おたけびの主は? 

 

平成15年6月21日京都府相楽郡へオオヒカゲの撮影に行った時の出来事である。フィールド

に着くや否や、同行したN氏は「あちこちにイノシシの足跡がある」と言いだした。生まれてこの

かた野生のイノシシを一度も見たことがないが、私にとってイノシシのイメージとは、目が合うと

猪突猛進し、体当たりしてくる恐ろしい存在なのである。このフィールドのスゲ林入口には、「私

有地につき、ハンターが入ることを禁ずる」という物騒な立て札も掛かっている。しかし、勇敢な

N氏は、お構いなしにスゲ林の中にズンズン入っていった。

 30分ほどしてN氏が戻ってきたので、状況なり成果を聞いてみると、入口から2〜3分歩いた

所にオオヒカゲがやって来そうな、樹液の出る木があるということだ。そして、その木の近くにス

ゲが倒されてポッカリ空間が出来た所を発見したそうだ。「あれはイノシシの寝床に違いない」と

N氏は話してくれた。私も本日の目的であるオオヒカゲが樹液にやって来る所を是が非でも撮影し

たかったので、勇気を出してスゲ林に入ることにした。入口付近でマムシを見る。非常にいやな予

感がする。問題の木に近づいたとき、近くで「ガサガサ」という大きな音。「出たーーー」私は脱

兎のごとく出口向かって走り出す。N氏にそのことを話すと、「間違いなくイノシシだよ。どうし

た、顔が青ざめているよ」と指摘され恥ずかしくなる私であった。小心者の私は二度とその木に近

づけないでいた。

 約2時間経過して、「そろそろオオヒカゲがやって来そうな時間だよ」とN氏に促され、今度は

二人で樹液ポイントに行くことにする。案の定、一頭のオオヒカゲが吸蜜に来ていた。カメラを構

えようとした時、再び「ガサガサ」という大きな音。「出たーーー」声を張り上げたのは私ではな

く、意外にもN氏の方であった。二人顔を見合わせ我先に出口に向かおうとした時、「ヴォー」と

いう獣の発する「おたけび」。「やられる」と思った瞬間、人間の声で「すいませーん。出口の方

に出られますかー」。なんじゃこりゃ。N氏が「高い木を目印にまっすぐ歩いてきてください」と

答えると、30秒ほどして出てきたのは、体格はイノシシばりであるが、右手に捕虫網を持った、

それはそれは柔和な顔をした、オオヒカゲ狙いの蝶屋さんだったのである。聞くところによると、

30分前に反対方向からスゲ林に入ったが途中で道に迷い、人の声がするので助けを求めたという

ことであった。

 30分前となると一度目に聞いた「ガサガサ」は・・・背筋がぞっとする私であった。   完