三次元漂流記 2002
わ〜い、おにばばおにばば [8月のモデル; あっ、おにばば!]
いたずらクロスケは、朝、
起きるとママの小屋へ飛んで行って、叱られるのが日課。
これがないと、一日が始まらないらしい。
ママがお引っ越ししてしまった翌朝は、
小屋に出たり入ったり、「あれ?あれ?」
細〜い隙間を覗き込んで、ママを探していた。
でも、もう大きかったから、鳴いたりしなかったね。
大好きなママ、元気だったよ。
お前も、おっきくなったそうだね。

□■■ Aug. 28th

デザインって大変だ。
美術はずっと5だったけれど、デザインだけは3だった。
本当の美術センスが問われるからだろうな。
シンプルにまとめるのは難しい。
複雑にしてごまかさねばどうにもならない。
結果、「素人にしては頑張ったんじゃないの?」な出来になる。
そりゃあ、頑張ったわさ。
時間もかけたわさ。
苦労の跡は見て取れるものの、結果に結びついていない。
「頑張りました」は「よく出来ました」とは、響きは似ていても、全く違う。

クロスケの写真が届いた。
長い顔になっちゃって......
すっかり変わってしまったけれど、表情はおんなじ。
新しい小屋の中で仰向けに寝転んでカメラの方を見て笑っているところは、
ガレージのコンクリートの上で、ママと一緒に写っていたイタズラっ子のまんまだね。
お腹を上に向けて、足を開いて、左肩を地面について、頭越しにこっちを見るの。
本当に楽しそうだ。
やんちゃだそうだね。
幸せだね。
お前に逢えて、良かった。
生まれて来て、良かったんだよ。


□■■ Aug. 27th

私の人生、いつから他人のものになった???
いや、いつ、自分の為に生きた???
私の時間は、他人にかすめ取られる為にあるのか???
血を流し、回り道をし、彷徨って来たのは、
後から来た者に楽をさせて道をゆずってやる為か???
下らない。
終わりにしよう。
地図を全て、奪い返して。

ウソツキが嫌い。
責任転嫁する人間が嫌い。
ただ、それだけだ。

「いい人」ってよく聞くんだけど......
善良であることは、そんなに簡単なことじゃない。
何となく人当たりが良くて、当たり障りのない、社交辞令的に気の付く人、
或いは、世間知らずでどうしようもないけれど、悪意がにじみ出ている訳ではない人、
そそっかしくて失敗ばかりではあるけれど、わざとではないから治らない困った人、
即ち、極悪人や犯罪者でない人を指して、漠然と言うことが多い。
その定義を「人に害を及ぼさない人」に変えてみよう。
滅多に聞かなくなる筈だ。


□■■ Aug. 25th

正直なのがいけないんだろうね。
私が口を開くと、ドキドキするらしい。
余程困ることがあるんだね。
脅しは効かない、弱みは無い、泣き落としも通じない、
買収も出来ない、お世辞もダメ。
やることと言えば、人を精神異常者に仕立て上げることばかり。
驚くほど、手口が同じ。
私は、単に嘘つきが嫌いなだけなんだけどね。


□■■ Aug. 24th

超能力者よ
私の考えが判ると言ったね
私の書いた手紙の内容を全部知っていて
「あなたはこう思っているのでしょう」
必要以上に文面に忠実な割には
省略した所も同じなら
言葉の選択を間違えて表現の不的確な所も同じ
お前が読んだのは心なんかじゃない
読心術を使わない生活には慣れたかい?
それとも
新しいパスワードが読めたかい?

弱みに付け込んでは人を揺するヒト
恐いのかい?
今度は弱みを握られて恐いのかい?
でもね、知っているのは私だけじゃない
嘘を突かない人間を陥れたりするよりは
改心して
土下座した方が早いと思うがね

怖ろしいほどに安定した毎日を送っている。
環境には恵まれないが、精神は満たされている。
悲しみや苦しみは消えないが、力を抜いていられる場所がある。
穴の開いた風船のように張りが無く、相変わらず、行く先も知れないけれど。

"出会い系サイト"の宣伝は儲かるらしい。
正確に言えば、儲けたくてする"サイドビジネス"らしい。
"金の亡者"って言うのは、たとえばそういうのを言うんだよ。


□■■ Aug. 17th

出会い系サイトは否定する。
現代社会に巣食う癌だと思う。
だからと言って、犯罪に巻き込まれるのを、そのせいにするのは甘えが過ぎる。
そんなところに"出会い"を求めて集う人間達、
勿論、その全てが犯罪者の資質を持つとは断言できないが、
その可能性の極めて高いところへ、何の警戒心も抱かずにのこのこ出掛けて行く、
その時点で、既に生きることを放棄しているとしか、私には言えない。
サファリパークの獣の群のただ中で車を降りて食い殺され、不運だと嘆くのと同じだ。
いつまで平和ボケているのだろう。
自分の身も守れない、それは決して、国の自衛などという、大袈裟なレベルの問題ではない。

些細な行き違いは、価値観の違いよりも深刻である。
どうしても譲れないとうい訳ではない、どうでもいい事柄がきっかけで露見するのは、
主義主張以前の、人間としての度量の狭さや、身勝手の部分であるからだ。
些細なことが原因だからこそ、本性が現れるのだ。
価値観なら、その違いを尊重し合いながら共存できるが、馬が合わない場合は難しい。

「あれが欲しい、これが欲しい」と言うことと、
「あれを返せ、これを盗むな」と言うことは、似ているようで全く違う。
あなたが拾ったものは、誰かが落としたもの。
あなたが掘り起こした宝は、赤の他人が子孫の為に残したもの。

"放送局"と呼ばれる人達がいる。
聞きかじりの噂を、すぐに広めてしまう。
推測や想像、創作で、余計なことを言いふらす。
お陰で、人間関係がおかしくなってしまうこともしばしば。
その人がいくら信頼されていなくても同じ。
噂とは、人を不愉快にさせるものだ。
同様に、自分もどこかで誤解されているのだろうと思うと気分が良くない。
間接的に聞いた話は鵜呑みにしない、噂話には参加しない、
このことは、気を抜かずに守り抜かねば。


□■■ Aug. 15th

素人は素人でいい。
タレントは、テレビに写っている間だけ仕事をしている、楽な仕事であるとか、
出演5分前に楽屋に呼びに来て、すぐに舞台に立てるとか、
肩を壊すまで投げさせるのが球児の夢実現に繋がるのだとか、
大衆が見当外れな思い込みをしていればいるほど、スターは輝くもの。
星は、遠ければ遠い程、神秘的なのだ。
月ぐらいじゃあ、でこぼこの素顔を探検された挙げ句、マンション建てられちゃうんだよ。

異性に興味が無い、という人には、少なくとも2つのタイプがある。
1つは、生物学的レベルに於いて、本当に感心が湧かないというタイプ。
もう1つは、理想が高すぎる場合、或いは、1人にモーレツに恋しちゃう人の場合。
私は、後者が圧倒的に多いのではないかと思う。
尻が軽く、コロコロ変わる人よりもやっかいである。
何故なら、そんな一途な人は、信仰する相手が全て。
外からは、確固たる信念を持った人間であるかのように見えているのだが、
前後左右、上下中外、善悪優劣、世界はその人を通してしか見られない。
気付かない内に自分自身を、その人の殻に入れている。
本人は、本人であるようで、本人でない。
別の殻に移動すると、あっけなく、全く別の形になってしまう。
恋の対象が変わると人間が変わってしまうのは、不思議なことでも何でもないのだ。

口を開く度に、自分を追い詰めて行く他人の姿を見ると、おかしくて仕方がない。
理屈をこねようとすればする程、ウソや無理が重なり、どれひとつを取っても辻褄が合わない。
嘘つきは泥棒の始まり、という言葉の意味を、小学校低学年の頃に考えた事があった。
小さな嘘を一度ついてしまった為に、次々に新たな嘘で覆わねばならなくなり、
終いには犯罪にまで手を出さねば収拾がつかなくなってしまう、という事だろうと推測した。
言葉の由来として合っていたのか否かは知らないが、その内容は正しいな。
子供の頃の自分には、いつもつくづく驚嘆させられる。
そのエネルギーを、もっと有益な方向へ向けられなかったのかねぇ......
子供に選択の自由なんてないけどさ。
だからこそ、大人が安易に"見極め"て、制限しちゃいけないんだけどね。


□■■ Aug. 14th

インディーなんて言葉が意味も理解されないまま広まっているせいか、
"ミュージシャン"に対して、好意的なリスナーが多いように思う、昨今......
自称"こだわり"の、実は売れないだけのミュージシャンなんかは、
批判は無視する癖に、たまに褒められるとイチコロ。
ちょっと受けると、「売れるものには理由があるんだ」なんて言い始める。
あなたが聞きかじって吹聴していたように、
「社長の愛人だからスターになれた」人達は、
愛人にならなくてもスターになれる人達だったのでしょう。
だって、売れるには理由があるのでしょう。

え、売れる要素ですか???
「歌手募集! 18〜25歳位まで。絶対女! 何が何でも写真同封。実力よりやる気重視。」
作曲家志望のアマチュアだけじゃないんだよな、
細々とプロ活動しているプロデューサーや作曲家までもが、
みんながみ〜んな、こんなんだからに♪

「素質は磨かなければただの石ころです。何もしなければ変わりません。」
全くもってその通り。
こんな当たり前のことが判らない人間がどれほど多いことか。
素質があると言われたから、数年勉強しただけでデビューに値するとか、変わっているから作家になれるとか。
素人はいいよ、そんなもんだから。
問題は業界の人間だ。
たかが素質の段階で、もう売り込むことを考える。
ほんとのプロは仕方ない、あの人達は、生活の為。
音楽なんかやっていないという自覚があるんだから。
毎日、文句を言いながら、気にくわない上司の言いなりになっているサラリーマンと同じ。

一般的に、「声がいい」はほめ言葉ではない。
アマチュア、セミプロ、日本人の場合はプロに対して使われる場合も同じだろう。
技術も知識もない、演技も勘違い、全部ダメだから、声はまだ救いがあるように感じられてしまうのだ。
そういう場合は、声も実はダメなのだ。
たとえば、つまんない曲、どうしようもない詞の歌を、普通の人が歌うと、絶対につまらない。
だが、いい歌手は、どんなにつまらない歌を歌っても、いい歌にしてしまうのだ。
編曲や演奏がしょぼくても、人の心を動かすに充分な歌なのだ。
そういう人達の声の良さとは、カラオケ歌手の"いい声"なんかとは、別の語彙であると言っていい。
まぁ、いい歌手に敢えて「声がいい」とは言わないが。
「〜はダメだけど」「〜はイマイチだけど」という枕詞が付いた上での「いい声」、
出来の悪さを曲やオケのせいにしなければならないのは、いい声ですらない。
注意されて直したりすればする程、つまらない歌になって行く筈だ。
「いい(と思い込んでいる)声」を出すのに夢中になっている内はいいが、
細部に神経を遣い、体をコントロールしながらでは、もはや、その思い込みの声すら出せないのではないか。
結論。
「いい声」の歌手は、実は声すらもダメってことよねん。

カラオケちゅうもんは、人生で3回位だが行ったことがある。
他人の作ったオケで、他人の曲を歌うこともある。
おもちゃ程度の機材で曲を作っていた頃もある。
勿論、アカペラで歌うこともある。
そこで、メン募でよく見掛ける「カラオケじゃない歌が歌える」という言葉の意味を考える。
カラオケ歌手って何だろう。
カラオケで歌うのがカラオケ歌手か。
鼻歌だったらいいんですかい。
オケが生演奏だったらいいのかい。
オリジナルを歌っていればいいのかい。
じゃあ、日本屈指の歌手、北島三郎はカラオケ歌手ですな。
尤も、あの人は弾き語りで流していたそうだけど。
歌手を求める方も、実は何も判っていない。
聴き手も麻痺してしまって、判らない。
そんな中から出て来る歌手志望者が、判っている訳がないのだ。
インディーには、中小メディアのプロデューサー達が夢見ているような、お宝なんて、転がってはいない。
しかも、金を掛けて表面を磨いて誤魔化している訳でもないから......

好きなことを続けたいのなら、アマチュアでいるのが一番だと思う。
純粋な情熱を保ち続けられるしね。
基礎の欠落に気付かされ、落ち込むこともないのだから。

ヤクザに泥棒、詐欺が"職業"として認められないのは、人に迷惑をかけるから。
世に貢献するものを仕事というのなら、仮歌やカスケイドは違うだろう。
業界に貢献しないもんね。
"音楽の仕事"とは言わないね。
"音楽"ですらないね。


□■■ Aug. 13th

韓国の男性が亭主関白でいられるのは、徴兵制があるからだろうなぁ。
何かあったら、いつでも体を張って群を守る、それがリーダーの役目。
今の日本、お父さんの威厳が無いのは仕方がない。
彼らが子供達に見せるのは戦地へ赴く後ろ姿でも、ジャングルへ狩りに出掛ける勇姿でもなく、
お母さんが仕事に出掛けるのと同じ姿だから。
危険を冒さずして頂に立つことは出来ないということだ。


□■■ Aug. 6th

クロスケのお引っ越しの朝、テレビで犬の心拍数を測る実験をしていた。
その結果、判明したこと...... 人間は、犬のボスにはなれない。
ボス犬と遭遇した時の緊張を、飼い主は与えることが出来ないというのだ。
犬同士よりも、人間といる方が、圧倒的に小食で済むと言う。
これが"アニマルヒーリング"の正体だろう。
この場合、癒し役は人間であるが。
"アニマルヒーリング"とは、異文化交流。
現地の人と交流を持ちながらも、自分を無理に型に押し込めて適応する必要のない、海外生活と同じ。
孤独を好む人間、社会に適応出来ない人間も、群れて生活する本能は捨てられない。
己の殻を壊すことなく意思伝達出来るという前提で、心が開く。
互いの利益が侵されないのだから、こんなにおいしい話はない訳だ。

人は、判り合えない。
殊に性別という文化の壁は、国境よりも厚い。
表面上は言葉が通じているだけに、その誤解は危険である。
壁は、その存在を認めて初めて、越えられるもの。
判り合えないという事実を尊重することが、相互理解の第一歩。

幸せがあるとするのなら、多分、ここだろう。
明日、目覚めたら世界が終わっていればいい、などという願いからも解放されて久しい。
今、手にしているのは、自分の力に相応しいものだけ。
決して充分ではないが、この先、手に入れたとしても、それらは私を幸福になどしない。

恩は返すのが人の道。
受けた相手にでなくともいい。
返すつもりなのだからと言って、安易に借りるのも問題だ。
自然に発生する貸し借りであって、見積もりでやるべきじゃない。


□■■ Aug. 5th

君は、とてつもなく優しいと思う。
それは、君が優しくなろうとしている時じゃない。
君は、とてつもなく綺麗だと思う。
それは、君が綺麗になろうとしている時じゃない。
存在自体、根本から美しくなれるのは、
本当に美しい者が、下心から解放された時だけかも知れない。


□■■ Aug. 4th

語学に似ている。
耳の悪い人は発音も悪い。 聞き取れないものは、発音できない。
他人の話を聞かないのは、ただのおしゃべりであって、話し上手ではない。
自分のことばかり見せたがる人には、"表現"はできない。
やみくもに筆を振り回すのは、ただの落書きでしかない。

目を閉じても、覆いをかけても、汚いものは消えない。
拾い上げて捨てなければ、目の前は美しくはならない。
美を愛するとは、綺麗なものばかりを追いかけることじゃない。
指をさして、原因を示すこと、
それは、美の判る人間の使命だと思っている。

心の綺麗な人の手は、きっと汚れていると思う。
ゴミをせっせと拾うから。
親切なおじさんは、きっと怖いと思う。
道路に飛び出した君を、大声で叱ってくれるから。

苦労しないと、手にも、脳にもシワが増えない、
まことに奇妙な生き物がいるらしい。
この森のずっとずっと向こうで、狩りもせず、巣穴も掘らずに、
生きてゆく方法があるらしい。
雷が鳴っても一目散に逃げないそうだ。
共食いをするわけじゃないのに、天敵はお互いという話だ。


□■■ Aug. 2nd

「いいことしよう」なんて思わなくていい。
各々が分をわきまえて、自分の責を果たして、人に迷惑を掛けないようにする。
それでいいんじゃないか?
というよりも、それすら出来ないで、どんな「いいこと」が出来るんだい。

「人の嫌がることを進んでする」なんて、素晴らしいことでも何でもない。
それは、出来た人がやるのではなく、気の弱い人や、格好をつけたい人がすることだから。
周りの人はと言えば、更に厚かましく、無責任に振る舞うだけ。
そんな集団、自慢できるか???

ひどい雷だった。
雷の夜には、犬達を想う。
あの子達は、元気にしているかな。
嵐の日には、玄関に入れて貰えるのだろうか。
君は、どこでどうしているのかな。
あの怖ろしい夜は、どう過ごしたのだろう。
天にいるお前達には、怖くなんかないよね。
雷の鳴る、独りじゃない夜には、いつも犬達のことを話してる。

© K. JUNO ALL RIGHTS RESERVED.
Back
show frames