奈良町物語館修復記録 (1995年地域創造26号より)  (PDF版

                         奈良町物語館建設委員会 上嶋晴久
<はじめに>
 奈良町物語館のプロジェクトは日頃、私達が提唱している、民間主導、行政支援型のまちづくりを推進する上で、セン夕ー自らの意見をまとめて行くプロセス自体の内容は言うまでもなく、その開放性が最も重要であり、今回の場合は小規模な一つの建物の改修工事とは言っものの、まちつくりを行って行く上での合意形成を始めとするこれらシステムを構築する為の格好のモデルケースとして位置づける事が出来たのではないだろうか。

<基本計画>
 今日の改修計画を進めるに当たり、多くの人々の思いを汲取る為にも、会員自らが意識を持ってプロジエクトの部に参加しうるチャンスを設定出来た事は大きな意義があったように思われる。まず最初は、会員や理事からによる基本計画での提案の募集から始まり、それを基に幾度となく理事会が開催され奈良町物語館の基本的な内容の検討が重ねられた。
 奈良町の場所性として、例えばその要素の一つとしての都市景観形成地区の指定を踏まえ、設立の背景や目的、そして主要機能、平面計画等、企画書として明確にまとめられ、基本計画の策定がなされたのである。

<コンセブ卜>
 基本的には、奈良町物語館は建設省地域木造住宅供給促進事業の中の伝統的住宅改修展示事業の一環とした、伝統的町家の改修そのものを展示ホする事を主眼としているが、それだけではなく、それと共に5つの主要な機能を有している。
@インフォメーション機能
  町家の改修やまちづくり、そして奈良町や大和の観光やイべントの情報の提供
A相談機能
  町家の改修等の技術的な事や、まちづくりのアドバイスを提供する。
B研修交流機能
  講習会・研修会・交流サロン等の多目的な事業の場。
C展示機能
  町家の改修等の展示を始めとする多目的な展示機能。
D管理機能
  奈良まちづくりセンターの事務局と施設の管理を行う。

<建設委員会>
 基本計画の策定を受け実施計画に移行する為の特別委員会として、奈良町物語館建設委員会を設置する事となった。委員は選考されるのではなく、会員よりの自由意思でもって委員会への参加を募集したところ、建築家やデザイナー、まちづくり活動家、行政マン等多くの人々が参集した。平成6年2月6日に、第1回建設委員会が開催され、実施に向けスタートした。委員長には建築家の岩崎弘氏が選任され、以後、先生の指導のもと、改修に関する重要事項は建設委員会の決議により進められて行くことになった。その後プロジェクトが進むにつれ、作業の分担を行うべく組織が再編された。今まで通り改修計画を進める設計、監理部門として、筆者を中心とする「建築部会」。それに加え福井清治氏を中心とする「インテリア部会」。及ぴ森井直良氏を中心とする「記録・イべント部会」を新設し、三つの部会により構成され、構成委員も・奈良まちづくりセン夕ー会員の他にも協力参加して戴き、建設委員会として改修に向け取り組んでいったのである。

<基本設計>
 建設委員会は理事会により策定された基本計画を基に基本設計に入った。最初、各委員に対して、基本プラン(平面・立面・断面)の提案を募集した所、主に、永山案、田村案、筆者案の3人による提案が提出された。そして第4回建設委員会の席で各案のプレゼンティションが行われた。その結果、田村案と他の案の良い所、そして理事会による策定案を原形に基本設計を進めて行く事になった。
 基本設計はプラン提出者の3名を中心に進めて行くことになり、建設委員会を始めとする数多くの意見を調整する作業にはいった。資金計画において、建設省の伝統的住宅展示事業及び奈良市の町並み保存事業により、総額1400万円の補助があり、担当窓口である奈良市計画課を始め、建築指導課の指導を戴き、行政として奈良町での方向性の確認と、建設委員会での論議、試行錯誤と変更作業をくり返し行われ、平成6年6月29日の第7回の委員会にてようやく決定、建設委員会としての基本設計を完了、理事会にて承認され次のプロセスの実施設計へと駒を進めていった。

<現況調査>
 基本設計の完了に前後して詳細設計、言わゆる実施設計に移行する為、正確に現況を把握する現況建物調査を行った。奈良市教育委員会による調査報告書にも記述されているように、明治初期に建てられ転用古材の使用が多く見られた。例えぱ一本の柱を何か所も古材を継いでいたり、梁にあっては不必要なほぞ穴が開いていたりした。又、百年あまりの間に増築や改築をくり返し行われた様で建築当初の形態より相当変形されたと思われる。又、柱や梁などの構造材も、細いものが使用されており、老朽化も著しく進行している部分も多数見られた。そして、この場所が元興寺の金堂跡であった関係か、たぶん金堂の柱の礎石であろう大きな石が二ヵ所確認された。

<実施設計>
 実施設計も、基本設計と同じメンバーにより各作業を分担して行われた。 建築全般では改装レべルでの改修に加えて、老朽化の著しい材、梁等の構造の補強方法の検討に力点が注がれた。東西の壁では内側に添柱を建て、新たな壁を内側に附設した他、基本的には既存の軸組を現況保持するよう工夫をこらした設計となった。 材料に関して、瓦や木材等、奈良県産材料をできるだけ使用する事を仕様にもり込んだ他、ディティールに関しても伝統的な町家のイメージを損わないよう設計された。 建築部会が設計を進めるのに平行して、新たに設置されたインテリア部会が活動を開始した。この部会は展示空間のイメージや照明計画そして、家具等のコーディネートを分担する事となった。基本コンセプトは、奈良町物語館に流れ入る人や情報の流れを、メタファー(隠喩)として「風」をイメージし、それを進める事となった。照明に関しては、松下電工の設備A&Iデザイン室の武林氏のグループによる協力を得て器具の選定が行われた。 又、家具については、基本型の収納ボックスを設計し、それを積み重ねる事により、フレキシフルな使用を可能にする、奈艮まちづくりセンターのオリジナル家具として作成する事となった。設備設計では、公共的な施設である事により身障者にも考慮したトイレや、町家の冬の寒さに対する一つの提案として、土間部分を、ガス床暖房設備、空調はガスヒートボンプエアコン等、ガスを利用した設計が進められた。

<施工業者の選定>
 今回、この老朽化した町家を改修するに当たり、多くの人から建直した方が安くつくのではないかと言っ意見が出る程、どれだけの工事と費用が必要か予想が難しかった。 そして、このプロジェクトにかかる費用は、建設省と奈良市による補助と、多くの人々や企業のご好意による「かわら寄金」により成立ち、当初約2600万円の予算で実行するべく進められていた。施工業者の選定に当っては理事会において、奈良町の場所的な事と、改修工事の実績等を考慮し、前もって2社が選ぱれ、指名見積り合せ方式により選考する事となった。補助の関係で、年度内事業という夕イムリミットがある為、早急に進めて行かなければならない状態にあり、詳細な設計がされていない基本設計が完了した段階で、2社に私達の予算を提示、簡単な見積りを依頼することになった。 結果、一社は私達の思いとは大きく掛離れた金額の見積りが提出され、片や、マスオ建設は私達の予算通りの見積りが提出された。これにより、早い段階で施工業者自身のこのプロジェクトに対する取り組み方、意欲が理解出来たことは、幸いであった。その間に実施設計もほぽ完了し、マスオ建設に特名で正式に見積りを依頼し、ネゴシエーションに入って行った。ネゴの途中、予算に合わす為、仕様等の変更はあったものの、基本設計を変更する事もなく、最終2566万円で決定し、平成6年9月21日の起工式と共に正式に請負契約を結んだのである。

<改修工事>
 この町家は元興寺の金堂跡に建っていると言う事で、起工式は仏式にしたがい、元興寺住職の辻村泰善氏による祭事が、木原理事長(当時)をはじめ、関係者が参列する中挙行され、着工した。建築部会では、工事監理に関して、永山、田村、筆者の三名により、週に一回は現場を見に行くよう、ローテーションを組み、月に一回は全員と、マスオ建設の施工管理者の阿部氏そして関連業種を集め行程会議を開催する事を定め進めて行くことにした。最初、一部撤去工事が進むにつれ、壁や床板などが剥がされ、この建物の本当の姿が現れるに従い予想した以上に老朽化がひどい状態である事が明らかになり、再度補強に関して検討、西面の壁やその他に関しても添材を建て内側に新しく壁を附設するなどの処置を行った。このような老朽化した町家の改修において、今後何年間かの使用に耐えうる建物にする為の補強は不可欠なものであり、木工事の中でこの補強工事は非常に重要であると共に、それに費やした材料やエネルギーは、相当なものであった。
 そう言う中で、木材に関して、吉野の奈艮県住宅木材事業協同組合の曽羽理事長により、良質な吉野材を供給され主要な部分は全てこれを使用することになった。そして、請負業者のマスオ建設により、それに対応する優秀な大工等、職人の人的エネルギーを供給いただけた事は、今回の改修工事を完成できた最大の要因でもあった。又、県産材の利用と言う事で、木材に限らず瓦に関しても、奈艮県瓦センター協業組合の石野瓦工業の協力を得ることができた。そして、今後の取り組みの為にも、できるだけ、地元の業者の選定を考え、元請を始めとする、建具、タタミ、設備等地元から多くの協力を得て今回の改修工事を進めた。設備関連では、空調や床暖房のガス設備において、大阪ガス奈良支社の強力な支援により、実現することができた。

<竣工>
 色々数多くの難題を解決し、工事もようやく完了、1995年3月27日には奈良市計画課による竣工検査。1995年4月7日には建設委員会としての竣工検査を終え、1995年4月21日のオープニングに漕着ける事が出来た。当初、あの古い町家が限られた予算の中でここまで改修できたことは、一つの驚きにも似た感動があり、これはたぶんこのプロジェクトに携わった人の一人一人の思いが奈良町物語館の形となり表われているのであろう。そして、明治生れのこの町家は、奈良町物語館と言う新しい生命を吹き込まれ、奈良まちづくりセンターと共に永く生きつづけることでしよう。

<おわリに>
 今回の改修工事は多くの人々や企業の協力があったがゆえ、成し得た事業であり、協力いただいた皆様に深く感謝すると共に今回の経験を町家再生に向け生かして行きたいと考えています。


<奈良町物語館、建設委員会メンバー>

委 員 長      岩崎 弘 (奈良市)
建築部会長      上嶋 晴久(大和高田市・HULL建築設計)
           植田 秀美(奈良市・SER建築事務所)
           勝村 一郎(奈良市・勝村建築事務所)
           田村 俊 (大和郡山市・田建築設計)
           永山 清一(京都府・建築設計工房 恵)
           山崎 博司(田原本町・出口工務店)
記録イベント部会長   森井 直良(奈良市・農村都市総合計画室)
           横井 鉱一(奈良市・株式会社TAD)
           田中 宏一(奈良市・鶉屋)
           藤野 正文(京都府・奈良県庁)
インテリア部会長    福井 渚治(大坂府・(有)フォルム・アーキテクト)
           中崎 宣弘(兵庫県・NOBUデザイン)
           渡部 実津(生駒市・ミズ・プランニング)
           長谷川武宏(瀬戸市役所)
オフザ−バ−      松山 隆 (奈良市・株式会社松山)
NMC事務局      足立久美子 (社)奈良まちづくりセンター