猿野が部屋に入って、すぐに見たのは、いるはずのない人…犬飼。
「…遅かったな。何してたんだ?」
無表情のままで言う犬飼とは対照的に、猿野は少し、パニックになっていた。
「…犬…飼…」
ポツリと呟いて、猿野は少し、自分を取り戻した。
「…なんで、お前、まだいるんだよ?」
少し、いつもよりも小さな声でしゃべる猿野。それに対して、犬飼は淡々と話す。
「…さぁな。まぁ、あえて言うなら待ってた。」
「…誰を?」
「…お前以外、他に残ってる奴いるか?」
「…俺を待ってたのか?…なんで?」
「…だから、さぁなって。俺にもわからん。」
「おい。」
「…でも、なんか。なんとなく。待った方がいい気がしたから。」
犬飼は少し、うつむきながら言った。
猿野は1歩だけ、犬飼に近づいた。
「…変なの。」
「ああ。俺もそう思う。なんでこんなバカ猿なんぞを…。」
ハァと溜め息をつく犬飼。
「バカ猿言うな。(ムカ)」
猿野は犬飼に向かって怒鳴ってから、自分のロッカーの前まで行き、キィッとそれを開けた。中にかけてある制服を取り出し、着替えはじめる。
すると、急に犬飼が聞いてきた。
「今日はなんで、こんな時間までグラウンドにいたんだ?」
「…。」
(絶対聞かれると思ってケド…。ヤだな。)
それでも、待ってくれていたのだし…と、猿野は半ば諦めたように口を開いた。
「グラウンド、見てたかったから。」
「…?」
「…それだけ。」
「…主将(キャプテン)みたいに、お前が野球LOVEだとかいうのは見たくナイ。」
想像しているのか、実に嫌そうに犬飼が言った。
「ちがうっっ!!」
同じく、そんな自分を想像してしまった猿野が嫌そうに叫んだ。
「…なら、何だよ?」
「うっ…。」
つっこまれて、困った顔になる猿野。
今度は本当に諦めた。
着替える手を止めて、犬飼が座っている部室の真ん中にあるベンチに、犬飼とは人、一人が余裕で入れるくらいの間をあけて猿野は座った。
「…今日、いっぱいエラーしたから…さ。」
「…。」
「足…。みんなの足引っ張らないようにしようと思うけど、うまくいかなくて。」
「…。」
「申しわけないのと、つらいので一杯になって。それで…。」
「…。」
犬飼は何も言わずにただじっと猿野を見て話を聞いていた。
「それで…グラウンドながめて、エラーしたとことか見てた…。」
「……。」
何も言わない犬飼に、猿野は少しはずかしくなった。
弱音など、誰にも吐いたことなどなかったのに。
(よりにもよって、なんでコイツなんかに話してんだよ、俺)
うつむいて、正直に言った自分を責めた。…が。
「お前のエラーぐらい、みんな予想してる。」
「え?」
いきなり喋りだした犬飼。
猿野は、うつむいていたのにバッと犬飼を見てしまい、まともに視線がぶつかった。
「高校から野球始めたばかりの奴と中学いや、リトルリーグからやってる奴とじゃ、差が出るのは当たり前だろ。」
「…。」
「いきなり、なんでもできる奴なんかいない。みんな昔、始めたころはそーだったハズ。いきなりなんでもしよーなんて思うな。」
「…でも、試合が…。」
「打ってなんぼって、自分でも言ってただろ―が。試合でエラーしたって、それは計算に入ってンだよ。別に、どうってことじゃない。」
「…必要ないって言ってんのかよ…。」
「早トチリするな。そうじゃなく、待っててやるって言ってるんだ。」
「?」
「…お前がある程度慣れて、エラーが減るまで、みんなでカバーする。余計な事、心配するな。」
犬飼なりの、優しい言葉なのだとわかった猿野は、力んでいた顔をゆるめた。
「…うん。」
微笑む猿野を見て、犬飼は少し顔を赤くしてそっぽを向いた。
「…///。とりあえず、早く着替えろ。」
「うん。」
ベンチを立って、猿野は、あけていた犬飼との距離をつめた。
「…あのさ、犬飼。」
「…なんだよ。」
「…アリガト…な。」
犬飼の顔が、ますます赤くなる。それにつられるように、猿野まで赤くなってくる。
「…赤くなんなよ!!こっちまでハズカシクなるだろっ!」
「…うるせー。」
少し、文句を言いながら、猿野は着替えを再開した。
「………。」
(なんで、バカ猿なんかを…)
「……。なぁ。犬飼」
「なんだ?」
猿野は、まだ赤い顔のままだった。
「…あんま、見られてると…その…着替えにくい…。」
小さく小さく、聞こえないほどの声で猿野が言った。
「……。」
可愛いと思ってしまったのは犬飼。
わからぬハズカシさに耐えているのは猿野。
なぜか、犬飼の方から自然に手がのびた。
ベンチから立って、手をのばす。
遠かった、その場所に。