■1月30

 

いずみの >> ぼくはハーレムメーカーの定義が少しずつ曲がっているのが心配ですね。元はもっと限定的な話の筈

 

LD >> 特に但し書きせずにハーレムメーカと書いた場合、ハーレムを形成すれば何であろうとそのキャラは一様にハーレムメーカという事になるでしょうね。ただ、この場で言うと「恋愛原子核」という言葉を用意して分離を試みると、「メーカ」の意味が強くなってくる。なぜそれができるのか?という。ペトロニウスさんの話したい方向はそんな感じかなあ?と想像で書いている状態ですねw

 

LD >> ハーレムメーカの元の意味は(ハーレムを形成するキャラ以上は)よく知らないのですが(汗)「恋愛原子核」と並べる事で意味性に反応が起る事は含意しているかな。

 

いずみの >> ぼくが違いとして認識しているのは「ハーレムという状態を生み出した結果」ではなく「ハーレムを生み出す原因となるシステム」で判断している点ですね。「無限に生み出すシステムが回っているかどうか」だと思います。逆に言うと、一人しか惚れさせてなくても「そのシステムが回り始めていれば」ハーレムメーカーの資質がある、みたいな話になるんじゃないですかね

いずみの >> あとこれはぼくの視点なんですが、エロゲ以降で(これまでのエロコメラブコメの文脈から派生したのは)並列型だけではなく、「各ヒロインの主人公化」だと感じています。古いタイプのナンパゲーが「攻略対象」としていたヒロインを、「その子のための物語」を語るための主人公にしてしまったのがその後のギャルゲーだったという感じですね。


いずみの >> 「神知る」は古いナンパゲーの文脈で進みつつ、少しだけ「その子のための物語」を語ってしまうようなバランスを感じますね(ここらへんは感覚レベルの話ですが)

いずみの >> 「その子のための物語を語るための主人公」としてヒロインが描かれ、受け手もそう認識するとどうなるか? つまり「その子の物語にとっての攻略対象」として男主人公が浮かび上がってくることであって、これを無限に繰り返すのがシステムとしての「ハーレムメーカー」だと考えています。

いずみの >> ラブひなで喩えると、しのぶ、キツネ、加奈子あたりは「ナンパ」の対象なんですが、素子に対してはハーレムメーカーになっちゃってるという印象ですね

いずみの >> 「主人公が能動的であること」をキーにしようとしているみたいなんですが、実際はむしろ「主人公の存在によって、ヒロインの主体が受け手に晒しだされること」に注目した方がシステムの本質に近いと思います


いずみの >> ヒロインの主体が受け手の前に投げ出されること、ですね。ナンパ文脈の「こいつを落とした!」と、ヒロイン主体の「この子、惚れたな」という理解との違いですね。

 

 

■2月8日

 

いずみの >> ちなみにぼくは基本的に恋愛原子核って言葉そのものに否定的だな

 

いずみの >> なんというか「浅い」感触ですね。>恋愛原子核//ハーレムメーカーがいい線いってるのと対称的で

 

LD >> 主人公が「何故か好かれてしまう」から「こうだから好かれて行く」というような理由説明をしようという意欲の分岐みたいなものはあると思っているんですけどねw

 

いずみの >> あと、特にまずいのはあたかも「二分類」として扱いがちな所で、両手落ちですね。そのつもりはなくても「取りこぼしの大きさ」を見逃していく方向に進む議論のベクトルを感じます

 

LD >> ああ。>「二分類」による取りこぼし まあ、ボーダーがハッキリしない「分け方」という認識はしているので、そこを押さえておけばいいかな?って感じですね。とりあえずは。

 

いずみの >> ちゃんと概念を考えるなら、何が抜けてるかっていうと、まずふたつのケースを区別したいなら「その二つを類比できるステージ」を作る(命名はしなくていいけど、言葉を与える)ことなんですが、それをほったらかしてるから雲散霧消してるという印象ですね

 

いずみの >> はい、それが一番まずいところですね>ボーダーがハッキリしない「分け方」という認識をする

 

LD >> ええと。言葉を与えるなら、ボーダーをハッキリさせた方がいいという話になりますか?

 

いずみの >> 大ハズレです。>ボーダーをハッキリさせた方がいいという話になりますか?

 

いずみの >> ボーダーがハッキリしない「分け方」、というのは白か黒か、みたいな「or」の思考なんですが、その分け方は「全てを二分する」思考に(ほっとくと、無意識に)向かうので、まず「何を」二分するのか、の「何を」の思考が一番先なんですね。それを飛ばして「分ける」ことばかりが話題になっているようにぼくには見えています

 

LD >> それはありません。いずみのさんの誤解です。>それを飛ばして「分ける」ことばかりが話題になっているよう

 

いずみの >> 誤解ではなく、見えます、という話ですから、その「何を」の議論が見えない現状では仕方がないですね。水面下でされていたとしても、テキスト化される優先順が後なら、「飛ばしてる」という評価になります。誤解だと言うなら、「先にそれもテキストにしていて現在進行なので飛ばしてはいない」という部分を見せてください

 

LD >> ただ、それを恋愛原子核/ハーレムメーカという言葉をあたえるかどうかは別として、このジャンルの経緯として、何故か好かれてしまうが、その理由をあまり言及せず放ったまま、な状態から、そこに納得力を持たせようという流れはあるんじゃないかと思っていて、だから、こそ「全体的な経緯」のイメージから話をはじめているんですね。

 

いずみの >> その言い回しだと、やっぱり「何を分けるのか」を決めるのは後で「分け方」が先という構造を志向する形ですね。分け方によってむしろ分ける対象が規定されるというか。

 

いずみの >> というか「何を分けるのか」に明確なビジョンをまだ提示できていませんしね。提示できたら、それを二つに分けてみる、当然取りこぼしが生まれる、なぜ取りこぼされるかで考える、でシンプルな話になるはずです

 

LD >> いや、まだ「全体の経緯」を話している段階ですね。それから、練り中といっているように「途中の話」なので……(汗)そりゃ見えない部分もあるだろうなと。一段落ついてから「この観点が足りないのでは?」という指摘をしてもらえると助かります。

 

いずみの >> いや、途中であることを含めて、現状は「分け方だけが先」で「何を分けるかが後回し」って言ったんですよ。間違った評価をしてるつもりはありませんけど?

 

LD >> 「何を分けるのか」に明確なビジョンをまだ提示できていませんしね。>そうですね。 同時に大雑把な所としては、ブログに書いているわけですけど、ここに何か指摘がありますか?

 

LD >> ん、ああ。分かりました?のかな?>「分け方だけが先」で  「恋愛原子核」はルイさんが、話題の中で出して来た言葉で、ある物と、ある物を分けるのに、使いやすそう(少なくともルイさんと僕の間ではイメージの一致を図りやすい)だから、使おうか?という所で持ってきているので、ある意味では「言葉」ありきですねw

 

いずみの >> えーと、つまり考察対象としての「全体像」と、腑分けのツールとしての「各概念」が議論的に不釣り合いだということですね。

 

いずみの >> 伝わりにくい喩えかもしれませんが、たとえば「森の生態系について考えてみよう!」と言っている人が、「木」と「ほ乳類」の話ばかりしているみたいな?>全体像と各概念が不釣り合い

 

いずみの >> それは「木とほ乳類」の話をしたいんだろう、しかもその「木」は「動物と鉱物以外のほとんど」とか、そんな漠然としたものを指してるんじゃないだろうな、みたいな。解りますかね

 

LD >> 「木」と「ほ乳類」の話ばかりしている>ふむ。 いずみのさんのイメージはちょっと伝わったつもりです。

 

kichi >> ……う〜ん、私の理解では、基本的に同属性のものなんだけど、段々と変化していってる傾向があって、仮に出発点をAとしてゴールをBとすると、この変化の目的とか意味は何か?という議論で、ABを区別する意味はあまりない話……という感じだったんですが……(´・ω・`

 

いずみの >> そこです。それが「何を」の領域ですね。そこの前提の共有がほったらかされてる。>基本的に同属性のものなんだけど

 

いずみの >> その「何を」の共有をおざなりにしているもんだから、今みたいに「あれもこれも、少女漫画だとどうこう、それは違うあれも違う」っていう手当たり次第の話になってくるんですね。手当たり次第はいいんですけど、前提が無いからいちいち「それは違う」みたいなやり取りになってくる

 

いずみの >> ぼくは、分ける……というかグラデーションをつけることには反対でないんで、同属なら同属で、類比可能な言葉をストックしておけばいいと考えてますね。同属(※類似)と類比はわかりますよね?

 

いずみの >> ところが、類比の話をしているはずなのにあまりにも「恋愛原子核」と「ハーレムメーカー」は対比的なネーミングセンスになっている。これはまぁ、ちょっと別の問題で、言葉のセンスの話ですね。

 

LD >> 類比可能な言葉>あ、すみません。これイメージできないです(汗) ちょっとなにか例えを出してもらえると助かります。

 

いずみの >> 大同小異、っていうニュアンスじゃわかりません? 例えば「鉱物」と「生物」は対比ですが、「犬と狼」は類比。でもこれは「何を分けるのか」の前提によって変わってきますから、「植物と動物」という対極のものでも、生命の類比として語るなら語りようはあります(大同小異というより小同大異ですが)

 

いずみの >> 補足。「犬と狼の類比」がいかにも類比なのは、誰でも「イヌ科の大同小異か……」「犬と狼以外のイヌ科はいるとして……」っていう前提をすぐ共有できる所ですね。説明もいらないくらい

 

いずみの >> で、ぼくは「相手役の側の視点に(潜在的にでも)比重が置かれたハーレム(もしくは回転寿司)ラブコメ」が「大同」の前提であり、「何を分けるか(グラデーション化するか)」の問題だと認識していて、たぶんこれは間違ってないんですけどね

 

LD >> ん〜っと。僕のイメージに絞りますが基本的に「惚れられる事の説明意識が低い」と「惚れられる事の説明意識が高い」という感覚で分けようとしていますが、それに対しての言葉の置き方がよくないという指摘になってきますか?

 

いずみの >> 「その分け方だと、何を分けるかの対象が拡散するから何について語るのかをはっきりさせないと何も言いようがない」という指摘をします>基本的に

 

LD >> 対象は「ハーレム構造のもの」ですね。無論これも今、範囲のイメージを出し合っているwなんだろ?ルイさん、ペトロニウスさんと話している時は、こういう話の進め方でいいよね?って自然と共通認識がはかれていたと思うんだけど…(汗)

 

いずみの >> 「ハーレム構造のもの」と「原子核/メーカー」の対応もまだ「不釣り合い」で、まぁ釣り合いを取らせるメスの入れ方がだいたい先読みできるぼくからするともどかしい(笑)

 

LD >> だいたい先読みできるぼくからするともどかしい>まあ、そういう事でしょうねw 最初、ペトロニウスさんがこの話をはじめた時は、ともかく「とある〜」や「fate」の主人公を語るために持ち出した言葉だと思うので、まあ、その話の流れ次第では、今、原子核/メーカ、あるいは別の言葉を用意するとしても、今、分けなくていいよね?って事になってくる事まで想定していますw

 

いずみの >> たぶんLDさんの中ではある種の「類型」の歴史やストリームを「対象=全体像」として捕らえてるんでしょうけど、それって「恋愛について考えてみよう!」と言ってる人が実は「若者の恋愛」しか視野に入れてなかったりする(しかもそれを陳述しない)ようなもんですね

 

いずみの >> 「だいたい若者の恋愛……でも若者的だと思うならそれも入れよう……そういう恋愛についてですね」という了解が無いと、なんとなく通じてる人同士(皮肉で言えば「恋愛と言えば若者のもの」っていうドグマのある人と言ってもいいですね)でしか成立しない

 

LD >> ええっと、歴史やストリームについては、それこそ光源氏やジェームズ・ボンドまで上げて、かつ、それは今の範囲イメージではないよね?と言って対象を絞っていっているイメージですね。だからその例えに乗ると逆に「若者の恋愛」ってどういう範囲なんだ?っていう話をしている状態になりますね。

 

いずみの >> 逆に言うと、我々のドグマを見つめる作業でもあるんですよね、つまり>どういう範囲なんだ?っていう話をしている

 

LD >> でも、細かく話して行くと、互いにボーダーが違ってくるので、もう少し互いの共通認識を図るために、今、互いのイメージを出し合っているような状態ですね。

 

いずみの >> うん、それがぼくの言っていた「何を」の議論ですね。そっちが「分け方」よりも優先されて良く見えるなら文句は言ってないです。>今、互いのイメージを出し合っている

 

いずみの >> たとえば、イスラム教で天国に行って毎日処女とやりまくり、みたいなハーレムは絶対このドグマの中に入らない。なぜか? みたいな話だと思うんですけどね

 

いずみの >> もしくは、処女とやりまくり系のハーレムを原初ハーレムとして、それから原子核を挟み、メーカーに至る……みたいなラインは綺麗な、そして誰でも参入しやすい議論になると思うわけです

 

LD >> 絶対このドグマの中に入らない。>そこについては、「007」や「軽井沢シンドローム」あるいは「島耕作」といったようなものは、この範囲にはまらないよね?という自分のイメージから話を進めていますね。で、「いや「軽シン」は入るだろう?」というイメージの人がいたら、そこは話合わないといけない。そういう話の進め方ですよね。

 

GiGi >> ええと、女神様は、何もしなくても受け身でモテるキャラの類型としてどう捉えてるのかな?という興味ですね

 

いずみの >> 女神様は最初、「処女とやりまくり系のハーレム」のパロディ、みたいな所からスタートしてますよね。あれって元々、シニカルなギャグなわけで

 

いずみの >> ちなみに「処女とやりまくり系のハーレム」も「無条件型」と「勇敢な戦士としての報酬型」に分けられるので……これでとりあえず四分類のメドが立ったりする

 

LD >> 「処女とやりまくり系のハーレム」ってたとえば、どういう物です?

 

いずみの >> すでにぼくが「前提」としてるものは言いましたよね。「相手役の側の視点に(潜在的にでも)比重が置かれたハーレム」って。そこから逆算できるでしょう? という話です

 

いずみの >> この前提を、近代的なハーレムって分けましょうか。「潜在的にでも」なので、007でも「受け手が妄想すれば」近代的なハーレムとして読みとることは可能だったりする……というのもこの問題のキモですね。

 

LD >> 007でも「受け手が妄想すれば」近代的なハーレムとして読みとることは可能だったりする>それは全くその通りです。だから、僕は最初この話が出てきたときに、どっかで「範囲が無意味に拡がる」危険性は指摘しています。だから…

 

いずみの >> 全然逆です。「範囲が拡がる」ことを「無意味」だと思うこと自体がことの本質を見逃していることになります。そこを掴まえられないかぎり、無意味な議論であり続ける、と言ってもいい

 

LD >> だから…おっと。えええ〜っと。「無意味」というのは、範囲が広がり過ぎて焦点が合わなくなるという事を指したつもりなんですが、それではダメという事ですか?

 

いずみの >> 焦点が合わなくなる」と思うこと自体がダメです、という発言ですね

 

いずみの >> 作品単位でイメージを合わせようとしているのも「浅さ」のひとつで、受け手が読み込む、解釈するという過程で「違う感じがしてくる」こと自体がキーにもなっています

 

いずみの >> この場合の「全体像」というのは「どういう読み方のドグマが読者の中にありうるか」という全体像なんですよ。どんな作品があるか無いか、ではなく、せいぜい「そのドグマに対応して作られた作品はこれとこれ」くらいのことしか言えない

 

いずみの >> 描き方というのは、作り手も含めた「読み方のドグマ」の後から生まれるものですからね。どっちを先に考えないと行けないかっていうと、「読み方のドグマ」が先であることは言うまでもないです

 

いずみの >> そう思ってるかぎり、焦点の合わない議論であり続ける……と全く同じことが言えますね(まぁそこまで言う必要もないんですが、ぼく的には……)

 

カルマ >> なんとなく、景太郎のような『何もしてない(ように見える)けど何故か女の子から好かれちゃう』主人公のことを指してたり?指してなかったり?モカマタリ?という感じですね。

 

カルマ >> じゃあ、景太郎は果たして何もしてこなかったか?という時に、そうではないはずだと。 そこで基準として表出するのが、「その行動によって、現実的に女の子が惚れる(感じがする)か?」ということなのかな、と。

 

みりん >> でもそれって女子が「私は惚れる!つか女はこれは惚れる1」って言い張ったら成立しなくないっすか?

 

カルマ >> 成立しなくないっすか?<はい。僕もさっきから「ように見える」とか「感じがする」って濁してるのも、受け手の主観に思いっきり関わるように感じるので、この話題にはあんまり乗れてないです。

 

みりん >> 擬似ホモ的にハーレムモノって受け手の妄想に任せてるから成立するわけで難しくないですか?

 

みりん >> 結局俺はこうだ!いやいや私はこうです!でどうにでも変わっちゃう気がしたんですけど…

 

カルマ >> 勝手なイメージで景太郎は恋愛原子核で、ネギくんはハーレムメーカー、ってな適当な解釈をしています。 ・・・実は、恋愛原子核が『掴めて』ません。

 

LD >> いえ、カルマさん、景太郎=原子核、ネギ=メーカで、僕のイメージも近いです。そうやってイメージ確認していっている段階ですね。

 

みりん >> ハーレムメーカーってのは大体把握できたんですが、恋愛原子核でこれはそう、これは違うって言われると正直理解できなくて…自分の読解力がないからだと思ってたんですが(笑)

 

カルマ >> 僕もそうです。原子核の方が『ハーレムメーカー以外』以上の意味が見いだせず、厳密な定義がしづらいというか。

 

いずみの >> うーんやっぱり普通はその程度に解釈するよなあ>僕もそうです

 

いずみの >> ちなみに原子核は、その極北からイメージする方が簡単だと思います>理解できない人向けに

 

いずみの >> 顔の設定も無い、名前も自由に変えられる、まさに「誰でもいい」っていう主人公なのに、「相手役が全員そいつを慕う」という状況があって、なおかつ「慕うこと自体がドラマを進める要因になっていたり、みんなで慕うこと自体に空間の魅力が生まれる」ケースのことをここでは原子核、つまり原子のまわりを電子が回ってるイメージで喩えられるんですね

 

いずみの >> 原子核そのものに価値は無い。「たくさんの電子を回転させる」機能だけに価値がある、というような(と受け手は思うような)状況です。

 

LD >> いずみのさんの誘導で正しいです。>その極北からイメージする方が簡単だと思います>原子核

 

みりん >> 凄くわかりやすいです

 

いずみの >> その受け手の興味は「たくさんの電子が回転する」ことの方にあるので、ここから読み方が二分する。それでもあくまで主人公視点で「モテモテでオレ嬉しい」と思うなら古代のハーレムに近い読み方ですが、最近のオタクってそうじゃないですよね。個々の救済劇が見たかったり、三角関係の修羅場を期待したり、愛人同士の同性愛的イチャイチャ(←でもこれも主人公がいて初めて成り立つ関係)を見たかったり

 

GiGi >> 原子核は始動キーであって、キャラのスペックとは無関係というのが個人的見解ですね。

 

みりん >> 前に例に出てたラブひなも剣士の女の子とか主人公で救われた的な感じじゃなかったでしたっけ?

 

カルマ >> 前にいずみのさんが、素子に関してはハーレムメーカーとか書いてた記憶が・・・>みりんさん

 

いずみの >> 今は作品別に分ける問題よりも、読み方で分けなければならないという理解が必要なんですよ>みりんさん

 

いずみの >> 次に、ここであえて「極北」と呼んだ意味が出てきます。これって仮想的なモデルであって、実際にこんな法則が当てはまる「原子核」は無い、と言ってもいい。あくまで受け手が「そうイメージするもの」という仮想なんですよね。「そういうゲームってあるよね」「あのゲームってそんな構造だったよね(実際は違う)」みたいな

 

LD >> ここであえて「極北」と読んだ意味が出てきます。>続けて下さい。その認識は持っています。

 

いずみの >> 象徴的な例が『痕』のユーザーの話ですね。あれも主人公はもともと「無個性なエロゲーキャラ」だと思われていて、だから主人公そっちのけで「○○は俺の嫁」「△△可哀想」みたいにヒロインへ感情移入するゲームとして認知されていたのが、後に「主人公を客観的に描いたシリーズ」ってのが出たらしくて、みんな「こんなに個性のある行動を取るやつだったのか! 確かに良く考えればそうとしか!」と驚いた、という話を聞いたことがあります

 

いずみの >> つまり、極北にしてもあくまでドグマ的なイメージとして頭の中にあるわけで、誰もそれを検証しているわけでもない。なんとなく「極北の無個性」と「普通の個性」と「すごい個性」があるんだ、って受け手は認識しているということですね。で、これはドグマなので、「どんな主人公にも個性を見出してしまう客」もいれば、痕のように「個性を見逃してしまうことが習慣になっている」ユーザ層もある

 

いずみの >> 「個性を見逃してしまうことが習慣になっている」このドグマが、今回の「史観」の中心軸になっているはずです。ここが感覚的にわかれば説明不要なんですけどね

 

いずみの >> 個性を見逃してしまうことが習慣になっていて、なおかつ「モテモテでオレ嬉しい」とかじゃない……近代的な(相手側の視点に比重が傾いた)恋愛ドラマを楽しみたいんだ……っていう需要がオタク文化で育ったいま、どうなっているのか? これが議論のアウトライン、全体像になっているはずです

 

LD >> これが議論のアウトライン、全体像になっているはずです→その通りです……って、ちょっと認識違うかもしれないけどw

 

LD >> んんと。いずみのさんの指摘に立返ると「分ける事に拘っているように見える」→「いや、別に拘ってないけど?」→「いや、そう見えるから、そうでないならそうでないように書いて欲しい」→かな?僕としては話し合った結果大した意味が得られない事も想定しているんですけど、いずみのさんとしては、それは想定じゃなくって予測されるレベルだと。


いずみの >> むしろ主人公とかいいから! 恋するヒロインが見たいんだー! というドグマに対して作り手はどうアンサーを返してきたのか? というのがペトロニウスさんの問題意識に回収されるはず

 

いずみの >> あ、ロジック的に補足。もちろん「極北の原子核」のグラデーションの反対側に「もうひとつの極としてのハーレムメーカー」がある、という図式ですね。イメージはできましたか?

 

いずみの >> ちなみに原子核とメーカーは同類です。「種類」の問題であって、別々のものとして考えなくていい。別々に考える必要があるとしたら、ぼくが「古代のハーレム」と「近代的ハーレム」と呼び分けたそれぞれの構造についてですね

 

いずみの >> 同類ならそれはグラデーションの問題です。「どっちの極に近いか」で語ればそれで良くて、本当の問題は「近代的なハーレムで描かれているか、その近代的なハーレム構造に対してどう行動できているか」の方です。

 

LD >> 「種類」の問題であって、別々のものとして考えなくていい。→その通りです。極北を選択して、ようやく分けたようなイメージになる者であって、基本、同じモテモテの主人公であり、境界がはっきりするものではないですね。

 

いずみの >> んで……、「その近代的なハーレム構造に対してどう行動できているか」が問題のはずなのにその議論が全然後回しになっていたのが不満だったわけですね(笑)

 

いずみの >> 近代的なハーレム構造とは何なのか……それが一番の問題であって、主人公論はそれを説明するための切り口でしかない。でも今の議論の状況って「この主人公ってどっち? 違う?」という主人公論にしか外野の興味が向かわない「狭い」論場になっている

 

みりん >> ああー確かにこの主人公ってどうなの?この主人公は違うの?ってつい聞いちゃいますねw

 

LD >> 全然後回し>そこはペトロニウスさんに今は任せていますwそこから広がるようなら僕も受けて答える形。 僕は「ハーレムメーカ」という「言葉」がそのままだと裾野広くなると思ったので「多分、ペトロニウスさんが指している範囲はジェームズ・ボンドや島耕作は入らないよね?」という意図で、ブログの文章があります。(題名も「ハーレムメーカってなに?」です)これはペトロニウスさんが「いや、そこも含めて話をしようとしているよ?」と言えば僕の指摘は消えますね。

 

いずみの >> まぁ、一気にアウトラインをひかせてもらいましたが、現状では「ほんとはLDさんとペトロニウスさんは別々のことを考えている」という可能性もあることは理解してます。なるべく、二人の問題意識を包括できる総合的なラインをひいたつもりですけどね

カルマ >> ここに来るような人はみんな優しいので「それは違います」というと案外引き下がるので良いけど、運用し出した後で「引かぬ!媚びぬ!顧みぬ!」つって動かない人が出てきたときにどうしようもないと(苦笑)>この主人公は違うの?ってつい聞いちゃう

 

みりん >> グラデーションなんだよ!だとどうしても漠然としすぎちゃって結局これはどう?あれはどう?って話で終わっちゃいそうな感もありますよね…

 

みりん >> ある程度のガイドラインがないと結局個々でこれはどうあれはこうで終わっちゃうというか

いずみの >> 「見える」の話と「である」の話はレイヤーが別なんですよ。余談だけどよく陥りがちなのは「みんなの見え方が違うなら『○○である』なんて言えないんじゃない?」という思考停止で、見えるとであるは別に答えが出せる問題


みりん >> これは疑問だからとりあえず外しちゃおうぜで言ったらかなり限定されたシチュエーションになっちゃいませんか?

 

いずみの >> 最初からぼく言ってますけど、かなり限定されてていいんですよ(笑)


いずみの >> かなり限定されるべきテーマについてあなたたちは語っているのに、「どう限定しなければならないのか」をまるで考えておられない! って指摘したわけですからね

 

いずみの >> ……まぁ限定していこうとする流れはあるわけですけど


みりん >> 元々限定されるべき話って前提だとしたらわかりやすいです

 

いずみの >> 取りこぼしは大量にあれば良くて、むしろ取りこぼしがない方がおかしな話なんですよ。これも最初に言いましたね

 

LD >> かなり限定されたシチュエーションになっちゃいませんか?>まず限定して、そこから話を広げて行く組み方を採用していますね。…まず大元の素地に「とある魔術の〜」を選んでいる時点で、全く何の共通タイトルを得られないって事はないだろうって予測で始めているって事でもあります。

 

LD >> 「恋愛原子核」も点検の結果、主人公の個性を見出せない揶揄の言葉に過ぎなくなる事も想定しています。…が、ルイさんのゲーム編を読んでも、そうではないだろうと今は観ていますけどねw

 

いずみの >> 痕は良いサンプルケースだと思います。>主人公の個性を見出せない揶揄の言葉に過ぎなくなる事も想定しています

 

みりん >> 凄く正直な事いえば自分の好きな主人公が恋愛原子核って言われて今の段階であんまりいい気持ちしないですね…

 

いずみの >> 重要なのは「過ぎなくなる」じゃなくて、「揶揄の言葉として機能する」こと自体に意味を見出してほしいですけど。点検後「どうであるか」と、「誰にとってどう見えるか」を分けることの方が重要、と。ここをわかってもらえたらいいですね

 

カルマ >> いまは「ハーレム主人公」って十把一絡げに(作品形式のみで)語られる概念を、細分化させる良い機会になるかもしれませんね>揶揄の言葉として機能する

 

■2月9日

 

いずみの >> あ、個人的に「ハーレム構造」というより「ハーレム観」と書くようにしました。厳密には「ハーレム構造観」ってとこですけど。どう読まれるか、どう考えられているか、の話なので「観」が相応しそうですね

 

LD >> はい。何か明確に規定するというよりは「観」の話だと僕も思っていて、そこらへんちょっと補足したものを書こうかなとも思っています。

 

いずみの >> あとどうでもいい一言を付け加えておくと、古代近代ってのは歴史的な古さと関係なくて、源氏物語はかなり近代的なハーレム観を感じさせるよね、とか(笑)←これはやはり女性のために書かれた(男主人公の)物語だからですかね

 

LD >> 源氏物語>ほう…。ちょっとペトロニウスさんと話したのですが、その見解は一致していますね。“あいつ”はちょっと最終形態の一つっぽいところはあると思うw…まあ、それを最初にあると言わないのが史観の話かなとも思っているのですが…。

 

LD >> 「神知る」の桂馬、あるいは「ギャンブルフィッシュ」のトムが「この話でどう割れるか?」というのは僕も考えていて、ただ、これは今の話をある程度まとまった形で出した後かなと思っています。

 

いずみの >> 桂馬は「ハーレムメーカーにならないでいることにポリシーを持ったハーレムメーカー」って感じ。「俺の嫁」のキャッチアンドリリースをする男ですね(うまく言ったつもり)。

 

いずみの >> 逆にトムはハーレムメーカーになることにてらいが無い男(笑)。カエサル的に「ハーレムを背負いきれる器量の自負がある」ってことなんですかねえ

 

GiGi >> トムのハーレム観は前近代的ですよねw

 

ルイ >> 桂馬はともかく、トムをこの中に混ぜる意味は現時点では感じないかな。まあ保留。

 

いずみの >> うん、やっぱ前近代的なハーレムメーカーと近代的なハーレムメーカーって全然別のモノだと考えないと話にならないんですよ。ぶりかえし失礼しますが、ここらへんの枠組みが先に必要だったんですよね。単にハーレムメーカー、って言葉が優先するとトムも桂馬も同類なので区別ができない

 

LD >> 一応、ブログで、ジェームズ・ボンドの話じゃないよね?島耕作の話じゃないよね?「軽井沢シンドローム」の話じゃないよね?って話から進めているつもりなんですけどね(汗)>前近代的なハーレムメーカーと近代的なハーレムメーカーって全然別のモノ

 

いずみの >> そこが「もどかしさ」と表明していた所で、「感覚的にこれとこれとこれは違うってことが直観できるのなら、なぜその『違う理由』を形にできない!」ってなるんですよ

 

GiGi >> 島コーは実はわりと近代的ハーレム観の人間なんじゃないかと思ってるんですよねえw

 

LD >> なぜその『違う理由』を形にできない!→すみません。叩き台なので、今、GiGiさんが「島コーは違うんじゃない?」って話が出たとおりちょっと慎重を要する話でもある。今、ルイさんや、ペトロニウスさんと、それぞれ視点を出し合ってもうしばらくしたら一段落はつけると思います。

 

いずみの >> 「そっちが先だろ!」というのは大事なことなので何度でも口ずっぱく言っておきます。>なぜその『違う理由』を形にできない!