夏コミありがとうございました、ゆきです。 新作の通販をさっそくはじめましたので、ほしい方はこちら、新作の紹介はこちら。 ちなみに冬は不参加予定ですのでヨロシクです。
さて、今回は女装講座第5回です。 なんだか「写真は真実しか写さない」という言葉を聞いて、かなりショックを受けましたので、今回は「写真は真実ではない」ということを延々と言い続けていきます。 なにせ、これは一般的にかなり誤解されていることですから。
まず、写真は真実しか写さないというのは間違ってはいないけど、カンチガイする危険が大きい言葉だと思います。 というわけで、当ページではこの言葉は推奨しません。
今回は、理屈だらけのつまらない哲学的な話になると思いますので、興味のない方は読み飛ばしてください。 ゆきの自分勝手な主張ですし。
そもそも、一体何をもって真実とするか、真実とは何か、です。
そこで、まず「そこに存在する物質」が真実であるを考えます。 これは確かに真実ですが、「それを写すもの、手段」によって結果は大きくことなってしまいます。 人間の目で写した場合、写真で写した場合、虫がみた場合、などなど。 ゆきが思うに、これらは全て真実です。
真実と言うものは1つの絶対的なものでなく、それを写すものによって変化する相対的なもの、だと思います。 だって、人間の目で見えるものは人間にとっては当然真実ですし、虫の目で見えるものはその虫にとっては真実です。 言ってみれば、これは全ての大元の存在であり、ここから「目で見た真実」「写真でとった真実」という相対的真実がうまれてくると。 そして、「目に見えるもの」「写真でうつしたもの」、両方とも真実であり、片方が真実で片方が虚偽ということはあり得ないのです。
非常にややこしいことを言いましたが、「写真が写したもの→真実」であっても、「真実→写真で写したもの」ではないということで。 写真が写したものは、あくまで「写真で写した真実」でしかないわけです。
もっと簡単に言ってしまうと、写真で撮った顔が想像より悲惨だったなら、それは単に写真が悪いだけだということで。 写真で撮ったのが鏡で見たのに比べてひどい顔だったからって、それが本当の自分の顔だと落ちこむ必要はまったくありません、写真が悪いんです。
写真が真実しか写さないかどうかはともかく、写真に写っているものこそが真実だとは絶対に思わないでください。 まずはこの誤解をとくことからはじめるべきです。 写真とは、「カメラのレンズから写し出した姿」であり、それ以上でも以下でもありません。 それが全てだったり、これだけが真実だったりするなんて間違っています。 カメラのレンズに写った姿を正しく見せるのが写真です。
そもそも、写真が撮ったものが正しいというのはどこから来た考えなのかと。 だって、それは写真のレンズを通して映写されたものにすぎないわけじゃないですか。 「カメラのレンズこそが正しい」なんて、ただの妄想にすぎません。
そもそも人間の目に写るものよりも、写真に写るものが正しいなんて、おかしいと思いませんか? 写真のレンズだって、所詮人間が作り出したものにすぎないんですし。 大体、普通に考えて3Dのものを2Dにしてる時点でおかしいやん。
オマケに、フラッシュを炊いたりすれば、真正面からすごい光が来るという謎な状況の顔がうつってしまうわけで、これが本当の姿だなんて、それこそ酷い誤解です。
もしも、鏡に写った姿がきれいで、写真がひどかったのなら、写真の方を自分で見たものに近づけていけばいいのです。 写す媒体が違う以上、違うものになるのは当然ですが、それを出来るだけ近づける…そのための撮影技術です。
そして。最初から絵を上手く描けないのといっしょで、最初から写真を上手く撮ることなんて出来ません。 女装写真に限らず、自分の写真を撮ってへこんでいる方は、それを自分の本当の姿なんだと諦めたりしないで、試行錯誤して写真撮影を上手くなればいいのです。 こういうと、難しそうだと敬遠する人も多いと思います。 しかし、本格的に上手くなろうとすると大変ですが、ちょっとやり方をいじってみるだけで、写真のデキは全然変わってきます。
というわけで、次回「いかに写真を上手く撮るか」に続きます。 …次回、やっと本題に入れますw
(200308)
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