大学院が終わる頃になると、その後自分がどうなるのか、が気になります。もちろん、どうしたいのかも問題なのですが、我々の人事権は教授が持っていますので、どうなりたいのかよりも、教授がどう評価し、どうしようと思うのかで決まってしまいます。私の場合、論文は書き上げましたが、思ったほどの成果を上げられませんでしたし、もう少し大学に残って続けてみたかったのですが、教授の決定した方針は、他の病院への赴任でした。しかしこれもすぐには本人に知らされるわけでは有りません。院最後の年は論文を書き上げ、学会誌に投稿して、掲載受付がされなければいけないのです。12月くらいまでに、掲載される旨の通知が有れば、一安心で、それ以降は比較的暇にできるのですが、その時点でも進路ははっきりしません。そのうちにどうやら外の病院に出されるらしいことは、何となく分かってくるのですが、行き先は依然としてはっきりせず。何となくいらいらして、毎日げっぷは出るはで、内科に行って、胃カメラまで飲む始末でした。情けない!胃はきれいで何ともなかったのですけど。この間いろいろな噂が流れ、アルバイト先で知り合った他大学の医局所属の医師からわざわざ電話で、『先生、琵琶湖の北のほうの病院に赴任するそうですね。』なんと言う、情報が流れてくる始末。こりゃてっきり本当に違いない、と思って、かみさんと冬の雪に埋もれた生活について話し合ったものでした。しかし、これが全くのガセで有りました。結局私は大津市内の病院で1年間働くこととなったのです。ここでは私の親友でもあるDrと一緒でした。彼には大学院中おろそかになっていた医師としての臨床上の技術や知識をたたき込まれました。感謝しています。
この病院で少なくとも2〜3年は働くことになるのだろうと思っていたのですが、赴任後1年近くたった頃、突然教授から呼び出しがかかり、なんの話だろうと思いながら、大学に赴くと、『君、来月から京都の病院へ一人医長として行ってくれんか。』と言うお話でした。『・・・行ってくれんか。』と言う言い方も妙で、ここだけ聞いていると、普通だったら断ってもいいのかな?と思うような会話ですが、この世界では、『・・・行きなさい。』と言う命令と同じ意味なのです。『はい、分かりました。』と言う返事しかあり得ないのです。もちろん私もそう答えたのでした。こう書くと、いかにも教授が高圧的な権力者のようですが、私の恩師である吉田先生は、そんな方では無く、我々部下のことを考えてくださっていて、ある程度満足できそうな病院に赴任させてくれたように思います。病院にも格と言うものが有るそうで、必ずしも格付けと給料の額とは平行しないのですが、たとえば、大学院を終えたものが赴任すべき病院、大学で助手や講師以上を経験したものが赴任すべき病院とそうでは無い病院とが有るらしく、その辺も考慮されるようです。
ともかく、大津の病院赴任後11ヶ月で私は、京都の病院に移ったのでした。後一月居れば退職金も貰えたのに!そんなことはなにも考えていませんでしたけどね。専売病院の前部長から、来月でも良かったのに、と言われたときはちょっとガクッとしましたね。それと、周りからは、都会の有名な病院だから、きっと給料も良いし、栄転だね、なんて言われてちょっとその気になっていたのですが、行ってみたら、給料はあまり変わらず、ちょっとがっかりはしました。
一人医長とはどのようなものかは、また後ほど。