三次元漂流記 2003
犬と雪 [1月のモデル; 苦しまぎれに動物でごまかしてみる 〜 近頃のTV的手法]
犬は何故、雪が好きなのだろう。
馬みたいですなぁ〜〜〜。
筋骨隆々、たくましく。
パカパッ、パカパッ、パカパッ、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
いやはや、
写真の腕がヘタレで申し訳ないとしか言いようが無いですね。
雪だるまを撮ったので載せようと思っていたのだけれど、
暗くてよう判らんのですわ。
ギブミ〜絵心!

□■■ Jan 31st

毎日が戦いである。
勝ち続ける必要はない。
負けて、何かを学ぶこともあろうし、己の弱点を知ることもあろう。
勝利は、本当に打ち勝つべき相手に気付かなければ、決して得られない。
やみくもに武器を振り回しても。
幾人を傷つけ、幾つの破壊を重ねても。


□■■ Jan 30th

白く積もった雪が解けると、丸く寄り添った小さな白い花が顔を覗かせた。
白い犬の眠る、土の上で。

寒い!
誰もいない部屋で叫びたくなる位に寒い、、、、、実際に何度か叫んだが。
何気ない作業をしているだけで霜焼けが広がって行く。
さすがに暖房器具使うっちゅうねん。
昔の大家族とか、村人がひとつの部屋に集まって暖を取るというのは、正しいな。
効率もいいし、エネルギーや環境汚染の問題に於いても。
人間は、自分の向かう方が前であると信じ込んでいるらしいが、果たしてどうかの。

キョンのお散歩の帰りに、家の前で、おイタをしている小学生がいた。
隣のガレージにたまった雪だか氷だかを掻き集めて、地面にぶつけている様子だった。
次に、横断歩道よりも手前で道路を渡り、青空駐車場の借り主を示す紙を貼った木の札を叩き始め、
遂には、端から少し捲れていたその紙を、べりべりと剥がしてしまった。
そのまま3人は、歩きながら、紙を更に細かく裂き、丸めてどうしようかと迷った挙げ句、
道路のまん中にポイッ、と捨ててしまった。
こりゃいかん。
「そんな所に捨てたらあかんやろ!」
3人は驚いて振り向き、一目散に逃げるのかと思ったら、戸惑っているようだった。
中の1人は、走って戻り、丸めた紙屑を拾い上げ、どうしていいか判らないで困っていた。
「遊ぶのはいいけど、人に迷惑かけるような事したらアカンやろ、元に戻しとき。」
無茶と言えば無茶なんだが、取り返しのつかない事をした場合、どうすべきかを考えるのは大事なことだ。
今の大人には、それすら出来ないで、もみ消そうとしたり、開き直っちゃったりするのが増えている。
彼は、紙を一枚ずつ広げて重ね、両手で皺を伸ばしながら、
それらが元、貼られていた札に近付いて来たものの、その先はどうしていいか、やはり判らないらしい。
もういい、もういい、合格。
わしの土地やないけどな。
「今、テープ持ってないでしょ、今度、持って来て貼っときね。」
とリリースしてあげた。
大した悪さやないけどな。
この程度のことは、大人がやっていれば問題だが、
この年頃の子供っちゅうものは、その社会に於けるルールをまだよく判っていない。
大人達に教えられたり、怒られたり、見よう見真似をしたりして、覚えて行くのである。
人んちの紙を破って、道端に捨てて、叱られるとは思わなかったのだろう。
判っていれば、人が見ている前で堂々とする筈が無い。
しかも、素直に言う事きくじゃないか。
子供が子供が、と言う大人達、
本当の責任はどこにあるのか、今一度、冷静に顧みる必要があるだろう。


□■■ Jan 25th

いろんな建物の窓から。
何気なく見下ろす場所に、ステキチの影を思い浮かべる。
もう、探しはしない。
ただ、想像するんだ。
「お〜い、ステキチ〜。ここだよ〜!」
手を振ったら、彼はどう反応するのだろう。
あの日、見送った後ろ姿が最後だなんて。
錨を失った私が、大切なものを捨て、流れてどこかへ行ってしまわないように、
あの子を連れて来たのかい?
案内の君の尻尾が見えない山道は、ただ広く、とてつもなく淋しいよ。

君たちは、残念がるのかも知れない。
私に、悲しみを与えに来たのではなかったのだと。
苦しみを残したつもりではなかったのだと。
しかし、私には、この束縛から逃れる術は見つけ出せないし、見つけたいとも思わない。
悔い続ける為に生き続けようと思う。
己を生かし続ける責任を知り、その覚悟を決めたんだ。


□■■ Jan 23rd

腰がなかなか上げられない訳。
一歩動けば、色々なものがごろごろと回り始めるのが判っているからなのかも。
競馬や宝くじくらいなら、気軽に試せるんだがな。
いつの間にか、選ばれるのを待つ身でなくなっている。
選択するのは私。
わくわくできない。
ものの重さというもの、見ただけで大体わかる年になったから。
結果を出すのは当たり前。
周りもそう思って見ている。


□■■ Jan 22nd

己の傷に酔う者は、他人の痛みが見えないようだ。
己の幸せに酔う者は、他人の不幸が見えないようだ。
善の裏は悪と信じる者は、己の善行を否定する者を悪者と決めつけるようだ。

どれかを選べと言われれば、それを取るのかも知れない。
要るのか要らないのかと問われれば、どうだろう。
手ぶらでも手持ち無沙汰を感じないこの身には、無くてはならないものなど無い気がする。

滅多に使わないカメラが向けられた、あの晩。
翌日、旅立つ私を見送り、3日後、お前は行ってしまった。
不思議だね。
ステキチが首輪を最後に置きに来たように、お前も天使の姿を残してくれたのかい?
私の頭ははみ出して切れているのに、お前は可愛らしく写っているよ。
真っ白で、雪のよう。
そうだ、私を待っていたお前は、ほんとうに雪のように冷たかった。
魂の抜けた体が、あんなに冷たいとは思わなかった。
手を触れる度、心の底まで凍りついたよ。
私を待ってくれていたのは、お魚の病気を治すのに使っていた、あの部屋だったね。
お前は入ってはいけないことになっていて、私がお魚の世話をするのを、
隙間から恨めしそうに覗いていたよね。
やっと入れたのに、私はなかなか帰って来なくて。
お前たちはいつも、正しい。
お前たちはいつも、善良だ。
私がこの形で産まれて来たのは、この形でしかできない何かをする為なのだろう。
楽しいことをするとか、足跡を残すとか、
そんなくだらなく、自分本位なことではなく。

一生、悔やんで、思い出す度に泣くよ。
自分を責め、戒め続けるよ。
忘れそうになったら、手に火を押し当てて正気を取り戻すよ。
何故なら、
人間とは、同じ過ちを繰り返す、愚かで傲慢な生き物だからさ。


□■■ Jan 21st

高校生がインターネットか。
いい時代だな。
私の子供時代もそんなだったら、人生、もっと早く動き始めていたかも知れない。
そして、もっとつまらない歌を、もっと沢山書いていたことだろう。
時間や金を使い、回り道をし、酷い目に遇いながら、
色々な景色や人を、自分の目で見ることも無かったかも知れない。

何で真似なんだ。
新しいこと、時代の先取りだと騒いでみても、誰かが既にやっていることじゃないか。
二番手、三番手を争っているだけの、下っ端のサル。


□■■ Jan 20th

十代の頃の情熱を思い出しかけている。
こんなに薄っぺらいものでなく、安っぽく口にするものでもなく、
体と心が、実体も持たない癖に、存在場所を求めて、狭い穴の奥できしんでいた。
切なくて、苦しい、そして甘ったれた夢。
今やそれは、輝く幸せの世界などではないと知っているし、実体も根拠もある、
表現する為の言葉が変わってしまっても、本質に変化はないような気がしている。
時間も、金も、神経も、無駄に遣わされた後、初めて得られるものがある。
既に違ってしまったと思っていた、あの人達と、私はまだ同じだ。
そして、同じ場所で同じ顔をしている誰かとはやはり違う。

君達が今も志を捨てていないからではなく、
君達の成功の知らせを人伝に聞いたからでなく、
君達のつけた、あの時の足跡が、鮮明に残っているからだ。
この世は、3つの次元だけでは記せない。


□■■ Jan 18th

今日はロッテリアで休憩。
そこに衝撃の事実が!!!!!
昨日のマクドと全く同じハンバーガー。
しかも、イモ嫌いの私好みの、あのべちょべちょの筈のポテトが、カリッとマクドな仕上がりに。
おお〜、そうか、そうだったのか、ブルータスよ、お前もか。
マクドはロッテリアに、ロッテリアはマクドに、
そしてやがてひとつになり、ひらがな3文字の幼稚臭い名前に変わるのだな!
たとえそれ以上でも、関西人は頭3文字でしか呼ばないが。


□■■ Jan 16th

君はやっぱり、ひとりでは生きられない。
だって、自分のことも何も知らない。
人に任せて、自力で生きているつもり。
ごく普通に厳しい、大人の世界が、
甘やかされて育った君には、汚く、歪んで映るんだね。
誰かのわがままがひとつ通るということは、誰かがひとつ、迷惑するということ。
君の言う「夢」や「希望」とは、そういうことだ。

夕方、マクドで59円ハンバーガーブレイク。
このグルメなどとは程遠い私を、
いつもながら余りのまずさでぶっ飛ばしてくれる......筈が。
うまい。
ピクルスとケチャップのこじれた嫁姑関係、サディスティックとも言うべき独特のミスマッチ感、
普通の人には大変、まずいらしいが、
私にとってはその「変」さ加減が妙に「異国情緒」をアピールする、
59円より高くては絶対に売るべきでない味の、あのハンバーガーが、今日はうまい。
どうしたこどだ???
やわらかい。歯触りが良い。
そう言えば、下校の時分らしく、店は高校生で賑わい、品物の回転は良さそうだ。
まろやかである。
ケチャップか?
薫りがいい。
どうも、肉らしい。
ピクルスは固くて竹のようで、もはや食物とは言いがたいほどであったが、
もともとマゾへのサービスの為に入れてあるアイテムである。
何ということはない。
とにかく、マクドでうまいハンバーガーを食べてしまった。
これは事件である。
そう言えば、59円という価格は、近く、廃止の予定であるなどとテレビで言っていたっけ。
質を犠牲にした、価格という最低の競争に走ってしまった為、いつの間にか、
「ハンバーガーを食べさせる店」ではなくなってしまっていた。
見回せば、ライバルなどどこにもいない。
マクドはマクドであって、ハンバーガー屋ではなくなっていたのだ。
たまたま、そこの店の、その時間だけがうまかったのか。
それとも、ハンバーガー屋になろうとしているのか。
何もマクドに限った話ではない。
59円の価値しか無いものは59円でしか売れないし、騙して売ったところで、店が潰れるだけである。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ前に、自分で食ってみろ。
59円で高いか、安いか。
味が判るのであれば、まだ何とかなるのかも知れない。
マクドよ、奇蹟を起こせ。
ダメダメ大国、日本を目覚めさせるのだ!


□■■ Jan 15th

寒い。
日本の冬はこんなに冷えるものだったのか?
亜熱帯から帰った年は、かなり覚悟していたから、逆に着込みすぎて暑かった記憶がある。
毎年、どの時期にどこでどんな気候を体験したか、頭の中で整理できていない。
ただ、夏が暑くなっていることは、熱帯魚の水槽の温度で判るのだ。
まぁ、数年そこらでは「温暖化」の証拠にはならないのだが。

となりの親子犬の世話を任される。
ご主人様が留守の時は、外で眠るのは寒いが、2回もお散歩に行ける。
病院にはまだ連れて行って貰ったこともないのだろうか。
楽しそうに口を開いて、目を輝かせて、ぴょんぴょん跳ねる。
はしゃいで先を急ぐ君達の、ぜいぜいという呼吸が気になるよ。
おともだち。
そう思ってくれているの?


□■■ Jan 14th

あの子達の誕生日は、来月か。
今月は..... そうだ、クロちゃんが死んだんだった。
私が帰って来る前の日だった。
たった1年なのか。
あの素晴らしい笑顔が消えてしまって、冷えきった田舎道は、長い間凍りついているよ。
大きなこぶをぶら下げて、苦しい顔も見せず、とびきりのハッピースマイルで歓迎してくれたね。
いなくなっても、やはり温めてくれるんだね。
目の周りが熱いよ。
そうだ、こんな寒い時期だった。
枯れた原っぱのまん中に、横たわっていたんだってね。
誕生日を迎えた深夜に布団の中で考えていたのは、こんなことだった。

猿の社会。
力が無ければ上に立てない。
たとえ強くとも、狡い奴は追い落とされる。
かつては人の世界もそうだった筈。
我々が彼らよりも「進んだ」とは、一体誰が言うのだ???

義務やルールというのは、自分のやりたい事をやった後に考える問題だと思っている人がいる。
そして、増えているように思う。
「個性を尊重する」教育のせいか。
叱られた事のない若者がこんなにも多いなんて。
親が子供を叱れないなんて。
好き勝手に育った子供は、大人になっても、それが正常な社会だと認識している。
その内、完全に入れ替わる。
そんな人間達に、国や星を維持することなんてできるものか。
改善なんてできるものか。
普通だと思っているのに、変える必要もないじゃないか。
あらゆる意味で、絶望的だ。
もう、間に合わない。
末期症状。

ネット依存症という言葉があるらしい。
誰でもタダでホームページが作れて、好きな事を書けて。
本と違って、誰の審査も要らない。
もうひとりの自分。
憧れのアイドルの疑似体験。
モニターの向こうは、自分が好きなようにシナリオを書く、冒険物語。
何者にだってなれる。
インターネットなしではいられない。
それが現実ではないと、心の底では判っているのだろう。
真っ昼間に、おてんと様の下、誰かと友達になったりすると、
外の世界でも実体を持った自分が存在するのだ、夢物語なんかじゃないんだ、
とばかりに、懸命に言いふらす傾向があるように思う。

残留農薬は確かに恐ろしい。
が、ぎゃあぎゃあ騒ぐ気にもなれない。
自分達だけ安全なもの食って、長生きして、地球のどこかが潤うのか?


□■■ Jan 13th

昨日、用水路で見付けた赤いちいさなざりがに。
まだまだ寒くなるのに、出て来てどうするの。
鳥に食べられちゃうよ。
今日、同じ道を通ると、畑の間に空っぽのハサミや頭が散らばっていた。
生存競争は、椅子取りゲーム。
みんなが揃って仲良く座ることは決してない。
ぐるぐる、ぐるぐる......
人間は、輪に入れて貰えず、指をくわえて見ている、はみだしっ子。

カルトの教祖は、非常に魅力的に映る人間が多いという。
成功者に共通するものは何だろう?
作り話が上手く、面白いこと、心の底からつく嘘に異常な魔力があること。
極少量、真実の粉をふりかけることにより、スケールの大きな夢物語がリアルな色彩を以て輝きはじめるのだ。
一時的に熱烈な支持者も増えるだろう。
もとは劣等感が強いが故に、一度自惚れると、その程度は甚だしい。
自分を否定する者に将来はないと思い込み、
頭がいい、人望が厚いと勘違いして方向を見誤り、遂には逃げ場を失う。
最後には、人を陥れ、言い訳を並べ、隠れ、保身に全てをかけ、醜い正体をさらすのである。
いいじゃないか、足跡を残せたんだから。

何にでもすぐに「感動」する人の「癒されました」「感動しました」は大きな意味を持たない。
「初めて〜しました」「こんなに〜したのは久しぶりです」などの言葉は、やはり重く、ありがたい。
大衆に受けることは、ひとつの手段でしかない。
到達点だと思い込んでいる自称プロは、どれほど多いことか。
たとえ本当のプロであっても、金が儲かるそのポイントを目的地にしてしまっては、
ビジネス存続に不可欠な信用よりも目の前の利益を取ってしまう中国の企業と同じだ。
筋は通らないながら独自の価値観を持つ彼等と同じにするのは、ちょっと失礼ではあるが。

証拠品を残して来てしまったね。
ねずみ小僧も、もう終わり。
ごっこ遊びで満足しているがいい。
変な野望を抱いたら、捕まって、しこたま金を取られて、終わりだよ。
「友達」も、ひとり残らず消え失せるよ。
改心できなくとも、身の程は知るべきである。
「義理堅い」お前が、汗水流して働く善良な町民から盗んで養うのは、自分自身と、お気に入りの芸者たち。


□■■ Jan 12th

キャンディの家から届いた年賀状。
相変わらず、よく鳴いているらしい。
上を向いてキャンキャンと文句を言う度に、かわいい耳がぴょこぴょこ揺れる。
もう、大人だね。
ママ似のペッピンさんになっていることだろう。

あの子達は、まだ幸せだったのかも知れない。
苦しくても、怖くても、傍に無力な誰かがついていた。
私と同い年だったあの犬は、最後に一生懸命、呼んだそうだ。
おじいさんはすぐに行ってやらなくて、いや、おかしいと思って見に行ったのだったっけ、
とにかく、間に合わずに、淋しさの縁で息絶えていた。
長年、尽くし、慕った人には抱いて貰えず、孤独の内に旅立った。
魂のような何かしらは、存在するものだと信じたい。
行き違えた思いは、どうにか出逢う術があるのだと思いたい。
さもなければ、やりきれない。

取り残された者の思い。
戻ることのない瞬間から決して解放されることのない心。
繰り返す悪夢。
亡霊とは、生かされた者の永遠の後悔。


□■■ Jan 5th

ボン。
お前の可愛い顔が今年の年賀状になって、我が家にご挨拶に来たよ。
大事にされちゃって。
「2月生まれのやんちゃな男の子です!」だって。
誕生日が判るって、素敵なことだね。

悪意があるのは問題外。
悪気が無いから始末が悪い。
気付いていなければ、正すことも出来ない。


□■■ Jan 4th

雪だよ
ニャン
激しく吹雪いて
お前の上に久しぶりに積もっている
水が嫌いだったお前の
何故か大好きだった雪景色
さくさくと食べていた
お前の背中よりも白い
雪だよ

動物達の大きな耳は
お腹を空かせた狼の足音の方向を知るためにある
隣にいる誰かの心の音を聴くためにある
人間達の大きな口は
自分のことばかり言うためにある

あなたを幸せにすることに興味がない
もしも偶然に目指す場所が同じで
スピードが同じであるのなら
一緒に歩けることは素敵なことではあるけれど
私はあなたを待たないし
すがりつきもしたくない
案内もしなければ
回り道もしたくない
幸せになることに興味がない
© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
Back
show frames
S