて
、奢り高ぶった大人の余計なおせっかいなのである。
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