車が走った距離はそんなになかった。…多分、あれから10分も走ってないと思う。
「着きましたよ」
そう、後部座席に乗っている俺に振り返り、にっこりと笑った男は俺が降りようとする前に車から降りて俺のために傘をさし、ドアを開けた。…俺が唖然としていると…
「体が冷えているでしょう?…お風呂に入りましょうね?」
と微笑みを柔らかくして言った。俺が無言のまま外に降りるとそこはこじんまりとした俺が住んでいたようなボロアパートが建っていた。
「…ここ??」
それが俺が男の前で初めて言った言葉。…だって、意外過ぎて…。俺が、呆然と聞くと
「そう、ここです」
にっこりと。自信があるかのようにはっきりと答えた男は階段を俺に進めさせた。……値段など分かりはしないけれど高級車であることは外観と中の広さや性能で分かっていたつもりだ。…その男がこのボロアパート??…俺はあまりの事に面食らって男が行く道をただ付いて行った。…男は当然の様に扉を開けて
「只今帰りました」
と言った。すると、少し間があってから
「お帰り。遅かったんだねぇ…」
とにこにこ笑ったおばあさんが一人、玄関まで迎えに来たのだった。
それからはあっという間だった。ずっと、にこにこ笑いっぱなしのおばあさんに風呂に放り込まれて
「よぉ〜く、あったまるんだよ?」
と言われ、風呂から上がると服と簡単に作られたおにぎりとお味噌汁が作られていた。そして、男の姿を探すと、男は布団が一式揃って既に敷かれていた布団の横にもう一組、敷いていた。その間、おばあさんは俺の前でにこにこ笑ってお茶を飲んでいた。
「もう、足腰が痛くってねぇ…。力仕事はあの子に任せっきりなんだよ」
そう言って、お食べ…と俺に勧めた。俺は、ちょっと迷ったけれど美味しそうに湯気を立てているのを見ると無かった食欲を思い出して食べ始めた。
「私の名前はねぇ、和子っていうんだよ…。あの子は良之。」
世間話を楽しそうにするようにおばあさんはそう言って、少し区切りをつけた。そして…
「良かったらいつままでもここにいるといいよ。でも、先に言っておくね…。ここから出て行かなくてはならない日が必ず来るから、それだけは覚えておき…。…ここには”ずっと”はいられないんだよ…」
にこにこと。だけれど、どこか目元を寂しげにしておばあさんはそう言ったのだった。
…男は布団を敷き終わるとおばあさんに挨拶を済ませ、早々と帰っていった。…俺が尋ねると
「あの子は結婚してるからねぇ…。二ヶ月前、やっと可愛いお嫁さんをもらったとこで家に帰るのが嬉しいんだろうねぇ」
クスクスと可笑しそうに年若い女の人のように笑った。
「…さぁ、もう遅いし寝ようかねぇ…?」
…おばあさんのその言葉で二人で並んだ布団へと入ったのだった。
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