独り言 3

 研修医の給料はその当時手取りで月10万無かったですし、時間もほとんどありませんから、あまり遊ぶ事は出来ません。たまには、当直あけでも京都まで映画を見に行ったり、バイクでツーリングに行ったり、県内の古いお寺などでしばらく静かにボーッとしに行ったりしていました。こう書くといかにもじみそうですが、それなりに結構楽しかったですね。たまには女の子と一緒でしたしね、たまには。京都と違って滋賀のお寺は、歴史は同じくらい古くとも観光客が少なくて、静かなところが多く、しばらくの間そこでぶらぶらとしていると随分リフレッシュされたものです。友達と仕事明けに食事がてら夜更けまで飲みに出かけることもありましたが、あの当時は若くて体力もありましたので、多少二日酔い気味になっても翌日の昼前までにはアルコールも抜けていきました。今ではちょっと油断して深夜まで飲んでしまうと翌日に疲れが残ってたまりません。

 ともあれ、忙しい研修医生活を続けていたわけです。重症の患者さんの受け持ちになれば、何日も病院に泊まり込みが続きました。時々換えの下着をとりに行くくらいしか自分のアパートにも帰れません。それはどの科に進んだ者も同じでした。受け持ちの患者さんが術後にしばらくICUに入ったりすると、そこには一週間ICUに泊まり込んでいる、外科や脳外科や内科に進んだ同級生がいつも何人か居たものです。

 研修2年目の時、妊娠35週前後で、脳内出血で倒れられた患者さんの受け持ちになりました。意識は無く、お腹の中の赤ちゃんは元気でした。母体の方は、もう手術できる状態では無く、命もどうかという状態でした。私は2時間ごとに起こしてもらってICUまで赤ちゃんの状態の観察に行きました。結局様々な状況の変化があって、明け方急遽帝王切開をする事になり、無事赤ちゃんを取り出しました。その後母体も命は取り留め、介護を受ければ生活できる程度まで快復したと聞いています。ほとんど徹夜でしたし、その間には診療上の事だけでは無く様々な事がありましたので、強く印象に残っています。

 そのときの脳外科の主治医はバドミントンクラブの後輩でした。この彼も、数年前に癌で亡くなってしまいました。彼はバドミントンは2年くらいしかしなかったのですが、学生時代には彼にはジャズを教えてもらったりしましたし、日野の病院では偶然1年間一緒になり、同じ部屋を分け合って過ごしていましたので、大変ショックでした。彼はドラムをしましたので、彼とバンドを組もうと思って少し練習もしたのですが、それも叶いませんでした。

 こうして、改めて思い出してみると、研修の2年間にも意外と様々なことがありました。ただただ必死に毎日忙しく過ごしていただけでしたが・・・。こうして、医師としての基本的な技術を覚え、また、患者さんに対する接し方などを学びました。もっとも、患者・医師関係といっても要は人と人との関係ですから、医師であろうと無かろうと関係は無く、それまでに人としてどう育ってきたかによるのでしょうが。とはいえ、この時期の経験が今の私の基礎になっているわけですから、その当時には大嫌いであった人々も含め、感謝しなければなりません。

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