LD >> ちょっと『ワンピース』から行きましょうか。


いずみの >> ようやくゾンビ島編のスジが明確になってきましたね。


いずみの >> あとバトル漫画として見ると、ゴジラと同じで「強すぎる主人公の敵をどうするか問題」に突っ込んだ展開ですよね。ゴジラといい勝負できるのはメカゴジラだけ、みたいな。


いずみの >> ギア3による成長をちゃんと盤踞させる為の「巨大ルフィ戦」かな、という気もしますが。あとゾロの刀ゲットか、うまく行けば三丁念仏もゲットですね。


LD >> う〜ん……。>強すぎる主人公


いずみの >> いや勿論、世界全体の「強さ」の余白はまだ十分残した状態での試練だとは思いますけどね<ルフィ 対 巨大ルフィ


エイブ >> 僕はワンピースの仲間関係の希薄さの違和感と、努力の見えにくい強さが苦手ですね。現代的といえば現代的なんでしょうけど


いずみの >> あぁ、ワンピ世界の住人は、幽白と同じで戦いながらの方が強くなれるんですよ (笑)。>エイブさん


ルイ >> 仲間は「なる過程」に全てを注ぎ、後は「仲間だから」で感情が揺らがない。良く言えば、仲間関係はこれ以上ないほど強固とも言えますが、その出だしに預けてもう更新、積み上げはしないってのはあるかもしれませんね。


ルイ >> 友情は初期値でMAXかもしれません。信じあう事が仲間だから、既にそこからの上はないというか。


いずみの >> なので「バトルがどんなに痛くても逃げない=努力」という方程式になります。「努力=毎日がいくら辛くても逃げない」ですから、やってることは一緒。


いずみの >> ちなみにこの「痛くても逃げない=努力」という方程式を支えているのが、「ワンピ世界の人体は異様に丈夫で死ににくい」という物理法則です。この為、致命傷をくらう度に「そのまま寝るか、立ち上がるか」という選択を迫られることになります。なかなか壊れないので、死んだり気絶したりできないのです 。


いずみの >> 努力の日々が「やめようと思えばやめられる(=逃げなければ続けられる)」のと同じですね。


エイブ >> なるほどなるほど、実戦において強さや友情が深まり、その過程で努力も付随してくるってことですね。


エイブ >> 人体の壊れにくさはアラバスタ編のミスターワンVSゾロで嫌ってほど思い知りましたよw あれ致命傷だろと当時も思いました。


いずみの >> というわけで、普通の「努力」が「諦められるけど諦めない」という試練の繰り返しである……という構造をバトルの中に組み込んであるわけです(かんたんワンピ講座)。


いずみの >> ちなみにちょっと視点を離して言ってしまうと、漫画家の描くバトルって、結局「諦めずに漫画を描く」ことの引き写しである所が大きいので、そういう「漫画家にとっての努力の感覚」に近 くさえあれば、「辛い特訓シーン」だろうと「辛いバトルシーン」だろうと、実感としてはあんまり変わらないと思われます。


いずみの >> まぁ別にこんな読み方しなくてもいいんですけど(笑)、ワンピースのバトル→勝利は「ジャンプ王に俺はなる!」と言った新人漫画家が睡魔に襲われたり、編集者や読者にボロクソ言われても 描き続けられるか? というテーマに置き換えればすんなり「努力」の漫画として読める、とぼくは思ってます。


エイブ >> その読み方はおもしろいところですね。そういう意味で捉えるなら、立派に努力して立ち向かってるといえるかもしれません。


LD >> ふむ。「諦めず続ける事」と「その場から逃げない事」は違うものでもあるので、そこは分けておいた方がいい気がします。


いずみの >> いや、分けたとしても包括できるでしょう。バトルの中にも「続けること」と「逃げないこと」の双面を描くことができますし、特訓の中にも「続けること」と「逃げないこと」の双面があるわけですから。


LD >> 包括してもいいとは思うんですが。分けておく必要も感じます。前者の「続ける努力」は継続してきたから得られる力を表現し、後者は逃げないから得られる結果を表現します。


ルイ >> 互いが互いを完全に受け持てているわけでない以上、括ってイコールにするのも危ない、という話でしょう。>包括を避ける


LD >> はい。ルイさんの話が分かりやすいですね。>イコールは危ない


いずみの >> 「包括」という言葉が通じてないかな? 分けた上で、それは「前者=特訓 のみ/後者=バトルのみ」という二分ではなく、「前者・後者=特訓・バトル」が可能だと言っています。


いずみの >> 包括は「包み括る」ですから、同一視してるわけではないですよ。「包む」は「イコール」ではないです。


LD >> いえ、いずみのさんのお話は理解したつもりです。しかし、その観点で僕も「ワンピ」を「努力マンガ」だというのは少し置いておきます。


いずみの >> はい、大同小異だとは思うんですが、「努力重視の漫画」と境界線を切っておくことくらいはしておいた方がいいでしょうね。


ルイ >> シンプルに引用するなら“なので「バトルがどんなに痛くても逃げない=努力という方程式になります。” には全く同感。ワンピ世界における努力の解釈においては、全く違和感ないです。


ルイ >>「努力=毎日がいくら辛くても逃げない」ですから、やってることは一緒” これは一緒とは思わない。そういう話になります。


いずみの >> これは一緒とは思わない。<ぼくの場合、「どうせバトルも特訓も、詰まるところ漫画家の生活のメタファーでしょ?」というフィルターで見 てるので、殆ど一緒に見えるんでしょうね。「痛さ」が睡魔とかアンケート結果、アーロンやクロコダイルの嘲笑(=信念の否定)が編集者や読者からの悪口、みたいな(笑)。


ルイ >> ま、それで45巻人気保ってるわけだから、尾田先生のマンガ体力には疑う余地ナッシングですけどね。


LD >> 特に荒唐無稽バトルものは、そのメタファーにはまりやすいとは感じますw>漫画家生活のメタファー


いずみの >> だからこそ、「いや、俺は海賊王になれると思ってる」「それ本気で言ってんのか?」というような主人公をナチュラルに描けるんでしょう。> 尾田先生のマンガ体力には疑う余地ナッシング


LD >> ただ『ワンピース』について言うと僕は「ワンピ」は努力をテーマとする作品ではなく、もっと『ルパン三世』みたいな作品のはずなのに……? という「見立て」 があって、でもそれはあまり上手く行っていないのが自明で。


エイブ >> ああそうか、ワンピはルパン的な部分は確かにあると思います。でもルパンの仲間関係ってもっと打算的というか、時には敵に回ったりドライなイメージがあるじゃないですか。ワンピもそういう感じに見えるのに、無理に友情を全面に押しだすところがあると思います。


エイブ >>それにこれは僕の私見なんですけど、最初に仲良くなったからって友情度が変化しないなんてことはないと思うんですよね。むしろ衝突を繰り返しながら深まるものだと思うので……そこら辺が薄く感じるのかもしれません。


いずみの >> ぼくの意見はルイさんとは違ってて、アラバスタ編やウオーターセブン編なんかは「仲間という概念の質の変化」が描かれていて好きなんですけどね。>エイブさん


エイブ >> 「仲間という概念の質の変化」……あ、なんだかピンときました。どうやら一つの側面に固執して見ていたようですね。友情の形にとらわれずに考えると、納得出来る部分が出てくるかもしれません。もう一度読み返さないと……コミック売っちゃいましたがorz


いずみの >> アラバスタ編でいうと「俺達の命もかけろよ!」で、ウオーターセブン編でいうと「ルフィ、お前は俺達の船長なんだ」の部分ですね、好きなのは。<質の変化